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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気まぐれな神が寵愛する箱庭

高級娼館の没落令嬢が、初恋を拗らせた夫に溺愛されるまで

作者: すずき あい

息抜きがてら、不穏をお届けします。


没落令嬢イザベラ


わたくしの名は、イザベラ・オーキッド。先日、オーキッド公爵家当主の妻となりました。


わたくしの出自は色々と複雑な事情があって、あまり周囲に歓迎をされていない婚姻だと思っておりました。けれどいざ嫁いでみますと、公爵家の皆様や、使用人の方々までわたくしを温かく迎えて下さいましたの。本当にこちらが恐縮してしまう程のもてなしぶりに驚くだけでしたわ。わたくしの好みを既に把握していて、居心地の良い部屋の設えに、美味しい食事、肌触りが極上でありサイズもぴったりに用意されたドレス。オーキッド公爵様…いいえ、今はセローム様、それとも旦那様とお呼びした方がよろしいのかしら。きっと旦那様がわたくしの為に全て手配して下さったのでしょう。


わたくしは諸事情により社交は控えておりますの。本来ならば公爵家の夫人として社交をするべきなのでしょうが、旦那様は一切しなくて良いと仰って下さったのです。「それだけこの公爵家は王家から特別な権利をいただいているのですから」と微笑む旦那様の前に、どんなに影で何を言われようとも公爵家の為、旦那様の為に尽力しようと覚悟を決めていたわたくしの心構えなど、砂糖菓子よりも簡単に溶けてしまったのです。

その旦那様のおかげで、わたくしは外に出る必要もなく、皆様の優しさに包まれて甘やかされた日々を送っているのです。口さがない者は、旦那様がわたくしを閉じ込めているとか、外には出せない恥知らずの妻、などと噂もあるそうですが、全くの事実無根ですので痛くも痒くもありませんの。もっとも、そのような方達はすぐに公爵家が縁を切ってしまうので、この国に居辛くなって外国に移住してしまうそうです。見知らぬ土地に移住するくらいでしたら、無責任な噂など口にしなければよろしいのに。



わたくし、この公爵家に嫁ぐ前は、高級なことで有名な娼館におりました。そう、本当は公爵家に迎えられる筈がない身分の、娼婦であったのです。


わたくしが過ごしていた娼館は、没落して借金のカタに売り飛ばされた元貴族令嬢や、どこかの貴族の望まれない庶子などを買い取って、特に見目の良い者に一流と言われる教育を施して身分の高い貴族の相手をさせることを生業としておりました。そこは通常の娼館とは比べ物にならない程の高額な金額が必要となるけれど、まるで王族のような贅沢な空間で絶世の美女を相手に出来るとあって、なかなか需要があったそうです。勿論そこで働く女性も、場末の娼館よりも遥かに良い生活を保証されてはおりましたが、その分莫大な必要経費が掛かる為に一度そこに入れば生涯出られることはありませんし、美貌を保つ為に別の意味で厳しい毎日を強いられるのです。それに、少しでも容貌に衰えればあっという間に別の娼館に売られるのですから、最初から普通の娼館で働いていた方がまだ良かったかもしれないのです。


わたくしの出自は没落貴族だったようで、かなり幼い頃にこの娼館に売られたようなのです。「ようなのです」というのは、わたくしはとある事件に巻き込まれてしまい、過去の記憶が曖昧になってしまったのです。娼館で厳しい教育を受けていた内容などは幸いなことに覚えておりましたので、そのまま娼館に残ることが出来ました。いえ、もしかしたら娼館側も不祥事が表沙汰になることを避ける為に、わたくしを追い出すようなことを選択しなかったのかもしれません。わたくしは事件のことは殆ど覚えていないのですけれど、何かの切っ掛けで思い出さないとも限りませんものね。その事件の詳細はわたくしには知らされませんでしたが、それこそ大きな出来事であったということは、これまでの教育のおかげで予測くらいは付きます。


その事件後、わたくしには四人のお客様が付きました。こういった高級娼館に来るようなお客様は、大変紳士な方が多いのですけれど、わたくしには特にお優しい方ばかりがいつも指名をして下さったのです。それももしかしたら娼館の気配りかもしれませんね。


お一人は、口髭がダンディでスマートなおじさまでした。その方はお若くして奥様を亡くされてしまったそうなのですが、お子様が居なかったことから周囲から後妻をしつこく勧めて来られて困っておりました。そこで高級娼館に贔屓がいると公言して、その勧めを躱していたのです。わたくしでも羨ましくなる程亡き奥様を愛しておられたので、訪ねて来ても指一本触れることはなく、ただ一晩中穏やかにワインなどを傾けながら他愛のない話をして帰られるのです。明け方になる前に帰られるのでわたくしがお見送りをしますと、嬉しそうではありましたがどこか寂し気な背中が印象的でした。


もうお一人は、真っ白な髪のご隠居様でした。お若い頃はさぞモテたのでしょうとすぐに想像が付くくらい、今も威風堂々とした振る舞いの方です。何でもわたくしが亡くなった奥様と娘様に髪色と瞳の色が同じなのだそうで、初めてお目にかかった時は、わたくしの手を握りしめていつものご様子からは考えられない程に小さく背中を丸めて涙を零しておいででした。わたくしはすぐにそのご様子に絆されてしまったのか、何とかしてお慰めしようと一晩中その背中をさすっておりました。きっとそのことがあの方の心に響いたのでしょう。まるで孫にでも会いに来るように、時折わたくしを指名して下さるようになりました。わたくしを孫のように思っているので、当然のようにお仕事は求められません。お話を聞いたり、肩を揉んだりすると、こちらがビックリする程のお小遣いを置いて行かれるので、たまに困ってしまうことがございます。


もうお一人は、わたくしよりも少しだけ年上の高位貴族のご令息でした。実はその方は、昔から側で仕えている侍従の方と恋人関係でしたの。平民の間では同性や異種族との婚姻もよくある話ですが、血統を重んじる貴族では許されることではありません。もし関係が知れてしまえば、引き裂かれてしまうことでしょう。そこで人目を偲んで逢瀬を重ねる為に、お二人でそれぞれ贔屓の娼婦を指名するフリをしていたのです。侍従の方の担当であったわたくしと同い年の女性は、お二人が来るとわたくしの部屋にやって来て、彼女と楽しくお喋りをしながらのんびりと過ごしておりましたわ。お二人の仲を取り持つことも出来、わたくし達もまるで休暇のように楽しく過ごしておりましたので、密かに次はいつ訪ねて来られるのか心待ちにしておりました。


最後のお一人は、オーキッド公爵様、今の旦那様でした。旦那様は娼館に来たにも関わらず、まるでわたくしを宝物のように扱い、一年かけてわたくしを熱心に口説きました。その間、わたくしの手に触れる程度で、ようやくわたくしがきちんと()()()を果たせたのは、旦那様の求婚に頷いてからのことでしたわ。

最初に求婚された際、わたくしは旦那様が公爵家当主だと知って、身を引こうと思ったのです。たとえ過去の記憶がぼんやりとしていても、身分違いなことくらいわたくしでも分かります。しかし旦那様は決して諦めませんでした。わたくしはそこまで旦那様が心を尽くして下さる理由が分からず、その頃は訪ねて来て下さったのに仮病を使って顔すら出さなかったのです。そんな態度のわたくしだったにも拘らず、旦那様の気持ちは変わらなかったのです。今考えますと、なんて失礼なことをしてしまったのかと胸が痛みます。


いつまでも頑なに旦那様の求婚に頷こうとしなかったわたくしに、旦那様は過去にまだわたくしが貴族令嬢だった頃にお会いしていることを教えてくださいました。そして、その時の初恋の相手がわたくしだったと言うのです。ただ旦那様は、それを告げてしまうとわたくしが事件のことを思い出して苦しむのではないかと危惧されたようです。幸いというか、残念というか、わたくしの記憶は同じようにはっきりしないままでした。が、既に身も心も娼婦であるわたくしは旦那様には相応しくありません。そう言ってお断りしたのですが、旦那様は全力でわたくしを全ての悪意から守ると誓ったのです。その時の旦那様の泣きそうな顔は、わたくしは生涯忘れることはないでしょう。そして、ようやく求婚を受け入れる覚悟を決めてわたくしが頷いた瞬間の旦那様の満面の笑みも、生涯どころではなく、来世でも絶対忘れませんわ。


その後も色々な反対を受けることを覚悟していたのですが、呆気無い程わたくしは受け入れられ、旦那様は誓い通りあらゆる悪意からわたくしを守って下さいました。


こうしてわたくしは娼館を出て公爵家に迎えられ、イザベラ・オーキッド公爵夫人となりました。

殆ど記憶にはありませんが、わたくしの波乱に満ちたこれまでの人生は過去となり、旦那様の優しさに包まれながら幸せな生涯を送ることになったのです。



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第二王子セローム


彼女、イザベラ・オーキッド公爵令嬢と出会ったのは、まだ五歳になったばかりの頃だった。


僕と同じ年の彼女は花のように可愛らしく、家族に愛された幸せそのものを体現したような令嬢だった。それは僕の一目惚れだった。


しかし、彼女は僕の兄、第一王子の婚約者に選ばれてしまった。彼女は王族を除けばこの国で最も身分の高い令嬢だ。王太子候補の兄の婚約者になるのが既定路線だった。それに僕の母の身分は低い。どんなに僕が彼女を好きでも、この想いは最初から叶う筈はなかったのだ。それから毎日のように厳しい王子妃教育、やがて王太子妃教育が始まった。だんだんと彼女の笑顔が曇って行くのは分かっていたが、僕にはどうすることは出来なかった。ただ、影から彼女の努力が実るように支えることを考え、兄の補佐を務めるようになった。婚約者として夜会などで踊る二人の姿を間近で見なければならないことは辛かったが、それでも彼女の幸せだけを願っていれば僕はそれだけで良かったのだ。


だが、成人を祝う夜会で、王太子になった兄は暴挙を行った。


よりにもよって大勢の貴族が集う中、片手に聖女を抱きかかえて彼女に婚約破棄と、ありもしない冤罪を突き付けたのだ。その聖女は兄と同じ学年で、歴代聖女の中でも五本の指に入る程の聖魔法の使い手だった。しかし能力は聖女でも、中身は伴っているとは限らない。

不幸にも僕は成人しておらず、その夜会には出席出来なかった。彼女は婚約者の兄が成人を迎えるので、その為に出席していて晒し者になったのだ。もし僕がその場に居ても役に立たなかったかもしれないが、それでも強引に会場から連れ出される彼女を追うことは出来たかもしれない。


その時、国王(ちち)も王妃も兄の行動を止めなかった。ただその場で「追って詳しい調査を行う」と言っただけで済ませたのだ。それは彼女が貴族令嬢としての人生を断たれたも同然だった。国王は、彼女よりも聖女を繋ぎ止めることの方が国として重要であると判断し、兄の側に付いたのだ。


その後、公爵家に戻る馬車が忽然と消え、彼女の行方が分からなくなった。


その知らせを僕が耳にしたのは、翌日のことだった。


僕だけでなく公爵家が全力で彼女の行方を探したが、彼女は衆人の前で婚約破棄をされて、衝動的にどこかで儚くなっているのではないかと勝手に目されて、なかなか真剣に取り合ってもらえなかった。その話を流したのは王太子や聖女に付いた国王や高位貴族達であったので、力のない僕は当然、公爵家だけでは思うように捜索が進められなかったのだ。


やがてジリジリとしながら時が経ち、彼女が見つかったのはそれから三ヶ月が経過していた。


僕はその時に彼女に身に起きたことを聞き、全身が燃える程の怒りに捕われた。いや、今でもその火は身の内に残っていて、彼女に向けられる僅かな悪意で簡単に燃え上がり、徹底的に燃やし尽くすまで大人しくなることはないのだ。


彼女は、まだ成人はしていなかったものの、とても美しく成長した。しかしあれだけ大々的に王太子に婚約破棄をされた傷物となっては、次の縁談は難しい。しかも王族と聖女の所属している神殿にも睨まれかねない。誰もが彼女は修道院に送られることは容易に想像が付いただろう。


それを惜しいと思った高位貴族の令息達が三人、それも王太子の側近候補達が彼女を攫った。王太子も協力をしていたのか、公爵家に向かう筈の馬車は令息うちの一人の別荘に引き入れられて閉じ込められた。そこで彼女は自害防止用の隷属の魔道具を付けられて、令息達に代わる代わる純潔を散らされた。その中には王太子も混ざっていたそうだ。

その後も彼女は別荘に捕われて、彼らに好き勝手に扱われた。そのうちに彼女の捜索は諦められて、死んだことにされることを期待したのだろう。しかし、公爵家の執念でようやく彼女の行方を突き止め、保護することが叶ったのだ。


保護された時の彼女は、身も心も擦り切れ果てて、自害をすることも出来ない為の唯一の自衛策として、自分を娼館で働く娼婦だと思い込んでいたのだった。そして過去のことを殆ど忘れていた。後の調査で分かったことだが、彼女を閉じ込めていた令息達が、彼女に娼婦のように振る舞うよう幾度も強制していたことも影響していたようだ。


公爵家は、このまま彼女が正気に戻って自分の身に起きたことを理解すれば、今度こそ死を選ぶだろうと判断して、彼女の作り出した想像上の娼館に住まわせることにしたのだ。時折彼女はその矛盾に気付きそうになったが、過去を覚えていないからではないかと押し通した。その娼館にいる仲間や、取り仕切っているオーナーも、皆彼女をこよなく愛していた公爵家の人間が務め、彼女の想像上の存在になり切った。時折客のフリをして、彼女の父親や祖父、兄などが注意深く交流を深め、少しずつ彼女の傷を癒すことに協力は惜しまなかった。



僕は、ただ彼女の尊厳を踏みにじった奴らへの復讐に明け暮れた。勿論公爵家もただで済ます筈もなく、僕らは協力して彼らの悪行を徹底して調べ上げ、逃れられない証拠を揃えて突き付けた。


そこで僕は、国王に密かに取り引きを申し出た。この証拠の中から王太子と聖女の項目を消す代わりに、他の令息達の処遇を公爵家に任せて欲しい、と。当然このままでは王家の醜聞になって人心が離れることを恐れた国王は、その条件を即座に呑んだ。但し書きとして、令息達の生命の保証と、期間は彼女に暴虐を行ったのと同じ三ヶ月間としたのも大きいだろう。勿論、僕や公爵家は、彼らも王太子も聖女も許す気はなかった。



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令息達


令息達は、彼女と同じように自害防止の魔道具を付けられて、鉱山の強制労働に就くことになった。彼らの実家も王命で罪を償うように言われていたため、三ヶ月だけ耐えるのだと励まして送り出した。その影で、密かに各家に有利な条件でも提示されたのだろう。表立った不服は見られなかった。


鉱山では犯罪奴隷になった男達が罪を償う為に従事しており、女性がいない中で風紀が乱れて病が流行することを防ぐ為に、自害防止用の魔道具に、()()()()()()()の被害を防ぐ魔法も同時に付与されている。しかし何故か、公爵家が準備した魔道具には自害防止の付与しか掛けられていなかった。


強制労働施設では、罪を償う期間は死なせないように死にかけた者に治癒魔法を施すことが義務付けられている。そこに従事する者も、過去に何らかの犯罪を行って犯罪奴隷になった者だ。治癒魔法の使い手だった彼は、最近毎晩のように汗と泥だけでない汚濁に塗れた女のように細い三人の男達が診療所に放り込まれるので、おかしいと思いつつも見て見ぬ振りをして魔法で全てを治し続けた。治療を終えると、彼らは殺してくれと懇願することもあったが、そのまま診療所の外に放り出したそうだ。彼は随分長くこの場所にいるが、時折そういった犯罪奴隷が送り込まれる時があることを知っていて、彼らがどんなことをしてここに送られたかも察している。余程恨みを買ったのだと分かっている彼は余計な詮索はせずに、ただ淡々と自分の役割を果たすだけだった。



やがて贖罪の三ヶ月が終わり、身体の怪我は全て治療されて少しだけ窶れただけに見えた彼らは家に帰された。自害防止用の魔道具の解除の鍵は、それぞれのタイミングで外すようにと彼らの家族に渡されたのだった。


その翌日、一人の令息は真夜中に狂ったように剣を振り回して、大量の使用人を殺した。その罪により彼は数日後に当主手ずから毒杯を賜ることになり、当主は爵位と領地を国に返還して田舎の小さな別荘に隠居することになった。

その半年後、元当主は移り住んですぐに強盗に入られたのか人相も分からない状態になって発見されたという報が王都にまで届いた。しかし金目の物は盗まれておらず、殺された使用人の家族の仕業ではないかと噂されたが、いまだに犯人は見つかっていない。


もう一人の令息は、戻って数日後から弟に対して虐待を行っていたことが判明した。様子がおかしいことに気付いた弟の侍従が見張っていたところ、兄によるあまりにも悍しい虐待を目の当たりにして激昂し、思わず兄の胸に剣を突き立ててしまった。理由はどうあれ主家の長子に剣を振るったとして弟の侍従は縛り首に処され、刺された令息は数日後に息を引き取った。

兄が死んだ為に後継になる筈だった弟は、余程ショックだったのか家族に黙って修道院に駆け込み、そのまま二度と表には出て来なかったと言われている。その後縁戚を後継に迎えようとしたらしいが、成り手がなくそのまま長く続いた家門はそこで途絶えることになった。


残り一人になった令息は、何もかも忘れたように平穏に過ごしていたが、一年後に婚約をしていた令嬢と婚姻を交わした翌日の朝、寝室で首を吊っているのを妻に発見された。その足元には、かつて鉱山で強制労働を課せられていた時の詳細な光景が転写された紙が大量に散らばっていた。これをバラまかれたくなければ金を寄越すようにと書かれた脅迫状も落ちていたのだが、動揺していた彼の妻は気付かず、咄嗟にその醜聞の証拠を暖炉に放り込んで燃やしてしまった。その後、彼の実家と妻の実家で話し合った結果、婚姻の翌朝の急死は問題になるとして、半年後に事故で急逝したことにする形でまとまった。

しかし、数日後に脅迫状の差出人が無視されたと判断して、複写しておいた彼のあられもない姿を新聞社や雑誌社に送りつけた。彼の実家がそれに気付いた時は、もはや止められないところまで広がっていた。その後すぐに彼の死を公表はしたものの、見ず知らずの貴族に平民は忖度する筈もなく、彼の死後も長らくその醜聞は広まり続けたのだった。



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王太子と聖女


王太子は、長らく頭痛に悩まされていた。それが年々ひどくなるため、ひょっとしたら毒を盛られているのではないかと疑心暗鬼になり始めた。側近であった令息達に罪を押し付けて、自分は次期国王として守られていたが、それがどこかでバレるのではないかと不安が増大していたのだ。特に三ヶ月間の鉱山での強制労働から戻って来た令息達が立て続けに不審死を遂げていることが不安を更に煽った。

以前密かに、たった一人残っている令息に鉱山でどうしていたか確認をしたが、彼はそんなことなどなかったかのように忘れていた。本当に何も分かっていないような笑顔で「今の婚約者との婚姻が来年に決まったので、住居は王都に近い別荘を貰い受けた」と言い出した時にはさすがにゾッとした。何故ならその別荘は内装は替えたとは言え、かつて一人の少女を皆で弄ぶ為に面白半分に閉じ込めた場所だからだ。その正気を疑うような言動の彼に、王太子はもしかしたら二人の仲間に何かしたのは彼ではないかと疑惑を持った。


やがて王太子は、何かに怯えるように毎日婚約者となった聖女に治癒魔法を掛け続けてもらった。しかし彼の場合は精神的な頭痛であったので魔法で治まる筈はなく、こっそりと回復薬も併用し始めた。本来は治癒魔法と併用するのは推奨されない。過回復になり、却って不調が出るのだ。だが不安に駆られた彼は、聖女の魔法が効かないならば、とどんどんと強い回復薬を飲み続けた。そして、それは突然に限界を迎えた。


聖女が日課である治癒魔法を面倒そうに掛け始めた時、王太子の体が突如膨らんだ。見る間に髪が伸びて根元からゴッソリと抜け、皮膚と爪が異常代謝を繰り返した為に鱗のように変形した。苦し紛れに掻きむしった傷から、ニョキニョキと指が生え始める。聖女が悲鳴を上げて回復をしようと更に魔法を掛けると、王太子の体内一杯に含まれている回復薬がますます暴走、増大を加速するという悪循環に陥った。

聖女の悲鳴を聞きつけて駆け付けた近衛騎士達が目にしたのは、王太子の部屋にいる異形の化物だった。彼らは職務に忠実に、聖女がそれは王太子だと説明する間もなく、主人の危機と化物に攻撃を仕掛けた。それは自己回復を繰り返す為に数時間に渡る死闘の後、ようやく細かく切り伏せられて絶命した。

その後行方不明になった王太子の捜索が行われたが見つかる筈もなく、残った化物の肉片の調査から王太子が食われてしまったのだという結果が出た。婚約者の聖女が王太子の部屋に彼の身を守るための結界を張ることになっていたのだが彼女はそれを怠り、そのせいで化物の浸入を許し王太子が殺されてしまったと結論付けた。聖女はその責任を問われて罪人に落とされた。


聖魔法は使い道が多いので彼女は結界を張られた塔に幽閉して、魔石に聖魔法を込めることに従事させられることになった。実のところ、隷属の魔道具を装着させられて強制的に魔法を行使させられるの為、想像を絶する苦痛が伴うのであるが、結界を張られた塔は誰もいないようにずっと静まり返っていた。世間では婚約者を失った聖女様が静かに彼を偲んで祈りを捧げていると思っている。

それから数年後、食事時間を間違えた新人メイドが慌てて塔の中に届けに行ったところ、枯れ枝のような老婆がうろついていて大変恐ろしかったと涙ながらに語ったそうだ。



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王太子セローム


「セローム・オヴェリウスを王太子に指名する」


国王の宣言に、誰も異を唱える者はいなかった。当然だ。今はもう僕以外に国王(ちち)の血を引く者はこの国に居ないからだ。僅かに国王から不服げな気配は感じるけれど、自分の血筋を残すことに貪欲な彼が僕を外す訳がない。ここ三年で、少しずつ王族の血は削って行った。気が付いた時には、一番血筋が低い僕だけが残るように仕向けた。国王よりも愚かなくせに貪欲な王妃は十分踊ってくれた。


「おめでとうございます、王太子殿下」

「ふふ…面倒な肩書きが増えたよ。これでは妻との時間は減らさないように、より努力が必要だね」


満足げに頭を下げて来るオーキッド公爵に、僕は軽く愚痴をこぼす。


数年以内に国王には聖女と同じように塔に入ってもらうつもりだったが、王太子に認められたならもう来年でもいいかとも思っている。彼女との時間をあんな男の為に削るのは時間の無駄だ。


「もう、今年中にあの王子様をお迎えしようか」

「さすがに急ぎ過ぎでは…」

「早めにしないと勝手に王太子妃とか連れてきそうだからさ。それらしき年頃の令嬢のいる家は大抵遠ざけているけど、養子を取って来ないとも限らないしね。さっさと僕の落し胤とでも噂を流しておいてよ。あ、勿論ベラの耳には入れないようにね」


僕が苦労して探した、僕と同じ髪と瞳の色を持つ、()()()()()()()()()()他国の王族。彼を僕の養子に迎えて次期王太子に据えることは秘密裏に決めている。僕の死後、この国を好きにしていいと誓約を交わしていることまでは公爵ですら知らない秘密だ。


僕の愛しい妻は、たった三ヶ月の間にボロボロにされ、もう体は戻ることはなくゆっくりと朽ちていく他ない。どんなに長く見積もってもあと数年保てばいい方だ。そして僕は、彼女の命が消えたすぐ後に、王家を滅ぼした愚王として首を落としてもらうことになっている。

彼女は、正式には僕の妻にはなっていない。僕の本当の妻になると、王太子妃からやがて王妃にさせられて外野が煩くなる。彼女にはそんな醜い騒音なんて聞かせられない。あの愚かな聖女に味方した神殿に認められなくても、僕たちは気持ちの上で信頼し合う夫婦だ。それで十分だ。それに、「婚前から複数の男性と関係があったような方は王太子妃にはなれません」と言った神官は誰だったろう。言った奴と、聞いて笑った奴は潰しておかなくちゃ。


僕が少しだけ残念だと思っていることは、彼女に自分の子を抱かせてあげることが出来ないことだ。彼女も仕方ないと口では言っているけど、心の中では望んでいることを僕は知っている。しかし彼女の体を思えば不可能なことで、こればかりは僕にはどうにも出来ない。それに何よりも僕自身が子供の必要性を感じない。


だって要らないだろう。彼女を利用するだけして見捨てたあの男の血を引く者なんて。そう、僕も半分その血を引いていて、そこに例外はない。だから僕の子と称しておきながら、一滴も血の繋がりのない王に書き換えるんだ。その後、彼女の居なくなったこの国なんてどうでもいい。いっそみんな居なくなっても構わない。あの時、誰も彼女に味方しなかったこの国の貴族なんて、消えてしまえばいい。


オーキッド公爵は彼女の父だけれど、あの時自分の家門としてどう立ち回ることが有利かと考えを巡らせてすぐに動かなかった。もしあの時公爵家がすぐに動いて夜会から彼女と一緒に退出していれば、あんなことにはならなかっただろう。


消えてしまった彼女の記憶の中に、家族の存在はない。そう言うことなんだよ。


僕と結婚してから、公爵家の者達は彼女とは直接会うことは禁じているので、時折恨みがましい目で見てくる。最初からそのつもりで彼女とは客のフリをして会っていたのに。だっておかしいだろう?娼婦の客が全員家族だったなんて。彼女が記憶を取り戻したらどうするつもり?と問うと黙り込む程度には罪の自覚はあるみたいだけど。



僕は公爵家に戻り、挨拶もそこそこに彼女の待つ部屋に向かう。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ、ベラ、会いたかったよ」


僕は彼女を抱き締めながら、彼女の甘い香りに包まれる。


「ふふっ」


不意に彼女が抱きついたままで笑ったので、思わず顔を上げてしまった。


「ねえ旦那様。今、わたくし、とても幸せですわ」

「君の幸せが僕の一番の幸福だよ。だからこれからも、ずっと、君は幸せでいてくれる?」

「勿論ですわ」


僕はずっと君を優しい真綿で包んで、真っ白な世界だけをあげよう。

外の世界が真っ赤に染まったとしても、絶対に染み通らない程に分厚い真綿で君を守るよ。



今日も彼女は、僕の腕の中で幸せそうに微笑んでいる。

イザベラは、当人は嫁いだと思ってますが、単に実家に戻っただけです。


令息のうち一人だけ鉱山での扱いを家族に全てを話した為に、心の安定を考えて強制労働に絡む記憶を消去、改竄されていました。

しかし、一年後に結婚を大々的に知らしめてしまった為に、就労期間を終えた元犯罪奴隷に見つかって、強請られる結果になりました。首を吊ったのは、消去された記憶の揺り戻しに精神が耐えられなかった為でした。

なので、実際には他の令息達の死には関わっていません。

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