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迷路の案内人

 Dream 1


 そう遠くない記憶の中で描かれた風景。真っ白な世界は、どこまでも果てしなく続いているようで、その眩しさに目が眩みそうになる。ここがどこなのか、すぐに歩生は把握した。

 ――夢の世界。

 部屋の中で、知らず寝てしまった時にも、こんな場所に来ていた。わんわん喚く誰かの声が響き渡り、とてもではないが長くいられる空間ではないと思った。だが、今日は打って変わって静かだった。物音ひとつしない空間で、歩生はただ独り立ち尽くす。

「やっほ」

 唐突に、可愛げのある声が耳元で聞こえた。小学校中学年ぐらいの、何も考えていないような無垢で、純粋な高い声だった。驚きで心臓を跳ねあげつつ振り返る。

「いらっしゃいませ! ……んー、いらっしゃいませ、は変かな……? まぁいいや。夢の世界へようこそ!」

 視界の隅に、何か動く物体があった。大きく手を広げ、ぴょんぴょんとジャンプしたり声を出したりして、必死に気づいてもらおうとしている。

「こっちだよ! こっち!!」

 軽く苛立ちの色が混じりだす。その時になって、ようやく歩生はその姿を確認した。白とも銀とも言える長い髪が、地面まで垂れ下がっていた。

「君は……?」

 思わず歩生は屈んで、ソレを見る。ソレははぁはぁと荒く肩で息をしながらも、歩生の目をしっかりと見て、そして太陽のような笑みを浮かべた。

「やっと気づいてくれたね! 改めまして、ようこそ、夢の世界へ!!」

 身長が一七〇センチ前後である歩生の、腰にも至らない背丈のソレは、そう言って元気よくバンザイする。どう反応してよいか分からずソレを呆然と見ていると、やがて上げた両手をおろし、そして不服そうに睨んできた。

「ちょっと、ボクがこうしてノリノリでやってるんだから、キミも一緒にやってくんない??」

「い、いや……えっと」

「もー、ノリ悪いなー」

 はぁ、と嘆息し、「ま、いっか。初めてなんだもんね」と一人で頷く。

「わかった。いいよ。どうせキミも急にこんなところに連れてこられて、どうしていいか分かんないんでしょ? 何でも答えてあげる。疑問に思うこと、全部ボクに訊いていいよ。あ、いつも絶対に訊かれることがあるから、先に言っておくね」

 こほん、と咳払いを一つする。大きく息を吸い込み、言った。

「ここは夢の中の世界だよ。何にもない、只々『存在しているだけの世界』。この真っ白な空間は、どこまでも続いてるんだ。とーっても、つまんない世界なんだよ!」

 そこで、「はい。ボクからはここまで。後はキミの質問タイムだよ」と笑いながらソレは言った。「今ボクが言ったこと以外だったら、何でも答えるよ」。

 しばらく歩生は考えた後、おずおずと口を開いた。

「えっと……それじゃ、君の名前は?」

「あ、それもいっつも訊かれるね。今度から初めに言うようにしよっと」

 虚空に向かってそんな独り言をつぶやき、そしてソレは言う。

「ないよ」

「え?」

「名前、ないの。ボクはずっとここにいるの。成長も、年を取ることもなくね。これ、ってキミに教えられる名前は、悪いけどないんだ。だからボクは、こう自称してるよ」

 睫毛の下の、大きな瞳を動かし、煌めく長髪をなびかせつつ、ソレは名乗る。

「『案内人』」

「案内人?」

「そ。案内する人。すなわち案内人。ボクのことはそう呼んでくれて構わないよ。ま、もしキミがボクに名前を付けてくれる、って言うのなら喜んでそれを受け入れるけどね」

 ははは、と笑う案内人。取ってつけたようなぎこちないものではなく、心の底から愉快だと思って笑っている笑顔だった。裏だらけの、淀んだ現実世界で見るそれとは、まったく違うものだった。

「他には?」

「君の……案内人の性別は?」

 歩生が「案内人」と呼んだことが嬉しかったのか、くすくすと案内人は笑う。

「性別……性別かぁ。名前がないのと同じで、そういう概念もないんだよねぇ……。知識としては一応知ってはいるんだけど……。でも、ボクを見た人はみんな『女の子だ』って言うね。だからそれでいいよ!」

 その後も、歩生はどうして一人称が「ボク」なのか、とかどうしてこの世界は真っ白なのか、とかたわいもない疑問を続けた。それは案内人にとっては、心の底からどうでもよい内容であったかもしれないが、最後までその笑顔を崩すことなく、歩生の疑問に答えていた。マスコットのような愛らしさが、彼女にはある。

 僕、今すごく落ち着いてるな……。案内人と会話しながら、そんなことを歩生はふと思った。胸の苦しさは跡形もなく消え去っており、目の前の少女との受け答えを、素直に楽しんでいる自分がいた。だから、このやりとりを少しでも長く続けていたい。そう純粋に思えたのだろう。気づけば、まだ出会ってそう経っていないというのに、歩生は案内人に、かなり心を許していた。

「あぁ、それじゃあ……って、もう質問が思い浮かばないな……」

「質問タイム、終わりでいい?」

「待って。えーと……あ! もう一つあった!」

「なに?」

「この世界って、どういう世界なの?」

 ……。

 案内人は、ひしと黙った。ぽかん、と口を半開きにして歩生を見つめる。ずっとハイテンションで会話をしてきた反動か、その表情はすこぶる無感情にも見えた。

「え……もしかして、訊いちゃまずいことだった?」

 耐えきれず歩生が声を出すと、案内人は一瞬で我に返り、

「う、ううん! 全然そんなことないよ!! 何でも答える、って言ったのはボクのほうだしね!」

 と言って笑った。

「じゃ、じゃあ答えるね」

 案内人は、少し重要なことを伝える時には必ず咳払いをする。そうやって、自分自身を落ち着かせているのかもしれない。

「ここはね……」

 ごくり、と唾を呑みこむ。案内人は数歩、あとずさった。前髪で隠れて見えない案内人の瞳から透けて見える、仄かな光があった。


「迷路だよ」


 変わらぬ朗らかな声で案内人は告げた。世界が一瞬、何かに揺れた。

「迷路……夢の中じゃないのか?」

「夢の中は夢の中だよ。でも、その夢が迷路になっちゃってるの。そういう所なの」

 顔を上げる。眩い光線が後光のように彼女を照らす。

「……現実世界で生きるのが苦しくなったり、生きていくうえで影響が出かねない程の心の傷を負ったりした人は、みんなここに来るの。……ううん、『来る』って表現はおかしいね。正しくは、『引き寄せられる』の。ボクもよく分かってないんだけど、でも、ボクと出会った人の中に、現実世界でまともに生きられていた人はいなかったよ」

 少し悲しそうに案内人は言った。きっと、今の僕も例に漏れることなく、死にそうな顔をしているんだろうな……そんなことを歩生は思った。

「で、でも、どうしてそれが迷路なんだ? そんなものは見えないんだけど……」

 周りに広がるは果てしなく続く、真っ白な空間のみ。レジャー施設にあるような、親子連れが入って楽しむような、華やかな道は確認できない。

「ここにはないよ。でも、もうちょっと進めば一つ目の迷路が見えてくるよ」

「一つ目……? ってことは、いくつもあるのか?」

「うん。順を追って説明するね」



「まず、ここに引き寄せられた人は、現実世界において何かしらの大きなトラウマを抱えている。それはさっき言った通りだよ。ボクは、そんなみんながちゃんとした現実での生活を送れるようにするために、存在しているんだ。キミには、これからいくつかの『迷路』を進んでもらうよ。どう進むか、そして進んだ先にどんな結末が待っているか、それはボクにすらも分からない。キミ自身の目で確認するんだ。もしかしたら、目を逸らしたくなるようなことや、悲しみしか残らないような出来事もあるかもしれない。でも、この世界が見せる夢に不必要・・・な(・)もの(・・)は(・)ないん(・・・)だ(・)。それだけは信じてほしいな」

 歩生は無言で頷く。案内人は険しい顔つきで話し続ける。体が勝手に動いているようだった。

「それじゃ、次ね。迷路の先には、色んな風景が広がっている。キミの未来の姿かもしれないし、前世の姿かもしれない。はたまた、キミとは何の関係もない、どこかの誰かが見ている風景かもしれない。でも、それらは全部独立しているんだ。この夢の世界とはもちろん、現実世界とも違う世界。バーチャル……って認識で問題ないかな。でもね、どれだけ現実にそっくりな世界でも、一人だけ、絶対に存在しない人物がいるんだ」

「存在しない人?」

「そう。それはね、キミにとって、最も大切な人。それが、迷路の先の世界には存在しないんだ。なぜかは、ボクにも分からない。……キミ。キミにとって、それが誰か、想像はできる?」

 尋ねられて、だが、返答に窮する。

 もちろん、「大切な人」と言われて、最初に思い浮かぶのは、あの女の子の姿。他にも学校で時折話したりする人はいるが、やはり彼女は別格だ。

 だが、素直に首肯できなかった。どこかで躊躇いがある。彼女への罪悪感、うしろめたさ。そういったものが、意識した途端に背中を這いずりまわる。今の僕に、茜を「一番大切な存在」として認めるだけの資格があるのだろうか。

 黙った歩生に、案内人は少し呆れた顔をして言う。

「……相手がどう思ってるかは関係ないよ。大事なのはキミ自身の気持ちだよ。キミがその相手の事をどう思っているか。それだけが、迷路の世界に影響するんだ。相手がキミのことを殺したいほど憎んでいたとしても、関係ないよ」

 どう? いる? 試すような声音で案内人は問う。

「…………うん、いるよ」

 歩生が答えるとようやく案内人は破顔して、「そっか! よかったね!」と我がことのように喜んだ。

「『よかった』? なんで?」

 真顔でオウム返しされて恥ずかしいのか、案内人は苦笑いを浮かべる。

「ボクがこれまで見てきた人の中にはね、自分にとって最も大切な人が見つからない、って人が結構たくさんいたんだ。もちろん、『多すぎて選べない』んじゃないよ。『誰もいない』の。ずっと孤独に生きてきて……あんまり言っちゃいけないんだけど、壊れる寸前っていう人もいた。だから、ね……。キミみたいに、悩みながらも頷ける人を見ると、ついボクも安心しちゃうんだ。あぁ、この人はまだ幸せなんだな、ってね」

「幸せ……僕が?」

「キミ以外に誰がいるの」

「でも、僕は……」

 案内人から視線を外し、自身の両手を見る。軽く汗ばみ、小刻みに震えていた。眠る前の、現実世界での自分の姿は簡単に思いだせる。あの中で幸せだと思ったことは一瞬たりともなかった。

「キミは、自分が幸せじゃないと思うの?」

「……」

 答えられなかった。安易に頷いてはいけないように思えた。

「……まぁいいや! 大丈夫、いま見つかんなくても、この夢の中できっと出会えるよ! ボクはそうしてみんなを救って来たんだからね!」

 力なく歩生は案内人を振り返った。小さな体を思いっきり反らして、胸を張っている。乾いた笑みが、口の端から漏れた。

「それじゃ、最後に訊くよ。キミの名前は?」

「歩生……。夏目、歩生」

「オッケー! それじゃアユム、明日からよろしくね!!」

 案内人は去ってゆく。彼女が遠ざかると共に真っ白な世界は徐々に歪みはじめ、間もなく漆黒に染められた。沈んでいた意識が、急速に浮かび上がる。

 ベッドの上で、歩生は目を瞬かせた。すぐ忘れるだろうと思っていた夢の光景は、色濃く彼の脳内に姿を残し続けた。


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