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迷路の始まり

 Dream 10


 二人はほぼ同時に案内人の前に現れた。彼らに見えている案内人は一人だが、案内人からはみんなが見える。多数の人間に、同時に対応していることになる。

「ようこそ、夢の世界へ」

 歩生と茜に対して、同時にその言葉を送る。案内人には、不安そうな、こわばった顔で自身の前に突っ立つ二人の姿が見えている。

「二人の作戦は、うまくいった?」

 答えはない。きっ、と鋭い視線が案内人を射抜く。

「はは、ごめんごめん。じゃ、ボクの作戦を話していい?」

 今回もまた返事はない。再度苦笑し、案内人は勝手に話し出……すことはなかった。

「いいや、今話すのはやめておこっ。その前に、二人に訊いておきたいことがあるんだ」

 声音を少し柔らかくして、案内人は二人に問いかける。

「キミたち、互いにちゃんと話した?」

「話した、って……何を?」

 歩生が先に尋ねる。案内人は苦笑して、

「何を、って二人のこれまでと、これからだよ。キミたちは、それぞれ精神的に良くないことがあったからこの世界に飛ばされたんだ。……ココで起こることを経て、現実世界でちゃんと生活を送れるようになるためにね」

 案内人の声を聞いて、歩生は茜を、茜は歩生を思い浮かべる。

 いつかは思い出せなくなるのだろうか。ふと、そんな不安が互いの頭をよぎる。

 重々しい想像を払いのけるように、茜が口を開いた。

「……話し合っても変わんないよ。だから特に話してない。でも、これまでのことは話したよ。互いにちゃんと話した。そのうえで……そういう結論に至ったの」

 うんうん、と案内人は頷く。その瞳が、薄く開く。

「もう、後悔はない?」

 その言葉には重みがあった。これまでにも幾度か聞いた、彼女の重い言葉。でも今回のそれは、これまでのものとは、どこかが違うように感じられた。二次元的なものが、三次元になったような。それぐらいの変化があるように思った。

「キミたちは、この世界で見た夢の都合上、確かに離れ離れになる運命になった。でも、それは嫌だ。二人の様子はずっと見てきたからね。今の二人の現実での状態とか、精神的な状態とか、実はきちんと把握しているんだよ。そのうえで考えてみても、さすがに今(、)の(、)まま(、、)で(、)離れさせるのは得策ではないと思う。……ボクの、この世界の管理が甘かったみたいだ。それはゴメン、素直に謝るね」

 そう言って、ぺこっと小さく頭を下げた。歩生も茜も、表情一つ動かさなかったし、何も話さなかった。案内人を責めることもしなければ、「そんなことないよ」と慰めることもなかった。ただ、その小さな体を、見下ろしていた。

 その沈黙に耐えかねたのか、数十秒後に案内人はゆっくりと頭を上げた。再びその瞳で二人を見上げる。

「……もうすぐボクの作戦は実行される。これが、キミたちにとって『最後の時間』だ」

 そう言った刹那、案内人の姿が消えた。突然のことに二人の体が同時に震える。そんな彼らの脳内に響く、いつもの声。

――最後に、二人きりの時間をあげる。今からその真っ白な世界は、少しずつ変わっていくよ。その世界が真っ黒になるまでが、キミたちの時間だ。その会話はボクにも聞こえないようにするから、ゆっくり話すといいよ。じゃあね。

 案内人の声がそこから消えると同時に、茜は、視界の端がすでに黒くなりつつあるのに気が付いた。どうしよう……そんな言葉が溢れる前に、眼前に歩生の姿が現れる。

「歩生くん……っ!」

「茜……」

 驚きと不安で、それ以上の言葉は出てこなかった。元気に賑わう街中が、静かな夜に覆い隠されていくように、その世界にも夜が訪れかけていた。

「私たち……どうなると思う?」

「わかんないよ。あいつが考えていることだ。僕らにわかるはずがない」

「それはそうだけど……でも折角話せる関係に戻れたのに……別れなくちゃならないなんて……」

「……でも、案内人は僕たちが別れずに済むようにしてくれるはずだ。今は、あいつを信じることしかできないよ」

 二人を囲む世界は、彼らの心の中を表しているようだった。白が、黒に。喜びが、不安に。希望が、絶望に。ぜんぶ、塗り替えられていく。

「……もし、それでも本当に別れることになったらどうする?」

 白い部分が消えていく。半分以上が、黒に染まっている。

「その時は」

 でも、絶望があるのであれば。

 絶望があるということは、きっと希望がある。

 絶望は、希望がなければ存在しえない。絶望だけしかない世界など、存在するはずがない。概念的な意味でも……そして、現実的な意味でも。

「……その時は、また茜に会いに行くよ。また一人でいる茜に声をかけるよ。僕が昔やったみたいに、小学校の教室でそれができるかはわからない。……でも、またあの世界のどこかで、篠田茜っていう女の子に、おずおずとでも、絶対に声をかけるよ。そしたらまた……やり直そう」

 案内人は言っていた。「これはキミたちのために必要なことなんだ」と。これもきっと、僕たちに与えられた運命だ。歩生はそう思う。

「……これから長い迷路が始まるよ」

 囁くように歩生は言う。流れに乗るように、今度は茜が口を開く。

「そこにはいくつもの分岐点があって、その先には色んな未来とか運命とかが待ってる」

 選択肢が少なければ、目的の人と会える確率は上がるかもしれない。でもそれは、選択肢の中に、「あの人と会える道」があれば、の話だ。母数が少なければ、それが含まれる可能性は必然的に低くなる。

「だから――」

 分岐点が多ければ多いほど、複雑に入り組んでいれば入り組んでいるほど。あの人と会える可能性は高くなる。

 信じることは、ただ一つ。


――迷路の先に待っている希望が、


 互いの姿が見えなくなる。希望が消えていく。しかしそれは、今の希望だ。未来の希望、そして未来への希望は、まだ消えていない。


――それが、『あなた』でありますように……。


 *


 もう、自分がどこにいるのかもわからない。歩生の、茜の、それぞれの姿はもちろん、声も聞こえなくなった。

 何も、わからない。怖い。不安だ。そんな気持ちが、体の中を駆け巡る。そんな不快感の中、案内人は聞こえると信じて、案内人に向かって音を投げた。

――なぁ、今からこの作戦を中止させることはできないのか? いくら夢の力とは言え、自力で僕たちが別れるっていう未来を変えることはできないのか?

 すぐに案内人から返事はあった。

――それは無理だよ。

――なんで……っ! 

――なんといっても、ボクは案内人だから。案内人は、ここに来るすべての人のことをわかってなくちゃならない。彼らにとって、最善の人生に向かわせるためにね。……実を言うと、ボクの力でこの暗闇の進行を止めることは可能だ。でも、それをするとキミたちは別離という不可避な未来を受け入れるしかなくなる。このまま進めれば、その未来は消える。どっちがいいんだい? もう時間はないよ。

 歩生に、答える時間が与えられなかった。いや、それを、歩生自身の心が拒絶したと言ったほうがいいかもしれない。彼の視界に、一瞬だけ小さな白い光が見えた。それは白の世界のような、異世界的な色でもなく、安い絵の具のような、人工的な色でもなかった。

――もう、弾けるよ。次にキミがいるのは、確実に「現実」だ。夢、なんかじゃないよ。

 それは、「陽の光」だった。

 気づいたときには、黒の世界は消えていた。

 長い長い、迷路の入り口に、彼は立っていた。



 **


 ここは現実なのか、夢なのか。最後の案内人の言葉がまだ残っていたとはいえ、一瞬は分からなかった。現実だと言われれば充分に現実だ。でも夢と言われれば、確かに夢でもあるかもしれない。

 自分がどこに立っているのか、それだけでも把握しようと思い、周りを見渡す。

 そこは児童公園のようだった。小さい子どもたちが色んな遊具で戯れ、その様子を家族が遠くから見守っている。どこででも見られるような、平和な日常の一ページだった。

「ほら歩生。アナタもいってらっしゃい」

 頭上から大人びた、穏やかな女性の声が聞こえた。誰、と一瞬は思ったが、その声には聞き覚えがあった。しかし、それを脳内で言語化する前に、本能で体が動いていた。吸い込まれるように、自分は子どもたちのもとへ向かっていく。「まーぜーて!」

 その後のことは、よく覚えていない。ひたすらに友達と遊んだ。母親が自分のことを呼びに来るまで、これまでの鬱憤を晴らすかのように、一心不乱に遊んでいた。



 その夜、ある夢を見た。

 名前も知らない女の子と遊んでいる夢だった。

 親しげに自分の名前を呼んでくる。

 名前は分からないのに、夢の中の自分はなぜか彼女の名前を呼んでいる。

 朝起きると、枕が薄く濡れていた。

 でも、記憶の中に彼女はいなかった。



 **


 案内人は、すべてを知っておかなければならない。それが、ボクの仕事の一つ。

 案内人の仕事は、彼らを正しい道へ導くことではない。正しい「かもしれない」道を、彼らに示すことだ。これで、彼らは別れずに過ごせる「かもしれない」。出会える「かもしれない。恋に落ちる「かもしれない」。ボクは、彼らが別れる「ことになる」確率をゼロじゃないようにした。ただ、それだけのことだ。だからもちろん、アユムは別の誰かを好きになるかもしれない。アカネは別の誰かと結婚するかもしれない。でも、それでも彼らは幸せになれるはずだ。人生に……青春というものに、正解はない。本人が幸せだと思えるのであれば、周りがそれをどう言おうが、正しい青春なのだ。ボクたちは、そのために、存在する。



 **


 桜が、舞っている。穏やかな春の風に、道を行く人たちの整えられた髪の毛や、初々しい制服も、揺れている。

 今日は、街の私立高校の入学式。厳しい入学試験を突破した者の表情には、これからの高校生活に対する不安も一定量あるが、でもそれよりも安心感や、期待の方が多いように感じられる。

 長い式が終わり、生徒たちは自分のクラスを確認し始める。同じ中学校の友達がいるかいないか、それは彼らにとって、まず初めに頭の中に入れておきたい内容であった。

 しかし、そんな喧騒を横目に、自分の名前がある場所を確認して、目的の場所へと一人で向かっていく男子の姿があった。彼には、同じ中学の知り合いはいない。全く新しい場所で、全く新しい関係を築いていかなければならない。試験に受かった時は大いに喜んだものだが、いざこうして学校が始まろうとしていると、圧倒的に不安の方が大きくなる。

 教室に辿り着き、自分の席に座る。横の席には、すでに人影があった。みんな、まだ階下にいるのか、教室には二人しかいなかった。

「……夏目、歩生っていうんだ。よろしく」

 その子は、大きな瞳で彼を見た。

「私、篠田茜。よろしくね!」

 そうして、二人はまた。

 地獄のような、最高の青春を過ごすための人生を、創り上げてゆく。


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