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ドッペンゲルガー

作者: 雷禅 神衣

「ただいま」

仕事を終えて家のドアを開いた瞬間

唯一の家族とも呼べるラヴラドールのプリン(オス)が

九条くじょう 莉子りこの足元に駆け寄ってきた。

「プリン、良い子にしてましたか〜」

莉子はまだ靴も脱いでいない玄関でしゃがみ、プリンの頭を愛くるしく撫で回す。

その日1日のご褒美をくれと言わんばかりの表情で懐く姿に

莉子は仕事の表情から解放され、一息付いた安堵の顔へと変わって行く。

「待っててね、すぐご飯にするから。あれ?なんだろう・・・・」

家のドアに備え付けられている郵便受けに封書のような物が入っているのが見えた。

莉子はすっかり慣れた手つきで扉を開け、それを取り出した。

「中学の同窓会のお知らせ・・・ま〜だやってんだ、あの連中」

それは莉子が当時通っていた中学の同級生から送られてきた同窓会の案内だった。

「もう2回も蹴ってんだからさ、いい加減送るの止めてほしいわ。行くわけないっつうの」

莉子は靴を脱ぎ、部屋に入った。

「同窓会のお知らせ。日時12月16日、新宿某所・・・・」

部屋に入ると莉子は送られてきた封書をゴミ箱へと投げつけた。

「同窓会なんてやってらんないっての」



「今度はこっちね。もっとこう魅了するような表情で・・。そうそう、それだよ。良いね良いね」

水着姿となった莉子の周囲を、カシャカシャとシャッターを切る音を響かせながら

グラビアアイドルの撮影専属のカメラマンが忙しく動き回る。

カメラマンと同じようにスチームによって光を注ぐ数名のスタッフもその後を追いながら動く。

それの姿がいつも撮影される側の莉子の目には「金魚のフン」に見えて

いつも笑いそうになってしまう。

「良いね良いね。今回の写真集もきっとバカ売れ間違い無しだよ。あっ!目線ください」

「はい」

そしてそんなカメラマンを挑発するような眼差しと、天使のような微笑で、カメラの向こうに居るファンに向かって微笑む。

これ以上に無いほどの可愛らしい表情と、男の本能をくすぐるような喋り方。

バツグンのスタイルを持つ莉子にとって「グラビアアイドル」と言う仕事はまさに天職であった。


九条 莉子、今年で20歳になったばかりのグラビアアイドル。

瑞々しいセミロングの髪の毛と、目鼻立ちの整った、いわゆる「正統派」のアイドルとして

お茶の間に登場し、瞬く間に売れっ子アイドルの地位を築き上げた。

それがテレビであろうと、今日のように撮影であろうと

カメラを向けられれば屈託の無い笑顔で答えるのは、もはや癖とも呼べる行動だった。

グラビアアイドルにとって、笑顔は専売特許のようなものであり

それが無ければ成立しない職業だ。

グラビアアイドルたるもの、常に笑顔を絶やさず、どんな状況下においても可愛らしく居なければならない。

性格ではなく、見た目だけを売りにしている職業上

例え相手が嫌いな人間であっても「社交辞令」を使わなければならない。

嫌な顔をする事は、グラビアアイドルにとって致命的な行動と言える。

そのためどんなに嫌な相手でも、どれだけ苦痛な状況でも常に笑ってなければならない仕事だった。

だが世辺り上手な性格であるがために、その心ではかなり屈折した部分があるのも事実であった。


職業病とも呼ぶことが出来る「自分がどのように映っているのか。あるいはどのように思われているのか」と言う

人からの判断を莉子は他のグラビアアイドル以上に気にする傾向にあった。

「可愛い」とか「綺麗だね」などと言われるのは日常茶飯事。

日常の中で何の抵抗も無く使われているせいで

莉子にとって「可愛い」「綺麗だね」と言う言葉は何の嬉しさも感じない言葉だった。

それは仕事上ではなく、プライベートな面においても影を落としていた。

オフの日に友人たちと会い、「可愛い」「綺麗だね」と言われても、素直に喜べなくなって来ている。

無論、その場では「ありがとう」とアイドルとしての表情で返すのだが

あまりにも聞きなれた言葉に、少々うんざりした感情があるのも、拭えない事実である。

心の中で「本当にそう思っているの?」と言う、悪魔の囁きが入ってしまう。


「オーケー。じゃあ今日はここまで。お疲れ様」

「お疲れ様でした」

この日、撮影が終わった頃には既に20時を回っていた。

「しかし莉子ちゃんはグラビアアイドルになるために生まれてきたようなもんだな」

「ええっ!そんなこと無いですよ」

「いやいや!君の天使の微笑みは国宝級だよ。今回の写真集は間違いなく売れるね」

「監督の腕前が良いからですよ。いつもありがとうございます」

莉子は営業スマイルで可愛く微笑み、仕事場を後にした。


今や国民的アイドルとなった莉子だが、何も昔からこのスタイルと微笑を持っていた訳ではなかった。

人は自分が持っていないものほど強い憧れを抱くと言うが、莉子も典型的なそのタイプだったのだ。

小学生の頃から自分の顔に強いコンプレックスを抱いており、性格もかなり内向的。

クラスのリーダーと言うよりは「縁の下の力持ち」的な存在で、華やかな空気に馴染めず、一人でいる事が多かった。

中学に入ってもその傾向は続き、高校に入ると単なる憧れではなく「夢」へと変わって行った。

自分のコンプレックスを解消し、新しい自分になるべく、莉子は整形を決心した。

整形と言っても顔全てを変えるわけではなく、あくまで部分的な「プチ整形」だった。

一重の瞼をパッチリした二重へ、今風の顔に相応しく鼻を小さくした。

手術後、自分の顔に施された「美の洗礼」を見て、それ以後の莉子の未来は大きく変わるのであった。

ちょうどその頃である。渋谷の街を歩いていた莉子にスカウトの声が掛かったのは・・・。


「可愛いね・・・か。簡単に言ってくれるわ。こっちがどれだけ苦労したか知りもしないでさ」

帰りのタクシーの中で、莉子は心の中で呟いた。

「大体私はアイドルなのよ、可愛くて当然じゃない。可愛いからアイドルなんだしさ。

業界の人間なんだから、単に可愛いとかじゃなくて、もっと捻った言い方出来ないものかしら。

いい加減聞き飽きたのよね、二言目には可愛い、綺麗だねって。バッカじゃないの」

莉子の声無き愚痴はまだ続く

「他のアイドルにだって同じ事言ってるくせに。本当にそう思っているかどうか怪しいわね」

タクシーの後部座席でうつらうつらしながらそんな事を思っていた。

「いつからそんな自分になったのかしらね」

「えっ!?」

すると突然、自分とまったく同じ声が耳元で聞こえた。

莉子は驚いて周囲を見渡すが、ここはタクシーの中である。乗っているのは自分一人。

他に人がいるはずもなかった。

「なんだ・・・夢か・・・」

朦朧とする意識の中で、わずかに自分が眠っていた事に気付く。

そして何でもなかった事を確認すると、莉子は再び眠りの世界へと誘われた。

「逃げようたってそうは行かないわよ」

「だ、誰っ!?」

やはり先ほどと同じように耳元で声が響いた。

だが今度は莉子の意識は覚醒せず、そこは明らかに「夢の世界」であった。

「ホラ、よく見なさい。私が誰だか分かるでしょ?」

深い霧の中から一人の女性が莉子の前に現れた。

「わ、私・・・」

「そうよ。と言っても整形する前の・・・言ってみれば本当の私」

そこに現れたのは莉子自身であった。

だがその姿はもはや2度と見たくない、内向的で今のように美しい姿になる前の莉子であった。

「どうして・・・」

「可愛そうな人ね。いつからそんな卑屈な性格になったのかしら」

「どういう意味よ!?」

「まだ分からないの?貴方は本当の自分がどんな人間だが分からなくなっているのよ。

誰でも彼でも笑顔を振り撒き、人に良いツラばかりしているから」

「本当の自分は今の私に決ってるじゃないっ!?」

「そう断言できるの?」

「・・・・・」

莉子は返事に詰まった。つまり断言できない自分が居ると言う事である。

「何にも分かってないようね。人間は誰でも2つの自分を持っている。

希望と絶望。そして生と死。常に相反する2つのものが存在するのと同じようにね。

だけど人間は知性と言うもので自分がどっちに向いているかを判断するわ。

人を殺す事が悪い事と判断するように。間違った判断を下してしまうと人間は悪い方へと進んでしまう」

「だから何だってのっ!」

「本当に可愛そうな人。これだけ言ってもまだ分かってないみたい」

「そういう言い方ムカつくんだけど。ハッキリ言ったらどうなのよ!?」

「何故たった一人の貴方の中に、私が現れたか。その意味が分かる?」

「分からないわ」

「でしょうね。良いわ、教えてあげる」

過去の莉子がそう言うと、現在の莉子の周囲を歩きながら語り始めた。

「貴方は自分でも気付いているはず。自分に降りかかる言葉や、周囲の人たちの態度が

本当にそう思っているかどうかという、一種の疑心暗鬼の状態にある事を」

「それはそういう職業だから」

「違うわ。貴方の場合は度が過ぎている。自分が望んでも居ない事なのに

無理に笑顔を装ったり、本当に嫌な事でも受け入れてきてしまった。

それは何のため?地位や名声のため?それとも可愛いとか綺麗とか言われたいため?」

現実の莉子は答えが出てこなかった。言われて見れば確かにそうである。

昔は自身のコンプレックスから美への憧れを持っていたために、整形を施しアイドルとしての道を歩む事を決めたが

その全てを手に入れ、コンプレックスを克服した今、自分は何のためにアイドルをやっているのだろう。

心の底から嫌だと思っている事を受け入れてまで、自分は何がしたいのだろうか。

「貴方はずいぶん歪んでしまったわ。ホラ、見てみなさい」

過去の莉子がそう言うと、目の前にスクリーンが現れ昔の映像が流れ始めた。

そこには今ほど美しくない学生時代の莉子が友達と楽しそうに喋っている姿が映った。

あの当時はそれほどお金を持っていたわけでもなく、学校帰りに近所のマックで集まり

それほど高くないハンバーガーやジュースを飲みながら友達を何気ない話をしていた。

スクリーンに映し出された過去の莉子の姿は、今と比べるとかなり地味だが、何も疑いようの無い笑顔で楽しそうに喋っている。

「あれが・・私・・?・・」

「そうよ。凄く楽しそうにしていると思わない?今の貴方にあんな笑顔が出来るかしら?

天使のような微笑なんて言われているけど、私からすればあそこにいる貴方の笑顔の方がよっぽど天使の笑顔に見えるけどね」

「・・・・・・」

もはや何も言えなかった。それまでは自分の目線で自分を見ていたため

どうしても良くない一面ばかりが目立ってしまっていたが

今こうして客観的に過去の自分を見ると、どうしてこれほどまで楽しそうに見えるのだろうか?

ここ数年仕事に追われ、学生時代の友達と会う時間など無かった。

現に同窓会の招待状を無下に捨てている有様である。

それは単純にまだ美しくなかった時代の友人と会いたくないと言う理由もあったが

同時に「貴方たちとは住む世界が違うから」と言う差別的な発想があったのも事実だった。

自分はグラビアアイドル。同窓会の相手は一般庶民。

「一緒にしないで欲しい」と言う傲慢な態度が、招待状をゴミ箱行きへとさせる原因だった。

「今の貴方の笑顔は作られた笑顔に過ぎないのよ。本当の自分じゃない。

貴方が本当に心から今の状況を望んでいるのなら、私がこうして姿を現すことは無かったのよ」

過去の莉子はかつて無いほどの優しい表情で現在の莉子にそう言った。

それと同時何故過去の莉子が現在の莉子の前に現れたのか、その真意をようやく理解した。

「もう分かったでしょ?貴方は心の奥で悲鳴を上げているの。何もかも疑うようになってしまった自分にね。

貴方はグラビアアイドルと言う華やかな地位を手に入れた。だけどそれと同時に本当の自分を失った。

表面的な美に魅了され、中は腐敗しているようなものよ。それが本当に望んだ物なの?

自分の考えや思いを押し殺してまで人に良く思われたいの?

自分と言う存在が無い人間に未来なんてあるかしら?」

過去の莉子は容赦なく言い放った。

「私は・・・」

「貴方は自分と一般人に対し差別的な考えを持っているせいで、同窓会の招待をもう2回も蹴っているけど、

当時の同級生たちが貴方に対し何て言っているか知ってるの?」

「えっ・・・・」

「見てご覧さない」

目の前のスクリーンが暗転し、まったく新しい映像が映し出された。

その映像は前回の同窓会の様子を映し出した映像だった。

前回の招待も蹴っている莉子の姿はそこには無かったが、学生時代の懐かしい顔が一同に会していた。

「そっか、今回も莉子は来れないんだね」

「そうみたい。きっと忙しいのよ。グラビアアイドルだもの」

「私たちはテレビや雑誌で莉子の活動を知っているけど、莉子は私たちの事は忘れちゃったのかな?」

「そんなこと無いでしょ。仕事なんだから仕方ないわ。売れっ子だしね」

「でも綺麗になったよね、莉子」

「ホントよね。私思わず写真集買っちゃったもん」

「やっぱり?実は私もよ!」

「あれぇ、皆買ってるんだ!?」

「そりゃ友達が芸能人だからね。それに昔から知っている友達なんだし、応援してるわ」

「いずれ映画とかにも出るようになるのかな?」

「そりゃそうよ。きっと日本を代表する女優とかになるんだわ」

「良いよね。友達が大女優なんてさ。頑張ってほしいな〜」

「これからも定期的に同窓会開こうよ。きっと莉子が来れる日もあるかも知れないし」

「そうだよね。何回も開いてれば1回くらい来れる日があるかもね」

「そうね!じゃあ早速次の日時は・・・・」

映し出された映像の中で莉子の友人たちは楽しそうに次の日時を決める話し合いが延々と続いた。

「みんな・・・・」

莉子の目から大粒の涙が溢れた。

同窓会に参加しない自分は良く思われていないだろう。勝手にそう思い込んでいたが、それは間違いだった。

嫌われるどころか逆に応援されていたのだ。同性でありながら写真集を買うほどまでに。

それは本人が居ないところでその本人を褒めている事実が、友達だと思ってくれているという何よりの証だった。

それが莉子の心に突き刺さった。

ある意味では莉子の心をズタズタに引き裂いたと言っても過言ではなかった。

「分かったでしょ?貴方の友達は今でも貴方を大切な友達だと思っている。

同窓会を頻繁に開いているのも、忙しい貴方のために1回でも参加できるようにと気遣っての事だったのよ。

貴方自身が居ない場所で、彼女たちは参加しない貴方を悪く言うどころか褒め称えている。

・・・・さて、貴方はどうかしらね」

もはや莉子は口元を手で塞ぐだけで精一杯だった。

過去の莉子が言わんとしている事は既に理解している。

止め処もなく流れる涙がそれを物語っていた。

「そんな大切な友達に対し、貴方は何をしたかしらね?自分と一般人は違うから。一緒にしないで欲しい。

せっかくの招待状もゴミ箱行き。あんな素晴らしい友達の誘いを貴方は2回も踏みにじったのよっ!?自分勝手な理由でねっ!?」

「みんな・・・ごめん・・・ごめんね・・・」

莉子は呻き声にも似た嗚咽を漏らした。

そして完全に取り戻した・・・本来の自分を・・・。


「私が何故貴方の前に現れたか。それは全てを失う危険信号を伝えるためよ。

これで2回目。次はもう無いのよ。何故なら次は・・・・」


不思議とも不気味とも取れる夢はそこで途切れた。


次に莉子が目覚めたときは、自室のベッドの上だった。

あの後どうやって家に戻ったか記憶が無かった。

まだ覚醒しない意識だったが、気分はかつて無いほど向上し、荒んでいた莉子の瞳に輝きが戻っていた。

カレンダーに目をやる。日付は12月16日。

今日の日付が全てを語っていた。

しばらくすると携帯電話が鳴った。莉子は覚醒しつつある意識で手に取り、通話ボタンを押した。

「おはよう。今日の現場なんだけどちょっと予定より早まってさ。今すぐ来て欲しいんだ」

「行きません」

「えっ?何?」

「私、もう行きませんから」

「ちょ、ちょっと、どう言う事?具合悪いのかい?」

「いいえ、違います。他に行くべき場所があるんです」

「おいおい、勝手な事言っちゃ困るよ。こっちだって仕事なんだからさ」

「だったらクビで良いです。さようなら」

「あっ、ちょっとっ!り・・」

相手が全て言い終える前に莉子は電話を切った。


もはや迷いなど無かった。そこに疑いも無かった。

莉子は満面の笑顔を浮かべ、ベッドから飛び起きると

鼻歌交じりで着替え、あくまで自然なメイクを施した。

そして「ごめんなさい」とゴミ箱へ誤りながら

昨日捨てた同窓会の招待状を取り出した。


「これで2回目。次はもう無いのよ。何故なら次は・・・・」


「分かってる。何故なら次は・・・」


「3度目の正直・・・・でしょ?」


勢い良く開いたドアの向こう。

雲一つ無い晴天が広がる空の彼方で

もう一人の・・・過去の莉子が静かに微笑んでいた。



END


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