第2話 入学試験・第一層
およそ200年前、地球と異世界が大規模な空間衝突を起こし、一つに融合した。
文化も歴史も価値観も違う二つの世界はまず、戦争を始めた。
科学兵器と魔術が飛び交う、どちらの世界の人間にとっても未知の戦争。
死山血河が築かれ、死屍累々の戦場が各地に広がっていたが、二世界間の戦争はたった数年で幕を下ろす。
というのも、世界の融合が原因で少なくない変化が起こっていた。
その一つが世界各地に突如出現した『迷宮転移門』の先に広がっている異界――ダンジョン。
元々異世界側にあったものとも違うダンジョンの中で、人間が呑気に戦争をしている間に放置されていた魔物が数を増やし、遂に世界へ溢れたのだ。
いわゆる迷宮氾濫という現象。
破壊と殺戮を行う魔物の大軍を前にして、二つの世界の住人は手を取り合う。
以来、新しくなった世界の国家間で多少のいざこざは発生しているものの、大規模な戦争は行われていない。
だが、国家間の影響力を増すため、戦力の増強や育成にはどの国も力を入れている。
『第零』をはじめとした探索者学園もその一環だ。
しかし、『第零』には守るべき秩序が存在しない。
なんと言っても治外法権、あるべきはずの法は己を守ってはくれず、力こそ全ての自然的な弱肉強食の世界。
弱者は淘汰されるか、強者へ媚びを売って取り入ることで身を守る。
強者は鍛え抜いた力を以てして自由を謳歌する。
それこそが『第零』なりの秩序にして、日常だ。
■
入学試験と題した迷宮探索に挑んでから一時間ほど経っただろうか。
『第零』ダンジョンの第一層は洞窟型。
整備も進んでいるらしく明らかに人工物の照明が道を照らしていたが、安全な道を行きたい人で溢れていたため、俺はわざと道を外れることにした。
ダンジョンの装飾品である松明の火だけが照らす道を一人で進んでいると、二足で立つ緑色の小鬼……ゴブリンと出くわした。
頭にはコブにも見える二本の短い角。
薄汚れた腰布だけであばら骨の浮く貧相な身体を隠し、木製の棍棒を掲げながら「ギャッギャッ」と耳障りな声で威嚇する。
少し、思っていたのと違うな。
「随分と小さいし、筋肉もない。生育不足か? 餌が少ないのか、単にそういう種類なのか」
俺が爺に育てられた山にいたのはもっとこう……逞しい身体をした緑の益荒男だった気がする。
子どもに出くわすこともあったけど、ここまで痩せっぽちなのは見たことがない。
冷静に観察しつつも自然体で構えておく。
両脚を肩幅に開いて、腕に力を入れずに下げた体勢。
顎は引いて、視線は真っすぐゴブリンへ注ぐ。
師匠の爺から教わった『魔闘術』の型。
シンと静まる場。
からりと石ころが転がる音を合図にゴブリンが駆けてくるが、
「遅すぎないか?」
思わず気が抜けそうになりながらも浅く息を吐いて、体内で魔力を練り上げる。
それを身体の隅々まで行き渡らせ、左足で軽く一歩踏み出す。
続いて力を込めた左足で踏み込み、地面にヒビを入れながら腰ごと身体を大きく右へ捻り――
「『旋穿脚』ッ!」
勢いを乗せた右脚の回し蹴りがゴブリンの無防備な腹を撃ち抜いた。
轟、と巻き起こった風と、蹴りが空を切る音。
一撃で腹に穴を開けただけでなく、衝撃で身体がバラバラに散らばった。
それでも身体に染みついた癖が残心と臨戦態勢を保つ。
ダンジョンには身体がバラバラになっても死なない魔物もいる。
異様に身体が弱かったのも、そういう特殊能力を得ているからと考えれば不自然ではない。
数秒残心していると、ピクリとも動かないゴブリンの身体が白い靄へと分解され、紫水色の結晶……魔石だけを残して消える。
どうやら本当に死んでしまったらしい。
拍子抜けに思いながらも残心を解いて、魔石を拾い上げる。
サイズは小指の先くらい。
うーむ、小さいな。
やっぱり特別弱い個体だったんじゃないだろうか。
「山にいた奴は一撃くらいじゃケロッとしてたんだが……」
どうやら、俺が想定していたよりも第一層の魔物は弱いらしい。
爺と暮らしてた山にいた魔物はもっとしぶとくて、知能があるんじゃないかってくらい悪辣な戦い方をしてきたんだけどな。
単純にこいつが弱かっただけかもしれない。
油断せずに探索をするとしよう。
それからも何度か魔物と戦ったが、手ごたえは初戦と同じ呆気ないものだった。
本当にこんなのが入学試験なんだろうか。
楽しい学園生活のためにはたくさん生徒がいた方がいいのかもしれないな。
「で……道はどっちだ?」
三叉路を前に、俺は唸りながら首をひねっていた。
当然だが地図が配られているはずもなく、自分の現在地すらわからない状態だ。
魔物に後れを取ることがなくても、第一層を踏破できなければ不合格。
正規の道を外れた弊害がこんなところで出るとは。
斥候の技術も、マッピングもできない俺は勘で第一層を攻略する必要がある。
俺が育った山のダンジョンは一本道だったからなあ。
記憶力には自信があるから、歩いてきた道は大方頭に入っているけど。
さて、どうしたものかと考えた時に、
「――――――」
どこからか、人の声らしきものが聞こえてきた。
しかも、助けを求める切羽詰まった悲鳴のような、高い声。
不審に思いながらも耳を澄ませてみる。
山暮らしだった俺は目と耳が良い。
「……、……こっちか?」
俺の耳が正しければ、声は三叉路の右から響いている。
どうするかと頭に浮かんだ迷いを振り払って、身体が先に動きだす。
本当に助けを求めていたなら助けたい。
なんたってこれから一緒に学園生活を謳歌する仲間だからな。
細かい凸凹が続く道を駆けていると、段々と声が大きく鮮明に聞こえる。
「――――けて」
やはり、若い女の声だ。
人がいると確信を得て、速度を上げる。
山の方が遥かに走りにくいし、邪魔な罠もないなら問題ない。
そうして、やっと影が見えた。
長い白髪を揺らしながら走っていたのは、制服が所々裂けて血が滲んでいる少女。
そして、彼女を追うゴブリンが三体。
ゴブリンにやられたのだろうか。
それにしては彼女の身体に刃物と思しき傷があるのが不思議だ。
「っ、ごめんなさいっ‼ 逃げて‼」
俺の接近に気づいた彼女は澄んだ声を張り上げて、引き返すように促す。
ダンジョンで魔物を引き連れて他人へ擦り付けるトレイン行為はマナー違反。
死人も出る相当に危険な行為だ。
彼女はそれを理解していて、偶然にも俺が鉢合わせてしまった形。
つまり、誰も悪くない。
そうとわかれば、やることは一つ。
左足を軽く前へ。
伸ばした左腕で餓鬼に狙いを定め、右腕の肘を折って拳を握る。
「あなた、何を――」
「大丈夫だ、当てる気はない」
万に一つも少女に当たらないよう狙いを正確につけて、
「『砲拳』」
右の拳を突き出す。
絶対に届かない距離だが、拳に乗せた魔力が砲撃として正面へ放たれた。
無色透明のそれが少女の横を通り過ぎ、後ろのゴブリンをまとめて吹き飛ばす。
断末魔すら聞こえなかったが、三体のゴブリンが魔石になったのを目視で確認し、残心の後に呆けていた少女へ意識を向ける。
全体的に儚く華奢で、独特の気配を漂わせる少女。
白の長髪に、空の青にも似た瞳。
すらりとしたプロポーションながら確かな主張をする胸の膨らみ。
スカートから伸びる脚の白さがダンジョンの暗がりでは鮮明に浮かび上がる。
制服が裂け、際どい部分まで素肌が見えているのは目に毒だ。
怪我もしているのだが、残念なことに俺は治癒魔術の類いは使えない。
「無事か」
声をかければ一瞬だけ驚いたような顔になりながらも「なんとか」と返し、その場で居住まいを直した。
そして、深々と腰を折り、
「助けていただいてありがとうございました。私は……シュナリア、といいます。助けていただかなかったら今頃は死んでいたと思います」
「淵神蒼月。助け合うのは新入生の仲間として当然だから気にしなくていい」
「……新入生の仲間、ですか」
「何か変なことを言ったか?」
「いえ、その……実は一緒に探索していた人から見捨てられまして。この傷もゴブリンではなく彼らにつけられたものです」
「なるほど」
それは許せんな。
楽しい学園生活には友達の存在が不可欠と爺が買ってきた漫画に書いてあった。
友達を見捨てるなんてとんでもないやつがいたもんだ。
どっかで出会ったらちゃんとお話をしなければ。
「……あの」
「どうした?」
「助けていただいた手前、大変頼みにくいのですが……淵神さんについて行ってもいいでしょうか。望むなら……私のことは、好きに使ってくれて構いませんので」
シュナリアが顔を赤くしながら提案してくる。
一緒に探索か、それも悪くない。
親交も深められるし、俺からもお願いしたいくらいだ。
「もちろん構わないぞ」
「ありがとうございます……!」
「これで俺たちは仲間というわけか。……いい響きだな、仲間」
これぞ青春の一ページ。
楽しい学園生活への第一歩だ。
それはそうと――
「ところでシュナリアは恥ずかしがり屋なのか? 随分と顔を赤くしているが」
「これは、その……てっきりそういうことを迫られるんだと思っていたんですが、違うんですか?」
「何を言っているんだ? そういうこと?」
話しが噛み合っていない気がする。
シュナリアも同じことを思っていたのか、困惑気味に首を傾げていた。
「淵神さんは貴族だと思っていたのですが……」
「山暮らしの田舎者だよ。爺に勧められて学園に来たんだ」
「……そうでしたか。私の早とちりだったようです」
「ならいいが……俺はシュナリアのことを道具のように扱う気はないぞ。初めてできた仲間だからな。俺のことも仲間だと思ってくれると嬉しい」
仲間の証として手を差し出すと、シュナリアもおずおずと握り返してくれる。
握手もしたら完全に仲間だろう。
初日からこんな友が出来るなんて俺は運がいいみたいだ。