再戻
「げっ、おぇ」
嘔きが聞こえ、狸の背を撫でる妖局員は振り返った。
そこにいたのは一人の人間。
仲間の死を悲しむ様子もなく、冷えた壁に寄りかかる仮局員。
仏頂面で、ある一点を見つめていた。
その視線を追う。
目に入ったのは、吐瀉物に塗れた肌色。リョウの、人型の手。
手首から流れ出た血が、薄黄色の液体と混ざり合っていた。
「うわ...ん?」
その指に、細く煌めくものが絡まっている。
「龍族の髪?」
青銀に輝くそれは、ゲロの中でも綺麗に光っていた。
「あいつ、どこ行きやがったァ!」
妖局員の肩が跳ねる。
突然の大声は、仮局員のもの。
「あいつ?」
「龍族の!イケすかねぇ!クッソ蛇がぁ!」
「クソ蛇て...」
「海里くん、どうしたの?」
返事に困っていれば、割り込んできた女の声。
奥の暗がりから出てきた栗毛の人間がこちらを見ていた。
目は腫れているが、頬は乾いている。
「あいつがいねぇ。」
「あいつ?もう一人いたの?」
「いた。」
「誰がいた?」
「しらねぇ。名前忘れた。」
「思い出して。頑張って。」
「覚えてねぇもんは覚えてねぇ。」
「龍族なんだろ?」
要領を得ない人間の会話に、妖局員は思わず口を挟む。
「龍族...」
栗毛の人間が考え込んだ。腕を組み、首を傾げる。
「もしかして、千樹...」
「それだ!」
千樹
管理局に入って一年もすれば、誰もがその噂を聞くことになる。
曰く、何十年も前から訓練生の妖がいると。
二年訓練を受ければ局員になれる人間と違い、妖は教官からの承認があれば局員になれる。
寿命が長い分、実力が重視されるのだ。
場合によっては、訓練を受けずに局員になる妖だっている。
そんな中、いつまでも訓練生のままの龍族。何十年も成長しない哀れな存在。
「うーん...どこ行ったかわかる?」
「知るかよ。」
「わかんないか。探してきてくれる?」
「はぁ?んでだよ。」
「おねがい。」
「...」
「...」
「ね?」
「...チッ」
朝奈が手を合わせ上目遣いをすれば、海里は舌打ちと共に裏路地から出て行った。
随分と単純なことである。
「いんだろ」
路地裏から祭りのあった通りを抜け、さらに歩いた先。
油臭さ漂う居酒屋の裏で、海里はぶっきらぼうに言う。
目の前にはドラム缶。
劣化し開いた穴からは、あの青銀の髪がのぞいていた。
「おい」
返答のないドラム缶に、海里は再び声をかける。
「...」
「チッ」
ドガン
緑色の缶を蹴飛ばす。
殆ど動かず重い音を返すそれは、何か入っていることが明確だった。
ガンッ
ゴンッ
ドカッ
「っ、わかったから蹴るのをやめてください!」
ようやく中から声が聞こえてきた。
やはり、千樹が中に隠れていた。ドラム缶の蓋が開く。
人一人入るのがやっとの空間の中、
千樹の足は窮屈に折りたたまれ、佳代は汗ばんでいた。
「この子が怪我したらどうするんですか!」
千樹は佳代を抱え直す。静かな様子から見るに、眠っているようだ。
「出ろ」
「え?でも」
「出ろつってんだ!行くぞ」
「行くってどこにですか?」
「...っだぁ!」
物分かりの悪い千樹に、口下手な海里は痺れを切らす。
佳代を抱く千樹の腕を乱暴に引っ掴んだ。
「痛いです!」
「しらねぇよ。さっさと歩け!」
「ちょ、ちょ。わかりましたから」
背後から、かこかこと下駄が擦れる音がする。
「あの路地裏に戻るんですね。そう言ってくださればよかったのに。」
着物に皺が寄るほど引っ張り、半ば引きずるように歩けば千樹が口を開いた。
振り返らずとも、眉尻の下がった呑気な顔をしているとわかる。
「武下さんとリョウさんはまだ闘ってますよね。行って大丈夫なんですか?」
「あ”?もぅ終わった。」
「もう勝ったんですね!お相手の方結構強そうだったのに。あのお二人は流石ですね。」
「は?」
「あれ、もう終わったんですよね?お二人が勝ったんじゃないんですか?」
「...はぁ?」
海里の頬がひくつく。
安倍晴夜の脅威をしらない存在がここにいたとは。
あれは勝つ負けるの次元ではない。災厄一歩手前の陰陽師だ。
それをこの龍族は知らない。
無知なくせに、それを自覚してない脳みそお花畑。
海里は、そんなレッテルを千樹に貼りつけた。
「えらい目にあったわ。」
湿禍暗、十龍城砦の最下層。
篝火の傘下が管理する酒場、紅鱗。
金魚がゆらめく水槽を眺めながら、ピアスをつけた陰陽師、安倍晴夜はカフェオレを啜った。
水槽を照らす光が、水槽の泡に影を作る。
陶器のカップを檜皮色のテーブルに置けば、ちゃん、と受け皿に触れる音が響く。
その音に驚いた金魚たちが一斉に逃げ出した。
「ウケる」
向かいに座る女がネイルを塗りながら答えた。
金色に染めた髪に、肩出しのシャツ。
ホットパンツを履いた足を組み、脱ぎかけたサンダルをプラプラと振る。
「笑い事ちゃうわ。」
「やぴキレててオモロい。カフェオレ飲んで落ち着いてもろて」
「うっさい。」
「てかここ酒場なんだが。酒場でカフェオレはバリ意味わからんウケる。どしたん?」
女はネイルを塗るのをやめ、顔を上げた。
安倍の方を向いたその目は、布で隠されている。
「気分なだけや。」
「気分でカフェオレ許してくれるってま?ますたーやさしくて好。」
「また新しい言葉を使いよって。」
安倍は再びカップを啜る。
カウンターの向こうでグラスを磨くバーテンは篝火の一員だ。
安倍にカフェオレを出すことぐらい、なんでもない。
「きょー何してた系?」
「言ったやろ。覚えてないんか。」
「覚えとけとか、無茶すぎて笑う。」
「武下律とリョウの始末や。」
溜め息を呑み込み、安倍は答える。
「あ、そーだった。」
女は再びネイルを塗り始めた。
が、ふと手を止める。
「かよちは?」
「佳代はまだ向こうや。」
「まぢ?かわいそすぎ。ほっとけんくない?」
「やから美優におねがいや。」
「だるっ。」
ネイル瓶の蓋を閉め、美優は立ち上がった。
「でもやぴの頼み事だったら行くしかないっしょ〜。うちえらすぎ。」
ますたーばいぴー、と手を振り美優は紅鱗の扉を開ける。
チリンチリン
鈴が鳴った。
「まぢ嫌すぎて無理」
整備されずに火花を散らすネオン、壁が迫る閉塞感、雑巾の匂いを纏った空気。
その一つ一つが与える不快感に、美優の機嫌は悪くなる。
「てか今これつけてなくてよくない?はずしちゃえ」
目隠しを外す。
壊れかけの細かに点滅するネオンが、つけまつ毛のずれた瞳を照らした。
「まぶし...んー?」
「ーーーー」
「ーー」「ーーー。ー!」
「ーーー、ーー。」
ふと、曲がり角の先から話し声が聞こえてきた。
何人かの気配。
管理局の連中かもしれない。
美優は慎重に角を覗き込む。
「はっけーん。まぢ嬉しすぎ」
曲がり角の先、路地裏の奥には複数の管理局員の姿。
その中に一つの小さな影。佳代はいた。
「元気そうぢゃん!」
──カチャリ
金属音。
美優の額に銃が向けられる。
「ちょ、やめてよマジ」
バレた。
一斉に向けられる視線の中、一際殺意に満ちたものが一つ。
茶髪のポニーテールに、タレ目の女。
涙を流しながら美優を睨みつけていた。
向けられた銃口に、美優は両手を上げた。
無防備な脇腹が晒される。
それでも、目の前の管理局員は銃を下さない。
それどころか、銃を握る手に力を込めた。
「うち丸腰だから。」
「関係ありません。」
女局員は一歩一歩距離を詰めてくる。
美優は目を瞑った。
「まってまって。」
目を閉じたまま訴える。
女局員は止まらない。
ごつ、
ついに銃口が額に当たる。
引き金に指がかけられる気配。
「うちに手出したら、やぴが来るよ?」
「やぴ?」
「そーそ。ちょー強いおんみょーじ。」
「...」
「まぢ、一瞬で来るし。ちょー強いし。」
一拍の沈黙。葛藤。
カチャ
銃が下ろされた。
「たすかるー。うち、かよち連れて帰りたいだけだし。」
女局員から一歩離れ、目を開ける。
まっすぐに向けられる、敵意を孕んだ警戒。
それを気にすることなく、あたりを見回す。
隅っこの方で、佳代は退屈そうにしゃがみ込んでいた。
千樹は青白くなった顔で振り返った。
海里に連れてこられた路地裏に、突然現れた存在。
露出の多い身なり、派手な金髪、妙に自信のある様子。
やぴ、とは誰のことだろうか。
千樹にはわからない。
だが、どうでもいい。今は、そんなこと。考える気力なんてない。
もう一度、足元に視線を落とす。
幻覚だと、淡すぎる希望を抱いて。
だが現実は甘くない。
目の前に転がるのは、ただの死体。
無惨にも人の形を保つことを許されなかったそれは、武下だったもの。
四肢は変形し、目は見開かれたまま乾き始めている。
じわり、視界が滲む。
「武下さん...」
腫れ上がり、風船のように膨らんだ手に触れても実感が湧かない。
武下が死んだなんて、あり得ない。
目を閉じれば、浮かぶのは平然としている教官たち。
リョウはいつものようにニヤリとした笑みを浮かべ、武下は無表情で立っている。
妖力をなくし狐になったリョウも、冷たい抜け殻になった武下も、千樹の脳は理解を拒む。
頬を伝う熱いもの。
「あぁ...」
おかしいぐらいに、声が震える。
隣の野崎が背を撫でてくる。
野崎さん、あなたの方が辛いでしょう。何十倍も、何百倍も。
そう言いたくても、出てくるのは言葉にならない嗚咽。
「うっ...く...うぅ..
──うわぁぁぁっ!あっああ!!あっあ!!!」
突然響いた叫び声。
千樹のものでないそれは、狭い空間で反響する。
耳鳴り、頭痛、驚き。
瞬きをすれば、涙が落ちた。
クリアになった視界の中、武下が瞬きをした。
瞬きをした
ぎろり、と動いた目。
それは確かに千樹の方を見ていた。
離れたところから聞こえる、加賀と金髪の女の会話。
何を言っているのかはわからない。
ただ、武下が動いたということだけが、千樹を揺らしていた。
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。管理局に貢献するためだけに育てられる。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。身体能力や術への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。
教官として局員養成も行なっている(鬼教官)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から軽い男と評されているが、他人に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが、まともにやってない。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。勘がいい。
千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身の世間知らずなお坊ちゃん。訓練生になってからかれこれ数十年立つが、いまだに教官からの可がおりない。
朝奈 21 148cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
栗色の癖毛、タレ目、涙ぼくろと口元のほくろ
加賀の同期。落ち着きのある性格。
野崎茂 42歳 190cm 均衡管理局 半妖(鬼) 蛾骸下層出身
全身毛深い、優しい目、筋骨隆々
加賀のバディ。
篝火(篝者)
人間至上主義の過激派組織
安倍晴夜 33歳 161cm 人間
糸目、黒い長髪
人類最強。激しい人類至上主義。妖の血を含む存在も、妖の肩を持つ存在も嫌い。
大阪弁。アクセサリー沢山。
神田美優 23歳 148cm 人間
ギャル。生まれつき特異体質。




