番外編 犬(狼)耳になる前の物語
リリアーヌ嬢に初めて出会ったのは、剣を習うために親に無理に連れてこられた先代騎士団長ルードディア卿の屋敷だった。
多くの祝福を受けていても、成長期の体はそれを受け入れるには不十分で、いつも熱を出しては寝込んでいる子どもだった。
剣を習わされたのは、そんな俺を心配した両親の親心だっただろう。
けれど、はっきりいって痛くて苦しい剣の練習には全く興味がなかった。
けれど、その場所に俺の運命は確かにあったのだと今では思う。
***
そう、あの日。無理矢理参加させられていた過酷な訓練にとうとう耐えきれず抜け出したとき、彼女と出会った。
「あ……」
本を抱えて俺の前を通り過ぎていった彼女は、まん丸の美しい翡翠のような瞳、そして淡い茶色の髪の毛を二つに結んでいた。
目が釘付けになって、時間がゆっくりすぎていったような気がした。
そう、俺は一目で恋に落ちてしまったのだ。言葉すら交したことがなかったのに。
彼女は俺に気がつくこともなく、嬉しそうに真新しい本を抱えたまま通り過ぎていく。
そのとき、彼女が抱えている本の題名に俺の視線は釘付けになった。
――騎士功績学
その本は俺とそれほど年が違わない少女が読むには、あまりに難しい内容だった。
「騎士……功績学」
「あら? あなたも騎士功績学に興味が!?」
通り過ぎかけていた少女は、頬を染めてあまりに嬉しそうに笑い、俺の心臓を撃ち抜いた。
名を名乗れば、彼女は俺を「ディオ」と呼んだ。
残念なことに、その名で呼んでもらえたのは、俺が侯爵家の人間だと知られるまでの短期間だったが。
騎士功績学について調べてみたところ、それは騎士の活躍をときに文章として、ときにデータとして残す学問だった。
その学問は、歴史から現在の騎士の活躍の分析と多岐にわたる。
「騎士になれば……リリアーヌ嬢に興味を持ってもらえるだろうか」
不純な動機ではあったが、その日以降訓練に真剣に取り組み始めた俺が知ったのは、彼女が先代騎士団長ルードディア卿の孫娘で、難関である中央図書館の司書官になることを夢見ているということだった。
もともとの祝福をコントロールできるようになり、めきめきと腕を上げた俺にルードディア卿も目をかけてくれた。
貴族令嬢が、職業に就くことを良く思わない人間は多い。けれど俺は夢に向かう彼女を心から応援していた。
ある日の訓練の終わりに、思い切って俺はリリアーヌ嬢の夢についてルードディア卿がどう思っているのか聞いてみた。
やはり、ルードディア卿は眉間のしわを深めた。
「……まあ、学ぶのは良いことだ。だが、ルードディアの娘として司書官として働き続けるなど許せるはずもない。それなりの家に嫁に行き幸せになってもらいたい」
「……夢を叶えるのは、いけないことですか?」
「……リリアーヌの両親は、司書官だった。しかし、王国の秘密を知りすぎた二人は不審な死を迎えた……」
「っ、そのことをリリアーヌ嬢は」
「知っている」
「そうですか……。それを知った上で、彼女は司書官を目指しているのですね。……ところで、俺もリリアーヌ嬢の結婚相手として立候補しても良いでしょうか?」
「うん? 構わないが……。夫は俺よりも強い人間と決めているぞ」
猛将と呼び名高いルードディア卿は、今でも王族の剣の指南役をするほどの実力だ。
だから、彼に勝つほどの実力を身につけるなら、そして司書官になりたい彼女の夢を叶えるなら……。
「騎士団長になります。どうか、俺を鍛えてくださいませんか?」
「……動機は不純だが面白い。だが、最終的に選ぶのはリリアーヌだぞ?」
「もちろん、理解しています」
その日から、過酷な訓練の日々が始まった。
「どうぞ?」
「ああ、リリアーヌ嬢、感謝する」
ルードディア卿にしごかれる俺にリリアーヌ嬢は時々お茶を差し入れてくれた。
騎士団長になる三年前まで、俺はルードディア卿の家に通い続けた。
そして、司書官試験を首位で合格したにもかかわらず推薦状を手に入れられない彼女のために一通の手紙を差し出したのだった。
――推薦状に騎士団長としての俺の名を記して……。
番外編お楽しみいただけたでしょうか……?
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