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十龍城砦  作者: 月ーん
3/4

琴線

胃液が迫り上がってくる。

呼吸のたびに痛む肋骨は折れただろうか。

左足が動かない。正確には、動かした瞬間に終わる気がする。

関節がずれているのだろう。


武下の元で訓練を受けるようになって一ヶ月、

海里は常に満身創痍だった。

あの日、本能のままに武下に服従した日、

海里の第二の地獄が始まった。

食事や寝床が保障されているのは良い。

蛾骸下層や湿禍暗にいた頃とは比べ物にならないほど。

ただ、それでも帳消しにできない問題がある。


錆びた天井を見つめる海里の視界に痩せた男が入る。

無表情の中、唯一存在感を放つ目は相変わらず黒く、鋭い。

海里を見下ろしたことで余計に黒く見える瞳は

何も写していないようでいて、足元の海里を捉えている。

指先の痙攣さえ見落とさないほど正確に。

それだけで、

涎を垂らす獣の前で無防備に腹を晒す方がマシだと思える。


毎日が悪夢だ、この鬼のせいで。

人間でありながら、妖をも凌駕するこの男のせいで。

ゴポリ、と胃酸が溢れる。

喉が焼けると同時にツンとした匂いが鼻をついた。

「基礎を忘れるな。型を崩すな。無駄な動きを最小限にしろ。」

速度も、声量も、声帯の震え方すら変わらず、

平坦で、機械のように抑揚のない声。

海里はこの声が慣れなかった。

どんな人間も妖も、声の端々に何かしら滲む。

感情を見せないことに長けた湿禍暗の大物でさえ、

よく耳をすませば感じ取れるものがある。

武下は、得体の知れない男だった。


「動けるか。」

「無理..で...」

武下は仰向けで倒れる海里を横向きにした。

喉に詰まりかけていた胃液が床に流れる。

「ゴホッ、ガハッ」

武下が左足の付け根に手を伸ばす。

前と後ろから挟むようにして、力を込めた。

「ァ゛ッ……ッ」

骨が歪むような、神経が引っ張られるような、不快な痛み。

軟骨が移動するゴリッとした感触と共に左足の違和感がなくなる。

「肋骨は折れてない。」

海里はその言葉に絶望する。

左足の関節のずれが直された今、

明日の訓練を休む口実は肋骨の痛みしかなかったのに。

それすら否定された。いつもこうだ。

寝不足の男は加減を間違えない。

翌日に響く怪我は負わせない。

明日もまた一から半殺されるのだ。

逃げられない、不可避な未来。

クソッたれ、と言う悪態は言葉にならず、

空気として漏れていった。




翌日、ブザー音で眼を覚ます。

管理局の始業を合図する音は訓練生の目覚ましでもある。

訓練所で雑魚寝する他の訓練生と同時に起き上がり、

取りきれない疲労感と共にシャワー室に向かう。

「ぁぁ..一日が始まってしまった...」

湯気の中、一人の訓練生が言う。

「今日は教官来ないよな?」

「深夜に招集されてたって話だぜ。今頃仮眠取ってるだろ。」

隣の訓練生が返す。

「頼む。そのまま寝過ごしてくれ。」

願うように両手を合わせたところで叶うわけもなく。

訓練生が各々鍛錬を終わらせた頃に武下は現れる。


次々と訓練生が転がっていく中、

ついに海里の番になった。

右足を後ろに両足を広げ腰を落とし、左手を前に出し右肘を引く。

武下は何も構えず、ただ棒立つ。

あまりにも隙だらけ。明らかに手加減されている。

それにも関わらず、一度も攻撃が当たったことはない。

ムカつく事実に舌打ちが漏れる。


右足を踏み込み、空中に飛び出した。

腰を捻り下半身を一回転させ、勢いをつける。

首を狙って繰り出した蹴りが迫る。

武下は左手で容易く受け止めた。

海里の足に、武下の骨張った腕の硬い感触が伝わる。

そのまま足を掴まれる。海里は投げ飛ばされた。


腕で頭を守る。背中から受け身を取った。

自分ができる最善の立ち回り。

だが、次の瞬間には首を掴まれている。

立ち上がる暇もなく距離を詰められたのだ。

武下の右手が首を絞め、床に縫い付けられる。

息ができず、見下ろしてくる顔を睨めば、

どこまでも深い底なしの瞳と視線が合わさる。

とても生きた人間の目とは思えない。

背筋がゾクっとする。

海里は歯を食いしばり、右手を掴むと同時に

自分に跨がる武下の股間目掛けて

膝を繰り出した。

湿禍暗でよく使っていた卑怯技を、

武下は横に回転するようにして避ける。

右手が首から離れた。


「あんたも金的は嫌なんだな。」

海里は立ち上がりながら言う。

得体の知れない男の人間らしい一面を暴いてやった。

自然と口角が上がる。

「なら、そこばっか狙ってやらぁ!」

威勢の良い声が訓練場に響く。

気分が良くなっていた海里は武下の動きに反応するのが遅れた。

ヒョォ、と風を切る音がする。

首の関節が軋む音、神経が千切れたと錯覚するほどの衝撃。

気づいた時には、蹴りをもろに喰らっていた。

は...?

海里の意識はそこで途絶えた。




しょうもない言い争いの仲裁に呼び出された後、

屋台でイカ焼きを食べ、不味かったのでいちご飴で口直しをし、

ネオンと提灯に照らされカオスに光る鉄骨と不健康な水でできた街を堪能してきた。

リョウは仕事をする気にもならず、煙管を片手に局内を適当に歩いていた。


「んー...寝てみる?たまにはね。」

妖である自分に睡眠は必要ないが、

やることもないので仮眠室に向かう。


「おや、妖狐の童。おねむかえ?」

扉に手をかけたところで呼ぶ止められる。

白い髪に透けるような肌、

妖の中でも年長者の彼女は雪女のサザメ。

白銀の着物の袖を口元に当て、目を細めてリョウを見ている。

「これはこれは、サザメさん。相変わらずお綺麗ですね。」

「戯言を。」

「ははっ。本心ですよ?」

「赤子の分際で生意気なる。」

サザメの視線が鋭くなる。

あまり調子に乗っていては痛い目に遭いそうだ。

両手を上げ、降参の意を示す。

「俺に声をかけるなんて、何か御用ですか?」

リョウはにこりと薄っぺらい笑みを浮かべた。

「わざとはないが、そうさのう。忠告ししおかむや。」

サザメの色の薄い瞳がリョウを見抜く。

「さほど人の子にのめり込まぬやう憂へよ。」

「人間にのめり込むな?サザメさん、俺そんな仲良くしてるように見えます?」

「確かに汝は一定の程は置くべくせり。」

「でしょ?「されど、」

サザメがリョウに被せる。

「一人あらむ。気に入りし、人の子が。」

「はははっ、サザメさぁん、貴方冗談とか言うんですね。」

リョウは狐らしく口を大きく開けて笑った。

揺れる肩を睨み、サザメは言う。

「ないつはりそ。」

「偽りたらずですよ。」

口角を上げたまま言うリョウに溜め息をつき、サザメはその場を去る。


「をこ者め、自覚を持て。すぐに泣くことになるとも知らぬぞ。」

ボソリと予兆めいた言葉は誰に聞かせるわけでもなく、カビ臭い空気に溶けていく。




早朝、我が見し光景。


湯気立ち込む湯浴み室の前に、赤黒い影ひとつ。

ぽたり、ぽたり──。

上着より絶えず滴る汁は足元に赤を広げる。

生臭く、耐え難い匂い。

背の均衡管理局の文字は血に濡れ、判別し難い。

髪にもこびり付いたそれは既に乾き始め、

所々光沢を失い鈍く黒くなり、蛍光灯の光を反射しない。

足元の革靴の跡は非常階段より続き、

いかにしてここまで辿り着いたかを物語る。


人の子とは思えぬ風貌。

されど、やつれし体躯に伸びし髪、

それだけで、あの子とわかりぬ。


やはり、狐の童のお気に入りは長くは生きぬ。

均衡管理局も、をこなる物なり。

箱子としてここまでかしづきこば、いつくべきものを。

使ひ潰していかがすや。

均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層

人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、

     18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般

妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織

     教官が可と判断してから入局


リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖  中梁層出身

狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目

普段の言動から、軽い男と評されているが、他人に対して(特に人間に対して)はなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。管理局には50年ほど所属


武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属 人間 蛾骸下層出身

肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情

若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。めちゃくちゃ無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。毎日過酷な訓練を積んでることに加えて身体能力や術への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。


海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身

黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面

小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。


サザメ 1800歳 150cm 均衡管理局所属 雪女 閑黄朝出身

雪のように白い髪、透き通るような肌、儚い美女

白銀の着物、青銀の羽織。

妖の中でもきっての年長者。古風な喋り方。

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