第6話 もう1人の目撃者
飯綱丸追跡の時に、典の後ろにいた天狗が尋ねてきた。
どうやらその天狗は、同盟と会っている飯綱丸や、それを見ている典を見たらしい。
「ガッカリしましたよ。」
そう天狗は言った。
翌朝。
飯綱丸は何事もなかったようにいつも通り出勤した。
典は昨夜衝撃的な場面を目にしてしまった為、飯綱丸と普段通り接する事ができるか不安だったが、意外にもいつも通り接することができた。
主人である飯綱丸に対し、”普段通り接する”即ち隠し事をする事が上手くなって来たことに典は若干の寂しさを覚えた。
飯綱丸が出勤し、いつもと同じ暇な時間が到来する。
一体、いつまでこんな芝居を続けなければならないのだろうか。
典の管狐という種族柄、欺く、という行為には慣れていたはずだが、やはりよくしてもらっている主人に対し嘘をつくことは抵抗があるものである。
今はどこか、飯綱丸様が遠い存在のように感じる。
あんな話を聞くまでは、あんな場面を見るまでは、飯綱丸様と私は主従関係は勿論のことだが、家族のような存在でもあった。しかし今や、飯綱丸様が敵のような、警戒すべき存在になってしまった。
もはや典が飯綱丸に向ける笑顔は偽物の笑顔なのである。
典はぼんやりと空を見上げた。空にはうっすらと残月が浮かんでいる。
思えばよく飯綱丸様と2人で月を眺めた。あの時は心から笑って、本心を言い合って、天体観測はめんどくさかったけど、そんなことももう思い出になってしまった───。
朝の太陽の光に照らされて薄くなっていく月が、飯綱丸との関係性を表しているようで、典は悲しくなった。
空から目を離したくない。視線を落とすと、涙が溢れてしまいそうだから。
しかしそんな典の存在を露知らずといった感じで無造作に扉が叩かれる。
こんな無造作に飯綱丸邸の扉を叩く人物を典は1人しか知らない。恐らく楓間だろう。
楓間ならば出ないわけにはいかないので、典は仕方なく玄関へ向かった。
扉の前で、涙が出てないから確認し、扉を開ける。
その瞬間、典は無造作に飯綱丸邸の扉を叩く人物リストにもう1人加えることになった。
立っていたのは、楓間ではなく──射命丸文であった。
「典さん、お久しぶりです。ところで立ち話は何ですし、上がらせてもらっても?」
そういうのはこちらが言うもんだろ、と典はあさましく思ったが、あまり怒るわけにもいかなかった。何故なら、飯綱丸が射命丸のことを認め、多少の無礼は許していたからである。
典は渋々、射命丸を上げることにした。
居間に到着し、座るやいなや射命丸は言った。
「お茶でも淹れてくれると嬉しいんですけど…。そこそこの速度で飛んできたので疲れているんですよ。」
「要件は何ですか。」
典は射命丸の要求を無視し、強い口調で言った。
物思いに耽っていたのを邪魔されたことや、先程から続く無礼な態度に腹が立っていた為である。
早くお引き取り願いたい。それが典の本心であった。
射命丸もそんな典の空気を察したのか、肩を窄め、じゃあ話しますよと話しはじめた。
「典さん、正直に答えて欲しいんですけど、昨日深夜、旧白狼天狗の詰所付近にいませんでしたか?」
典は仰天した。
見られていたか。もしや昨夜私の後ろにいた奴は射命丸だったのか?
典は冷や汗が出てくるのを感じた。私の事を見たと言うことは、恐らく飯綱丸様の事も見ているだろう。そして飯綱丸様は反天狗同盟との会談中。
よりにもよって射命丸に見られるとは!
典は動揺を悟られないよう慎重に言った。
「要件は何だと聞いています。昨夜の私の行動など聞いていません。」
射命丸の口から出て来たのは意外な言葉だった。
「…私は昨日、飯綱丸様がやつらと会っている所を見ました。典さんも恐らく、目にした事でしょう。私は正直、ガッカリしましたよ。独自で調査していくうちに、どんどん疑いが出てきました。でも心の中でどこか、飯綱丸様はこんな事をしないだろう、と思っていたのです。でも、昨夜確信に変わってしまった……。」
射命丸は大切な人を失ったかの様な表情をして、ため息を一つついた。
何故かは分からないが、典は気がつくと体が動いていた。
「お願い、この事を記事にしないで、お願い、お願いします。」
こんな事が世に出たら、恐らく飯綱丸の首は一発で飛ぶだろう。危惧していた”内側からの危険”である。
主人を守りたい、という一心で典は土下座にも近い体勢をとった。そして、プライドも何も捨て、射命丸に嘆願し始めたのである。
射命丸は驚いて、慌てて言った。
「や、やめて下さい、典さん。取り敢えず、頭を上げて。私、人に頭を下げられるのは慣れてないんです。」
典は暫く頭を上げなかったが、射命丸が泣きそうな顔で駆け寄ってきてやっと頭を上げた。
「どうして、そんな酷い事ができましょう。私は飯綱丸様に凄くお世話になった身です。新聞が売れなくて、私が道を外れてしまいそうだった時は、誰よりも引き留めてくれて。金銭援助も、幾度となくしてもらいました。その度に、出世払いだ、と笑ってくれて……。飯綱丸様が居なかったら私は今頃、生きているかもわかりません。」
典は少し驚いた。
まさか飯綱丸様と射命丸殿の間にそんな事があったとは。
「だから私、飯綱丸様を助けたいんです。恐らく飯綱丸様の行動が上にバレたら大天狗じゃ居られなくなるでしょう。飯綱丸様は、天狗を裏切るようなことは絶対しません。何か理由があるに違いない。でも、上はそんな事、考えてはくれないでしょう。だから私はやると決めたのです。飯綱丸様の手助けを。バレたら全責任を引き受ける覚悟です。」
射命丸は決意を語った。
典は何も言えなかった。彼女の意思は私なんかよりも何倍も固い。
「典さん。私と貴女は恐らく同じ志を持っているでしょう。貴女も飯綱丸様を助けたいはずです。私は貴女の味方です。今日、私は新聞記者の射命丸文、としてではなく、飯綱丸様に助けられた1人の鴉天狗、としてここに来ているのですから。」
射命丸はそう締め括った。
射命丸殿が固い覚悟をしているなら、私もそれ相応の覚悟をしなければならない。
典は「内密に」と言われていた、天魔と楓間との話し合いのことを射命丸に話すことにした。
「天魔様は知っておられたのですか…」
射命丸は驚いた様子だったが、天魔が飯綱丸に擁護気味だったことに安堵したようだった。
「ではその”2つの危険”から飯綱丸様を守る事が第一優先ですね。話の感じだと、恐らく楓間様も我々に協力してくれそうです。」
「守るって言ってもどうすれば……?」
「今のところ、出来ることはほぼないと思います。今我々が過剰に動いては、多分凶とでます。飯綱丸様に直接的な危険が及んでいない以上、飯綱丸様を見守るくらいしか出来ることはなさそうですね。」
典は若干もどかしく思えたが、射命丸の言う通りだ。下手に動いて飯綱丸や同盟に勘付かれては元も子もない。
「まあ今後も、2人で話し合う機会を設けましょう。典さんは飯綱丸様と一番一緒にいる方ですから、くれぐれもお願いします。私も、独自路線で見守りや捜査を行っていきますので。」
そう言って射命丸は帰ろうとした。
「あ…お茶も出さずに…ごめんなさい。」
典はハッと気がついた。相手が無礼な態度をとっていても、茶を出さないわけにはいかなかった。
「いいですよ、気にしてません。そんなことより、先程無礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。」
射命丸が逆に謝る。
典は、射命丸という鴉天狗を誤解していたな、と恥ずかしく思った。
いざ射命丸が帰ろうとした瞬間、窓からものすごい勢いで誰かが飛び込んできた。
楓間であった。
天狗は持久力はかなりある方である。しかし、息を切らし、青ざめている楓間を見て、これは只事ではないと2人は思うのだった。
飯綱丸に何かあったのだろうか。
射命丸と典は飯綱丸を守るべく手を結ぶ。
しかし、その時楓間が飛び込んでくる。
普通ではない楓間の姿に、2人は飯綱丸に何かあったのではと身構える。
──作者後記──
射命丸さんが出てきました。
最後、楓間が飛び込んで来ましたね。飯綱丸様に何かあったことは間違いなさそうです。
文、典コンビはこの先どう動くのでしょう……
今月中にあと1.2話は出したい……(願望)
あっ学生です。(唐突)
宿題やりつつ、これも頑張ります。
それではまた次回。