きっとスッキリするだろう。でも、
この部屋に、妹のリーズを拉致した、ハイエルフがいる。
スイートルームの天井板の隙間から、下を覗く。真っ暗な寝室の中、大きなベッドに誰かが寝ているのが、ネズミ視覚で判る。護衛は室内にはいないようだ。
思い切って、ネズミ形態の俺っちは床の絨毯の上に飛び降りた……
そのとたん、部屋が明るくなった。
ぼんやりとした照明だが……気付かれたか!?
俺っちは慌ててカーテンの下へと逃げ込んだ。
ううっ、ちょっと……チビった。恥いよぉ。
……特に何も起きない。
おそるおそる様子をうかがうと……
灯りは、ホテル備え付けの魔灯ランプだ。そのスイッチに伸ばされた白い手は、まぎれもなくハイエルフのものだった。あいつはベッドの上で金髪をなびかせて上体を起こし、ランプが置かれたナイトテーブルの上をまさぐっている。やがて、目的のモノ……あのメタル造花……を掴み、それを上品な寝衣の胸元でかすかに振った。
あっ!
俺っちは気付いた。その造花は、とんでもない魔道具だった!
尿意が消えている!
それだけじゃない。着ぐるみについた泥も、汗も、匂いも、股間の濡れた感触も、綺麗さっぱり消えているじゃないか!
俺っちは、ハイエルフが何のために起きたのか判った。
ヤツは、いわばトイレに行ったんだ。
そして、さっきこの部屋を覗き込んだとき感じた違和感の、その正体にも気付いた。この部屋には、まったく匂いがしない。汚れというものがない。部屋の中にあるものすべて、外側も内側も清浄になる魔法がかけられたんだ!
浄化の魔道具。
あの造花には、噂に聞く浄化魔法が込められてるらしい。かの魔法にはトイレ機能もあったなんて! 考えてみれば当然だ。パンツの内側がキレイになるなら、そのさらに内側もキレイになるはずだもんな。
凄い。潔癖症のマヌーなら、欲しがるだろうな~
待てよ。これって、腸内菌とかどうなってるんだ? いや、魔法にそんなこと考えても仕方ないか。
ハイエルフはと言えば、今度はコップで水を飲んでいた。その水はピッチャーなどから注いだんじゃなくて、いきなりコップに湧いて出たんだ。コップを乗せていたコースターがほのかに輝いているところを見ると、どうやらそれは水を作り出す魔道具らしいな。
もう、なんか何でもありだな~
ランプを消し、ハイエルフはまた寝付いた。俺っちはベッドの足を登り、その勢いのままジャンプして、きらめく金髪が文様を描く枕の端に、ボフッと着地した。熟睡しているのか、それともハイエルフ・ジャマーの効果なのか、ヤツが起きる気配はなかった……
長っ! まつげ長っ!
こうやって間近に見ると、リーズを思わせる優しい天使みたいな顔だけど、実態は……
俺っちは、ギリッと奥歯を鳴らした。
かあっ、と頭に血がのぼるような気もする。
こいつが、父と母と妹を……
今なら。
俺っちはリュックから、火吹きのサムさんからもらった刺青針を取り出す。それを槍のように構えると、暗い部屋の中、その先端がギラリと光る。そしてヤツの白く細い首の頸動脈あたりに向けて、大きく振りかぶり、それから……
それから、針を投げ出して、四つん這いになった。しばらくそのままで、荒くなった息を整える。
くそっ。
大きくなりたい、とは思っていても、俺っちは決してカンペキな善人じゃない。こいつを殺したら、ネズミを始末したときのように、冒険者ギルドで暴れたように、きっとスッキリするだろう。それにたぶん、こんなチャンスは二度とはない。
でも、しない。
ヘ、ヘタレたんじゃないぞ。良心でもない。これは理性だ。いや……打算だ。もし殺したら、他のハイエルフたちが黙っていないと思う。報復としてこの町ごと、ひょっとしたら国ごと、滅ぼされるかも知れない。占いオババのドロシィさんが読み書きと一緒に教えてくれた歴史に、証明されているように。
だから、俺っちは。
自分に今できることを、シュクシュクとおこなうだけだ。
俺は室内を見回した。
筆記用具は……ない。ドロシィさんが心配してくれた通りだ。それじゃ……カーテン。無地で明るい色だ。うん、使える。
ナイトテーブルの上には、浄化魔道具や水湧きコースターの他に、ハイエルフが身に着けていたアクセサリー。例のレーザー?魔道具もある。この武器は安全のために隠しておきたいところだが、そうすると魔道具に手を出したとすぐ察知されるから、他に予想もできない攻撃手段をいきなり繰り出されるかも知れないんだよな。より厄介な魔法とか。
バトル漫画で見たシチュだから、知ってるぜ!
ここは、予想できるリスクとして放置しておこう。怖いけど。
いやホント、怖いけど。
他には……よし、要チェックしているイヤリングもある。ふだんは白く輝いているが、でたらめをヤビが話しているときに赤く点滅し、ぷるぷる震えた、あのイヤリングだ。俺っちはその赤い点滅を、前に見たことがあった。
真実の顎が動作するときの、目だ。
かなり前にお客さん同士のトラブルが起きたとき、野次馬として、それを見せてもらった記憶がある。真実の顎は、教会に置いてあり、それなりのお布施をすれば誰でも使える、狛犬にも似た魔道具だ。
「審判を受ける者」が手のひらをその口に差し込んだ状態で嘘をつくと、その顎が閉じて大ケガをする。
契約に使うときや、外国人とか、話すことができない者が「審判を受ける者」のときは、ゴマかせないように別の者、つまり第三者が、「審判を受ける者」手書きの契約書や念書を読み上げる。
もちろんこの魔道具は絶対じゃなくて、「審判を受ける者」に嘘をついている自覚がないと作動しない。ありがち。
仮に、あのイヤリングが、真実の顎と同じような真偽判定をする魔道具だったとすると、疑問が残ったんだよな~
もしそんな魔道具があったとしたら、隠してこっそり使うほうが使用者にとって有利なはずなのに、あんなにあからさまに身に着けているのは、なぜか。まあ、自分なりにその理由は予想してたんだけどさ。
教会から出発する前、ドロシィさんのアドバイスに従って、その点を女聖官のエレナさんに尋ねてみたんだ。
『真実の顎のちからは輝きの審議を受けるものだから、隠して使うことはできないのよ』
エレナさんはそう答えた。
もちろん、自分の推理がまったく間違っている可能性は、ある。あれは単にビジョアルだけで光ったり震えたりするアクセサリーなのかも知れない。あるいは、ハッタリや謀略で真実の顎に見せかけたフェイクなのかも知れない。
でも……
現代日本人の感性を持つ俺は、そんなアイテムなら、いかにもハイエルフみたいな連中が使いそうな気がするんだ。現代日本に実在する、ある種のタイプのヤツと同じ雰囲気を感じるんだよな。
そんなハイエルフの習性と能力に、そしてその油断に、俺は逆に勝機があると感じた。嘘をつくと相手にはすぐ判る、という交渉でも、現代日本の感性を持っているなら「勝てる」と思った。それが、俺のアドバンテージだ。
まあ、馬鹿は俺かも知れないけどね!
さあ、勝負の時間だぜ!
「魔意味よ、雲のように網のようにこの世界を覆う魔意味よ、妖精の形態を定義する魔意味よ、聖官の認識にて接続せよ、俺っちを再定義せよ!」
……やっぱこの呪文、長すぎるよなあ~
変身!
ご愛読、ありがとうございます。




