明照
きゃぁぁあああぁあああ
悲鳴。
「逃げた方がいい感じ?」
リョウが言う。狐ではなく、人の姿で。
目の前には八岐大蛇。
ガシャ ギシ、バリ
太い尾が管理局の看板を引きちぎった。ネオンが割れる。
牙を剥き出し、流れ出る青い蛍光色ごと飲み込んだ。
「うっわぁ、やばそ。」
リョウが逃げ出した。武下の前を走り抜けていく。
その時、上から落ちてきた鉄骨。引きちぎられた看板の破片。
危ない! 誰かの声。
次の瞬間
──グシャ。
リョウの上に落ちた。
流れ出たのは、大量の、野崎。
潰れたリョウから次々と湧いてくる。
わーわー、と高い声で騒ぎながら、
小さい野崎が四方八方に駆け抜けていく。
...どういうことだ
武下はそこで目を覚ました。
目を開けば、真っ暗な部屋。
一本の蝋燭がオレンジに揺らめく仮眠室。
湿っぽくひんやりとした布団を捲る。
時計を見れば、9時30分。
まだ頭痛は残っているが、
脇に置いておいた杖を掴み、腰を上げた。
薄い木の戸を開ける。
外から差してきたのは、細かに点滅する蛍光灯の白い光り。
階段を下る。
右足を先に、杖を左足と合わせて同時に下ろす。
──ひらり
武下の前に一枚の紙が落ちた。
そこには、税金泥棒の四文字。
廊下に張り出された苦情、
維持庁の命令で張り出されるようになった敵意。
武下はそれを拾い上げ、剥がれたテープを貼り直した。
もう剥がれることがないよう、左指でテープをなぞる。
「...」
廊下の壁を埋め尽くす苦情を見つめ、武下は歩き出す。
黒澤の朝礼から一時間半、
デスクが並ぶ事務室に入れば、一斉に向けられる視線。
安倍晴夜との戦闘以降、常に杖をつくようになった武下は見慣れない存在らしい。
「起きたか。」
眼帯を着けた箱子、黒澤がこちらに歩いてくる。
事務室の隅のソファ。
「今日は俺が訓練生を見たわけだが、」
色褪せたそれに腰かけた黒澤が、武下を見上げる。
「皆、楽そうにしていた。俺に伸された後も雑談できるぐらいにな。」
黒澤が武下の目を見据える。
「お前はどんな訓練をしていた?」
杖をつくようになってから、武下は一度も訓練生の相手をしていない。
リョウも同様に教官としての仕事は休んでいる。
二人に許されているのは、現場の仕事のみ。
「気絶。」
「それで俺に伝わるとでも?」
眼帯に隠れていない方の目が細められる。
「...」
「しゃべれ!」
勢いよく、黒澤が立ち上がった。
両手で武下の頬を掴む。
「言語あってこその人類文明だろ!そこを端折ってどうする。口を使え!口を!」
掴んだ頬を左右に引っ張るが、武下の痩けたそれは全く伸びない。
「まぁいい。」
黒澤は手を離した。
腰に手を当て、武下を見下ろす。
「大蛇の件の報告書を出せ。俺の分だけでは民衆への説明が足りない。」
「あ、自分できましたよ!」
その時、離れたところから佐原が小走りで近づいてきた。
珍しく早めに仕上げた報告書を片手に掲げ、笑顔でデスクの間を通り抜ける。
「結構頑張ったんすよ!」
意気揚々と、差し出された報告書。
「ご苦労。」
黒澤はそれを受け取った、
──ぺらり。
佐原の報告書の裏から出てきたもう一枚の報告書。
均一な活字の筆跡は、武下のもの。
「おい」
スパーン!
黒澤が佐原の頭を叩いた。
「他人の、それも重要な書類を勝手になぞるな。」
「え、すみませ、え?でも」
佐原は目を白黒させる。
「加賀ちゃんに...」
戸惑いながら出た佐原の言葉に、黒澤と武下は加賀のデスクに視線を向けた。
「私が許可を出しました。問題ありません。」
顔を上げ、そう言う加賀。
「何故」
黒澤は首を傾げた。
「質の良い報告書を増やすためです。」
加賀のタレ目が瞬きをする。
「ご存知でしょうが今回の大蛇の件、死者は出なかったものの、住民には多大な被害が出ています。
鉄骨の下敷きとなり、未だ意識が戻らない者も多数います。」
「そうだな」
黒澤の相槌。加賀は話を続ける。
「そのような状況を生み出したのはどこの誰か。我々から見れば妖華ですが、」
『外から見れば管理局だよねぇ。』
脳に響く声。
同時、武下の肩に重みが加わった。
『逃亡を許した鎌鼬、安倍晴夜に局員が襲撃されたって噂、おまけに今回の件。
今のとこ、管理局はなっさけなぁい仕事ぶりの立派な税金泥棒でしかないでしょ?事実だけどね』
武下の肩に乗ったリョウが言う。
「苦情の意見書もどんどん増えてますよ...」
佐原が力無く項垂れた。
『そう、つまりぃ?』
「民衆は爆発寸前。それを収めるためには満足のいく説明をする必要がある。」
『ご名答ぅ。』
黒澤の答えに、リョウが尾を揺らした。
「具体的にどうするつもりだ」
「まず、分かりやすく質の高い報告書を集めます。」
黒澤の問いに加賀が答える。
「次にそれらの精査、すり合わせを行った上で住民に向けた説明会を開きます。」
『管理局のイメージを、職務怠慢で大惨事を防げなかった税金泥棒から、
突然の敵襲にも死者を出さず住民を守りきったヒーローに変えるってわけ。』
「そんなに上手くいくとは思えないが」
『そこをどうにかするの箱子の仕事でしょ?維持庁の犬として頑張ってよ。』
リョウは真横の顔を見やる。
相変わらず無表情の箱子。死んだと悲しませておきながら生きていた男。
『お前にも言ってるんだよ?死に損ないの武下くん?』
ふさりとした尾が揺れる。
「...」
真っ黒な瞳は、ほんの一瞬だけリョウを見た。
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
逆らえないよう従順を強制する桔梗の煮汁を飲まされる。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、人間に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが(現在休職中)、まともにやってない。
狐の姿になったが、その中身は変わらない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。
聴力を失い杖を必要とするようになったものの、相変わらず戦闘能力に長ける。術への耐性も健在。
教官として局員養成も行なっている(現在休職中)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた(いわゆる箱子)。
情操教育を受ける機会がなかった。
加賀玲 19歳 155cm 均衡管理局 人間 中梁層出身
茶髪のポニーテール、タレ目
箱子。物怖じしない性格で、はっきりものを言う。しっかりしてる。
先輩後輩関係はしっかり守り敬語も使えるが、佐原やリョウに当たりが強いし尊敬はしてない。武下のことは尊敬している。母親は出産時に他界。父親と暮らしていたが、6歳の時に違法薬の所持で父親が管理局に捕まる。
服役中の父親とは現在不仲。流れで箱子となり今に至る。
野崎により、情操教育はある程度されてきた。
佐原実 22歳 166cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
整えられた黒髪、純粋な目、健康的な体型
やる気に満ちているが空回りしがちな青年。訓練生の時、リョウと武下が教官だった。
武下のことは信頼も尊敬もしてるけど、何より怖い。リョウには懐いてる。
小型の妖が相棒(埃の付喪神、愛称:ファサ、ファーちゃん)。
本人の気が弱すぎるのでファサとの喧嘩でも負ける。不憫。
黒澤 36歳 173cm 均衡管理局所属 人間
箱子。過去の任務で負傷、眼帯をつけている。




