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十龍城砦  作者: 月ーん
第二章
33/35

挿話

十龍城砦、蛾骸下層。その深部。

「酷い匂いですね」

肩にかけた青いマントを持ち上げ、眉を顰めて歩く眼鏡の男。

汚水滲み出るゴミ山の横で、彼は鼻を塞ぐ。

「やめなさい。」

その動作に、女が首を振った。緋褪(ひさめ)色の髪が揺れる。

底が削れたブーツを履く彼女のマントの裾は、すでにドブ臭く染まっている。


「ここで生活している人だっているのよ。」

「生憎、僕はここで生活していません。」

「屁理屈は聞きたくないわよ。」

「貴女は丈夫だからいいですよ。僕は喘息持ちなんです、ご存知かと思いますが。」

男は咳を一つ溢す。

「こんな空気をずっと吸っていたら肺が可笑しくなってしまう。」


ジジ...

ひび割れたネオンが音を立てた。

耳をすませば、笛を鳴らすような呼吸音も聞こえる。

「まったく...」

女はポケットに手を忍ばせた。

「使いなさい。」

「ありがとうございます」

出てきたのは、小さなハンカチ。

安藤から受け取った桃色のそれを、五十嵐は自身の口に押し当てる。

微かな石鹸の匂いが、五十嵐の肺を満たした。




「ごめんなさい、ちょっといいかしら」

鉄骨に背中を預け、座ったまま眠る女。

痩せて落ちた肩に安藤は手を掛ける。


「雪灯ってご存知かしら?」

「...」

答えはない。

「泡を吹く薬って聞いたことはない?」

「...」

ガクリ

女の体が落ちた。

鉄床の汚水に、波紋が拡がる。


「死んでいるのでは?」

五十嵐が問う。

「まだ暖かいわ。」

「死んでから時間が経ってないとも考えられます。こんな劣悪な環境ですから、毎秒人が死んでると言っても過言ではないでしょう。現に僕も頭痛がしてきました。早いところ──


「五十嵐くん」

安藤が低い声で言う。


「ごめんなさい──


安藤が見つめる先、倒れた女の口から湧き出る白い泡。

鼻が曲がるような悪臭に混じった、微かな甘酸っぱさ。


──油断したわ。」


カチャリ、金属音。

背中に硬いものが当てられた。

五十嵐は両手を上げる。


「これは、どちらのミスですか?」

「私のミスよ。気づけなかったわ、こんなに近くにいたのに。」

安藤も、両の手を上げる。


「鈍るわね、やっぱり。」


バン

 バン


二発の銃声が、濁ったネオン光照らす小路に響いた。

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