翡翠の初恋 ― 宝石泥棒娘と子爵子息ベリル1
第1話:少年とカエル
父は、私にとてつもない爆弾を残して逝った。
父は王家の宝石を盗んだ。私はそれを取り戻さなければならない。
私は、パル・マーレ元男爵家の一人娘。
16歳になる。
自慢は、生存能力。令嬢なんて呼ばれたのは一時的なもの。
特に、食べられるものと食べられないものを見分ける力には自信がある。
それと、暗記が得意。父親の「知識は最も軽い財産」という教えは守っている。
今日は、子爵クロサイト家の、ご子息ベリル様の家庭教師の面接に来ている。
「なるほど、紹介状に問題はありませんね」
クロサイト家の奥様、ローダ様は言った。
「しかし、息子ベリルの家庭教師で一か月以上続いた方はいませんの。あなたで十二人目です。それでもやりますか?」
「はい。誠心誠意、お勤めいたします」
私に断る選択肢はない。
この家に侵入した大望をさておいても、賃金が頂けるのはありがたい。
◇
家庭教師の最初のお仕事は、ベリル様を捕まえること。
お屋敷の敷地は広大で、途方もないと思われた。
でも、ある意味好都合だった。
敷地内どこにいても怪しまれることはない。
私は、ベリル様を探しながら、建物の作りや、人の動きを調査していった。
自分の命運が掛かっているから、得意な暗記にも力が入る。
父が盗み出した王室の宝帯の一部の宝石。
転売後新たなアクセサリーに加工され販売された。
ネックレスになったものが、この裕福な子爵家にある。
三階の奥、奥方様専用の衣装部屋が怪しいと踏んでいた。
部屋の扉には鍵が掛かっていた。今はそれ以上さすがに入れない。
隙を伺うためにも、ご家族に信頼されることが第一だ。
ベリル様は、15歳になったばかり。赤髪の少年だという。
敷地内の雑木林を巡っている時、それらしき姿を見つけた。
雑木林には、豊富な湧き水の湿地帯がある。
そこで汚れることも厭わず泥に手をつっこんでいる後姿。
「ベリル様?」
声を掛けてみた。
振り返った少年の赤茶の髪が、湿地の光を受けて揺れた。
緑の瞳は鋭く、以前見た狼の子を思わせた。
せっかく高級そうなシャツもズボンも泥だらけ。
「誰だ?」
少年は怪訝そうに私を見た。
「私、パル・マーレと申します。ベリル様の家庭教師として上がりました」
「俺は、勉強はしないぞ」
やはり、ベリル様なのだなと、私は理解した。
彼は、一瞬ニヤッとしたあと、泉に手を突っ込んで、何かを握り、私に向かって放り投げた。
……それは、大きなカエルだった。
一瞬ひるんだものの、私は、冷静にそのカエルを手に乗せた。
「アマガエルですね。かわいい」
実際に、目が大きくて、吸盤のような指先も愛らしいと思う。
「女のくせに逃げないのか」
ベリル様は、私の反応に逆に驚いていた。今までの家庭教師にも同じことをしてきたのだろう。
「私の父は、医師でしたから。ヘビやカエルの研究をしていました。薬になったりもするんですよ。私も採取から飼育まで一緒にやっていましたから、慣れています」
私の手から、カエルがピョンと飛び降りた。
「へえ。薬かあ。知らなかった。」
素直な反応。そんなに扱いにくい子ではなさそうだ。
「ヘビも大丈夫なのか?」
私は、頷いた。
「はい。よく見るとつぶらな瞳ですよね」
私はヘビを抑える真似をした。
ベリル様は嬉しそうに私を見ていた。
「さすがに、毒ヘビはいないけど……見せてやる」
ベリル様は、私を敷地の奥に案内してくれた。
敷地の奥の小屋には、鉢や桶に入れられた、多種多様な魚、両生類、爬虫類。水草。昆虫、とにかく多種多様なコレクションがあった。
「すごい……」
私は正直に感嘆した。
それぞれ生き物に適した生育環境を工夫した形跡もある。
「いつも、バカなことばかりしていると言われる。貴族の家に生まれたからには、綺麗な服で座っているのが仕事だと。でも、俺はドレスの美人よりこういう生き物が好きなんだ」
ベリル様は、物憂げに呟いた。
「これだけの生き物の知識が、無駄なことだとは思いません。生き物を生かすことは、領民を生かすことに繋がります」
ベリル様は照れたように呟く。
「そんなことないだろう。母上にも、気持ち悪い上に、何の役にも立たないと呆れられる」
「農地のためにも生き物の管理は大切です。実際、私の家の周囲は、蝗害(イナゴの害)で大変だったこともあります。
私の父もよく無駄な知識はないと言っていました。私もそう信じています」
「そんなこと誰からも聞いたことがない」
「興味をもてること自体が、神様の贈り物だとも言いますから、ベリル様の興味を追求しましょう」
私たちは、その後何日も、敷地内で、二人で生き物の採集や調査に明け暮れた。
やはり、地域柄の植生や生態系の違いは、興味深い。
「あ……」
そんな中、私は水辺のぬかるみにはまってしまった。
ベリル様が少し離れたところで振り返る。
「どうした?」
「動けません……」
抜こうとして片足踏み込むと、そちらがはまる。その繰り返し。さすがに焦る。
ベリル様がこちらに来て手を伸ばしてくれる。
でも、抜け出せない。
ベリル様が、私の背中に手を回して、体ごと抱えて引っ張った。
「わっ」
私の足は抜けたが、今度はベリル様が地面に尻もちをつく形になって、私は、ベリル様の上に乗り上げた。
少年だと思っていたけれど、ベリル様の体は、やはり女性のものと違って、厚くしっかりしている。
私は、ベリル様の胸に顔を押し付ける形になり、つい赤面してしまう。
「し、失礼しました……」
顔をあげると、ベリル様は
「危なかったな。一人だと抜けられなかった」
私を純粋な笑顔で見つめている。
笑顔のまま、ぎゅっと両手で私を抱きしめた。
嫌らしさはなくて、たぶん動物を抱っこしているような感覚なんだろう。
暖かくて、お日様の匂いがする少年。
その腕の中にいると、胸の奥でほどけていく気がした。
でも、私はここにいてはいけない。
数日後、廊下でベリル様のお母様、ローダ様に呼び止められた。
「あの子は……ベリルはどんな様子かしら? あなたは、続きそうなの?」
私は、答えた。
「ベリル様の、集中力が素晴らしいです。成長される姿が楽しみですよ」
「そう……? そんな見方はしたことがなかったわ」
ローダ様は眉をひそめたまま、扇を手に通り過ぎて行かれた。




