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【改稿版】午後のまどろみは君の隣で  作者: 風谷 華


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第四章 過去との対峙

 それから数日

 ——いや、時間の感覚がないから、数日かどうかも定かではないけれど——

 私はリュエル村で過ごした。


 ミケと一緒に村の畑を手伝ったり、

 森の中を散歩したり、

 花を摘んだり。


 昼下がりには村のカフェで甘いお菓子とハーブティー。

 夕方には風に吹かれながら縁側で並んで昼寝。


 誰にも怒られない。

 責められない。

 「迷惑」だなんて言う人もいない。


 でも——心のどこかで、違和感があった。


 こんなに幸せでいいのだろうか。

 こんなに何もしないで、ただ存在しているだけでいいのだろうか。

 

 その違和感は、日を追うごとに大きくなっていった。

 

 ある日、ミケが言った。


 「ご主人、少し……お出かけしませんか?」

 「お出かけ?」


 「ええ。心を癒す力がある場所があるんです。

 ご主人の記憶や痛みに、そっと触れてくれる場所」

 

 私は一瞬、身を固くした。

 記憶。

 痛み。

 それは、私が一番触れたくないものだった。

 

 でも、ミケはすぐに続けた。

 「行くかどうかは、ご主人が決めていい。

 ただ……僕は、どんなご主人も、全部好きです」

 

 その言葉に、胸がじんと熱くなった。

 

 「……行く」 

 私は、小さく答えた。


 逃げ続けていても、何も変わらない。

 それは、今までの人生が証明している。

 

 森の小道を歩いていくと、

 鳥のさえずりと木々を揺らす風の音が重なって、

 不思議と心が落ち着いてくる。

 

 でも、奥へ進むほど、胸の鼓動が早くなった。

 手のひらに汗がにじむ。

 呼吸が浅くなる。

 体が「戻れ」と叫んでいる。


 ミケは私の様子に気づいて、立ち止まった。

 「大丈夫ですか? 無理しなくていいんですよ」


 私は首を横に振った。

「大丈夫。……行きたい。」


 嘘だった。

 全然大丈夫じゃなかった。

 でも、ここで引き返したら、私は一生逃げ続けることになる。



 丘を越え、

 森を抜けた先に、それはあった。

 

 石で組まれた古びたアーチ。

 その奥には、静寂に包まれた石の回廊があった。

 

 花も草も咲いていない。

 でも、空気が澄んでいて、呼吸が深くなる場所だった。


 「ここが……」

 「はい。癒しの遺跡です。ここは、ご主人の心の奥に触れる場所」


 ミケの声が、いつもより少しだけ真剣だった。


 私は一歩、回廊の中へ足を踏み入れた。



 その瞬間、景色が変わった。


 目の前には、見覚えのある部屋。

 薄汚れたカーテン、

 剥がれかけた壁紙、床の染み。

 息苦しいほどにリアル。

 

 ——私の子ども時代の部屋だった。


 心臓が跳ね上がった。


 ダメだ。

 ここにいちゃダメだ。


 そのとき、幻の中で、母の怒鳴り声が響いた。


 「また、こんなことして! ほんと、使えない子ね!」


 食卓に叩きつけられる音。

 皿が割れる音。

 母の荒い息遣い。


 私は凍りついた。

 手が震える。

 声が出ない。

 膝が崩れそうになる。



 そのとき、背後から静かに、あの声がした。


 「大丈夫です、ご主人。これはただの記憶です。」


 ミケがそっと私の手を握ってくれた。

 見えない恐怖に囚われていた私の指先を、やさしく包む。


 「あなたは、もうそこにはいません。

 ここにいるのは、僕と、ご主人です。」


 幻の中の母は、まだ怒鳴っている。

 でも、声が少しずつ遠ざかっていく。

 壁も、床も、空気さえも、すこしずつ光に溶けていく。


 「ご主人、見てください。」


 ミケが指さした先には、

 幻の中の私——


 小学生2年生の私が、部屋の隅で小さく丸まっていた。


 膝を抱えて、震えている。

 泣き声を必死に押し殺している。


 私は、その姿を見て、胸が引き裂かれそうになった。


 あの子——

 私は、本当は何も悪くなかった。

 ただ、母親の機嫌が悪かっただけだったのに。


 でも私はいつも、自分が悪いと責めていた。

 どうしたら、いい子になれるんだろう?って。


 「行ってあげてください。」とミケが囁いた。


 私は、震える足で、幻の中の自分に近づいた。

 そして、その小さな肩にそっと手を置いた。

 「……大丈夫だよ。」


 声が震えた。

 涙が止まらなかった。


 「あなたは、何も悪くない。

 あなたは、存在していいの。

 生きていいの。」


 幻の中の私が、ゆっくりと顔を上げた。

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、私を見上げている。


 私は、その子を抱きしめた。

 「ごめんね。ずっと、一人にしていて。ごめんね。」


 幻の子どもは、私の腕の中で、小さく泣いた。

 そして、光の粒になって、消えていった。


 気づけば、私は石の回廊に戻っていた。

 ミケが静かに私を支えてくれている。


 私は、深く息を吐いた。

 「……怖かった。」


 「はい。でも、ちゃんと向き合いました。ご主人は、強いです。」

 ミケの手のぬくもりは、まるで灯りのようだった。

 胸の奥で、何かが少しだけ軽くなった気がした。

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