3-2
■
新聞委員の子ども達は、旧校舎探索が二度目ということもあってか、入る時に怖がるそぶりを全く見せなかった。やはり慣れと、放課後とはいえまだ明るい時間だから、ということもあるからだろうか。
「危ないから走るなよー!」
「はーい!」
前回は響と用務員さんの後ろにへっぴり腰でくっついて回っていた子ども達が、今はデコボコに歪んだリノリウムの廊下を、我先にと元気よく歩いている。
今回は三階の西トイレと音楽室の撮影がメイン。時間があれば、触ってはいけないバケツも探したいので、子ども達のやる気はいっぱいだ。
ステップの端が欠けたり、板材のズレた埃っぽい階段を三階まで上がり、最初の目的地である旧校舎の奥にある三階西トイレへ辿り着く。
問題のトイレは相変わらず窓からの明かりだけで薄暗く、個室はドアが全てきちんと開け放されたままで、時間の止まったように静かに並んでいた。
「よし、どう撮ろうか?」
「個室も撮った方がいい?」
トイレの取材担当の四年生、薫と弥亮、諒の三人は、授業でもよく使うタブレット端末を使って、相談しながらトイレの写真を撮り始める。前回はあんなに怖がっていたのに、今はさして気にせず、トイレの中に入ってしっかりパシャパシャと撮っていた。
一番怖がっていたように見える諒も、しっかり撮影していたので、取り越し苦労だったのかもしれない。
「……私の若い頃はあんなものありませんでしたから、なんだか不思議な光景ですねぇ」
子ども達が撮影する様子に、用務員さんはどこか楽しそうに言う。
響が小学生の時にもタブレット端末を使用した授業はあったものの、先生の見てくれる授業時間でしか使えなかったので、放課後も当たり前に使っている光景は確かに不思議かもしれない。
四年生がトイレを撮影している間、音楽室の取材担当である六年生が用務員さんに質問し始めた。
「あの、旧校舎の音楽室の秘密って、何か情報ありましたか?」
「ちょうど過去の日誌などを見ているけど、なかなか見つからないねぇ」
「そうですかぁ」
用務員さんの回答に、六年生の子はがっくりと肩を落とす。
「ごめんねぇ。そもそも、音楽室で聞こえるっていう、リコーダーの音みたいなものを聞いたことがないので、何が理由なのか見当もつかないんだよね」
「どんな音が聞こえるのか、実際に今も聞こえたりすれば分かりそうですよね」
頭をかく用務員さんをフォローするように、響はそう付け加えた。今のところ解明できた七不思議には、それぞれ科学的な根拠や歴史的な理由が『真相』としてきちんとある。なので残りの不思議にも、そういう明確な理由がありそうではあるのだが、そう簡単にはいかないらしい。
「撮影終わりましたー!」
そう言って四年生たちが響達のもとへ戻ってきた。
「ちゃんと撮れた?」
「うん!」
薫がそう言って、タブレット端末の撮影写真をパラパラと見せてくれる。
「おー、いいねいいね」
薄暗さも相まって、なかなかに雰囲気のある写真が撮れていた。これなら新聞記事に添えても、味わい深いものになるだろう。
「よし、次は音楽室に行ってみよう」
「はーい」
旧校舎の音楽室は、三階の一番奥の突き当たりにある。今いる西トイレからも比較的近くて、ちょうど出入り口のドア開いているのが歩いている廊下からも見えた。
「あっちですよね!」「いこう!」「早く早く」
「こら、危ないから走らない!」
新聞委員の子ども達が、奥に向かって楽しげに廊下を駆け出すので、響は慌てて注意する。そうは言ってもなかなか言うことを聞いてくれないのが小学生だ。
「先生、はやくはやくー!」
早々に突き当たりに辿り着いた子ども達は、出入り口前で無邪気に手を振る。
「あ、危ないから勝手に入るなよ!」
ようやく出入り口に辿り着き、興味深そうに中を覗く子ども達を下がらせると、響は息を吐きながら『音楽室』と古いプレートの掲げられた部屋を覗いた。
広々とした室内は、リノリウムの床の途中から、三段ほどの階段状になった木製のステージが置かれている。これは合唱や合奏の際に高さをつけて並べるようにするためのものだ。
「先生が確認するから、それまで入っちゃダメだよ」
子ども達に注意してから先に一人で中に入った響は、部屋の大半を占めるステージの板を足で何度か踏んでみる。全体的に大きく腐っている感じはなく、小さくキシキシと音をたてるだけでまだ頑丈なようだ。周囲を見回すと、さすがに楽器類は残っていなかったが、一番奥は空っぽの棚が並び、その上の壁に褪せたり破れたりしている音楽家の肖像ポスターが貼られたまま。
裏手に面した窓際の奥には掃除用具入れがあり、その周辺に別の部屋のものと思われる大量のカーテンや書類、何が入っているのか分からない箱など、妙な荷物が雑多に積まれていた。きっと各部屋の不要な物をまとめて処分するため、比較的広い音楽室に集めてあるのだろう。
それ以外に特に危険そうな雰囲気はなく、少し空気が籠っているのが気になるくらいだ。
「喜山先生、入って平気?」
音楽室の入り口で、響の確認待ちをしていた子ども達が待ちきれない様子でソワソワしながら尋ねる。
「うん、大丈夫そうだから入っていいよ」
響の言葉に、子ども達が嬉しそうに飛び込んできた。
「やったー!」「ひろーい!」
先日まで入るのを怖がっていた旧校舎だということをすっかり忘れてしまったかのように、子ども達は楽しそうに室内を走り回る。もしかしたらこの音楽室が少し古そうなだけで、他と比べて比較的綺麗なせいもあるかもしれない。
「コラコラ、飛び跳ねない!」
いくら綺麗に見えても、腐っている場所もあるかもしれないので、響はヒヤヒヤしながら子ども達を見守る。
「ははは、みんな元気ですねぇ」
後からのんびりやってきた用務員さんが、子ども達の様子を見て朗らかに笑った。それから、出入り口近くの窓を換気のためか一つだけ開ける。
窓を開けた途端、中庭で遊んでいるらしい子ども達の声が小さく聞こえてきた。
三階という高さもあり、やはり見晴らしがいい。放課後とはいえまだ明る時間で、梅雨の時期とはいうが雨の気配の全くない空が広がっていた。
「音楽室で起きる不思議なことは、リコーダーの音が夜中に聞こえる、でしたっけ?」
窓の外を眺めていると、用務員さんにそう聞かれたので、響は小さく頷く。
「はい、練習してるような音が聞こえるそうです」
「なるほど、そうですか……」
響の回答に用務員さんはうーん、と腕を組み、それから音楽室の壁に張り巡らされた、小さな穴がたくさん空いている木製の吸音材をコンコンと叩いてみせた。
「ご覧の通り、音楽室はそもそも防音がしっかりしてますし、窓やドアでも空いていないかぎり、外に音が漏れることはないんですよね」
出入り口は空いていたけれど、窓を開けないと外の音が聞こえてこなかったように、内側で鳴った音を旧校舎の外で聞くことはない。まして、旧校舎は用務員さんに鍵を開けてもらわないと入れないのだから、現状、夜中に音楽室から鳴った音を聴くことは不可能だろう。
六年生の子が音楽室の撮影を始めたので、他の子ども達が邪魔にならないよう、出入り口付近にやってきた。そして、用務員さんの隣で同じように腕組みをする。
「音を聴いた人がいないんならさ、体育館やトイレの話みたいに、音楽室で何か事故があったんじゃないかな」
「えー、音楽室で?」
「たとえば、音楽の授業で上手くリコーダーを吹けなかった子が自殺しちゃったとか!」
「リコーダー吹けないだけで自殺なんかする?」
「じゃあ上手くできないのがキッカケでイジメられたとか……」
「そんな理由でイジメられるかなぁ?」
薫たちが言いたい放題に言い合っていると、用務員さんが子ども達の頭を優しく撫でた。
「私もこの学校にそれなりに長くいるけど、今のところ音楽室で亡くなった子の話は聞いたことがないよ」
「そっかぁ」
「きっと何かしらの理由や科学的な原因があるんだろうけどね。それも肝心の現象に遭遇してみなきゃ分からないからなぁ」
家庭科室のミシンのように、実際の現象を見たり体験できれば一番早いのだが、こればっかりはなかなか難しいだろう。
「今、バケツの件も合わせて、過去の用務員日誌を調べているところだから、もう少し待っていてくれるかい?」
「分かりました!」
子ども達が明るく返事をするのを、用務員さんは目尻にシワを増やして笑った。
響はその様子を見ながら、腕時計を確認する。
残念ながら、子ども達はそろそろ下校させなければいけない時間。タイムリミットだ。
「さ、そろそろ校門を閉める時間だから、今日はここまでだね」
「えー!」「もうそんな時間?」「バケツ探したかったぁ!」
ブーブー文句を言う子ども達を、響は「はいはい、文句言わない」と宥めつつ、音楽室から連れ出す。
「先生も土日に調べておくから、今日はもう帰るよ」
そう言う響に、子ども達は渋々「はーい」と返事をし、全員で旧校舎の昇降口へと向かった。