時計の読み方
来年度、娘が小学校へ入学する。
あっという間だった。その成長を感慨深く思うのと同時に、親としてすべきこと。
入学を迎えるにあたって、必要なことはたくさんある。
一年も前から予約オーダーしていたランドセル。
給食袋や手提げ袋等、様々な手作り品の準備。
登下校をともにするだろう児童との顔つなぎ。
保護者の方が近所付き合いを厭わないのならば、それなりに親しく。
ちょっとしたピンチ――急に下の子が熱を出して病院に駆け込む、その間の相手だとか、もしくは保護者自身の不調時、軽食のお裾分けだとか――に助け合うこともある。
もちろん、どこまで踏み込むのか、どこで線引きするかは、非常に重要な問題である。
これを見極められなければ、大惨事に繋がる。
娘に対してはドリルを用いて、ひらがな、カタカナ、数字の読み書き練習。
おはじきを使って、簡単な足し算。引き算までは手を伸ばしていない。
さてこれらの出来は完璧か、と言えば、そんなことはない。
初めましての授業で、対面するひらがな、カタカナ、数字。
それらが初めて目にするものでなければいい。その程度だ。
だから気負ってドリルを解かせたつもりもなく、娘もドリルに嫌悪感を抱いてはいないと思う。
「ママ! ドリルやりたい!」
鉛筆を頭上に高々と掲げ、もう片手でドリルを抱え。
キラキラとした目、紅潮した頬。
そんな表情で台所へ飛び込んできた娘。そしてその娘の後ろにくっついて「ハヤも、やる!」と、娘と揃いで買い与えたドリルを床に引きずり、削っていない鉛筆を振り回す息子。
楽しんでドリルを解いてくれていた。
しかし、時計は別だ。
時計は読めるようになってもらわないと、学校生活を送るのに、娘が困る。
時計を見て行動する。
どうやら新一年生から、それを徹底すると聞いたのだ。
「長い針がテッペンにきたら?」
「じゅうにじ!」
「惜しい! それは短い針と長い針が2つともテッペンのときだね」
娘が頬を膨らます。
そして鼻の穴をぷくっと広げ、「じゃあね! ながいハリがね! イチにきたら! ミカちゃんわかるよ!」
「なんだろう? ママに教えて?」
へへ、と娘は胸をそらす。
「ごふん!」
どうだ! と言わんばかりの得意満面の娘。
「ヘイッ! ユーはッ! てんッさいッ! だッぜー!」
思いきり娘を抱きしめ、それから脇の下に手を入れ、抱き上げるには重くなった体を持ち上げる。
きゃぁーと歓声をあげる娘。「ハヤも!」と手を伸ばして不満顔の息子。
時計の読み方は、完璧だ。
子供達の名前は偽名です。