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「……なんだこれ」

 雨の少ない六月の年、久々に実家へと帰ってきた大学四年の喜山(きやま)(ひびき)は、年の離れた弟・(かおる)の部屋で奇妙な本を見つけた。

 学習机の上に無造作に置かれていたその本は、黒くて布を貼ったような表紙の中央に『わかる』と、ただ一言だけ白文字で書かれている。

 そこそこ分厚いハードカバーの本で、手に取るとずっしり重い。背面にはバーコードなどが書かれている以外は何も書かれていなかった。背表紙の真ん中には表紙同様の『わかる』の文字と、下の方に聞いたことのない『さざ波出版社』という文字に、うねうねと波打つ六本のラインを格子状に組み合わせた形のロゴがあるだけで、著者名はない。

 背表紙の上の方には、図書分類のシールが貼ってあったので、学校の図書室で借りてきた本だということは分かった。

 ──もしかして、なにか悩んでいたりするんだろうか。

 弟の薫とはひと回りも離れており、現在は小学四年生。

 進学のため実家を離れるまで、薫は常に響にくっついて回るような子どもで、それが可愛くもあり、また不安の種でもあった。数ヶ月前に帰省した時は、まだまだ引っ込み思案なせいか「友達ができない」と言っていたので心配していたのだが、まさかこんな奇妙な本に手を出すほどに拗らせてしまったのだろうか。

 黒い本を前に、響がうーんと腕を組んで唸っていると、階下からトントントン、と誰かの駆け上がってくる足音。

「あ、お兄ちゃん、ここにいたんだ! おかえりなさい!」

 聞き覚えのある声に振り返ると、小学校から帰ってきた薫が、紺色のランドセルを揺らしながら部屋に入ってきて、久々に会えた兄に嬉しそうに抱きついてくる。

「あ、薫。……た、ただいま!」

 いつもならヨシヨシと、可愛い弟との再会を喜んで頭を撫でるところなのだが、響は少しばかり躊躇ってしまった。

 だって、あの黒い本を見つけてしまったから。

「どうしたの?」

 やはりいつもと違うと気付いたのか、不思議そうな顔で薫がこちらを見上げてくる。

 ここでなんでもないよ、と取り繕うこともできたのだが、心配と好奇心が勝ってしまった響は、学習机の上に置かれた黒い『わかるの本』を指差した。

「いやー。その、これさ……」

「え?」

 指の向くまま机に視線を向けた薫は、黒い本の存在に気付くと、アッと慌てた声をあげる。そしてすぐに椅子の上に降ろしたランドセルのフタを開けると、その黒くて怪しげな本をササッと中へ入れてしまった。

「……えへへ、なんでもない。なんでもない、よ」

 そう言いながら、薫はランドセルのフタを閉めると留め具をパチンと回す。こうしてしまえば、兄は勝手にランドセルを開けてまで追求してこないだろう、と言わんばかりだ。

 ──ご、誤魔化されてしまった……!

 オネショをしてしまった時も、幼稚園で好きな子が出来た時も、どんなに恥ずかしいことでも話してくれた弟が、怪しげな本については何の説明もなく、ただただ急いで隠してしまったのである。響にとっては、なかなかにショックなことであった。

「あ、おかーさんがオヤツあるって言ってたから、下に行こう?」

 少しブラコン気味の、大きな兄の心の内などまるで知らない弟は、何もなかったかのように手を引いて、階下のリビングへと向かう。響は少しばかり放心した状態で、薫に連れられるまま。

 到着したリビングでは、母がドーナツがいくつも乗ったお皿と、飲み物の入ったマグカップなどをテーブルに置くところだった。

「あらあら、相変わらず仲良しねぇ」

「えへへ〜」

 甘えん坊の弟が、大きな兄と手を繋いで現れたので、母は呆れたように笑ってリビングのソファに腰を下ろす。

「……あ。そのドーナツ、駅前商店街の?」

 テーブルに置かれたドーナツを見て、響はようやく先ほどの衝撃から我に返った。

「そうよ。あなた好きだったでしょう」

「うん、美味いよねここの」

 そう言って響はソファに腰を下ろすと、ドーナツに手を伸ばす。

 今回、響が実家へ帰ってきた理由は、明日から一ヶ月ほどかけて行われる教育実習のためだ。そしてその教育実習先は、小学生の弟も現在通っている、母校の星之峯(ほしのみね)小学校である。

「月曜からはいよいよ教育実習ね」

 ミルク入りのコーヒーと、ふかふかで優しい甘さのある懐かしい味のドーナツを堪能していると、母がニコニコしながらそう言った。

「うん。挨拶しに久々に行ったけど、新校舎めっちゃ綺麗だったね」

「お兄ちゃんが使ってたっていう旧校舎、まだ奥のほうに残ってるよ」

 ちゃっかり響の隣に座り、口の周りにチョコレートをつけた顔の薫が、牛乳を一口飲んでから教えてくれる。

「あー、チラッと見えたな。じゃあまだ使ってたりするのか?」

「ううん。いつもは鍵がかかってて入れないの。……でも、鍵なんかなくても、みんな近づかないよ」

「え、なんで?」

 自分にとっては懐かしい場所だが、何か不都合でもあるのだろうか? と純粋に疑問に思ったのだが、薫は少しばかりトーンダウンした声で答えた。

「……その、お化けが出るから」

 薫の話によると、星之峯小学校で噂されている『学校の七不思議』とされる怖い話のほとんどが、旧校舎で起きるということもあり、みんな怖がって近づかないらしい。

「あー、そういやなんかそんな噂あったなぁ」

 薫に言われて、響は遠い記憶を遡る。

 小学生の時の響は、毎日サッカーに夢中だったこともあり、あまりそういった噂話に興味がなかった。けれど、そういうみんなが口にするような噂話は、こちらから積極的に聞かなくてもクラスメイト達から聞こえてくるので、いくつかは覚えている。

「あんまり覚えてないけど、確かトイレに出るお化けが『トイレの花子さんじゃなかった』くらいしか覚えてないんだよなぁ」

 よくある学校の怪談で囁かれる『花子さん』はうちの学校にはいないのか、と驚いたこともあって、それだけは妙に記憶に残っていた。

 あとは確か、黒い本にまつわるこわい噂もあったような……。

「──あれ? もしかして、さっきの黒い本も七不思議のやつじゃなかったっけ?」

 思い出した顔で響が言うと、薫が少しバツの悪そうな顔で下を向く。

「……うん。実は今、新聞委員で『学校の七不思議』のこと調べてて」

 学校で新聞委員に所属しているという薫は、次回の校内新聞で特集する『学校の七不思議』のうち、『黒い本の秘密がわかったら呪われる』という噂について調べているというのだ。

 そしてその『黒い本』こそが、学習机の上に置いてあった『わかるの本』である。

「お兄ちゃんは卒業生だし、あの本を見たら危ないことするなって怒られちゃうと思って」

 だから薫はあの本を、ランドセルの中に咄嗟に隠したらしい。

 ──良かった。弟は病んでなかった……!

 響は内心、胸を大きく撫で下ろしていたのだが、弟の薫は知る由もないだろう。

「呪いなんてあるわけないし、薫がちゃーんと委員の仕事頑張ってるって証拠なんだから、怒ったりしないよ」

 そう言って響は薫の頭を優しく撫でた。

 怖がりなのに、与えられた委員の仕事だからと、責任を持って果たそうとしているなんて。

 二人の父は出張が多く、年の離れた薫の父親がわりにもなっていた響は、弟の成長に心の中で涙を流すほどに感動していた。

「ねぇねぇ。お兄ちゃんさ、しばらくはお家にいてくれるんだよね?」

 コップに入っていた牛乳を飲み干した薫が、上目遣いで何かを窺うような顔をする。

「おー、いるぞ。一ヶ月くらいはいるかな」

「じゃあさ、じゃあさ! お休みの日でいいから『メロンゼリーのクリームソーダ』作って!」

 薫のいう『メロンゼリーのクリームソーダ』というのは、冷やし固めてつくるメロンゼリーを細かく砕き、その上にバニラアイスを乗せたスイーツのことだ。

 まだ響が家を出る前、忙しい母に代わって時々作っていたオヤツで、見た目のインパクトもあってか、昔から薫の大好物なのである。

「いいぞ! 今度作ってやろうな」

「やったー!」

 両手を上げて喜ぶ薫の頭を、響は嬉しそうにもう一度撫でた。

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