第446星:呆然
翌日の朝。
千葉根拠地は再びどこか気の抜けたような雰囲気が漂っていた。
無理もない話ではある。
あれほど人の良かった神宮院 アンナが、『レジスタンス』の捕虜を連れて逃亡したのだから。
咲夜がいつものように訓練に参加し、全員に喝、無いしは激励を入れたが、それも微々たる効果しか与えることはできなかった。
高いカリスマ性を持つ咲夜であっても、朝陽の昏睡状態、アンナの逃亡と、立て続けに暗いニュースが続いた状況では、士気を上げるのも難しかった。
それでも、根拠地の面々はそれを表面上は出そうとせず、いつも通りに振る舞っていた。
事情を知る咲夜からすれば、痛々しい思いではあったが、その点には素直に三咲達に心の奥底で賛辞を送っていた。
そして早朝の訓練を終え、各々は軍務へと移る。
咲夜も大和の待つ執務室へと移動し、ソッとドアの扉を閉めた。
「それで…どうなさるおつもりですか?」
そして入室早々、部屋の中央で黙々と作業をしていた大和に、キツイ口調で問い詰めた。
大和は肩をビクッとさせながらも、恐る恐る顔を上げた。
「かろうじて表面上は保っているとはいえ…、士気の低下は明確です。常に死地に向かっている彼女達には、やはり酷だったのでは?」
大和は進めていた作業の手を止め、「フーッ…」と大きく息を吐き出しながら、椅子に背中を預けた。
「…そうだね。少しボクの考えが至らなかったかな。彼女の影響が、まさかここまで大きいとは思わなかった」
大和は自らの非を素直に認め、困ったような様子を見せた。
「…ですが、間違ったことだとお考えにはなっていないのですよね?」
「まぁ…ね」
咲夜の言葉に対し、大和はこれにも肯定した。
「あのままなら、渚君達は確実に最高本部に連行されていた。恐らくだけど、情報を引き出すために、強引な手を使うこともあり得ただろう。それは…避けたかった…」
目頭の部分を抑えながら大和が呟くと、咲夜は小さく息を溢しながら答えた。
「…先日申し上げたように、私は大和の決定には従います。大和がお考えになられていることも理解できています」
咲夜は「ですが…」と続ける。
「貴方は千葉根拠地の司令官です。全てを救おうという貴方の心構えには、どこまでも尊敬致しますが…今の立場もお考え下さい」
咲夜はゆっくりと大和のいる机へと歩み寄り、大和の顔を覗き込みながら続けた。
「大和…貴方は全てを背負い込み過ぎです。根拠地司令官…いえ、関東総司令官という立場はあるかと思いますが、それでも行き過ぎています」
「咲夜…でもボクは…」
「貴方が世界を変えたがっているのは分かっています。ですが、過去の私を思い出してください」
「…!」
遮るようにして紡がれた言葉に、大和は閉口してしまう。
「私は一人で全てを背負い、そして身を滅ぼしながら失敗しました。全てが同じとは言いません。ですが、今の大和は、その時の私と似た道を進んでいます。このままでは、貴方の身も滅ぼすことに繋がってしまいます」
その言葉には、強い説得力があった。
何故ならそれは、100年前に咲夜自身が経験してきたことだからである。
その壮絶さを大和も聞いてはいたが、それを実際に経験した咲夜の言葉は、大和が普段発する言葉以上の強さがあった。
「…けど、実際に行動しなくちゃ何も変えられない。立ち止まっているだけじゃダメなんだ。だから、例え身を滅ぼすことになるとしても俺は…」
力強く握りしめられる大和の拳に、ソッと咲夜の手が添えられた。
「その気持ちは十二分に理解できます。自分がやらなくては、自分が動かなくては、そういった気持ちに駆られるのもよく分かります」
「…なら」
「だからこそ」
そして咲夜は、添えた大和の拳をキュッと優しく握りしめた。
「もっと私達を頼ってください。貴方を助けたいと思っている人は、貴方を理解している人は、一人では無いのです」
「…!」
添えられた手を見た後、その言葉を受け、大和は咲夜の顔を真っ直ぐ見た。
「私と同じ過ちを犯す必要なんてありません。私は周りが見えず失敗した。けれど今は、貴方が側にいると知り、そして支えることが出来る。貴方が、その事に気付いて貰えるように」
「…咲夜…」
咲夜の言葉は力強く、そしてどこまでも真っ直ぐで、大和の心を響かせていた。
「貴方の周りには私と同じく…いえ、それ以上の理解者がいます。ですから…もっと私達を頼ってください。私達を信じて下さい。例え何があろうとも、貴方がこの根拠地でしてきた功績と信頼は揺るぎません。皆が貴方を慕っています」
大和の手を握る力は次第に強くなり、それに比例して口調も強くなっていった。
その咲夜の言葉が、大和の心を開放し、一つの決断をさせた。
「…本当に、その通りだね、咲夜」
被せられた手の上に、更に手を被せ、大和は柔らかい口調で答えた。
「ボクは少し…自分を見失っていたのかもしれない。皆から信頼を集めようとして、実際に信用してくれているのに、ボク自身がそれを無碍にするところだったよ」
咲夜が改めて大和の顔を見ると、そこにはいつもの温和な表情を浮かべた大和の姿があった。
「ありがとう咲夜。君が隣にいてくれて…側で寄り添ってくれて本当に助かったよ」
大和の優しい笑みに釣られ、咲夜も同じく笑みを浮かべる。
「…そのために、貴方の側にいると決めましたから」
咲夜は大和から手を離し、いつものように咲夜の隣に立った。
「咲夜」
「はい」
「何時でも良い。根拠地のメンバーを集めて欲しい」
「分かりました」
その内容については問わず、咲夜はただ一言、了承の言葉で答えた。
●●●
────同刻、根拠地医務室
医務室は静まり返っていた。
沙雪も所用で離れており、人の気配もなく、ただ開けられた窓から吹く風で、カーテンが揺れるだけであった。
窓からは風だけでなく強い日差しも射しており、その光がベッドに横たわる朝陽を照らしていた。
しかし、その日光とはまるで別の淡い光が、いま朝陽の身体を包み込んでいた。
『……』
そして、その直ぐそばには、同じ光に包まれた謎の人物が立っていた。
しかし、何故かカーテンに影はなく、側から見ればそこには誰も居ないように見えた。
『貴方は…身内だけでなく、かつての敵であっても心を許す器の持ち主なのですね』
その声は周囲には聞こえない。
しかし、発せられる言葉は、向けられた人物の心に直接響いているようであった。
『…だからこそ、それほど想いが強いからこそ、身内を貶されたことに憤り、あのような無茶をなされたのですね』
謎の主の声は優しく、それでいてどこか憂いているようであった。
『…貴方はどこまでも優しい方。それでいて、いつまでも純粋なまま…まるでかつての……』
それ以上言葉は紡がれることなく、しばしの沈黙が続いていた。
やがて、光を纏った人物は、ソッと朝陽の額に手のような部分を当てた。
『…私が出来るのはこのくらい。ですが、これが貴方の救いになるのなら…』
その人物が纏っていた光が一層強くなり、その光が朝陽の額に集中していく。
『…どうか、彼女と同じ道を歩まんことを…そしてどうか、私と同じ過ちを犯さないことを…ただ切に願います…』
そして、その光がパァッ…!!と強くなり────
「誰ッ!!」
その瞬間、カーテンがバッと開かれた。
用事を終え、医務室に戻ってきた沙雪が、側からは気付かない異変に気付き、カーテンを巡ったのである。
「……?」
しかし、カーテンを開けた時、そこには誰もおらず、確かに感じたはずの異変も無くなっていた。
「なに…?気のせい…?でも確かに…」
沙雪は口元に手を当て、考え込む様子を見せる。
そして、朝陽の方に目を向けるが、特に異変は無かった。
「…日の光と勘違いしたのかしら…私も気が立ってるわね…」
そして、沙雪がカーテンを閉めてその場を後にしようとした時だった。
「う…うぅん…」
布団に横たわっていた朝陽が、声を発した。
※本日の後書きはお休みさせていただきます
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は金曜日を予定しておりますので宜しくお願いします。




