合会
中梁層にて
維持庁での契りを終え、閑黄朝から帰ってきたサザメは
不健康な光の中を歩いていた。
銀色の下駄がカラコロと音を立てる。
「ひとへに毒煙なり。」
閑黄朝の、日光に照らされた新鮮な空気を吸ってきたばかりのサザメには
中梁層の空気がより重たく、濁ったものに感じられた。
提灯に照らされた屋台の前を通れば、香ばしすぎる匂い。
「...油臭し。」
「すまないねぇ雪女さん。
うちの新人がフライヤーひっくり返しちまったんだよ。」
独り言のつもりが、聞こえていたらしい。
鉢巻を巻いた店主が申し訳なさそうに顔をだす。
人間の店主の後ろで、全身青の魚人が何度も頭を下げる。
「こなたこそすまね。ただの独り言なれば案ぜずべし。」
「は、はい?」
聞き慣れない古語に店主は困惑する。
「お前わかるか?」
後ろの魚人に聞いた。
「いや、ここまで古いのはちょっと自分にも...
多分この雪女、妖の中でも最長寿っすね。」
こそこそと話す二人。
魚人も困惑しているのを見て、サザメは思案する。
「...こちらこそすまね。ただの独り言...だ、案じなくて、あぁ、うむ...良い。」
「あぁ!独り言だから気にするなって。こちらこそすまなかった、らしいです。」
魚人が納得したように店主に伝える。
店主は快活な笑みを浮かべた。
「はっはは!謝らなくていいぜ、雪女さん。わざわざありがとな。」
なんとか伝わったらしい。
サービスだ!、と渡された鶉の串揚げを手に
店主たちに見送られながらまたカラコロと歩きだす。
「いかがせりものか。」
サザメが若い頃は溢れていた言葉の数々も、
最近は伝わらないことが増えた。
管理局では通じてしまうのでそれに甘えていると言う自覚はある。
「あつっ!」
悩みながら口に放り込んだ揚げたての鶉は、雪女には熱かった。
「...何せり。」
均衡管理局拠点。
食べかけの鶉を片手に、滑りの悪い引き戸を開けたサザメは
開口一番、冷たく問いた。
目線の先には、行儀の悪い童狐と、その狐の指を吸う人間。
隣の訓練生は気味の悪い絵を描いている。
「何してるって、見ての通りですよ。」
リョウが仰け反るようにしてサザメの方を向いた。
「それなんですか?手に持ってるの。」
「何とてよからむ。とぶらひにいらへよ。」
「あ、鶉ですか!へぇ、珍し。」
サザメの命令を無視し、リョウが鼻をひくつかせた。
「品のなきことはやめよ。」
「えぇ?きっびしいなぁ。いいじゃないですか。俺妖狐ですよ?
折角鼻が効くんだから使わないと勿体無いでしょ。」
「違ふ。指吸ひをやめよといへり。」
ぶわり
妖気が溢れ、サザメの白銀の髪が逆立つ。
訓練生が跳ねるように立ち上がったと同時に
リョウも肩をすくめながら机から降りる。
武下もリョウの手を口から離した。
「して、何せり。」
溢れた妖気をそのままに、サザメは武下を問い詰めた。
「汝は黙りおけ。」
後ろから口を挟んできそうなリョウにも釘を指す。
「血液の補給を。」
武下は手を止めて答えた。
酩酊した瞳孔と目があう。
「伝はらず。詳しく言へ。」
サザメは黒髪を見下ろす。
「攻撃を受け出血多量となりました。
人間よりも回復の早い妖から血液を補給しました。」
抑揚なく、箇条書きのように加えられた説明。
つまり、自分の血が足りなくなり自力で回復するのでは時間がかかるから、
多少血が足りなくなってもすぐに回復する妖から血を補給していた、と。
サザメの妖気が落ち着いた。逆立っていた髪が重力に従う。
「げに、心得はせり。心得ばかりぞ。」
呆れを露わにした声色で、サザメは武下に触れた。
白い指が武下の隈の濃い下瞼を引き下げる。
「かばかり妖の血を摂りおきて死なずとは。」
妖の血は人間にとって猛毒だ。
一口飲んだだけで命に関わってもおかしくない。
目を回すだけで済んでいるとは、相当丈夫にできているらしい。
「汝は妖に対する耐性こはし。現に我が触るとも凍りつかず。
汝殺されかくとは、敵はいかなる妖なり。」
「...」
武下は答えない。
リョウに一瞬視線を向けただけで、再び報告書にペンを走らせ始めた。
「話嫌ひめ...リョウ。」
背後のリョウに説明を求める。
「…」
「リョウ!」
振り返ってみれば、人差し指と親指で摘まむようにして口をなぞっている。
「何なりそは。」
「お口チャック。喋るなって言われっちゃったからね。」
リョウはそれ以上口を開かず、片方の口角を上げて空中に手を翳した。
現れたのは六尺ほどの黒い影。
最初に形を成したのは、
下手な裁縫で無理やり縫い付けられたような不自然な一つ目。
ぎょろぎょろと痙攣するように動くそれは気味が悪い。
次に長い腕が垂れ下がった。
骨と皮だけのそれはサザメの手首ほどの太さもない。
「相変はらず精巧な幻影なり。されど見しためしなき。」
サザメがそう言ってもリョウは目を細めるのみ。
声を出すつもりはないらしい。
「...はぁ...うちいづべし。」
その言葉にリョウが口を開いた瞬間
──ガラガラガラ
引き戸がガタつきながら開く音。
「ぎゃぁぁぁああ!」
情けない男の悲鳴が響いた。
「では情報共有をします。」
管理局の入り口横、
使われずに埃が薄く積もったデスクが並ぶ空間の一角。
脱走した妖の尾行に参加した局員数人、
異形を対処した二人と、その場にいた訓練生代表
最後にサザメ。
合わせて10人弱が集まる中、加賀が仕切る。
「はぁ、もぅ終わったかと思った...」
佐原は前髪が額に張り付いたまま、力無くパイプに腰掛ける。
尾行を終え帰ってきて早々、リョウが作った幻影に本気で腰を抜かした彼。
呼吸の度に白い錆びの浮いたパイプが軋む。
「佐原さん黙ってください。」
「はいごめんなさい。」
佐原はバツが悪そうに背を小さくする。
「まず、脱走した妖、及びその協力者は無事捕えました。」
手帳を片手に報告する加賀を武下が見つめる。
組まれた足は彫刻のように動かない。
「協力者が妖華の連中か否かは現在調査中ですが、ほぼ確定で妖華の関係者だと思われます。」
加賀がその視線に気づき補足する。
「...優秀だねぇ。」
「静かにしてください。その耳もぎますよ。」
隣でぼそりと呟いたリョウを加賀が睨む。
リョウは余裕な笑みを崩さずに、続きをどうぞと片手で促した。
「協力者を捕らえたのは中梁層です。彼らが妖華だった場合、
妖華が勢力を拡大している可能性が高いです。」
海里は眉を顰め、首を傾げた。
聞き慣れない単語についていけない。
「妖華ってぁんだよ。」
声をあげれば、加賀が怪訝な顔をする。
なぜ訓練生がこの場にいるのかと言いたそうな顔。
「妖華ってのは、妖至上主義の過激派組織のことだ。
人間と妖が共存する現状が気に食わない妖の集まりだな。
滅多に湿禍暗から出てこない連中だ。
だが今回そいつらが中梁層まで出てきた可能性がある。
勢力を広げてるかもしれないってのはそういうことだ。」
答えたのは海里の横に座っていた毛深い妖局員。
「...華衆のことかよ...ッチ。」
「華衆?そういや湿禍暗ではそう呼ぶんだっけか。」
詳しいな坊主、と眉尻を下げて笑う。
人の良さそうな雰囲気が漂う。
海里の嫌いなタイプである。
「おいガキィ...テメェは躾もろくにされてねぇのか?」
海里の態度が気に食わなかったらしく、
後ろに座っていた人間局員が海里に掴み掛からんと立ち上がった。
「いいじゃないですか。」
栗色の癖毛の女が嗜めた。
「訓練を終える頃にどこまで大人しくなってるか楽しみで。」
ね?と泣き黒子の映えるタレ目に微笑まれ、
声を荒げていた男は大人しく座る。
「ごめんね玲ちゃん。続けて?」
「はい。」
加賀は再び手帳に視線を落とした。
「こちらからの情報共有は以上です。」
加賀は武下の方を向く。
「そちらの情報の共有をお願いします。」
「はいはい。この俺に任せなさぁい。」
リョウが返事をした。
加賀は眉を顰めたが、リョウは気にしない。
「こっちは気味悪いのが来ちゃったんだよねぇ。」
立ち上がりながら懐に手を伸ばす。
リョウは海里の絵を取り出して見せた。
報告書いっぱいに描かれた、真っ黒に塗られた棒切れのように細い人影。
顔らしき場所にはでかでかと一つ目が鎮座する。
「何だそれ。」
誰かが言う。
「絵心どうしたんですか。下手くそ。」
「頑張って描いてくれたんだな。」
「子供が描く怖い絵みたい。」
「あぁ!?なんか文句あんのか!!!」
やんややんやと野次が飛ぶ中、海里が怒鳴った。
「うぅん...大アリかも?何の妖かわかんないし。」
栗毛の人間局員が気まずそうに言う。
「そこなんだよね。」
リョウがわざとらしく困り顔を作った。
「何の妖かあまりに不明。サザメさんも見たことないらしいし。」
あ、ちなみにこれ結構忠実だよ。と今更フォローする。
「身長は六尺、あぁ...だいたい2メートルぐらい?
体は真っ黒。光を全く反射しないから立体感が掴みにくかったよ。」
「これが第一形態ね。」
リョウが幻影を生み出した。
モヤが集まり輪郭を作っていく。
「うわあぁ、さっきの...」
佐原の情けない声。それには誰も触れない。
「で、」
リョウは続ける。
「とまぁ最終的に無表情くんが、怖いくらいに銃を連射して倒してくれたんだけど」
一通りの説明を終え、リョウは本題に入る。
「問題はこの後ね。無表情くんがこいつを倒した後、無表情くんが爆発した。」
「爆発?」
加賀が首を傾げる。
「そぅ、爆発。物理的にね。全身血を吹き出したからさ、流石に俺もびっくりしたよ。」
海里は武下の方を見る。
あれほど多かった傷は既にくっ付いていた。
出血の酷かった首さえ、もう血が滲む気配すらない。
「で、俺気づいちゃったんだけど」
リョウが得意げに人差し指を立てる。
「無表情くんが血を吹き出した位置と、異形を撃った位置が同じだったんだよね。」
太い尾がゆらりと揺れた。
「反環の術...」
「そうそう、ご名答。」
リョウが栗毛の局員を指差す。
「でもそれではおかしいです。」
「それもご名答。」
差した指を加賀に向ける。
「攻撃を返す反環の術は、妖じゃなくて人間の術なんだよね。
人間嫌いな妖華の連中が使うとは思えない。」
「おいリョウ、もったいぶるなよ。何が言いたい?」
毛深い妖局員が茶々を入れる。
「篝火が関わってんじゃない?って俺の仮説。」
「篝火ってぁんだ。」
海里が言う。
「人間至上主義の過激派連中のことだ。
確か、湿禍暗では篝者──」
「ケッ。」
「お、知ってたか坊主。流石だな。」
「なるほど...その仮説が正しいと仮定すると色々と辻褄が合いますね。」
加賀が口を開く。
「全身が黒く、妖気が感じられなかったというのは呑妖の術で妖気を常に吸収していたからでしょう。
リョウさんの術を吸収して形態変化したのも納得できます。」
その言葉に栗毛の局員も頷く。
「そして吸収した妖気を使って再生する、と…。蓄えておくこともできる感じなのかな。
それにしても、呑妖の術と反環の術、人間も妖も対策されてる感じだね。」
「弱ったな...術を使えば餌を与えるようなもんだし、撃ったら返ってくる。
大抵の奴は最低でも相打ちだろうな。」
「我々管理局に特化して作られしものならむ。
許容量を超ゆる妖力を注ぐや、相打ち覚悟に銃を撃つや、それのほかになからむ。」
「って、ちょっと待ってくださいよ...」
各々が意見を交わす中、
佐原が青ざめながら声を上げた。
「今回のタイミング的に、妖華と篝火が、その、手を組んだって可能性も...」
「そうそう、皆んな勘付いてる事をわざわざありがとう。
今回の最大の懸念点はそこなんだよねぇ。てことで箱子ちゃん、そこらへんの調査もお願いね。」
「もうやってます。」
加賀が睨むように答えた。
「おお、流石ぁ。」
半分棒読みのリョウ。
加賀はさらに眉を吊り上げた。
「加賀ちゃん落ち着いて...」「玲ちゃん、顔が般若みたいだよ。」
佐原と栗毛の局員がそれを宥める。
「久方ぶりの大いとなみにならむな。」
解散際、サザメは誰に聞かせるでもなく呟く。
妖にも人間にも負けないよう作られたであろう紛い物。
脳筋な方法では、近いうちに限界がくる。
かといって、サザメの豊富な知識を持ってしても
有効な対処法がすぐに見つかる気もしない。
「いかがなることやら」
呑妖の術
妖気を呑み込み吸収する術
応用すれば蓄えることも可能
反環の術
攻撃を反射する術
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、他人に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが、まともにやってない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。めちゃくちゃ無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。身体能力や術への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。
教官として局員養成も行なっている。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。
佐原実 22歳 166cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
整えられた黒髪、純粋な目、健康的な体型
やる気に満ちているが空回りしがちな青年。訓練生の時、リョウと武下が教官だった。
武下のことは信頼も尊敬もしてるけど、何より怖い。リョウには懐いてる。
小型の妖が相棒(埃の付喪神、愛称:ファサ、ファーちゃん)。
本人の気が弱すぎるのでファサとの喧嘩でも負ける。
サザメ 1800歳 150cm 均衡管理局所属 雪女 閑黄朝出身
雪のように白い髪、透き通るような肌、儚い美女
白銀の着物、青銀の羽織。
妖の中でもきっての年長者。古風な喋り方。
人間が触れれば直ちに低体温症不可避。
加賀玲 19歳 155cm 均衡管理局 人間 中梁層出身
茶髪のポニーテール、タレ目
箱子。物怖じしない性格で、はっきりものを言う。しっかりしてる。
先輩後輩関係はしっかり守るが、佐原やリョウに当たりが強い(ちゃんとしろ的な)し尊敬はしてない。武下にも当たりが強い(喋れみたいな)が、尊敬はしている。
先輩には敬語を使える。
篝火(篝者)
人間至上主義の過激派組織
陰陽師の子孫が多い。安倍、賀茂など
妖華(華衆)
妖至上主義の過激派組織
人間に嫌われてきた妖が多い。鬼、怪異など




