表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

迷路での現実

Dream2


「この場所からは、どうやったら脱出できるんだ?」

 案内人を前にしたと同時に、歩生は尋ねた。ぐんと見上げる形で、案内人の大きな瞳が彼を捉える。

「どうしたの、急に? もしかして、二回目でもう嫌になった?」

 声は変わらず幼さを感じさせるが、ややそのトーンは低い。案内人なりに傷ついているようだ。

「いや、そうじゃない。一応確認しておきたくて。この世界には、心に傷を抱えたりした人が多く来るんだよね? だったら、心の傷が無くなった人はどうなるのかな、と思って」

 あぁ、と案内人はぼやき声を漏らした。

「心の傷が落ち着いた人は、この世界には来られなくなるんだ。それも勝手にね。例え自分自身が『全然変わってない!』と思ってても、この世界は正しく認識する。元々、この世界にはみんな訳も分からず迷い込んで来るわけだから、去る時も意識しないままなんだ。あとは、傷の云々(うんぬん)に関係なく、睡眠から覚めてしまえば、その日は強制的に退去させられるね」

「じゃあ、たとえば今この瞬間に、僕が現実世界で起きたら」

「うん。キミは何事もなかったかのように、布団の上で意識を取り戻す。でも、もう一回寝たら、またこの世界に来ることになるよ」

 しばらく黙って、歩生は自身の体を眺めた。

 今一つ、ここが夢の世界なんだ、という自覚がない。体は普通に動かせるし、クリアな意識は現実世界でも感じられない程だ。「ねぇ案内人」。歩生は話しかける。

「なに?」

 明るい声が返ってくる。

「ちょっと、思いっきり僕を叩いてくれない?」

「え?」案内人の顔に深い疑問の色が浮かんだ。

「叩かれたい人なの?」

「いや、別にそんな趣味はない。でも……自分が本当に夢の世界にいるのか、わかんなくなって……。それで叩かれて痛くなければ、ちゃんと信じようかな、と」

 とことこと、案内人が歩生の足元に寄ってくる。「あのね、アユム」呆れ気味に言われる。

「これからキミはいろんな迷路の世界に行くんだよ? その先は現実と全く同じ景色の世界、って可能性もあるんだ。そんな時にいちいち夢か否かを疑ってたんじゃ、キミの心の傷も全然回復しないよ?」

 心は、不安にとっても弱いから。体が筋肉質で、どれだけ強そうな人でも、心が弱ければ、「本当に強い存在」として生きることはできない。むしろ外見が災いして、心が崩壊しやすくなる。低い声で案内人は続けた。

「心は本当に弱いんだ。心は、人を殺すことも簡単に出来るんだよ。……って、まぁ、今のアユムには何を言っても無駄だよね。ボクが何かしてキミの気が楽になるんなら、ボクは遠慮なく手を出すよ? ま、痛くなんてないんだけどね」

 苦笑しながら、小さな両の拳を胸の前で小突き合わせる。「どうする?」と問いかけてくる案内人に対し、歩生は躊躇うことなく頷いた。

「了解。それじゃ、いっくよー!」

 案内人は空を舞うようにジャンプし、一瞬で歩生の目の前にその体を至らせた。そして、可愛い顔があるな、と歩生が思った瞬間には、彼女の拳は歩生の頬をえぐっていた。

「全然、痛くない」

 歩生が呟くと、案内人は肩で息をしている最中だった。

「はぁ、はぁ……久しぶりにあんなに動いたよ……。キミ、ボクにこんなことさせるなんて、実はさでぃすてぃっくな一面があるんじゃないかい?」

 何とか息を整え、顔を上げる。汗が無限の光に反射して眩しかった。

「サディスティック、って……案内人にしては難しい言葉を知ってるんだな」

「以前に迷い込んだ人に、その趣味を持っている人がいてね。大して興味はなかったんだけど、色々熱く語ってくれるもんだから、覚えちゃった」

 最後に大きく息を吐き出すと、案内人は「よし」と自らの頬を叩いた。少し引き締まった顔つきで、歩生と向き直る。

「そろそろ、迷路に案内しよっか。アユムは今日が初めてだよね?」

 言いながら歩き出した案内人を追いかけて、二人は真っ白な世界を歩く。案内人が言う『迷路の入口』まではすぐだった。

「ここだよ。ここが迷路の入口」

 だが案内人が指さした先は、何も変わらない白い世界。その先が入り組んでいるようにも、現実世界があるとも思えない。

「ははっ、キミもみんなと同じ顔をしてるよ。ここに来たとき、みんなそんな顔をするんだ」

 愉快そうに高らかに笑う。

「そりゃそうだよ。だって何もないじゃん」

「まぁ、そんなせかせかしないで。すぐに分かるからさ」

 ちょっと待ってて、と案内人は歩生に告げ、自身は一人で先に進んでいった。何もない空間に向かって、両手を伸ばす。そして何事か、呟く。

「…………。よし、おっけー。もうすぐキミにも見えるようになるよ」

 案内人の言葉通り、ぼんやりとではあるが、徐々に道らしきものが現れ始めた。突き当りで、三つに分かれているように見える。

「あの分かれ道の先にも、色々な分岐点があるよ。それで、巡り巡って行きついた先に、キミの夢が待っている。そこで、キミは今日の一晩を過ごすんだ。……準備はいいかい? 最後に質問があれば答えるけど」

 しばらく考えた後、歩生は「ううん」と首を横に振った。

「よしっ! じゃあ行こう!! 良い夢が見られることを、影ながら祈ってるよ!」

 案内人の声を背中に受けながら、歩生は謎に包まれた道を進んだ。案内人は、見えなくなるまで彼の背中を凝視していた。

 歩生がどの道へ進んだかを確認し、そして姿が完全に見えなくなった時、案内人はその場にどっかと腰を下ろした。

「あの子も大変だねー……。あ、そう言えば、何でここに来ることになったのか、理由を訊いておくの忘れた」

 理由を知ったところで、案内人の仕事に影響を与えるわけでもなければ、何かが変わるわけでもない。単なる興味だ。だが、知っておいて損はない。

「あとね、アユム。さっきは言い忘れたけど……」

 まるで自身に言い聞かせるように、案内人は言う。

「キミは『心の傷が無くなったら』って言った。ボクは『傷が落ち着いたら』って言った。……傷が無くなることはないんだよ。キミがこの夢の中でどれだけ頑張っても、はたまた現実世界での(わだかま)りを解消しても、傷が無くなることはないんだ。最悪の場合、『忘れるだけ』になってしまう。ここに迷い込んじゃったみんなは、地獄みたいな人生を送ってきた人ばかりなんだよ」

 天国のような空間で、案内人はただ独り喋りつづける。目を凝らせば、舞い散る雪のような蝶が見えそうだ。そして、最も地獄に近い人生を送ってきているのは自分じゃないかな、とそんなことを冗談みたいに思って、ただ独り、虚空に向かって笑いかけた。



 白い道を、歩生はゆっくりと歩く。案内人の言った通り、道中にはいくつかの分かれ道があった。特に深くは考えず、気の赴くままに道を選んで、進んできた。

 まだ、「今日の夢の世界」というものは見えてこない。どんな世界なのだろうかとワクワクする反面、やはり多少の不安は付きまとっている。いくら夢の世界であれど、苦しい思いはしたくない。そして、自身の夢の中で「いなくなっている人物」というのも気になった。その対象が誰なのか、予想は簡単についた。多分、合っていると思う。

 無言のまま道を進む。すると、視界が一瞬にして弾けた。眩い閃光に、歩生の目は焼かれたように熱を帯び、思わず呻き声を上げてその場で立ち止まってしまう。痛みは増すことも治まることもなく、ズキズキと鈍痛を頭の中で響かせている。とにかく歩生は進んだ。両目を固く瞑り、前後(ぜんご)不覚(ふかく)に陥りながら、震える足を前へと差し出し続けた。やがて目の痛みは引いていき、真っ白だった視界も元に戻り始めた。おずおずと目を開く。

 そこに広がっていたのは、いつもと全く変わらない、見慣れた学校の風景だった。歩生はぽつんと、教室へと至る廊下に立ち尽くしている。他のクラス・学年の生徒たちは、そんな歩生には目もくれず、横をすり抜けていく。

「夏目くん、おはよ」

 背後から声が掛けられたので振り返る。ずれたメガネを直しつつ彼に挨拶をする少女の姿があった。彼女が言葉を発したのはそれだけで、それ以上は特に会話を交わすことはなく、再び歩生は一人となる。

「夏目君? こんなところで何してるの? もうすぐホームルーム始めるよ?」

 おっとりした声が届き、歩生はようやく我に返り、急いで教室へと入る。クラスメイト達は全員が既に着席しており、ぎりぎりでやってきた歩生を不思議そうな顔つきで見ている者も少なくない。少し恥ずかしさを感じながら、自身の席に座った。

「えーと、皆さん、おはようございます。今日も欠席なし、ですね」

 元気なのは良いことです。若々しい笑顔を振りまき、簡単な連絡を済ませた後、先生は去っていった。すぐに喧騒に包まれた教室内を、歩生は一度ぐるりと見回す。

 一人少ない。というか、一席足りない。歩生の記憶の中で存在する席には、「彼女」ではないほかのクラスメイトが座っている。その席の主の周りには数人の女子が(たむろ)していて、雑談に花を咲かせている。そのエリアはまるで夏のようだった。彼女たちが零す明るい笑顔はまさに向日葵(ひまわり)であり、歩生がいつも目にする静謐(せいひつ)な雰囲気とは相反するものだった。

「ねえ」

 後ろの席の男子に声を掛ける。

「篠田茜って知ってる?」

 読書をしていた彼は顔を上げて歩生を見る。暫しその細い目は中空を彷徨って考えていたが、やがて再び文庫本へと落とされる。

「アイドルか何か? 僕は知らないよ」

 歩生は立ち上がり、一人でいる女子の元へ向かう。そして同じ問いを投げかけた。

「新人の女子アナとか? それともアイドル? 私は聞いたことないよー。夏目君って、そういうの5興味あったの?」

 その子は、微かに期待を込めた瞳で歩生を見つめ返していた。もし歩生がそういうことに興味があり、そして首肯していれば、この世界では、二人は良い友達となれたかもしれない。

 間もなく一時間目が始まる。退屈な授業の最中、まともに受けている者もいれば、内職をしていたり、既に寝てしまっていたりする人物もいる。そんな中、歩生は人知れず、喜びに身を震わせていた。

 ここは篠田茜がいない、僕の夢の世界。歩生にとって、茜が最も大切な存在であるということが、証明された瞬間だった。



 夢の世界でも、時間は現実と同じように過ぎていく。午前中の四時間が終わり、自席で昼食を摂っていた歩生の元に、近寄る男子生徒の姿があった。

「あの……夏目君」

 弱々しい声で、彼は歩生に話しかける。クラスメイトの佐藤だった。不意に、歩生は違和感を覚えた。この子は普段、こんな話し方をする子だったっけ? もっと、活力あふれる、元気な印象だったような気がする。そんな疑問が頭をよぎるが、気づかないふりをして「何?」とおかずを咀嚼しながら彼の顔を見る。

「ご飯食べ終わってからでいいからさ、その……ちょっと相談に付き合ってくれない?」

「相談? 勉強の事なら僕は無理だよ」

「大丈夫。そんなことじゃないから」

 くすっと微笑を浮かべて彼は答える。その笑顔からは、微かに苦しさや辛さが感じられた。

「……わかった。それじゃ、後で行くよ」

 歩生の言葉を聞くと、佐藤は「ありがとう」とだけ残して去っていった。その後も、しばらく歩生は彼の後姿を眺めていたが、やはりどこか、彼らしからぬ雰囲気を感じ取らずにはいられなかった。



 食後、約束通り席に向かうと、さらに佐藤は「こっち」と言って、歩生を促した。二人がやってきたのは、普段は誰も来ることがない、屋上へと向かう階段の踊り場だった。歩生の傍らには、壊れた机といすのセットが乱雑に放置されており、天窓から差し込む陽の光に、舞い散る埃が光っている。付近に誰もいないことを確認したのち、彼は歩生に向き直る。その瞳は、薄暗い空間の中で不気味に映る色を携えていた。

「夏目君」

「……何?」

 若干、身を引かせつつ歩生は声を出す。背中を、冷たい汗が伝って落ちていく。

「夏目君って、清水さんと仲が良いよね?」

「え? あ、まぁ、うん……でも、さ」

 清水とは、クラスメイトの女子だ。成績は今一つだが、裏表のないさっぱりとした性格と、その親しみやすさゆえ、誰からも好かれるような少女だ。確かに歩生とも休日に遊びに行ったりした、少なからぬ交流はあるが、それは彼も同じだ。彼女に誘われて、五人ほどで遊びに行ったこともある。周りの、ほかのクラスメイトよりは深い関係にある女子と言えるかもしれない。

「それが……どうしたの?」

 何となくその後に続く内容は予想できたが、彼に話すよう促す。彼は今に至ってもなお、どこか戸惑いがちに視線を泳がせたり両手を忙しなく動かしたりしていたが、数秒の後に勢いよく顔を上げた。

「僕、清水さんの事が好きなんだ! それで、その……夏目君の意見を教えてほしい。僕が告白して、彼女は受け入れてくれると思う?」

 彼の額には、大粒の汗が浮かんでいた。歩生は心のどこかで小さな驚きを覚えつつも、考える素振りを見せていた。

 だが彼の中で、既に答えは出ていた。正直なところ、分からない。少なくとも、彼女がほかの男子よりは、彼の事を少し特別な存在として見ていることは間違いないだろう。かといって、それが恋であると考えるのは、いささか早計なのではないだろうか。うぬぼれているだけ、と考えることもできるが……。

「……うん。あの子は優しいしさ。多分何とかなると思うよ」

 考えに反して、歩生の口はそんなことを言っていた。不思議と、何も感じなかった。そう考える気持ちも、無かったとは言い切れない。限りなく少なかっただけで、存在はしていた。だが、そう告げることが果たして正解だったかは、今の歩生には分からなかった。

 歩生の意見を聞いて、彼は一気に破顔し、「そっか! ありがとう!」と、歩生を一人置いて、どこかへ走り去って行ってしまった。不安から解放された喜び、安心感、そして、得られた勇気。色々な温かい気持ちは、彼を完全に支配していた。

 教室に戻る道を辿りながら、歩生は先ほどの彼を思い返していた。

 彼は、きっと止めてほしくはなかったのだと思う。ただ、最後の一押しを求めていただけだ。彼の中で、告白することは既に決定事項で、それを行動に移すためのボタンを押す係りに指名されたのが、歩生だっただけだ。だから多分、自分の選択は間違っていないと思う。そう、言い聞かせていた。

 教室では、(くだん)の女子生徒が彼と話していた。もしかしたら、放課後にでも挑戦するのかもしれない。心の中で失敗しないように、と祈りながら午後の時間を過ごした。



 放課後、歩生が帰路を辿っていると、彼からメッセージが届いた。彼からの、初めての個人メッセージだった。

『うまくいったよ! ありがとう、夏目君!』

 次の瞬間には、歩生の意識は猛烈な勢いで、その世界から切り離されていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ