八
朝、家の前で佳奈が出てくるのを待っていると玄関が開かれる。
いつもの制服姿のサイドテール。それに加え今日は俺が買ってあげたヘアピンを付けている。
とても似合っているし、俺が良いと思った物を見に付けてくれていることがすごく嬉しい。
今日一日中、ヘアピンを付けた佳奈を頭の中で思い返しているといつの間にかHRが終わっていた。
「それじゃあ頼むぞ、高田」
先生がそう告げて教室から出ていった。
しばし逡巡したのち、後ろを振り返る。
「なあ浩太、俺何を頼まれたんだ?」
「お前何も聞いてなかったのかよ」
呆れ顔で溜息を吐かれる。
「理科準備室の物の位置を後輩に教えてやれってよ」
「後輩? なんで俺が?」
「お前今日日直だから」
この、今日の日直は○○だから~ってやつ心の底から辞めろと思う。
でも既に先生も行っちゃったし、面倒だけど仕方ないか。
とりあえずスマホを取り出し、佳奈に今日は先に帰っててもらうように連絡をした。
「じゃあ行ってくるわ」
「おう、がんばれ。また明日な」
康太と別れ、一人理科準備室へと向かう。
「あ、日誌何ひとつ書いてねぇ……まあいいか」
きっと何とかなるだろう。そんなことを考えながら理科準備室の扉を開けた。
物の配置を教えに貰いに来たという後輩らしき、真っ黒な(・)セミロング(・・・・・)の(・)少女が、扉が開く音に反応して髪を(・)靡かせなが(・・・・・)ら(・)こちらに振り向く。
「こんにちは! 補伽——」
目が合う。
ダァン! と音を立てて、扉を閉めた。
「見間違いか? 見間違いだな、うん」
今度は少しだけ開き、中の様子を覗く。
「見間違いじゃありませんよ」
開けた隙間から顔を覗かせ、目を合わせてくる。
「はぁ……どうも。君に配置を教えればいいのか?」
何の話ですか? と言ってくれと念じながら、そうはならないと分かって聞く。
「やっぱりおにーさんがそうなんですね。あ、ここじゃ先輩でしたね」
「ま、そうだよな」
「お母さんもなんで先輩を……」
この子先生の事お母さんって呼んでる。可愛いところもあるんだなと思ったが、よく考えると、俺のクラスの担任は補伽 奈津美。そしてこの子は確か補伽 藍菜。つまり……
「もしかして補伽先生の」
「娘です」
そういうことになるだろうな。まあ、だから何だという話ではあるが、この子がここに居るのは、今後先生の使いパシリにさせられるからかもしれない。そう思うとちょっと不憫だ。
「なんで俺をってことなら教えられるよ。俺が今日の日直だからだ」
補伽さんは少しぽかんとした後、あぁ、なるほどって感じの表情をして、口を開く。
「そういうことですか、分かりました」
どうやら分かったらしい。俺は分からんけど。これが親子の絆と言うやつだろう。
「先輩が来ちゃったものはもう仕方ないので諦めます。ですが! この状況は利用させてもらいますからね! そういうわけなので早速教えてください」
どういうわけなのかをまず僕に教えて下さい。とツッコミたくなったがそれよりさっさと終わらせるに限るだろう。
とはいえやることはすぐに終わる。顕微鏡やら試験管やらフラスコやらアルコールランプ等の場所を教えるだけだから10分経つか経たないかぐらいで終えることが出来た。
「これで終わりだ。これでいいか?」
「ええ、ありがとうございました。それにしても何もしてこないんですね、意外です」
補伽さんは不思議そうな顔をしながら呟く。
「は? どういうことだ?」
「佳奈ちゃんから聞いた頭撫でたり、ハグしたりをです。今は密室なので仕掛けるタイミング的には絶好の機会のはずでしたが」
唖然とした。なんで俺がこの子に、いや、佳奈以外の子にそんな事をしないといけないのだろう。
「どうして俺が君にしないといけないんだ」
「女の子になら誰彼構わずやってると思っていましたので。でも違いましたね、私みたいに可愛くない、タイプじゃない子にはやらないようですね」
どうしてこうもこの子からの評価はこんなに低いのだろう。低いのは構いはしないがやはり気になる。
「佳奈以外にそんな事しないさ」
「シスコン極まれりじゃないですか……」
すぐに部屋を出れるというわけでもなさそうなので、俺は適当に近くにあった椅子に座った。
「俺が佳奈以外の女の子にもすると思っていたなら、なんで君はその状況で素直に物の配置を教えて貰っていたんだ?」
自分がやられるのは良いのだろうか。この子の俺への評価からすると絶対に嫌だと思うが。
「それは勿論、証拠の為ですね。昨日言ったじゃないですか。その化けの皮を剥ぐ、と」
スマホを取り出し、録音アプリが起動している画面を見せてくる。
「今日は行動しなかったので確実な証拠にはなりえませんでしたけど。ですが、妹にはするという自白を録ることは出来ましたので、これで佳奈ちゃんを助けれる道も出せそうです」
この子ひょっとして俺が無理やり佳奈にハグしたりしていると勘違いしているな?
「一つ勘違いを正そうと思うのだが、頭撫でたりハグしたりってのはスキンシップだぞ? 佳奈からも俺からも普通にしている」
「スキンシップ……? 普通そんな過度なスキンシップ兄妹でしますか……? 恋人同士なら分かりますが……」
余程驚いたのだろう。唖然としている。
「君の言う普通がどのくらいか知らないけど、兄妹にとっちゃ普通だな」
「じゃあそこに邪な気持ちは全くないと?」
「当たり前だろ? 兄妹だぞ」
それを聞くと大きなため息をついて少しほっとしたような顔になった。
「つまり私が勝手に勘違いして、佳奈ちゃんがおにーさんに嫌々させられていると思って突っかかっていたというわけですね……」
そして思いっきり頭を下げた。
「先輩ごめんなさい! 私の勘違いで色々ひどい事言ってしまいました」
「いいよ、誤解が解けたんだったら」
とりあえずさっさと帰りたい。誤解だったとはいえ、第一印象が悪かったせいで、ぶっちゃけこの子のことは今も苦手だ。
先生からの頼まれごとも終えたし、ついでにこの子とのいざこざも解決したので帰ろうと席を立つ。
「あの先輩、ご迷惑をお掛けしたお詫びと、配置場所を教えていただいたお礼をさせて頂きたいのですが」
「別にそんなに気にすることじゃないから大丈夫だよ。あー、一つ。良かったらこれからも佳奈と仲良くしてくれると嬉しいかな。それじゃ」
「え、ちょっ」
扉に向かい歩き出したところで、言っておいた方が良いことがあるのを思い出し、喋りながら振り返る。
「そうそう、君、自分の事可愛くないって言ってたけど、そんなことないと思う——」
「きゃっ」
何故か俺のすぐ近くまで歩んできている補伽さんと、急に振り返った俺がぶつかる。
歩んできていた勢いと、振り返って、若干バランスが後方になっていたことが重なり、俺が補伽さんに押し倒される形になってしまった。
「いてて……」
俺と補伽さんの体は密着してしまっていた。補伽さんは体制が崩れたせいで俺に体を預ける姿勢になっている。
「ごめん、大丈夫?」
俺の体に乗っかったままになっている補伽さんの肩を持ち、体を起こす。瞬間、ガラッと理科準備室の扉が開いた。
「おー、もう終わったかー?」
扉を開いた人物は俺の担任の先生。補伽先生だった。
扉が開く音に、反射で振り返っていた為ばっちりと目が合う。この体勢で。
「おい、高田。配置場所を教えろとは言ったが、保健体育を教えろとは言っていないぞ? 私の持ち場で、私の娘に手を出そうなんていい度胸してるな。あ?」
とんでもない眼で睨みつけられる。
「先生、よく見てください!」
俺は先生の誤解を解くためにそう発言したが、逆効果だった。
「は? よく見ろって? お前は自分が行為してるところを他人に見せつけたがる変態なのか?」
「何言ってるんですか⁉ 違いますよ、この体勢からして俺が襲ってるようには見えませんよね」
肩に手を添えて、若干起き上がってはいるが、俺が襲っているようには見えないはずだ。
「ふむ、言われてみれば確かにな。そうか、すまん勘違いだったみたいだ。佳奈が押し倒したんだな。我が娘ながら大胆なことをする!」
誤解は解けた……と言うより、別の誤解になってしまった。
「邪魔して悪かったな。佳奈、頑張れよ」
ハハハと笑いながらピシャリと扉を閉めて行ってしまう。
「ちょっとお母さ——先生‼」
「……えっと取り敢えずどいてもらってもいいかな?」
補伽さんは無言で俺の肩を突き飛ばし立ち上がった。
「うわっ」
突き飛ばされた俺はバランスを崩し、またしても倒れてしまう。
「あの……補伽さん……?」
謎の無言の圧力に恐る恐る問いかける。
すると再び鋭い目つきで俺を睨みつけてきた。
「やっぱり勘違いなんかじゃありませんでした! 危うく騙されるところでしたよ」
「急に何なんだ……」
「先生が入ってきたから有耶無耶になりましたけど、可愛いとか言って口説こうとしてきたじゃないですか!」
恥ずかしそうに少し顔を赤らめながら怒る。
「いや、口説いてないけど……」
後、可愛いとも言ってない。まあ可愛いとは思うけどな。
「もう騙されませんよ! 私を狙ったって先輩には絶対に落とされません!」
「へいへい」
なんかもう面倒くさくなってきたな。この子思い込みが強そうだし、警戒心むき出しにされてる俺が何か言っても逆効果になりそうだ。
「先程は何もしてきませんでしたが、あの時先生が来てなかったら襲われててもおかしくなかったですし……いくら証拠の為とはいえ襲われないに越したことはないのでもう帰ります」
机の上に置いてある鞄を肩にかけ、扉を開ける。
「では失礼します。……あとありがとうございました」
何に対して感謝だ? と少し考え、配置場所の事と気付いたのは補伽さんが見えなくなってからだった。
「二度もお礼をするなんて律儀な子なんだな」
だが、あの子と仲良くなることは恐らくないんだろうなと思う俺であった。