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新校舎の中央扉から外に出て、芝生の広がる中庭を通り、旧校舎の昇降口へ移動する。
経年のせいか記憶よりも暗い灰色のコンクリートで出来た建物。昇降口の大きな引き戸は、あちこち小豆色のペンキが捲れ上がっており、触るとパリパリと破片が落ちる。
──……懐かしいなぁ。
小学生の頃は、毎日ここを通って教室まで駆け上がり、帰りはここから友達と競争しながら家まで帰っていたものだ。
懐かしさに浸っていると、ガラガラガラッ、と大きなドアを引く音がする。
「さ、これで入れますよ」
用務員さんが引き戸につけられていた大きな南京錠を外し、少し錆始めているドアを大きく開けていた。
ドアの内側は窓から差し込む西日で少し明るいものの、何も入っていない木製の靴箱が影を作りながら、ずらりと静かに立ち並んでいる。
「あ、ありがとうございます! さぁ、みんな行こうか」
そう言って響が振り返ると、薫をはじめとした新聞委員たちは一様に顔を強張らせ、なぜか団子のような塊になって昇降口から距離をとっていた。
「……あれ、取材にいくんだよ、ね?」
響があっけに取られてそう尋ねると、子ども達は互いに顔を見合わせては浮かない顔をする。
「そ、そうなんですけど……」
「やっぱり、怖くて」
確かに旧校舎は、外壁のコンクリートの灰色は暗く黒ずんでおり、ところどころにヒビが入っているし、ペンキもパリパリに剥がれているので、小学生には不気味な建物に見えるようだ。しかし、昇降口の中から見る限り、経年のわりに床に穴は空いていないし、廃墟のように壁が崩れたりもしていないので大きな危険があるようには見えない。
「だーいじょうぶだよ。ちょっと不気味なだけで、少し前までは普通に使われてた場所なんだし」
「そうそう。私も定期的に見回りはしているけど、お化けなんて逢ったことはないよ」
子ども達を励ます響を援護するように、用務員さんも明るく言ってくれる。
「それに、怖くて取材できませんでしたー、じゃカッコ悪いだろう?」
響の言葉に、子ども達も確かにそれはイヤだな、という顔でそれぞれが頷いた。やはり新聞委員としては、情けない内容の記事を書きたくはないのだろう。
「さ、取材の時間なくなっちゃうよ! 行こう行こう!」
「……はい!」
意を決したように返事をした子ども達を引き連れ、響は用務員さんと共に昇降口から旧校舎へ入った。
旧校舎内は電気を止めているそうで、明かりはつかない。しかし、窓から差し込む西日のおかげで、思っている以上に中は明るかった。そのおかげもあってか、子ども達も最初こそおっかなびっくりでくっつきあい、団子状態のまま歩いていたが、だんだんそれも崩れていき、それぞれが興味深そうに周囲を見回している。
──よし、大丈夫そうだな。
子ども達の様子を見ながら、響は少し胸を撫で下ろした。
学校の七不思議で言われている、旧校舎でいわくのある部屋は、一階にある家庭科室と、三階にある音楽室とトイレ。そして、どこのかは分からないが、バケツの入った掃除用具入れのある教室である。
響達はひとまず、一階の一番奥にある家庭科室を目指した。
旧校舎の古くてデコボコになったリノリウムの廊下を、転ばないように気を付けながら歩く。使われなくなって時間が経つせいか、記憶の中よりも埃や汚れが酷く、外壁同様に室内の壁にもところどころヒビが走っていた。
「そういえば、喜山先生の頃は旧校舎で授業をうけていたんですよね?」
「はい、古くはなっていますが、すごく懐かしいです」
古いタイプの蛇口が並ぶ手洗い場に、壁に残された掲示物を剥がしたテープの跡。廊下の窓の向こうには、新しい校舎が見えるので、ここから見える景色は変わってしまったなぁと、響は少し切ない気持ちになった。
響が懐かしさでいっぱいになっていると、恐怖心がすっかり和らいだらしい新聞委員の子ども達が、用務員さんの隣にやってくる。
「あの、用務員さんは旧校舎に時々くるんですか?」
「もちろん。使ってはいないけど、火事なんかが起きたら大変だからね。定期的に異常がないか見回りをしているんだよ」
電気や水道も止めているし、人の寄り付かない場所とはいえ、イタズラ目的で侵入する人間がいないとも限らない。旧校舎には警備システムを入れていないので、旧校舎を巡回するのも用務員さんの仕事のようだ。
「実は今調べてる『七不思議』には、夜中に音楽室からリコーダーの音がしたり、家庭科室のミシンを使ってる幽霊が出るっていうのがあるんですけど……」
どうやら五年生や六年生の子ども達は、せっかくなので移動の時間も新聞委員として取材を進めるつもりらしい。
「うーん、そんな遅い時間に見回ったことはないからなぁ」
いくら用務員さんといえど、遅くても夜の九時ごろには帰宅してしまっているらしく、夜中に出るという幽霊には心当たりがないようだ。
「ああでも。昼間だけど、家庭科室からミシンの音が聞こえてくることはあるよ」
「えっ」
用務員さんの言葉に、子ども達の表情が凍りつく。家庭科室のお化けは、夜中だけに出るとは限らないのだろうか。
そんな話をしている間にも、一階の一番奥、目指していた家庭科室はもう目の前。
少しずつ開きっぱなしの扉へ近づくと、その向こうからカタタタ……カタタタ……と、誰かがミシンを動かしているような音が聞こえる。
「ああ、今日もしているなぁ」
「……ひぃ!」
なんでもないことのように言う用務員さんとは対照的に、新聞委員の子ども達は顔を真っ青にして抱き合い立ち止まった。なぜか薫と諒は、後方にいた響にくっついている。
尻込みする新聞委員の子ども達だったが、そのうち一人だけ、そろそろと家庭科室のドアへ近づいていった。四年生の新聞委員、大原弥亮くんである。
「……や、弥亮くんっ。あぶないよ!」
響に抱きついたままの薫が小声でいうが、度胸と好奇心の強い子なのだろう、四年生にしては少し大柄な身体をドアで隠したまま、その向こうをそーっと覗いた。
「……あれ?」
しかしすぐに隠れるのをやめ、弥亮は開いたドアの中央に立ち、家庭科室の中をキョロキョロと見回している。それでも中からは定期的にミシンの音は続いていた。
「弥亮くん?」
「誰もいない。お化けも、いないみたい」
「え?」
弥亮の言葉に、他の新聞委員の子ども達がドアへ駆け寄る。室内には大きな作業用の机が立ち並び、小さな丸椅子がその下にいくつも収まっているだけで、人影もお化けの姿も見当たらなかった。
しかし、相変わらず定期的にミシンの音は続いていて、音の出所がわからない。
「本当だ」「でもまだ動いてる音するね」「なんでだろう」
旧校舎に電気は通っていないので、ミシンなど動くはずもないのだが。
「ははは、理由がわかれば怖くはないさ」
用務員さんは、ドアの周辺で立ち尽くす新聞委員の子ども達の頭を撫でると、家庭科室の奥のほうへと進む。
それについていくと、大きな板の上にミシンがくっつき、足元には金属の板と歯車のついた不思議な機械──年代物の足踏みミシンが置いてあり、それがカタタタ……カタタタ……と音を立てていた。
「これ、ミシン?」
不思議そうに新聞委員の子ども達が見つめる中、用務員さんは足踏みミシンに近づくと、下の方で上下に動き続ける板を足で止める。
「そうだよ。足踏みミシンと言って、このペダル部分を踏んで動かすミシンなんだ」
用務員さんはそう言って、足元の板を踏んでみせた。すると板の上に置かれたミシンの、針の部分がカタタタ……と音を立てて上下に動く。
「本当だ、ミシンだ……!」
「すごく古いものらしくて、あちこち壊れてたり、台座も水平になってなかったりしててね」
用務員さんがミシン本体を載せている板を手で軽く押すと、全体がガタンと揺れた。その拍子に、ペダル近くの歯車が動き出してしまい、またカタタタ……と音を立て始める。
「こんな感じで、揺れるとすぐ動き出してしまうんだ」
そう言いながら、用務員さんは再びミシンを止めた。
「ここって、そんなに揺れるんですか?」
「ああ、ここは学校の敷地の端になってるだろう? 敷地のすぐ外は道路になってて、大型トラックなんかが通ると少し揺れるみたいでね。その振動がすごく強い時に動いて鳴るみたいだよ」
家庭科室の窓の外を見ると、ちょうど旧校舎の裏手が見える。背の高い雑草が生えた少し先に木が数本立ち並んでいるが、その奥は確か柵があるだけで、柵の向こう側には大きめの道路に繋がる道があったはずだ。
「夜中は特にスピードを出すトラックが多いから、ここも揺れやすいんじゃないかな」
「……なるほど!」
きっと昼間でも勝手に動くことはあったのだろう。しかし、日中は騒がしくて気付かれなかったり、壊れているからだと気にされることはなかった。
たとえ理屈は同じでも、静かな真夜中に動いていたら『ミシンを使うお化け』なんてものが噂されるようになっても仕方ないのかもしれない。
「そんな理由だったんだ」
新聞委員の子ども達はなるほどなぁと感心したようにミシンを見つめ、噂の理由となった足踏みミシンを写真に収めた。