遺跡村
その村は遺跡村と呼ばれていた。
名の由来は古き遺跡に築かれたという、至極単純なものだった。
石材を用いて作られた多くの建物は、彼らが住み着く遥か昔に造られ、放棄されたものだ。
「この村の人々はルコの森とともに生きてきました。」
ルコの森。エクレールが天界より堕ちて初めて立ったその森が、彼らにとっては家も同然の土地であったようだ。
ルィーリーは続ける。
「かつて、この森を統治していた領主がおりましたが、彼は悪魔に取り憑かれていたと言われております。」
その言葉を聴いて、エクレールはすかさずグレゴリオの方を見た。
「なんだい?」
「なんだい?じゃないわよ。」
「えっとその、この悪魔さんはなんというか、邪念が感じられないというか……とにかく、その領主に取り憑いていた悪魔は既に討伐されていますから大丈夫ですよ。」
「そう……。」
「はい。それが討伐されたのは、20年前です。当時この村に訪れたとされる、さすらいのエクソシストの手によって。」
「そのエクソシストっていうのは?」
「もう死んでしまいました。討伐後も滞在していたそうですが、どうも病弱だったようで。」
「なるほどね。」
エクソシストになるものは、人の身に余る祝福を宿している。祝福はその者に大いなる力を与えるが、同時に命を喰らい尽くす病ともなる。
大抵のエクソシストが短命である、というのは世界の常識だ。
「彼が残した様々な術は、今も私たちを守ってくれています。おかげで今日まで目立った被害もなく。」
「だけれど、この村は本来もっと人が住んでいたのではなくて?」
「……その通りです。被害がないとは言っても、これまで通りの生活とはいきませんでしたから。」
ルィーリーの表情からは長く蓄積された疲労の色が見て取れた。村を去った人々と残った人々との間にはひと悶着あったようだ。
「鋭いね。天使さん。」
「見くびってもらっては困るわ。これでも昔はちゃんとした天使だったんだから。」
「ふぅーん。」
キョトンとした顔の小さな悪魔は相変わらず、何を考えているかわからない。
今も窓の外に見える小鳥へくだらない呪文を試し続けている。
水浴びをしているその小鳥は、小さな鉢の上で巻き起こる津波にさらわれて地面へと押し流される。少しもしないうちに鉢植えの中に戻ってきては、また押し流されるというのを繰り返していた。
どこかその様子は遊んでいるようにも見える。
エクレールは窓の外に見える奇妙な景色から目線を外した。深呼吸をして、ルィーリーに尋ねる。
「……先程、貴女は彼から邪念が感じられないと仰ったわね。」
「はい。」
「貴女は……もしかしてエクソシストかしら?」
これまで二人の問答に特段興味を示した様子のなかったグレゴリオは、その言葉を聞いた途端ぎょっとした様子でエクレールを見た。
「いえ。わたしはエクソシストではないんです。」
「でもさっきのは……悪魔を見分けることができるかのような意味に聞こえたのだけれど。」
「ええ。私は悪魔を祓うことは出来ませんが、それらの脅威から身を守る術を知っています。」
エクレールは頷いた。
なるほど。彼女はエクソシストの素質はあっても、戦士ではないようだ。
「そうね。貴女のような人が悪魔と戦うのは美しくないわ。」
「戦いに美しいなんてあるのかい?」
「いいえ。……だからこそよ。」
エクレールはルィーリーのような心優しき女性が残酷な戦いに見を投じるべきではないと考えている。故にそれは彼女の価値観に沿えば美しい形ではないということになった。
「人には皆使命があるの。それはひとりひとり違うものなのよ。だから彼女が無理に戦うなんて決して正しいことではないわ。」
「ふーん……難しくて僕にはわからないな。」
グレゴリオは興味がなさそうにまた小鳥の遊びに戻っていった。
ルィーリーは少しの間をおいてから、再び話し始める。
「それで悪魔が討伐されたのにどうしてまたこんな話をするのかと言うと、ここ最近になってまた村に脅威が訪れたからなのです。」
「それを起こしているのが、例の『聖女』だと。」
「はい。」
ルィーリーは苦しそうな顔をしている。どうにも聖女という単語は彼女にとって特別な意味を持つらしい。
「現在、この村は結界の中にあります。……正確にはルコの森からは隔絶した空間にあります。」
「異郷、異界と呼ばれる場所だね。」
さっきまで静かだったグレゴリオが口をはさんできた。
「君はこの村に来た時、どんな感じがした?」
「よくわからなかったわ。貴方がちっとも説明してくれないものだから、ずっと騙されているとばかり思っていたぐらいですもの。」
「そのことに関しては謝るよ。」
「まあ、なんとなくわかったわ。要はこの村へ入るには、ルコの森で何らかの条件を満たさないといけないってことね。」
「そう。まあ基本的にこの村を知っていて入ったことがあるっていうのが条件だよ。ね、ルィーリー。」
「はい。基本的に訪れたことのある方以外は、通さないようにしています。」
「……え?」
ルィーリーの言い方に、少しの違和感を抱く。
「どうかされましたか?」
「いえ……なんでもないわ。」
エクレールには素性の明けないルィーリーにたいして少しの疑念を抱いていたが、未だ要領を得ないその疑いは、まだ表に出すべきではない。
なにより、そばにはもっと素性の明けないモノがいるのだから、まずはそっちを見極めるべきだろう。エクレールは問いを喉の奥へと押し込めた。
「はい。この村の結界については大体わかったわ。それじゃあ聖女の詳細について教えてもらえるかしら。」
「わかりました。」
そうして、エクレールは村を脅かす聖女の姿を知ることとなった。
聖女という呼び名は、かつての彼女を象徴する言葉である。
悪魔付きの領主によって長く苦しんできた人々をまとめ上げ、この地域が食べるのに困らない部落へと導いたのは紛れもなく彼女の功績だ。
エクソシストは様々な知識を持ち込んだが、それを実践したのは聖女を筆頭とする村人たちで、彼らは今も継承され続ける悪魔祓いの伝統を作り上げた。
そんな聖人がなぜ厄災となってこの地を脅かす魔へ堕ちたのかというと、彼女がエクソシストの禁術を実践してしまい、その結果魔物に転じたが故だという。
エクソシストはその性質上、悪しきものを祓う技術を持ち合わせている。しかし時にはその過程で、相手の力を取り込んだり、吸収することもあるのだ。自らの身に魔を重ね合わせ、その力をもって敵を討つ。祝福を授かりし身体であるからこそ可能となる奥の手。
彼は自身の技術を継承してくれるものを探していたが、村においてその素質がある者というのはごくわずか。
そんな中、兆しを見出された聖女が、それらの技術を継承したのだ。
実践する必要がなければ、特に危険もないとして、エクソシストや村人たちは聖女の手に技術が渡ることを了承し、継承はつつがなく行われたとされている。
誰もがただの知識だから大丈夫だと、そう思っていた。
しかし無情にも、彼女はそれを実践しなければならない時がやってきてしまったのだ。
数十年前、天上より降り注いだ星の数々が地上を次々と焦土に変える大天災が起こった。
「メテオ」と呼ばれるその現象は、3日にわたって炎の雨を降らせ、数々の村や町、国すらも滅ぼした。
幸いなことにこの村にはまだ聖女が残っていた。
彼女は禁術を使って村を守り、その後魔へと転じて森に姿を消した。
そうして長い年月にわたって姿を見せることはなかったが、最近になって目撃され、その姿と性質から村の人々には恐れられている。
「彼女は未だ、厄災の中にいます。どうか、解放してあげてください。」
「……そうね、出来ることなら私もそうしたいわ。」
「……やはり難しいでしょうか。」
ルィーリーにとっては、一縷の望みだっただろう。
しかしエクレールにとってそれを祓うことが何を意味するのか。
魔物の討伐となれば、エクレールは天使の力を必要とするだろう。いくら力が残っているとはいえ、全盛期と比べれば貧相なものだし、なによりその力は今や、堕天使となった自分すらも焼き尽くす。
「私は天使ではないの。」
「わかっています。ですがこの土地にはもはや、神聖は残されていません。」
「……嘆かわしいことね。」
エクレールは膝の上で手を組んで静かに瞬きをした。
一瞬、ルィーリーの頭上にうっすらと光る啓示の星を見たような気がしたが、都合のいい雲の切れ間が丁度エクレールの視界を白色に染めたせいで、それが本物かどうかはよくわからなかった。
啓示の星は、神の言葉を授かったものの頭上に現れる小さな光の印のことだ。
……まあ、彼女がそうだと知っても、エクレールにとっては何の影響もないのだから、特段気にすることでもない。
紅茶はすでに元の温度を失って、エクレールの渇いた唇を冷たく潤す。
「カップは頂きます。」
「ありがとう。美味しかったわ。」
エクレールが紅茶を飲み終えたあと、ルィーリーは静かに食器を下げて、礼拝堂の奥へと入っていった。
「ねえ、本当に引き受けないつもりなのかい。」
「今の私にはその力も、資格もありはしないもの。」
「だけれど、君は天使だろう。」
「私はもう天使ではないのよ。」
エクレールは自分自身に言い聞かせるように、もう一度その言葉を言った。
「嘘つき。」
「そうね。私は嘘つきな堕天使だわ。」
いつの間にか、窓の外で遊んでいた小鳥はいなくなっていた。
音を立てて吹く風が、雲をものすごいスピードで運んでいく。礼拝堂に差し込む光は絶えず途切れては差す様子にエクレールは瞠目した。
「随分と風が強い日なのね。」
「彼女の機嫌が悪いんじゃないかな。」
聖女。強い魔物には天候すらも左右する力があると云われる。
この村が異郷に逃げ込んでいるという状況から、それだけの力を持っている可能性は十分に考えられた。
「力が足りないと思っているのなら、ほかの力に頼ればいいんじゃないかな?」
「何かあてでもあるの?」
「1つだけ。村のはずれに、古い剣が刺さってるんだ。」
エクレールは剣の名前を尋ねた。
グレゴリオは、少し悩んでから答えた。
その剣の名は、炎の枝と呼ばれていた。