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「喜山先生、教育実習初日はどうでしたか?」
放課後。
職員室の端っこ席で、響が実習日誌を書いていると、四年三組の副担任である雪野先生が、ゲスト用のカップに注いだコーヒーを差し入れてくれた。
「やー、めちゃくちゃ緊張しました」
響はコーヒーありがとうございます、と受け取ってひと口飲むのと、初日の感想をそんなふうに返す。
「でも、やっぱり実際に子ども達と過ごすのは楽しいですね。昼休みもみんなに学校を案内してもらったんですけど、すごくいろんなことを教えてくれるんで面白かったです」
昼休みに集団で学校を探索した時の様子を思い出し、響はついつい顔が綻んだ。
「初日なのに、すっかり打ち解けてましたね」
「はい、みんないい子でよかったです!」
響は再びコーヒーに口をつけながら窓の外に視線を向ける。中庭を挟んだ向こう側、暗い灰色の旧校舎が西陽の陰でさらに暗さを増して佇んでいた。
「そういえば、旧校舎のほうは案内してもらえませんでしたねぇ。鍵がかかってるって弟に聞いたんですけど、本当にもう使っていないんですか?」
「……え? ええ、そうね」
旧校舎の話を何気なく振ると、雪野先生が何故か少しだけ気まずそうな顔をする。
「旧校舎は老朽化もあるし、再来年の取り壊しが決まっていてね」
雪野先生の代わりと言わんばかりに、四年三組の担任である小柴先生がマイカップでコーヒーを飲みながら響の席までやってきた。
「だから今は誰も入らないよう、鍵をかけてあるんだ。入りたい時は用務員さんにお願いすれば開けてもらえるよ」
また、正門から旧校舎への通路付近には解体に向けた資材を置いてあるらしく、あの周辺そのものに近づかないよう、子ども達にも言ってあるらしい。
「そうだったんですね」
「まぁ、授業で使うことはほぼありませんし、子ども達も危ないから近寄ったりしませんよ」
声を少し上擦らせながら、雪野先生がどこか取り繕ったように言う。その様子に、小柴先生は苦笑していた。
「ふふふ、雪野先生はお化けが怖いだけでしょう」
「もー、小柴先生!」
どうやら雪野先生は『お化けが怖い』ことを響に知られたくなかったらしい。うっかりバラした小柴先生を、雪野先生が怖い顔で睨みつけていた。
そう言えば薫が「学校の七不思議の話はほとんどが旧校舎の話だ」と教えてくれたのを思い出す。
──あぁ、なるほどそういうことか。
年上で怖いもの無しの雰囲気がある先生だと思ったのだが、雪野先生の意外な一面に響は内心少しほっこりした。
「それに雪野先生は以前、旧校舎に火の玉が飛んでるのを見たことがあるから、余計に旧校舎が怖くて仕方ないんですよ」
雪野先生は何年か前、採点のために学校に夜遅くまで居残っていたら、旧校舎の三階の廊下を、丸い光がふらふわと飛んで消えていくのを窓越しに見てしまったらしい。
なるほどなぁ、と納得していると、雪野先生が何故かジーッと響の顔を見つめる。
「……喜山先生はこういう話、平気そうですね?」
「まー、そういう経験もほとんどないですし、自分は旧校舎で授業受けてた世代なので、怖いと思わないというか……」
響のあまりに平然とした様子に、雪野先生が何か閃いたような顔をした。
「あ! じゃあ新聞委員の子達の付き添い、喜山先生でいいんじゃないですか?」
「付き添い、ですか?」
話が見えない、という顔を響がしていると、頷いていた小柴先生がそれに気付く。
「うちの学校は、四年生からは月に二回、委員会活動の時間を設けてるんですよ」
「はい、ありますね」
「私と雪野先生は新聞委員の顧問と副顧問をしているんだけど、新聞委員は今度『学校の七不思議』を特集した校内新聞を作る予定でね」
「ああ、弟から聞いています」
各学年で何を取材するのか、の割り振りまで決まっていることは薫から聞いて知っていた。四年生はたしか『旧校舎のトイレのお化け』と『黒い本の秘密』を調べることになっているらしい。
「取材しにいく場所のほとんどが旧校舎になるから、雪野先生が嫌がってましてねぇ」
「だって怖いんですもん、旧校舎!」
たしかに、老朽化が進んでいて危ないとされている箇所に、児童だけで取材に行かせるわけにはいかないし、先生の同行は必須だろう。しかしその同行予定の先生が『お化け嫌い』では、何かあった時に逆にパニックになってしまいそうだ。
「そういうことでしたら、大丈夫ですよ! 私が行きますね」
「よかったー! ありがとう!」
本気で喜ぶ雪野先生に、ベテランの小柴先生も困った顔をしている。
──俺まだ、実習生なんだけどな。
そう思いつつ響は、新聞委員の付き添いなら、薫が頑張って取材をしているところも見られるなぁ、とそんなことを考えていた。