『鍵』の行方
絶えず自分の昇格した姿や、傍に美人を侍らせているのを想像している心汚い男がロウル・セルヴィンスという男だ。そのうえ腫れぼったく、ジャガイモをさらにごてごてにいたような脂っこい顔は常に悪臭を放っていそうな程醜悪である。ぶよぶよに肥満した体を金ぴかの鎧で包み、その瞳には碧色が宿っている。如何にも自分は家柄もよく、平民風情とは違うのだよというオーラがにじみ出ていた。
日が沈みだした頃、彼は逃走を計ったアレンの軍を追っている。
残った七千の兵隊を率いて、今逃げている最中のアレンの部隊を全滅させるのが目的だ。
ちなみにこのときのロウルは部隊の最後尾に残り、本来ならばウィレムが防御しているはずの出入り口前まで移動している。もともと周到な準備をしていたため、アレンを街から遠ざけることができたのだ。なにしろこの平原において先回りという手段はあり得ない。アレンの部隊を待ち伏せしていたからこその結果だった。
ロウルが千の兵を率いて街へ戻ろうとしたのは、六千の兵でも疲弊したアレンの部隊をつぶすのは容易なことだろうと踏んだからだ。概算をして、おおまかな答えを出すのがロウルの性格である。
アレンの逃げる先を予測して兵を二千ばかり伏せてあるのも、その驕った考えを導き出すのに一役買っていた。
ニタァと不快感を与えるような笑みを全面に表し、街の壁が見えてきた。
同時に、変なものも見えてきた。
それは夕日を黄金に照りかえす軍隊。
ロウルの碧眼に飛び込んできたのは、旗印から判断すると同志の一人であるフォードの一団だ。兵一万を率いる軍隊そのものは不思議ではないのだが、その光景には度肝を抜かれた。
「―――なんだあれは」
もくもくと立ち込める黒煙。辺りに散在する死体、死体、死体……。険しい表情で何やら命令を下しているその部隊の隊長たるボルックス・フォード。
怒号は結構な距離があるはずなのに鮮明に聞こえ、「さっさと殺せぇ!」だの「挟撃しろぉ!」といった内容のものがロウルの耳に響いた。それをうけていきり立つフォードの軍隊は一斉に咆哮し、囲っているなにかを懸命に攻撃していた。
そのときだ。ロウルの背筋にひたとうすら寒い気配が通ったのは。
もしかしてフォードの軍隊が今攻撃しているのは、ウィレムの軍隊なのではないか?
そんな疑心が、ロウルの心をかき乱したのだ。
勿論ながらフォードたちが攻撃しているのはあのカップルなのだが、黄金に隠されてしまっているのでは確認のしようがない。ロウルの目には、フォードの軍隊がウィレムの軍隊を呑みこんでいるように見えた。
そんなはずはっ! と最後の希望に縋るように辺りを見回してみると、転がっていたのは冒険家の他に、ライデンワーツの兵も見られた。その死体に混じって、ウィレムの掲げていた旗が折られたものが散らばっている。
いよいよロウルの背中を走る寒気に冷気がこもる。
考えれば考えるほどに疑心暗鬼は膨張していき、ロウルの頭の中を寄生虫のようにぐにゃぐにゃと捻じ曲げていった。
「ぜ、全軍一時退却っ! フォードの軍隊に感づかれるなっ!」
疑いを最大まで膨らませたロウルは、すでにフォードの部隊を味方として見ていなかった。
今率いている兵の数は千。対してあちらは一万。戦闘によってやや減らされているだろうが、その数を覆すことはできないとロウルは確信し、退却を始める。
自分もそこに転がっている死体と同じにならないようにと。
それだけを切望して。
† † † † † †
黒い剣が薙がれ、空を裂いた。
あと数ミリずれていれば鼻の形に変化を生じていただろうが、上手くかわしたおかげでそれを免れたミドリナは代わりにチャクラムをお見舞いする。
ブオゥッ! 勢いよく振られるが、アルスの姿を捉える事が叶わない。
まるで影と対峙しているかのような、実感の湧かない戦闘だった。
戦いには会話する余裕が失われはじめ、次第に全員が疲れを表しだしていた。
ロマヌエットに近付いたアカニャに、ステッキが振られる。
その軌道は初期と比べ格段に鈍っており、余裕の表情で三姉妹に挑むロマヌエットでも疲弊を隠し切れていないのが見て取れた。
しかしだ。
アルスだけはずっと同じペースで延々と三姉妹をあしらい続けている。不気味なほど無尽蔵の体力をベルデロイを含む四人に見せ続けているのにも関わらず、最前線に立つアルスは疲れるという言葉を知らないように一定の呼吸量だった。いや、ハッハッと息を整えてはいるのだが、それがすぐに収まってもとのペースに復帰するのだ。
「おらどうした、勢いがなくなってきてるぞ!」
迫るアオノに黒剣を振るいながら叱声を飛ばす。その声にも疲れは含まれておらず、本当に疲れていないのではないかと思わされた。挑発的な言動、表情とあいまって、三姉妹のテンションを一気に下げる。変わっていないのは、戦いに殆ど参加していないベルデロイくらいのものだった。
アルス、ロマヌエットに守られるようにして後ろに控えるターニャ、リフの二人は、アルスの言った通りにアイリを守護していたが、あまり戦闘に参加していないこの二人でさえ息が弾んでいる。だが、最も高速で動き回り、最も剣を振るっているはずのアルスだけはまるでケロっとしていた。
「アルス君は元気ですねぇ、何か秘密でもあるんですかぁ?」『カァっ! カァっ!』
あくまで平常と同じ態度のロマヌエット&パロ。頬に伝う汗だけは隠すことができないようだ。
「ないね」
質問に対して端的に、かつ淡白にアルスが答える。
チャクラムを複雑に振り回してコラボレーションしてくる三姉妹を全て捌いてから、アルスは一段落がついたと言わんばかりに一息つく。実際アルスがそう思ったように、三姉妹の方も肩を上下に揺らしてゼイゼイと息を整えていた。その顔は楽しそうだが、同時にアルスに対する恐怖心もちらつき始めていた。ベルデロイの表情はいつもどおりに楽しそうだったが。
「すごいですアルスさん! 今までどんな修練を積んできたんですかっ!」
「修練なんてしてない。もともとこういう体質だ」
冗談でも吐くような口調でアルスがニヤついて言う。その顔は得意げであり、修行を欠かさない努力家の逆鱗に触れるような余裕を控えさせていた。
「ふむ、さすがレイグラント帝国で名を馳せていただけのことはありますねぇ」
すると今まで口端を歪めてアルスを観察していたベルデロイが口を開いた。屋上での件で見た、興味から爛々と輝く両目がぎょろぎょろと動く。
「たしか帝国の切り札でしたか? 漆黒の剣を背負い、最強の名をほしいままにした伝説の男。こんなところで出会えたのは僥倖ですよ。吾輩はあなたを調べたくて仕方がなかったんです」
ベルデロイが一歩、アルスに近付く。
対するアルスは不敵に笑うだけだった。
「革命組織『新世界』の双翼、『右舷の天剣』と『左舷の地盾』を一人で葬ったという話はまさに伝説的ですよねぇ? 他にも大国の艦隊を沈めたとか、龍を殺したとか、どこぞの姫君と良い仲だったとか色々噂は絶えないですが、吾輩が主に注視したのはその無尽蔵の体力です。吾輩はあなたの中に何か、とんでもない秘宝が隠されているんじゃないかと思うわけですよ」
ペラペラと語るベルデロイに、アルスは黙って聞いているばかりだ。何も言わず、ただただその一挙手一投足を見逃すまいと目に力が籠っている。今の話にターニャやリフ、アイリなどが驚愕していたがそれは目に入っていないかのようだった。ロマヌエットや三姉妹は元から知っていたのか、わざとらしく「すごーい」みたいなことを言っているだけだ。
「そこでです、あなたがたに提案がっ!」
「味方にしてくれ、なら断固拒否」
「じゃあ戦いましょう」
さっきまでの怠惰な態度とは打って変わって、今度はフランケンシュタインが本領発揮してきた。具体的には、地を蹴ってアルスとの距離を詰めただけなのだが、なにしろその速度が尋常ではない。まず常人には捉えられない動きだった。
こいつ、こんな動きできたのか。と半分感心しながらも、アルスの手が加減することはない。
伸びてくる手を正確にとらえ、その手首を黒い剣が一閃した。
ザシュッ! 「イダアアアアアっ!」切れた断面からブシュウと血が噴き、「なんちってっ!」
嫌に腹が立つ言い方だった。
「吾輩はフランケンシュタインの怪物なりっ!」
「少しは黙ることを覚えろ」
再び伸ばされたもう片方の手が再度斬り落とされる。
今度はわざとらしい悲鳴を上げることもなく、ベルデロイは次に叩きこまれたアルスの蹴りを甘んじて受け入れた。ひょろ長い体がボギッと断末魔を上げたが、地面に倒れて再び起き上がるときには何ともないようにピンピンしていた。まさに怪物である。
「お前どうやったら死ぬんだ」
「究極至高の研究実験を成し遂げたらですかねぇ?」
「それはそんな内容だ?」
「今はあなたを調べることです」
「じゃあ俺はお前を殺せないな残念だ」
というより、誰もベルデロイを殺せそうにはなかった。なぜならその時々で究極至高の研究実験とやらがころころ変わっていきそうだからだ。
そんなことはともかくとして、ベルデロイの攻撃から三姉妹が再び戦闘に復帰した。
今度はフランケンシュタインの戦闘参加もあり、状況は一気に悪化する。
三姉妹をロマヌエットが一手に受け、不死に近い生命力のベルデロイをアルスが相手する。
「おいターニャ、リフっ! アイリを連れて避難してろっ!」
今の情勢を冷静に判断して、アルスが怒鳴る。
言われた二人は力強く頷き、なぜかアイリも首肯していた。
「アルスさん気をつけてくださいねっ! ロマヌエットさんもっ!」
最後、場を離れるときにアイリが切実そうな声でそう言った。
アルスが手を上げて、それへの返事とする。
勿論、隙を見逃さなかったベルデロイが即座に攻撃を仕掛けたのだが、それはアルスの蹴りによって封殺された。
† † † † † †
「やっぱり一万相手はきついですか?」
「いや、愛の力は無敵のままなんだが、そろそろ同じことの繰り返しで飽きてきた」
「あぁよかったです。もしかして怪我をしてしまうのではないかと心配になりました」
「そんなことするわけないな。俺にはミルがついているんだから」
「同じく、私にもカインがついてくれています」
「当たり前だな、俺たちが離れる時なんて一度としてない」
「そうですね、当然のことを聞いてすいません」
「謝らなくてもいい」
「ありがとうございます。愛の道を阻む彼らに天罰のあらんことを」
「その通りだな。全員もっとも苦しい死に方をすればいいんだ」
「素敵ですね、溺死が一番苦しいんでしたか?」
「聞いたことはあるな。いや、ミルが知っていれば俺が知らないはずはないんだが」
「フフフ、カインと私は一心同体なんですね」
「以心伝心の染色体すら共有している運命共同体だ」
「わぁ、美しい響きですね」
「ミルの方が無限に美しいがね」
―――という一部の会話を抜き取ったのだが、たった一部の会話でもこれだけ濃厚なミルとカインの仲は相当強靭な絆で結ばれているのだろうと思われた。
囲まれてから一歩も動いていないが、発生させている雷の鞭が近付く兵を皆殺しにしているために悠々と会話を営んでいられるのだ。
地面から木の根のように生え出した雷の鞭は全部で六つ。魔法陣を構成する六芒星の頂点のそれぞれから一本ずつが生え出している。ビュンビュンと無軌道に動き回り、カップルに近付くことを至難としていた。
初めのうちに犠牲となったライデンワーツの兵隊は黒焦げで地面に寝転がり、呼吸をしなくなっていた。中には死体から黒煙を発するものもあり、辺りは異様な悪臭に満ちている。言ってしまえば先ほどから街の出入り口は死臭がひどいのだが、生々しい臭いだけでなく焦げ付いた臭いまで嗅覚を刺激するのだがら、嗅覚に優れたものなら一発で昏倒するような様だっただろう。
「誰かあの鞭をとめんかっ!」
部隊長を務める老兵士が、部下に向かって怒鳴る。鼓吹も何もあったものではなく、それは最早情けない懇願のようにも聞こえた。
部下の兵に不満の色が宿り始める。
「さっさと二人を始末しろっ! たった二人だぞっ!」
我を忘れて怒鳴るフォード。次第にイラつきが声にも現れるようになっており、荒々しい声に兵が更に不機嫌面になる。
「ミル、これはチャンスだな」
「えぇ、やはり愛の力には天恵が付き物ですね」
この機を逃さなかったのは、このカップルだ。
「錯乱させようか?」
「いいえ、全員『鉄の処女』にかけてしまえばいいのでは?」
「それだと時間がかかってしまう、それに車椅子の車輪が汚れるだろう?」
「あぁ、言われてみればそうですね。では『リッサの鉄柩』はいかがですか?」
「いや、俺が考えたのは『鋼鉄の乙女』で道を開くという方法だ」
「あぁ! なるほど、カインは頭がいいですねっ!」
様々な拷問器具の名前を上げながら不穏な会話をしていた二人が、やがて意を決したようにフォードの方を見た。それにフォードの今までの勢いがまるごと削がれる。
「では、詠唱を」
「”罪深き子等を鉄の温もりにて永遠の眠りに”」
カインの声に終わりが来て、魔法陣が発生した。カップルの東西南北を守るようにして四つ発現し、そこから無表情な乙女を象った結構な大きさを誇る像がそれぞれ現れた。鉄錆びたそれらには腕があり、まるで人を抱擁するかのような姿勢で固まっている。
「まあ、子沢山で嬉しいわ」
「俺も幸せだよ」
言って、二人は街の入り口の方、フォードの逆方向に向かって歩き出した。
この瞬間にフッと雷の鞭が消えていく。
「あ?」
フォードの顔に疑問符が浮かんだ。
が、すぐに振りはらって怒声を上げる。
「今だ殺せっ!」
それを受けて、突如現れた像たちにやや辟易しながらも兵が一気になだれ込んだ。
次の瞬間、カップルが言うところの『鋼鉄の乙女』が独りでに動き出し、なだれ込んできた不運な兵の何人かを抱擁した。
「う、うわああっ!」「なんだっ!?」などの声をそれぞれ上げ、恐怖と疑問に―――
ポギュッ! という甲高い音。骨が折れた音だ。恐怖や疑問に苛まれる前に、激痛に押しつぶされることになった。
しかもだ。
「労わるんですよ、わが子たち」
ミルがそう囁いた瞬間、『鋼鉄の乙女』の内部から針が飛び出してきた。当然、抱かれていた兵たちは皆、それに急所を貫かれていく。
この光景を見て初めて、兵の間に冷たい戦慄が走りぬけた。
『鋼鉄の乙女』が抱きしめていた兵を離し、死体に変えて地に落としていく。そしてまた、抱きしめる相手を求めて動き出した。ギゴゴゴと歪に軋んだ音を立てながら近づいてくる処刑器具は、兵たちにパニックを起こさせるのには十分すぎる効果を発揮した。
誰も、カップルへは近付けなくなったのだ。
「お、おい落ちつけっ! 全員で特攻すればあんな鉄くず―――」
言っている間に、恐れをなした兵はどんどん散っていく。誰も、自ら進んで死に向かおうとしない。そんなことは当たり前のことだった。
『鋼鉄の乙女』に守られてカップルが街に入っていく。
『鍵』の所有者が街に到着。
しかし、未だ門前では戦闘が繰り広げられていた。