炎の枝
異郷の畔、強い風が渦巻き周囲の砂を巻き上げている。
それは天高く空を舞い、砂嵐を起こしていた。
嵐の中心にその聖女は佇んでいた。
遥か遠くの空の果てに、全ての元凶が今も座していることをその聖女は知っていた――。
「もうずいぶん長い事放ったらかしなものだから、抜けないかもしれない。」
「そうね。というかそもそも、古剣っていうのはひどく気まぐれなものじゃない?」
グレゴリオとエクレールは、村の礼拝堂から120歩ほど歩いた場所に来ていた。
二人は今、異郷の境に向かい、炎の枝という剣のある台座を目指しているところである。
「気まぐれか……言い得て妙だね。」
剣というものは、実のところ生き物のようなものなのだ。経験は物にもしっかりと宿る。それは長い年月をかけて成熟し、やがて自我を持つ。
「野良の剣に頼るのはあまり気乗りしないのだけど。」
「それじゃあ丸腰で挑もうっていうのかい?」
「そういうことじゃないわ。ただ新しい物があればそのほうがいいと思うの。」
古い剣は経験からか少しばかり我が強くなりがちで、使用者の力量に依らず、まるで使い物にならないこともある。どんな達人でも剣に嫌われているとその剣では紙すらもろくに傷つけられない、なんて事態も起こり得る。
確かに使いこなせば無類の強さを誇るのだが、嫌われる可能性のほうが高い故、大抵の剣士は変な自我のない若剣や鋭い鉄の棒を振っていたほうがマシだという結論に至る。
さて、そうこうしているうちに、二人は異郷の端まで来た。
外へ向かう景色はすべて、ほとんど均一な荒野、ところどころに立ち枯れした木がある程度のもの。
後ろを振り返れば村への道には霧が立ち込めている。
二人は村の方向を見失わないようよく気を付けながら、異郷の端に沿って歩き始めた。
どこまで行っても同じ景色ばかりが続いている。いい加減飽き飽きしてきたところでようやく、砂嵐の巻き起こるやけに風の強い場所へたどり着いた。
「ねえ。」
「なんだい?」
「あれ、どう見てもろくな結果にならないと思うんだけれど。」
砂嵐の中心にはむき出しになった石造りの階段と高くなった広場、そしてその中心へ斜めにつき立った黄金色の剣があった。
砂嵐の周囲は心なしか少し熱い。エクレールは嫌なのどの渇きを感じた。
「炎の枝だよ。もう何時の時代の物かはよくわからないけれど、やる気は十分じゃないかい?」
「あのね……。」
グレゴリオはどうも、あれをやる気の印だと思っているようだが、剣が持つやる気など絶対にろくなものではない。エクレールにはそういう確信があった。
「はぁ。仕方ないわね……。」
正直、台座に近づきたくないどころか今すぐこの場から離れたいエクレールだったが、せっかくここまで来たのだから試すぐらいはしてもいいだろう、そう思い決意を固める。
「ふう。どうせ死なないんだから、大丈夫よ。」
エクレールは自分へ言い聞かせるようにして何度も大丈夫と口にした。
彼女の後ろで、グレゴリオは黙ったまま舞い上がった砂を眺めている。
剣の周囲はずいぶんと熱いらしく、それが起こす上昇気流は砂を巻き上げ、砂嵐の柱を形成していた。
エクレールは吹き荒れる熱風の中に一歩ずつ入っていく。
肌を焼く温度、砂が溶け込んでいた汗は蒸発し、体にはざらざらとした感触だけが残り、それも風にさらわれて少しずつ消えていく。
目を開けていられないほどの熱と乾燥。もし剣に触れれば、この手は無事で済まないかもしれない。
それでもエクレールは唇を固く結んだ表情のまま突き進む。
体が痛い。体中の皮膚が真っ赤に染まり、風につけられた裂傷が1つ、また1つと増えていく。
まとった襤褸衣に血がにじむ。それでも風はやまない。
「っう……。」
ようやく、剣に手が届くところまで来た。
薄目を開けてその柄の位置を確認する。
一瞬の逡巡。
そして一息に、エクレールは両手で剣の柄をがっしりとつかんだ。
その瞬間、彼女は熱の存在も風から受けた痛みすらも忘れて、目を見開いた。
風が止まる。
舞い上がった砂は一斉に落下をはじめ、エクレールを中心としてすべての存在が静寂を取り戻した。
剣の柄は、思っていたよりも熱くなかった。
否、エクレールの手よりも冷たかったその剣は……。
「私……あなたを知っている?」
かつて天界にて授かった愛刀とそっくりな形で、エクレールの手の中に納まっていた。
あまりにも不可解な出来事に、エクレールがあっけに取られていると、後ろからぱちぱちと拍手の音が近づいてきた。
「おめでとう。うまくいったね。」
「ええ……。」
グレゴリオはことが順調に進んでいることを喜んでいる。足取りは軽く、まるで一仕事終えたかのような顔だ。
実際には安全なところでただ突っ立っていただけだったのがこの悪魔である。
それを考えるとエクレールは少し腹が立ってきた。
しかし、手の中にあるこの剣を見ると、そんなことはもうどうでもよくなった。
どうして、こんなにもそっくりな剣が地上に刺さっているのだろう。
それも村のはずれに、誰も寄り付かないようなところで何年も。
「グレゴリオ。」
「……はあい?」
「この剣、具体的にどれぐらいの年数あの場所に刺さっていたのかしら。」
「さあ?大体400年ぐらいじゃないかな?」
「そんな昔から貴方は存在していたの?」
「さあ。実のところ僕は自分の生まれた日が一体いつ頃なのかわからないんだ。地獄には太陽はないし、天山も無ければ月もないからね。剣については僕も人から聞いただけで実際に立ち会ったわけじゃないから、本当かどうかはわからない。」
どうやらこれ以上めぼしい情報はグレゴリオから出てこない様子だ。
しかし、エクレールは望みがなくとも己の中に生じた疑問をおさえておくことができなかった。彼女は食い下がる。
「それじゃあ、貴方は一体誰から、何時その話を聞いたの?」
「ん~。誰だったかなぁ……確か名前はガルムーンとか、ガノルモンみたいな感じの……え~。ゴルザンド、だったかな?彼に会ったのは大体80年ぐらい前の話さ。」
「……それで、そのゴルザンドは一体どういう人だったの?」
「普通の人だったよ。まあ、ちょっと態度が大きかったかなぁ~普通のゴルザンド。」
普通のゴルザンドは、一体いつから生きているかわからない悪魔に対し、尊大な様子で400年も前の出来事を語って聞かせたようだ。
ゴルザンドが実は普通じゃなかったか、グレゴリオにとっての普通の人という基準がおかしなものでない限り、十中八九知ったかぶりか他人からの又聞きだろう。400年以上生きられる人間などエクレールは聞いたことがなった。
それに、400年前という情報があっていたとしても、この調子では当時の状況まではわからないだろう。
「あとでルィーリーに尋ねてみようかしら。」
「ルィーリーさんはこの村の出身のはずだけど、知らないと思うな。」
「どうしてそう言い切れるの?」
「だって、僕は彼女が生まれたときからこの村に入り浸っていたからね。彼女、今23歳ぐらいだと思う。」
グレゴリオの言葉を聞いて、エクレールは落胆した。
結局、この悪魔こそが村の近辺では最も剣の歴史を知っている可能性が高い人物であり、彼が知らないという事はつまり剣に関する情報はもはやほとんど残っていないと予想できたからだ。
「まあ仕方ないわね。とにかく今は聖女退治よ。」
「そうだね。ルィーリーさんに会いに行こう。剣以外にも用意しておくべきものはたくさんあるからね。」
それから、村の方へ戻った二人はルィーリーに事の顛末を説明した。
ルィーリーは驚いた様子だったが、すぐに村人たちに話をつけて、今夜にでも聖女退治に出発できるような準備を整えると言い出した。
エクレールは張り切っている彼女たちには悪いと思ったが、砂嵐で受けた傷のこともあって、さすがに今夜は休みたかったのでその旨を伝えると、出発は明日の朝という事に決まった。
その後の村は大忙しだった。
グレゴリオはエクレールが思っていたより案外頼りになるものだった。
さすがは長い間この村とかかわりを持ってきただけあって、このあたりの事情については熟知している様子だ。
しばらく彼は村中を駆け回っていたが、最終的には村人たちの方から彼の下へ集まってくるようになった。
あれよあれよという間に話は進み、村人たちは聖女との戦いに備えて各々の持つ道具や、武器、防具などをかき集めてきた。
エクレール渡されるがまま、広場に持ち込まれた装備品を1つずつ手に取って、その使用感を確かめた。
グレゴリオは装備品よりも村人たちとの雑談に意識を割いている。
村人たちが全員で戦うには全く足りないが、エクレールとグレゴリオの二人が使うには多すぎる装備品たちの多くは、結局村人たちが持って帰ることになった。
エクレールが纏うかつて天界で授かった聖衣は、空からの落下などによって今や襤褸衣と化していた。これでは防具どころかそもそも衣服としても心もとない状態故、見かねた村人たちの好意で彼女はいくつか服を恵んでもらえた。
エクレールは聖衣を手放すつもりはなかったが、確かに裸に近い防御力で魔物との戦いに出向く気もなかったので彼らの好意を受け入れることにした。
それに加えて鉄の兜を受け取ったエクレールは軽い食料を皮の鞄に入れて準備を終えた。
グレゴリオはというと、旅支度は初めから済んでいたようなものだったが、村にあった小さな丸い盾と大きな四角い盾のどちらを持っていくかで悩んでいる様子だった。
空が暗くなっても悩んでいるものだから、見かねたエクレールは丸い盾を彼が背負った大きな本の上にかぶせて、大きくて取り回しの悪そうな四角い盾をさっさと村人に帰してしまった。
グレゴリオは少し驚いていたが、特に文句も言わず、そのまま二人は明日に備えて村の宿へ向かった。
そして、聖女退治の日がやってきた。