第3話 吸血衝動と副作用
「精霊よ、道を示せ」
シュナリアが唱えると、薄暗い空間に仄かに光る粒が浮かび上がる。
光の粒はふよふよと漂うようにダンジョンの奥へゆっくり進んでいく。
「精霊魔術か。珍しいな」
「今はとても協力的ですね。淵神さんも精霊に好かれているみたいですし……」
精霊魔術の使い手は少ないと爺が言っていた気がする。
精霊に好かれるほど清純な精神を持つ人間が少ないとかなんとか。
それを信じるならシュナリアはやはりいい人間なんだろう。
「怪我は大丈夫なのか? 血も出ているみたいだが」
「正直痛みますけど……問題ありません。じきに治るので」
「無理そうなら教えてくれ。背中くらいは貸してやれる」
仲間に無理をさせるよりはいいだろう。
シュナリアは「そうならないように頑張ります」と恥ずかしそうに笑っていたが。
精霊の光に導かれながらダンジョンを進んでいく。
道中遭遇する魔物は俺が一撃で片付けているとシュナリアと精霊が呆れている雰囲気を感じ取る。
別に珍しくはないはずだけどな。
希少性で言えばシュナリアの精霊魔術の方が上だ。
散歩同然のダンジョン探索を何時間続けただろう。
「――――っ」
突然、シュナリアがよろめき、倒れかけた。
その身体を咄嗟に抱き留めて顔色を窺えば、元から白かった肌色は風呂上りのように上気して朱色に染まていた。
行使していた精霊魔術が不安定になり、光の粒が霧散する。
その症状には見覚えがあった。
「魔力欠乏だな。なんで限界まで使い続けた」
「……また、捨てられると思って」
「俺が仲間を捨てるわけがないだろう」
「ごめん、なさい」
「謝らなくていい。とりあえず休め」
立たせたままでは辛いだろうと思い、シュナリアの膝裏に手を回して抱きかかえる。
それから俺も膝を落とし、硬い岩の地面に胡坐で座った。
胡坐で出来た隙間にシュナリアを降ろし、俺の身体を背もたれにするようにして座らせた。
「なっ、え、と……重く、ないですか」
「全然。猫でも寝かせてる気分だ」
「猫、ですか」
熱に浮かされたようなレーティアの表情が難しいものに変わっていく。
しかし、はあと軽く息をついて、紫がかった瞳を瞬かせた。
ふむ、良くない傾向だ。
「ところで、吸血鬼は血が必要なんだろう?」
「ッッ⁉」
シュナリアが機敏な動きで飛び起き、壁に手をついて身体を支えながらも警戒心を露わにした双眸で俺を射貫く。
「どうして、それを」
「ついさっき鋭い八重歯が見えたのと、瞳の色が青から紫へ変わっている。魔力欠乏をトリガーに吸血衝動を引き起こしたのか?」
「……っ、だったら、どうしますか。私を見捨てても構いませんよ。どうせ私は生き血を啜って生きながらえる薄汚れた悪魔です。裏切られるのには……慣れてますから」
諦観を滲ませながら呟くシュナリア。
もしかすると吸血鬼というだけで前の集団から追い出されたのかもしれない。
「シュナリアは俺の仲間だ。おいていくわけがないだろう?」
「っ」
だが、そんなことは関係ない。
俺が目指す普通の学園生活の前では些事。
吸血鬼の仲間、いいじゃないか。
仲間の証に再び手を握ると、じっとりとした紫紺の瞳が俺を映す。
「……私は、薄汚い吸血鬼です。その手を離してください。今すぐ襲いかかって、血を吸いつくしますよ」
「仲間にそんなことが出来る人間が精霊魔術を使えるわけがないだろう? やれるもんならやってみろ」
敢えての挑発。
シュナリアはバカを見るような目を俺に向け――俺の気が変わらないと悟るや否や、呆れ果てた風に深いため息をついた。
なのに、その両目には透明な涙が徐々に溜まっていて。
「……淵神さんはお人好しの大バカなんですか? 吸血鬼は簡単に人を殺せるんですよ? なのに、平気な顔をして仲間だなんだって……そんなこと言われたら、裏切れませんよ」
「裏切るつもりだったのか?」
「そんな気力もなくなってしまいました。……クラウノート家を再興するためなら何でもするつもりだったのに」
力無く笑うシュナリアを今度こそ休ませる。
膝の上でもよかったのに、シュナリアは断って隣に座った。
そして俺へ肩を預けるようにして息をつく。
こっちの方が楽ならそれでもいいか。
「シュナリアは貴族だったんだな」
「隠していて申し訳ありません。私の名はシュナリア・クラウノート……元は英国の貴族でしたが、家の不祥事で爵位をはく奪された、吸血鬼の力を継承する一族の娘でした。日本の『第零』に来たのは、私のような人間でも受け入れてくれる場所だからです」
「ふむ……貴族には詳しくないが、大変だったんだな」
他人事のような感想しか出てこなくて申し訳ない。
けれど、シュナリアが負った苦痛を理解できるなどと考えるのは烏滸がましい。
それは全て、彼女のものだ。
「だから私は、こんなところでは終われないんです。何を利用してでも力をつけ、いつの日か家を再興させる。……淵神さんの血を頂けないでしょうか。対価は如何様にもしてください」
「そんなものはいい。必要なんだろう? 遠慮するな」
制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを外して肩を露出させる。
吸血鬼ならば直接噛みついた方が吸いやすいだろう。
「えっと、直接でなくてもいいのですが……」
「問題ない。痛みは慣れている」
「そうではなくて……本当に、いいんですか? 吸血鬼は悪魔の手先で噛みつかれたら眷属にされる、なんて噂もあるのに」
「そうなのか?」
「真っ赤な嘘ですし、噛まれるだけで吸血鬼にはなりませんし、唾液に麻酔作用があるので痛みもほとんどないどころか快楽物質が分泌されるくらいですけど――」
「なおさら躊躇う必要がなくなったな。いらないのか?」
「……いり、ます」
シュナリアも消耗していたのだろう。
消え入りそうな声で頷き、肩口に恐る恐る顔を近づけてくる。
小さく開けた口から覗く牙にも似た八重歯が、俺の肩に触れて。
生暖かい唾液で湿った、ざらりとした舌が肩を這う。
舌先が味わうように肌を這い、唇が何度も触れている。
人から物理的に舐められるというのはなんとも言えない感覚だ。
「……では、いただきます」
顔を埋めたまま囁かれ、牙が浅く埋められた。
刹那的な痛み。
後にじんわりとした快楽が広がって、浮ついた感覚を覚える。
「っ」
吸血鬼に血を吸われるのは初体験。
痛みも嫌悪感もない。
あるのは本能を刺激するような快楽だけで、下腹部に血が集まっていくのを感じる。
横目でシュナリアを見れば、溢れる血を一滴たりとも零さないようにしゃぶりつく姿があった。
血の紅に染まった瞳は蕩けていて、煽情的な雰囲気を纏っている。
血は吸血鬼の本能を刺激するのだろう。
夢中になるのも仕方のないことだ。
「んっ……はあっ、っ…………淵神さんの、凄く濃くて…………こんなのを知ったら、もう――」
何やら独り言が聞こえてくるも、気に留めている余裕がない。
気を抜けば今すぐシュナリアを襲いそうなほど興奮しているのを自覚していた。
精神の鍛練も積んでいたはずだが、これほどとは思っていなかった。
これが吸血の副作用、というわけか。
痛みを与えてしまえば吸血鬼は血を吸わせてもらえずに干乾びる。
そこに快楽が付随するとなれば、喜んで血を捧げる人もいるだろう。
また、吸血鬼は容姿に優れた者が多いらしい。
種を残しやすいよう進化した結果だな。
俺が劣情を堪えている間もシュナリアは血を吸い続け――区切りがついたのか、牙でついた傷口を唾液を絡めた舌で丹念に舐ってから顔を上げた。
シュナリアの顔は上気し、妙な色気を帯びている。
思わず催してしまうくらいには艶やかだ。
「……ご馳走様、でした。淵神さんの血、魔力濃度がすごくて……なんだか、頭がふわふわします」
「満足したならいい。そのまま少し休め」
腕に軽く抱き着くようにしてシュナリアが身体を預けてくる。
このくらいの軽さなら全く問題ない。
休めるうちに休んでもらえばいい。
俺の高ぶりもそのうち収まるはずだ。
「……淵神さんも、辛いですよね?」
上目遣いでシュナリアが問いかけ、彼女が俺の腕へ身体を寄り添わせる。
腕へ柔らかな胸が押し当てられ、手が俺の股間へ伸びてくる。
ズボンの上から摩られ、声が出そうになるのを堪えた。
蕩けた眼差しに宿る理性は薄く、情欲を掻き立ててくるような眼差し。
表に出したつもりはなかったが、シュナリアにはバレていたらしい。
「私にできることならなんでも言ってください。直接の吸血だと……両者が発情状態になるんです。だからこれは不可抗力。淵神さんは何も悪くありません。悪いのは、吸血衝動に耐えかねて伝え損ねた私ですから」
それは彼女なりの誠意なのか、罪滅ぼしのつもりか。
ダンジョンの中でそういった行為に及ぶことは決して珍しくない。
位階上昇時の高揚感や生死を懸けた戦闘で生存本能が刺激され、衝動的に異性と交わるのは仕方ない空気感だと話だけは聞いていた。
つまりは、普通のことなんだろう。
ぎゅーっと、腕にシュナリアの胸が押し付けられる。
吐き出す熱い吐息が耳を掠め、肩の噛み傷を舌先で舐めてから甘噛み。
はむはむとじゃれつくみたいな仕草で甘えられては押しのけるのも悪いか。
「なら、頼む」
「……はい。初めてで上手くできるかわかりませんが……頑張りますね」