6-5
「諒くんを、返してください」
響の言葉に、三階の炎を見つめていた藤島の視線がゆっくりとこちらに戻る。このまま睨み合いを続けていても埒が明かない。
──そろそろ消防や警察が到着してもいいはずなのに。
サイレンの音は聞こえている。しかしこれだけ燃えているに、誰も近づいてくる様子がない。
響がチラリと正門の方に視線を向けると、それに気付いた藤島が小さく笑う。
「ああ、助けが来なくて気になってるんですか? しばらくは誰も来ませんよ」
「……は?」
「ここに来る前に正門や南門を施錠しておいたんです。そして、旧校舎へ続く通路は、解体工事準備の名目で資材がいくつもありましたよね?」
藤島の目が嬉しそうに細められた。目尻にはいつものようにシワがいくつも増えていく。
「今日は六年生の引率で先生方も少ない。子どもには運べませんから、今頃職員総出で道を作ってるんじゃないですか?」
「どうしてそこまで……」
「『呪い』は、完璧でないといけませんからね」
音楽室で起きる現象の検証を今日に指定したのは、藤島だった。
担当である六年生ではなく、興味を持っている薫たち四年生がやってくるようにするため、そして、消防車両が通れるように通路を片付ける人員を減らすために。
──確実に『手遅れ』になるように、か。
秘密を知っただけの人間を、どうしてここまで憎み、怯えるのだろう。
きっとそれは、それだけの罪を犯していると分かっているからだ。
「復讐も終えて、諒くんのお母さんも許したんじゃないんですか?」
「許せるわけがないだろう!」
響の言葉を遮るような、今まで聞いたことがないくらい、大きな声だった。
「結局、反省したふりをして、全てを赦されたと思い込んで! 人を一人死に追いやった自覚もなくのうのうと暮らしているなんて許せるわけがないだろう! 挙句、結婚して子どもまで作るなんて……! 若菜は! あの子は大人になることも出来なかったのに!!」
慟哭した藤島が諒の首をぐっと締めるように再び腕を上げる。
「うぅ……!」
「やめて! 諒くんが死んじゃう!」
堪らず薫が藤島に向かって駆け出した。
「薫!」
響が走り出した薫を制止しようと足を踏み出した、その時──。
ドォーンッ!
燃え盛る三階から大きな爆発音がした。音楽室の隅には、何が入っているのか分からない箱もいくつかあったので、それの何かが爆発したのだろう。
藤島が爆発音に気を取られ、頭上を見上げた。
──いまだ!
響はその隙に、と言わんばかりに藤島に向かって思い切り体当たりをする。
「……ぐぁっ!」
背丈も体格も藤島のほうが上ではあるが、体力や若さなら負ける気はない。
不意を突かれた藤島は、勢いよく後方に向かって倒れ、その拍子に諒を締め上げていた腕も離れた。
「ふたりとも、こっちだ!」
ゲホゲホと咳き込む諒を抱え、立ちすくんでいた薫の腕を引っ張り、響は正門のある方向に向かって駆け出す。藤島が倒れている間に、なるべく距離を取らなければ。
「……くそっ!」
しかしすぐに藤島は起きあがる。
やはり年齢を重ねていても、これだけのことを用意周到にやってきただけはあるのか、体力も執念も恐ろしい人だ。
「まてぇぇ!」
歯を剥き出しにし、恐ろしいまでに目を吊り上げて吠える様は、今まで見ていた用務員さんの時からは想像もできない姿をしている。
子ども二人を連れてあの恐ろしい『鬼』から逃げるのは難しいか、と思った次の瞬間。
ガッシャーン!
音楽室内でまた爆発でも起きたのか、窓ガラスが一斉に割れる音が激しく鳴り響く。
「うわああああ!」
藤島の叫び声に、響は思わず立ち止まって振り返った。
すると、割れたガラスの破片が、ちょうど真下にいた藤島めがけて大小いくつも降り注ぐところで。
「藤島さんっ」
ガラスの破片は幸いにも響達のところまでは飛んで来なかった。
しかし、まともに破片を浴びた藤島は、その場に蹲って動かない。
どうすることもできず、唖然とする響の耳に、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「喜山先生ー!」
「大丈夫ですかー!?」
声の聞こえたほうを見ると、正門側から小柴先生をはじめとした、他の職員達が、銀色の消防服を着た消防隊員達をつれて駆けてくるところだった。
藤島の思惑通り、せっかく駆けつけた消防車は工事資材で通路を塞がれて近づけずにいたらしく、ホースを長く繋げて消火活動を開始した。
その後何台もの消防車が裏道などにもやってきて放水を延ばし、旧校舎の火は数時間後に無事に消し止められる。
そして、星之峯小学校の用務員、鈴村さとること藤島哲は、放火と殺人未遂の容疑で逮捕された。