音の色
ぼくは「音色」が見える。
世の中には、音程やキーが色のイメージになって見てる人が希にいる。視覚とちょうかくが繋がっている、「共感覚」と呼ばれるものだ。ぼくのもそれの一種だが、もっと珍しい。
音色に色がついて見えるのだ。
水の音は澄んだ青、揺れる春の木の葉の音は緑。人の話し声はその人によっていろんな色がついてて、声色によっても変わる。透明だったり、濁ってたり。
そんな風に、耳に音が入るたびにその方向から色が波紋のようにが広がっていく。この体質のせいで皆より処理する情報が多くて、疲れる。何しろ、音といっしょに感情やら何やらが入ってるのだから。
だから基本的に外出するときはイヤホンをして何も流さないかいつも同じ曲をきいている。寝るときもできるだけ無音状態をキープ。親に頼んで部屋は防音仕様だ。
さっきも述べたが、音にのって感情も入ってくる。これは共感覚の範囲から少し外れたもので、見えた色、聞こえた音、表情、姿から、相手の感情を読み取っている。他の人より情報が多いから、その分細かく感じ取れるんだろう。
だから、楽器の生演奏を聴くと特に疲れる。路上ライブなんか顕著だ。そこまで上手くない歌とギターに、売れるか分からない不安、一縷の希望、そんなのが混じった汚い色に見える。逆にプロのプレーヤーだと、職業としてやってるのが丸見えだ。
だから、僕は音楽を避けている。
いや、避けていた。