ヒーラーだけ、いればいい~狂人ヒーラーによる布教活動~
「きゃああああーーー!」
少女の悲痛な叫び声が森林地帯に響いた。
彼女は足に矢を受けていた。必死に仲間を呼ぶが、誰も応えない。
仲間とはぐれ、ゴブリンの群れに囲まれてしまったのだ。
少女の名前はシャルル。ローブを身にまとった金髪碧眼のエルフだ。
シャルルは杖を振り回し、ゴブリンをけん制する。
「来ないでっ!ひっ、ヒール!」
シャルルは自身の足を回復して逃げようと試みる。
しかし、冒険者になりたての彼女では、傷口を止血する程度で精一杯であった。
背中に冷たい汗が流れる。視界の端が暗くなり、足元が揺らいで見える。
(――これじゃ、逃げられない……!)
「ゲヒェ、ゲヘェ、ゲヘ」
ゴブリンたちは黄色く濁った瞳をギラギラと輝かせ、よだれを垂らしている。
木製の棍棒を振り上げながら、シャルルの前後左右からじわじわと距離を詰める。
(こんなところで殺されるなんて嫌っ……!)
シャルルは痛みによって呼吸を乱していた。
全身を小刻みに震わせて膝をつき、ついに目を閉じてしまう。
(精霊様、助けて!!!)
前方のゴブリンが棍棒を大きく振りかぶり、シャルルに殴りかかった。
ドゴンッ!
その瞬間、物体がぶつかり合う音がした。
「あれ……? 痛く、ない?」
シャルルが恐る恐る目を開けると、見慣れない黒目黒髪の男が半裸で立っていた。
肩幅が異様に広く、まるで一枚の岩壁のようだ。
筋骨隆々の身体には無数に傷跡が走り、彼のこれまでの戦いを物語っている。
「杖にローブ。その格好はドルイドだろ? いいねぇ……俺好みだ」
そのときシャルルは、以前に冒険者ギルドで聞いた噂を思い出した。
下級冒険者に回復職ばかりすすめる、エドという名の狂人の噂だ。
曰く、上級冒険者なら一度はその狂人に助けられている。
曰く、そのヒールは失った腕を瞬時に生やす。
曰く、その蹴りはドラゴンの首を弾き飛ばす。
(噂話だと思っていましたが……)
ゴブリンの棍棒は、シャルルの眼前に現れたエドの腹筋が押しとどめていた。
エドにはまったくダメージがない様子だ。
「最近の冒険者は効率を求めすぎるが、それでどうにかなるのは序盤だけだ……」
エドはゴブリンから棍棒を奪うと、木の枝を折るような軽い動作で真っ二つにした。
「武器はいつか壊れる」
木の裏に隠れていたゴブリンメイジが火球の魔法を放つ。
エドはそれに瞬時に反応し、手のひらで撃ち落とした。
「攻撃魔法では結局、殲滅力が足りない」
エドの右手がじわじわと白い光を放ちはじめる。
(……あれは、ヒールでしょうか?)
「だが、ヒーラーはいい。必要なものはこの身一つ」
エドは瞬く間に移動し、先ほど棍棒を折られたゴブリンの頭を右手でわしずかみにした。
そして一言、呪文を唱える。
「ヒールっ!」
パシュッ!
ゴブリンの身体が内側から膨れ上がり、血霧を散らして弾け飛ぶ。
ヒールの過剰な回復力にゴブリンの身体が耐えきれず、弾けたのだ。
「そして何よりも、ヒーラーが一番強い」
「……ぐ、グロい。これがヒール……?嘘でしょ……!?」
シャルルは目の前の異常事態に声を失ってしまう。
彼女が知る「回復魔法」の効果とは全く異なる現象だった。
「少し見させてもらったが、君のヒールはよいものだった。これくらい君にもできるようになるさ」
エドはシャルルの足元をちらりと見た。
両腕をゆっくりと広げて、新たな呪文を唱える。
「では、さっさと片づけてしまおう。エリアヒールっ!」
回復の魔力が白い光となり、エドを中心とした円状に広がっていく。
パシュッ!
パシュッ!
パシュッ!
パシュパシュパシュパシュパシュッ!
手前にいたゴブリンが弾けると、その奥にいたゴブリンたちも連鎖するように弾けていく。
木々の後ろの視認できない位置からも、うっすらと赤い血霧が立っている。
まだ隠れているゴブリンがいたようだ。
「爆発っ……それもまたヒールだ……!」
エドは口角を上げて、やりきった顔をしていた。
「さすがにそれは違っ……!? ……あっ!」
シャルルはエドの意味不明な理論にツッコミせざるを得ず、立ちあがった。
すると、足のケガが完治していることに気づく。
(心なしか肌つやまでよくなっているような……いいえ、とにかく今はお礼を言わないと!)
「あの!ゴブリンを倒してくださって、それに足まで!本当にありがとうございます!」
「……辻ヒールは先達の務めだ。気にするな」
シャルルは助かったことに安心すると同時に、胸の奥がざわめいていた。
先ほどの戦闘によって戦うことに対する恐怖心がわき、冒険者としてやっていく自信を失いつつあった。
「どうしたら……そんなに強くなれるんですか?」
「とにかく、死なないことだ」
エドの答えはあまりに簡潔だった。
だが、その声には重みがあり、戦場を生き抜いてきた者だけが持つ説得力があった。
「戦場では生き延びたものが一番偉い」
その一言は、シャルルの心に深く刻まれた。
エドは周囲に魔物がいないことを確認した後、シャルルに背を向け、手を前後に軽く振る。
「ギルドへ報告にいくぞ。ヒーラーを放置するとは許せん。世界の損失だ」
エドは力強い足取りで歩き出し、シャルルも慌ててその後を追った。
歩きながらしばらくすると、エドのちいさな独り言がシャルルの耳に届いた。
「……この世にはヒーラーだけ、いればいい」
シャルルは一瞬、エドの言葉の真意を考えたが、その答えにたどり着くことはできなかった。
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