第5話 目撃
天魔から壮絶な話を聞いた日の夜。
典は目にしてしまった。
その日の夕方。
典はずっとそわそわしていた。もうすぐ飯綱丸様が帰ってくる。
天魔から壮絶な話を聞いた典は、飯綱丸に対して普通に接することができるか不安だったのだ。
しかし着実に時は流れていき、ついに飯綱丸邸の玄関の開く音がした。典は一度鏡で自分の顔を確認したのち、玄関へ迎えに行くのだった。
「飯綱丸様、おかえりなさいませ。」
典は、にこやかな笑顔(少なくとも典自身はそう思っている)で飯綱丸を出迎えた。
「ああ、ただいま典。」
飯綱丸は、特に疑う様子はなかった。典は内心ホッとしつつ、この調子を維持するのよと気合いを入れるのだった。
時は流れ、夕飯時。
夕飯までの時間は、顔を合わせることがほぼ無かったため問題はなかったのだが、夕飯となるとそうはいかない。
典は、恐る恐る飯綱丸と向き合って座った。するといきなり、飯綱丸が立ち上がって部屋を出て行った。
何だ、何かやらかしたのかと典は気が気でなかった。今の典にとっては、飯綱丸の些細な言動一つ一つが恐怖そのものだった。
天魔様からも何度も念を押された。その上で飯綱丸様にバレたとなると、どんな処分が下されるか分かったもんじゃあない。ていうか、考えたくもない。
しかし飯綱丸は、何かを抱えてニコニコ顔で戻ってきた。
「みろ、典。上物の酒だ。今日仕事で一本頂いたんだ。」
そう、飯綱丸が抱えていたのは一升瓶である。
典は自分が関係なかったことに安堵しつつ、ふと考えた。
飯綱丸様は以前は、翌日の業務に支障が出るからと週末以外は殆ど夕飯時にお酒を飲まなかった。しかしある時から急にお酒を飲むようになった…。勿論毎日ではないが。
しかし典は考えるのをやめた。恐らくあんな話を聞いたから、少し飯綱丸様に対して懐疑的になっているのだろう。別に飯綱丸様がお酒を飲もうが飲むまいが私にとっては関係のないことだ。
そう結論付け、典はお猪口を差し出すのだった。
さらに時は流れ、布団の中。
典は少々飲み過ぎたなと、一人反省会を開いていた。酒が回って饒舌になっていた為、何を話してしまったか分かったものじゃない。ただ恐らく──食後の飯綱丸の言動を見るに──午前中のことは話していないのだろう。
そして典は、食後の飯綱丸の行動を振り返っているときにふと気づいた。
「飯綱丸様……。全く酔っていなかったな…。」
確かに天狗は酒には強い種族である。しかし二人で一升瓶を開けたのだから、多少は酒が回っているだろう。しかし飯綱丸は、何の変化もなかった。典の様に饒舌になることもなく、顔も微塵も赤くなっていなかった。
典はその考えを振り払うかの様に頭をぶんぶんと振った。あれこれ考えるのをやめよう。少し飯綱丸様を疑い過ぎていたのだ。何らおかしな事はない。昨日の全く同じ飯綱丸様ではないか。
典は寝ようと目を瞑ってみる。
しかし、何もしないと不思議な事で色々な事が頭に浮かんでしまう。
(そういえば、飯綱丸様は反天狗同盟と接触してる可能性があるってことだけど、いつ会ってるのだろう…。もちろん仕事中は無理だろうし、かといって休日もほぼ私と過ごしていたし…。)
典は思った。もしかしたら飯綱丸様は反天狗同盟なんかと会ってはいないんじゃないだろうか。天魔様の話もあくまで”可能性がある”という体で話が進められていた。疑ってはいたものの、一度も断言はしていなかったではないか。
典は少し希望を見出した。
安心すると何故か眠気が襲ってきて、典はあっという間に眠りに落ちた。
しかし、典の小さな希望を無惨にも打ち砕く出来事が数時間後に起きるという事は、寝息をたてている典には知るよしもない。
数時間後。典は何かの物音で目を覚ました。聞き耳をたてると、どうやら廊下を歩く足音のようだ。なんだ、飯綱丸様がトイレに起きたのかな、典は再び寝ようとした。普段はこんな音では起きないのだが、どうやら今日はずっと緊張状態にあった為に眠りも浅かったようだ。
目を瞑りながらも足音は耳に入ってくる。すると典はおかしなことに気がついた。この家の間取り上、トイレに行くとすれば足音は徐々に小さくなっていくはずだ。しかし、現在進行形で足音は大きくなっている。
トイレではないな。典はそう感じた。
ならば、どこへ。考えるよりも前に、答えが出た。それは……、慎重に開けているのか音は小さめだったが、確実に玄関の扉を開ける音だった。
そして──典は気がつくと飯綱丸の跡をつけていた。酔いはとっくに醒めていた。
10月とはいえども深夜となれば寒さはかなり厳しい。典は薄着で飛び出したことに若干後悔しながらも、暗闇の中に浮かぶ飯綱丸の影を見失うまいと目を凝らした。
飯綱丸の尾行は、典の予想よりも早く終わった。山腹の小屋に飯綱丸が入って行ったからである。麓まで行くだろうと勝手に思っていた典は肩透かしを食った。
その小屋は元々白狼天狗の詰所として使われていたものだった。しかし白狼天狗師団の再編に伴い、各師団の担当地域が大きく変わり、その小屋は使われなくなったのだ。
幸運にもその小屋には窓がついていた。
典は数メートル離れた木の影に隠れ、そっと中を窺った。
まず飯綱丸が確認できた。そして、彼女と会っていたのは──天狗ではなかった。
天狗ではない山の妖怪、という事は即ち反天狗同盟の可能性が高いという事を意味する。
典はがっくしと肩を落とした。天魔は確かに、飯綱丸は天狗社会のことを思ってやっている、と言った。飯綱丸に悪意がなくても、敵勢力と自分の主人が接触している、という事実は典を落胆させた。
しかし典はいつまでも落ち込んでいられなかった。典よりも後ろで何か音がしたのだ。風などではない、人為的な音。典は直感的にそう感じた。
バレたらまずい。典は身構えた。すると、その音の主は、典にバレたと思ったのか諦めて飛び去って行った。そのシルエットは、鴉天狗であった。
飛び去る時の音は、かなり大きかった。静かな深夜だから、かなり響くだろう。ここに誰かいたということを中の人達に感づかれたらまずい。
それに、もう飯綱丸様を尾行する必要はない。答えは全て出た。
典は眠い目をこすりながら、複雑な気持ちでそっと家に帰るのだった。
飯綱丸の反天狗同盟との接触が決定的になってしまった。そして、典以外の何者かが飯綱丸と反天狗同盟との会合現場を目撃したということも。
次回、飯綱丸についに”一つ目の危険”が降り注いでしまう!?
──作者後記──
前回の後書きで「飯綱丸様と典以外の東方キャラを出す」と書きましたが、出てきましたね、今回。
どこに?と思うかもしれませんが、それは次回判明すると思います。
最後の鴉天狗、誰なんでしょうね………。