消えた騎士団長
***
翌朝、私はいつも通り職場に出勤した。
あのあと、フラフラとよろめきながら出掛けてしまった祖父の後ろ姿が目に浮かぶ。
本当に私のことを厳しくも大切に育ててくれた祖父は、昨夜帰ってこなかった。
私は、子ども時代から聞き分けの良い子どもで、祖父に逆らったことなどなかった。
隠れて受けた司書官試験に首位で合格したにも関わらず、祖父に推薦状を書いてもらえなかったあの日まで。
「……あの言葉と、差し出された手、そして推薦状がなければ、夢は叶わないのだと諦めて、司書官になることはなかったわね。きっと……」
恩人である彼が推薦状を書いてくれなければ、私はきっと司書官になることを諦めて、祖父の勧めた人と婚約し、今頃家庭を作っているだろう。
そんな思い出を振り払い、今朝の新聞を定位置に持つと、一面の記事が目にとまる。
――騎士団長、ディオルト・アシエス、王都を発つ。
「騎士団長様は、また極秘任務なのかしら」
もちろん心配しないわけではないが、騎士団長様は数々の加護を持ち無敗だ。
新聞では、災害級の魔獣討伐の任務を受けたのではないかと報じられていた。
騎士団長様は、常時何かしらの任務に従事している。
王都の平和は、彼によって守られていると言っても過言ではない。
「でも、今回は図書館に寄らないで行ってしまったのね……」
騎士団長様は、図書館がお好きなようだ。いつも遠征が近づくと、必ず図書館を訪れる。
王国の英雄である騎士団長様は、超有名人なので、一般席に座ると騒ぎになってしまうのだ。
そんな彼に、貴賓室の鍵を貸すのが私の役目だ。
けれど、今回に限っては、図書館に寄ることなく出立してしまったらしい。よほどの緊急事態が発生したのだろうか。
もちろん、騎士団長様にも都合があるのだから当然なのだけれど、少し寂しく思ってしまう。
それから三ヶ月、騎士団長様は図書館を訪れることはなかった。
***
そして、三ヵ月が経ち、季節は夏から秋へと変わる。日が暮れるのが早くなり、窓の外は真っ暗。図書館は閉館直前だ。そして私は、一人残務を片付けていた。
騎士団長様は、魔獣があふれる北端へ行ったという情報は流れてきたものの、それ以上の詳細は秘匿され、非番の日には必ず顔を出してくれた彼が無事なのか心配で、私は少々寝不足だった。
「きゃ!?」
そして、あとは帰宅するばかりだったのに、最後に新しく入った資料を書架に収めてようとしていた私は、はしごの上でバランスを崩してしまった。
そのとき、直前まで考えていた人の声がした。
「危ない!!」
――ポスン。
軽やかにはしごから落ちた体が抱き留められる。
「怪我はないか、リリアーヌ嬢」
「き、騎士団長様!!」
そこには、なぜかフードを深く被った騎士団長様がいた。
もしかして、遠征から帰ってそのまま図書館を訪れたのだろうか……。
「お久しぶりです。ずいぶん長く遠征されていたのですね……」
「ああ、北端まで行っていたからな」
「ありがとうございます。おかげで助かりました。もしかして、なにか資料をお探しですか?」
「いや、今日は君に用事があって……」
「私に、ですか?」
見上げれば、フードで影になっていても輝く金色の瞳と視線が交差した。
その瞳が弧を描き、ドキリと心臓が音を立てる。
騎士団長、ディオルト・アシエス様は、絶世の美男子なのだ。
そして、私のことを軽く抱き留めてしまったことからもわかるように、鍛え抜かれた体をしている。
――この王国で、彼に抱き上げられてときめかない女性を探すのは難しいに違いない。
「わかりました」
「……何がわかったというんだ?」
私をそっと降ろしながら、少し低くなった声音。
何か気に触ることを言ってしまったかと目線をあげると、フードがなぜか揺れている。
「……えっと、私に用事ということは、今回の遠征に関する極秘文書の保管についてのご相談ですよね?」
「違う」
「それでは、北端の魔獣に関する機密データの分析ですか?」
「君が優秀なことは理解しているし、頼りにしているが、違う」
頼りにしているという言葉に、舞い上がりかけた私は、単純に違いない。
それでも、騎士団長様こそ優秀で努力家で、しかもお世辞なんか言わないことを知っているから、舞い上がってしまうのも無理はないと思う。
「……でも、それならいったい」
「……シグルト・ルードディア殿に呼び出されている」
「えっ、祖父に!?」
「君に案内を頼むようにと……」
祖父は先々代騎士団長で、ディオルト様は現騎士団長だ。もしかして、内密の話でもあるのだろうか。
「職場まで押しかけてきて申し訳ないが……」
「いいえ、祖父の指示ですもの。ご案内しますね。あれ? でも、騎士団長様は家に何回もいらしたことがありますよね」
「……ああ、だが久しぶりだからな」
「そうですよね! 何年ぶりですか?」
そう答えると、 騎士団長様は明らかに安堵した表情になった。
もしかして、断られるとでも思ったのだろうか。
「前回おじゃましたのは、君がまだ、王立学園に通っていた頃だから、五年ぶりかな……」
「懐かしいですね! ちょうど、仕事も終わりましたから、行きましょうか」
「ああ……」
騎士団長様が笑うと、可愛らしい牙のような八重歯がのぞいた。
――騎士団長様は、八重歯だっただろうか?
そこで感じた少しの違和感。その正体は、このあと発覚するのだけれど、まだ私は何ひとつ気付いていなかった。