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「今日の授業はいかがでしたか?」
放課後、職員室の隅っこの席で、響がいつものように授業中にメモした内容を元に実習日誌を書いていると、副担任の雪野先生がコーヒーを持ってきてくれた。
「はい、今日もすごく勉強になりました!」
響はそう言うと、ありがとうございます、とコーヒーを受け取って口をつける。
実習が始まって五日目の金曜日。
四週間ある実習期間のまだ前半のほうなので、響自身は見学していることが殆どだが、実際に子ども達と接していると、実際の現場でなければ分からないことや、気付けないことが本当に多いのだと実感する。
「そういえば、委員活動の取材の付き添い、あの後もほぼお願いする形になっちゃいましたね」
「ああ、大丈夫です! 子ども達と交流できて楽しいですし」
委員会活動は月に二回しかなく、二週間後にある次の活動日には取材結果を持ち寄って、どんな紙面にするのか考える予定らしい。そのため、新聞委員の子ども達は次の活動日までに担当になった七不思議の内容をまとめておかなければならず、昼休みや放課後などを使って調査や取材を続けていた。
水曜日にあった委員会活動の時間、お化けが怖いという雪野先生の代わりに、旧校舎へ取材に行く子ども達の付き添いを響が代行したのだが、雪野先生が旧校舎やお化けが苦手ということを子ども達も密かに気付いているらしく。それ以降、先生の付き添いが必要な場所への同行は、響がお願いされるようになっていた。
──まぁ、年齢も先生の中じゃ一番近いし、話しかけやすいからなんだろうけど。
実際、新聞委員には弟の薫もいるので、より気安いのもあるだろう。響としては、可愛い弟と学校で活動できるので大歓迎なことだ。
そんな話を雪野先生としていると、職員室の出入り口に薫を含む新聞委員の子ども達が姿を見せる。
「喜山せんせー、いますかー?」
「はーい、いまーす!」
四年生の弥亮の呼び掛けに、響は手をあげて返事をした。噂をすれば、とはこのことである。
「旧校舎に写真を撮りに行きたいので、付き添いお願いしまーす!」
「はーい、わかりましたぁ」
響はあげた手を振りながらそう返すと、書きかけの実習日誌を閉じた。
今日はまだ、日誌に書くことが増えるかもしれない。
「じゃあ、いってきますね」
「うん、お願いね〜」
コーヒーを飲みながら手を振る雪野先生に見送られて、響は新聞委員の子ども達と職員室を後にした。
■
旧校舎に入るには、用務員さんに鍵を開けてもらい、一緒に行かなければならない。職員室を出た響達は、そのまま新校舎の一階の奥にある用務員室を目指す。
今回職員室にやってきた新聞委員の子ども達は、薫を含む四年生が三人と、六年生と五年生の男の子が一人ずつだった。
「それで、旧校舎では何の写真を撮りたいの?」
「この間行った時にトイレの写真撮り忘れてて……」
「あと音楽室も行けなかったから、せめて写真くらいは欲しいなって」
「できれば、持ち出したらいけないバケツも探したいんですけど」
「……なるほど、そっかぁ」
子ども達の要望を聞きながら響はうーん、と頭を悩ませる。星之峯小学校には、子どもを放課後も預かる施設が敷地の中になく、他の小学校に比べると完全下校させる時間が少し早い。彼らのやりたいことは、その時間までに終わるかどうかの、判断が難しかったのだ。
「下校時間までに全部回れるかは微妙だね。行けるとこまで、になっちゃうと思うけど、大丈夫?」
「はい!」「大丈夫です!」
響の言葉に、子ども達は元気に返事を返す。
こうして毎日積極的に取材や調査を進める新聞委員たちは、各七不思議の『真相』も少しずつだが順調に解明しつつあった。
例えば、『焼却炉跡地では、時々叩く音やうめき声、焦げ臭い匂いがする』という不思議について。
担当の六年生たちが先生の許可を得て焼却炉跡地の真下の地面を掘り返したところ、今は使われていない古い大きな配管を発見。資料室で見つけた昔の学校の図面などから、少し遠くの排水溝と繋がっていたことが分かり、排水溝周辺で立てた音が焼却炉跡地まで届いていたのが原因らしい。
他の先生に手伝ってもらって実際に実験してみたところ、反響した音がくぐもったように響いて届いたのを確認したという。
それから『体育館のステージ下の引き出しが勝手に開いている時は、体育館を使ってはいけない』という不思議について。
基本的には、こちらもステージ下の引き出しが勝手に開くのは体育館の著しい劣化が原因で、道路などから伝わる大きな振動で留め具が外れ、動いてしまうことがあるらしい。また、ずいぶん昔にステージ下の引き出しで遊んでいた子ども達が大ケガをした、という報告もあり、それらが混ざって戒めのような意味合いを持つ七不思議になったようだ。
旧校舎以外の不思議の『真相』が順調に解明していることもあり、旧校舎を担当する子ども達も、他の子達に負けるなと言わんばかりにやる気に満ち溢れている。
教育実習生である響としては、色々と授業の準備などに時間を回したいところだが、やる気いっぱいの子ども達を手伝わずにはいられない。
──ここでは俺も一応『先生』だしね。
用務員室にたどり着くと、響はコンコン、とノックをして呼びかける。
「すみませーん、用務員さんいらっしゃいますかー?」
「はーい」
ドアを開けてくれた用務員さんは、灰色のフレームが印象的な、大きなメガネを掛けていた。
「ああ、喜山先生。旧校舎の取材ですか?」
やってきたのが響と、新聞委員の子ども達だと気付いて、用務員さんはニッコリと笑う。
「はい。……あの、何か作業中だったりしましたかね」
見慣れないメガネが老眼鏡だと気付き、響が申し訳なさそうに尋ねると、用務員さんはああそうか、という顔でメガネを外した。
「え? ああ、過去の日誌を読んでいたんですよ」
用務員さんがそう言いながら、どうぞ、と用務員室に入るよう促すので、響は「お邪魔します」と用務員室をそっと覗く。
用務員室はリノリウムの床に、一部畳敷のスペースが設けられており、その上に大量の『用務員日誌』と書かれたファイルが広げられていて、人が座るスペースが少ししかない。
「……こんなにあるんですか」
「ええ。歴史の長い学校ですしね」
響は日誌の広げられた畳の上から、視線をぐるりと用務員室の室内に回す。
室内は隅に簡易な流しと湯沸かし器があり、窓以外の壁のほとんどは資料を収めるためと思われる、ガラス戸付きの空の資料棚が占めていた。きっと普段はこの畳の上に広げられた資料が入っているのだろう。
あとは、小さなロッカーと用務員さんの私物と思われるものが置かれた小さな本棚があるばかりだが、そこにもたくさんの本が積んであった。見るからに仕事とは関係のなさそうなタイトルの本が多いので、これも用務員さんの私物のようである。
「……たくさん本がありますね」
「はい、読書が趣味でして。最近は過去の日誌ばかり見てますけど」
そう言いながら用務員さんが外したメガネを私物の棚の、一番上に置いた。
新聞委員の子ども達のために、空いている時間は古い資料を見てくれているのだろう。響はなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。
「お手数おかけしてすみません」
「いえいえ、お気になさらず。文字を読むこと自体が好きなので、問題ありませんよ」
ふふふ、と用務員さんが楽しげに笑う。それから壁に設けられたスチール製のキーボックスの扉を開け、鍵束を一つ取り出した。
「さぁ行きましょうか」
用務員さんに促され、響達は旧校舎へと向かう。