短穏 弍
「どうだ、律。お前ならどうなったら借金する?」
管理局の廊下、細かに点滅する白熱灯の下。
野崎は武下に問う。
わざわざ借金をしてまで偽物の宝石を買い漁り、
その挙句殺された木村佳恵の捜査の糸口を見つけるために。
「...」
武下は口を開かない。
杖を握る右手が僅かに動いた。
「悪い、忙しかったよな。」
野崎は武下が通れるよう道を開ける。
だが、武下は動かなかった。
「必要になれば。」
開かれた口。
抑揚なく放たれた答えは野崎に向けられていた。
「あ、あぁ。答えてくれてありがたいが、どう言う時に必要になる?」
「...」
分かり易いように口を大きく動かし問えば、再びの沈黙。
黒い瞳が微動だにせず野崎を映す。
少々居心地が悪い。
「欲求が出た時に。」
「あぁー...」
心の中で、野崎は頭を抱えた。
コミュニケーションを取りたくて通りがけに無理矢理かけた問い。
この手の質問は苦手だろうとわかっていた。
わかっていたが、やってしまった。
勝手な気まずさに苦笑いが浮かぶ。
「時間とって悪かったな。」
「...」
動いた右手。
今度こそ、武下は歩き出した。
ガララ
不規則に揺れる影が、引き戸の向こうに消えていく。
「何をやれりか。」
背を丸めた野崎がデスクの並ぶ事務室に消えていく。
それを遠くから眺めていたサザメは、袖を口に当てた。
『ね、俺も同感です。』
直接響く声。
下を向けば案の定、狐の姿。
「汝も任務ならむ。かの子ともろともに行け。」
『嫌だね。お断りぃ。』
リョウは嫌そうに四本足を突っぱねる。
『いかで。』
『あいつ冗談通じないし、歩くの速いしぃ?
こっちは身体が小さくなってるって言うのに気にせずスタスタと。
足悪くなったくせに歩く速度変わらないの、ドン引...あ、ちょっと!』
リョウが答え終わらないうちに、サザメはリョウの首根っこを掴み上げる。
中型犬ほどの体は易々と持ち上がった。
『離してくださいよ乱暴だなぁ。』
「念ぜよ。」
ガララ
雪のように白い手が引き戸を開けた。
ネオン、提灯、街灯。
街に溢れる人工的な光。
サザメの白い肌が、白銀の着物が、鮮やかに染まる。
『いたぁい。』
『虐待になっても知りませんよ?』
『ね、ちょ、ほんとに離して』
リョウが暴れる。
だが、二尺に満たない体でどうにかなるわけもなく。
やがて、杖をつく後ろ姿が近づいてくる。
『パワハラって知ってま──』
リョウの念話を、サザメは遮断した。
騒がしかった声が止む。
死んだと悲しませておきながら生きていたのが気に食わなかったのか、
一人の人間を気に入っている自覚を持ってきたからか。
どちらでもいいが、十中八九、この狐童は拗ねているだけだ。
サザメには分かる。
「待てり」
声をかければ振り返った箱子。
聞こえずとも気配だけで気付くとは、なかなかやるものだ。
相変わらず隈の濃い目がサザメの口元を見た。
「この童の世話は汝がせよ。」
痩せた肩に狐を乗せる。
なんだ、案外収まりが良いではないか。
武下の肩に乗ったリョウを見て、そんな感想を抱く。
「ではな。」
表情からしてリョウは文句を言っていたが、念話を遮断していては聞こえない。
カラコロ カラコロ
下駄の音を響かせ、サザメはその場を去った。
カララ
「佐原、ちょっと聞きたいんだが」
引き戸を開ければ、聞こえてきた野崎の声。
まだ続けているらしい。
「借金するとしたらどんな時だ?」
「借金ですか?」
「捜査のヒントにさせて欲しい。」
腕を組んだ佐原から、鉛筆を置く音。
未だ報告書を書き終えていないらしい。
「えぇ、あんまり参考にならないと思いますけど...
弟の病状が急変したら、ですかね。
薬買うために稼ぐ時間が無くなれば借金します。」
「なるほどな。」
「旦那ぁ、手を動かして下せぇ。手を。」
「あ、あ、すみません」
なかなか提出されない報告書に痺れを切らし、河童が催促に来た。
急いで鉛筆を走らせる音がする彼はよく無能と言われているが
「らうたきものなり」
独り言は、雪のように溶けて消えていった。
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。管理局に貢献するためだけに育てられる。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、人間に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが(現在休職中)、まともにやってない。
狐の姿になったが、その中身は変わらない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。聴力を失い杖を必要とするようになったものの、相変わらず戦闘能力に長ける。術への耐性も健在。
教官として局員養成も行なっている(現在休職中)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた(いわゆる箱子)。
情操教育を受ける機会がなかった。
サザメ 1800歳 150cm 均衡管理局所属 雪女 閑黄朝出身
雪のように白い髪、透き通るような肌、儚い美女
白銀の着物、青銀の羽織。
妖の中でもきっての年長者。古風な喋り方。
野崎茂 42歳 190cm 均衡管理局 半妖(鬼) 蛾骸下層出身
全身毛深い、優しい目、筋骨隆々
半妖で差別を受けながらも本人の性格が良いので周りから力を貸してもらえることもしばしばあった。
友人に勧められ、20代前半で入局。
半妖なので老いにくく、実年齢より若く見える。
元箱子の育手、現加賀のバディ。武下に情操教育をうまくしてやれなかったことに罪悪感を持っている。
加賀とはたまたま担当していた事件だったので知り合う。孤児となった子供がどんな運命を辿るか知っているため、それよりはマシだろうと加賀を引き取り箱子にするよう管理局に進言。武下の経験から、加賀の情操教育に力を注いだ。加賀のはっきり言いすぎる性格に困っている。加賀は娘みたいなものだし、武下は息子みたいなもの。
佐原実 22歳 166cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
整えられた黒髪、純粋な目、健康的な体型
やる気に満ちているが空回りしがちな青年。訓練生の時、リョウと武下が教官だった。
武下のことは信頼も尊敬もしてるけど、何より怖い。リョウには懐いてる。
小型の妖が相棒(埃の付喪神、愛称:ファサ、ファーちゃん)。
本人の気が弱すぎるのでファサとの喧嘩でも負ける。




