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月曜、実習日初日。
慣れないスーツを着た響は、かつての母校・星之峯小学校の体育館にあるステージの上で、校長先生に紹介された後、全校生徒に向かって短い挨拶をした。
「教育実習生の喜山響といいます! よろしくお願いします!」
星之峯小学校は各学年が三クラスあり、響が配属されたクラスは四年三組。弟の薫は四年一組なので、授業を受け持つことはないが、休み時間に少し顔を見るくらいはできそうである。
体育館であった全校朝礼の後は教室へ移動し、響は三十五人の子ども達の前でもう一度挨拶をした。
「じゃあ今日は先生が名前を呼んだら、喜山先生に覚えてもらえるよう、返事をしたら立ち上がって。そうだなー、じゃあ何か好きなことを教えてあげてください」
三組のクラス担任である小柴大地先生──黒縁メガネで白髪混じりの髪を綺麗にセットした男の先生がそう言うと、子ども達は元気に返事をしてくれる。
「はい、じゃあまずは──」
小柴先生がクラス名簿の上から順に名前を読み上げると、男の子も女の子もみんな元気な返事と共に立ち上がってくれるので、響は事前に受け取っていたクラス名簿を見ながら顔と名前を一致させていった。
──わかってはいたけど、名前、大変だな。
クラス名簿に並ぶ児童の名前に、響は内心焦りつつも子ども達にはしっかりと笑顔を向ける。
苗字はこの地域ではよく見るものばかりだが、下の名前のほうは見慣れない漢字や、あまり聞かない読み、カタカナで表記される名前も多くてなかなかに難しい。間違えないよう、名簿にはきちんとフリガナがついているのだが、ついつい慣れている読み方をしそうになってしまう。
「……名前、難しいですね」
朝のホームルームが終わり、職員室へ戻る道すがら、つい本音が溢れてしまった。
しかし四年三組の副担任である雪野あゆみ先生──明るい茶髪を肩のあたりまで伸ばした、三十代くらいの女の先生は、懐かしそうな顔で笑う。
「あはは、最初だけよー。大丈夫、そのうち慣れるから」
そう言って励ますように肩を叩いてくれた。
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午前中の授業が終わった昼休み。
教室の隅に設けられた実習生用の小さな教卓で、響が授業で使われたプリントを整理していると、給食を食べ終わった三組の児童数名がわらわらと集まってきた。
「喜山先生って、ここの卒業生なのー?」
「そうだよー」
「先生が小学生の時は、旧校舎って使ってたんですか?」
「うん、旧校舎で授業受けてたよ」
「先生! サッカー好きなんでしょ? どのチームが好き?」
「えーっとねぇ──」
子ども達は新しい先生に興味津々で、次々に質問をしてくる。
積極的で好奇心旺盛な子ども達の相手をしていると、教室の入り口に見覚えのある児童がやってきた。一組に所属している弟の薫だ。
「お兄ちゃん!」
「あ、薫」
響が気付いて顔を向けると、ちょっと照れたような顔をしつつも、やはり嬉しいのか、そろそろと三組の教室に入ってくる。
「喜山せんせーって、薫くんのお兄さんなのー?」
「うん、そうなんだぁ」
周囲の子ども達が羨ましそうな声を上げるのを、薫はなんだか恥ずかしくもどこか自慢げな笑顔で返していた。
「でも薫。学校では『先生』つける約束だろー」
「あ、ごめんなさぁい……」
兄弟といえど、響は先生の卵として学校に行くのだから、呼び方は気をつけような、と言っていたのだが、流石に初日は難しかったらしい。自分もつい、呼び捨てにしてしまったので、おあいこである。
「いいなー、薫くん。かっこいいお兄さんいてー」
「……えへへ」
昔から薫の引っ込み思案を心配していたが、小学校では少しずつ改善しているのか、他の児童とも上手くやっているらしい。
──やっぱり、母校での教育実習を選んでよかったなぁ。
可愛い弟が他人としっかりコミュニケーションをとっている様子を見れただけでも、星之峯小学校にきた甲斐があったな、と響はしみじみ感じていた。
昼休みということもあってか、教室は子どもの出入りが激しくなる。教室内にいる三組の児童を確認しようと室内を見回した響は、端のほうの席で一人、静かに本を読んでいる児童に気付いた。
三組の児童である、辻田諒くん。つい『りょう』と呼んでしまいそうな漢字の名前の子である。自己紹介の時も静かな声で、名前と「本を読むのが好きです」くらいしか言ってくれなかった子だ。
昼休みの小学生といえば、複数人でおしゃべりしたり遊んだりする子が大半で、もちろん静かに本を読むのが悪いわけではないが、午前中の授業でも基本的に自分から他人に関わろうとするところを見なかったので気になっていた子である。
弟の薫と同様に引っ込み思案で消極的な性格かとも思ったが、それともまた違い、なんだか影を感じてしまうので引っかかっていた。
──ちょっと話をしてみたいけど。あ……そうだ。
響はふと思いついて、自分の周りに集まった児童たちに改めて声をかける。
「ねぇねぇ、先生は小学生の時、旧校舎で過ごしてたから、今の新校舎のことは詳しくないんだ。せっかくだから、みんなで案内してくれない?」
「いいよー!」
積極的で心優しい子ども達は、みな快く返事をしてくれた。それならば、と響は改めて教室の隅の席にいる諒にも声をかける。
「ね、辻田くんも、よかったらどうかな?」
「えっ」
諒はやはり、自分は除外されているはずと思っていたようだ。案の定、戸惑ったような顔でこちらを見ている。
「諒もいこうぜー」
「そうそう、諒も詳しいだろー」
他の児童たちも普通に諒に声を掛けているところを見るに、やはりみんなから邪険にされているわけではないらしい。ただ、自分から無関心を装って、近づかないようにしているのだ。
それでも諒が躊躇っていると、なぜか薫がすすっと席のほうまで近寄っていく。
「ねぇ、諒くんも一緒に行こうよ!」
「……薫くんが行くなら、まぁ、いいけど」
薫から改めて誘われて、諒がようやく重い腰をあげた。
──あの薫が、友達を……!
響としては、薫が自分から友達を誘っているところを見て感動すると同時に、二人に面識があったらしいことにビックリして、心の内が少し騒がしい状態。過去に一緒のクラスだったことでもあるのだろうか?
「じゃあ、みんなで行こうか」
「はーい!」
響は子ども達を連れ立って、賑やかな新校舎探索へと出掛けた。