開序
中梁層
上下左右積み上がった鉄骨の間に嵌まるようにして、至るところに並ぶ屋台。
鉄製の街は提灯の赤い光に照らされ、
鉄板で焼かれたソースの香り、イカを燻す煙の熱が澱んだ空気を満たす。
煙で灰っぽく染まった空間の隙間を、和太鼓や笛の音が埋める。
あれ食べたいこれ欲しいと親にせがむ子供の声が響く。
年に一度の夏祭り。
星の見えない九龍城砦では花火を上げることはできずとも、
夏を味わう文化は受け継がれていた。
その中を猫背で歩く青年。
均衡管理局と書かれたジャンパーを羽織っている。
気怠げながら勢いのある、不思議な足取り。
ジャンパーの下に終われた剣鉈の重さを感じながら、
海里は首を前に突き出して歩いていた。
「おにーちゃん!」
顰めっ面で歩いていれば、腰に衝撃。
見下ろした足元には、目を輝かせた幼女がいた。
「あぁ”?んだよ」
蹴り払うようにすれば、幼女は尻餅をついた。
泣くことはなかったが、がっかりしたように眉を下げる。
「そのお洋服、きんこうさんだと思ったのに...」
「きんこーさぁ”ん?」
海里は苛立ちを隠さず、声を荒げる。
「もういいもん!」
幼女は立ち上がりながら口を尖らせた。
「ママに...あれ..ママ?」
むくれたまま辺りを見渡す目は、不安げな声と共に次第に大きくなっていく。
「おにぃちゃんのせいでママとはぐれちゃったー!!!」
大粒の涙が幼女の頬を濡らすまで、大した時間はかからなかった。
ぽこぽこと、海里の足を殴る手は柔らかく小さい。
「しらねぇよ!じごーじとくだろうが!!」
「おにぃちゃんのいじわるぅ!きんこうさんのかっこうしてるくせにぃー!!」
「きんこうさんきんこうさんるっせえよ!ぁんだそれ!」
海里の怒鳴り声で、幼女は更に涙を流す。
なんだってこんな面倒くさい目に、と海里は舌打ちを漏らした。
二週間前、異形が現れてから六日ほど経った頃。
事後対応に追われていたのか、他にも任務を詰め込まれたのか、
武下は六日経ってようやく訓練場に現れた。
綺麗に整列する訓練生が次々と棒立ちの男にやられ、
一人また一人と床に倒れていくのも見慣れた光景だ。
海里の番がきた。
武下の黒い目は海里を捉えているのかいないのか、
異形と対峙した時のような痺れるような殺気が全く無い。
半端なく手加減されていた。
棒立ちの武下に向き合い、海里は構える。
床を蹴り、瞬きの間に武下と距離を詰めた。
腰を捻り、頭を狙う──
と見せかけ左脇腹につま先を叩き込む。
ゴッ、と鈍い音と共に命中した蹴り。
肋が浮き出ているだろう、ごつごつとした脇腹の感触が海里に伝わる。
同時に強く潰されるような痛み。
武下の左手が海里のふくらはぎを掴んでいた。
ゴリュゥ
筋肉と骨が擦れる音。
神経も血管も、細胞の並びさえもズレたような、重みのある不快さ。
海里が顔を歪める間もなく、
武下は自身より重たいであろう海里を左手一本で投げ飛ばした。
「...ぁぐ、」
壁に激突した音が訓練場に響く。
冷たい壁に突っ込んだ頭が跳ねた。
みし、と鉄壁が凹むほどの衝撃が背骨に響く。
海里は蹲ったまま動けなかった。
身体中の機能が止まってしまったかのようで、
うつ伏せに落ちた腹から出てくるのは、絞り出したようなうめき声。
立ちあがろうとしても震える肩は、笑ってしまうほど力が入らない。
コツ、近づいてくる音がする。
なんとか顔だけそちらに向ければ
武下の右手が己のうなじに迫ってくる。
ぐん、と首が閉まると同時に浮遊感。
どういう原理なのか、海里は細腕一本で持ち上げられていた。
「..ヒュ...ぁ...」
このままでは酸欠で意識が飛ぶ。
瞬間、太腿に小さな鋭い痛みが走る。
何かが刺さったようだった。
半ズボンの上から触れてみれば、細く尖った硬い感触。
六日前の会議の後、ポケットに突っ込んだまま忘れていた焼き鳥の串。
「ハッ...!」
自然と口角が歪む。
何かに使えると訴えた自分の勘は間違っていなかった。
一か八か、海里は竹串を慎重に取り出した。
幸い、武下は足元で呻く他の訓練生に気を取られているようだった。
片手間でここまで追い詰められる自分の弱さに反吐が出る。
だが今は、それに集中力を削がれるわけにはいかない。
歯軋りを抑え込み、海里は竹串を握り込む。
長くはないそれは拳の中に収まった。
尖った先端だけがわずかに顔をのぞかせる。
通用するかはわからない。されど、試してみたかった。
ゴッ
骨と骨が当たる鈍い音。
肘まで響いたそれは海里の神経を震わせる。
叩き込もうとした拳は、あっけなく阻まれた。
武下の左手が、海里の右手を受け止めていた。
だが、それでいい。
海里は勢いよく右手を引いた。
ずる、と引っかかりながら抜ける感覚。
竹串のささくれが皮膚を裂くのがわかる。
「ッヘ」
海里は声を上げた。
目線の先、拳を受け止めた武下の掌には、小さく開いた穴から流れ出る血。
海里が握っていた竹串がつけた傷。切れたそこから少しずつ滲む赤。
それを見つめる、温度が無い隈だらけの目。
ドクン、ドクン
高揚感で鼓動が弾む。
擦り傷にも満たないとはいえ、通用した。
やってやった...!
静まり返った訓練場、直後に走るどよめき。
興奮した心臓の痛み、荒くなる呼吸。
この時、海里の耳には武下の声が届いていなかった。
「ああぁぁあぁぁああ!!!!」
突如、泣き声が鼓膜を突き抜けた。
意識を戻せば、ゴミの散乱する鉄の床に座り込んだ幼女。
ままぁーー!!と滝のように涙を流している。
「るっせぇ!!!」
海里は幼女に怒鳴った。
ガキは嫌いだ。
なんだってこんな目に。
六日前、興奮が収まった頃には殆ど聞き逃していた武下の言葉。唯一聞き取れた「夏祭り」と「合流」の二言を頼りに来てみればこの様だ。
苛立ちを募らせる海里は背後の気配に気づかなかった。
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
管理局拠点
一階 倉庫、事務室、掲示板
二階 仮眠室、シャワー室、医務室、訓練場
三階 会議室、応接間
地下一階 拘束室、暗室(拷問)
局員たちは、拠点とは別に管理局が指定する賃貸で生活しています。
家賃は管理局が負担してくれますが、格安物件なので快適ではありません。
ただ、何かが故障した時や他にも困ったことがあればすぐに対処してくれます。
なので特別不便というわけではありませんが、こっそり指定外の賃貸に住む局員もいないことはないそうです。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。めちゃくちゃ無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。身体能力や術への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。
教官として局員養成も行なっている(鬼教官)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。勘がいい。




