Sagaー 1 ー
100年前
平和な世界に一つの隕石が降り注ぎました
それは世界を恐怖に陥れ、そして絶望をばら撒いたのです
誰しもが諦め、望みを捨てた世界に、人々は希望を見ました。
ですがそれは、他者から見た希望
希望となった少女は、やがてその輝きを失っていくのです。
さぁ、悲劇の物語を始めましょう…
本文
そう、このお話は全ての始まり、言うなれば原初の物語です
100年前のあの日。一つの隕石から全ては始まったのです。
これは、私が壊れていく物語です。
その日は雲ひとつのない晴れた日でした。
だからこそ、上空から降り注ぐ隕石の姿は、よりよく目立っていました。
何故隕石の接近に気付かなかったのか。その理由は私には分かりません。
もしかしたら直径20mにも満たない隕石は、私達に関心と不安を与える程の出来事ではなかったのかもしれません。
実際、太平洋沖に隕石が墜落したと報道が出ても、私達の生活に影響を及ぼさないと知ると、一部の好奇心旺盛な人にのみ興味関心が持つ程度の話題性でした。
私は持たない側の人間です。いえ、正確には興味を持つことを許されませんでした。
外部の情報は、殆ど知ることが出来なかったからです。
私の家は昔から様々な分野において名を馳せてきた、所謂、名家でした。
その家の長女として生まれた私には、当然厳しい英才教育を施されてきました。
勉学はもちろん、華道や茶道といった芸術面、柔道・剣道といった武道面、話し方や所作などの社交性も全て完璧を求められました。
それを苦に思わなかったと言えば嘘になります。
私に英才教育を施す母はからは、常に「これは全て貴方のためです」、と繰り返されていました。
これが本当に私のためになるのかと疑問に感じはしましたが、将来の糧になるであろうと納得させ、私は母に従い経験を積み続けてきました。
そんな漠然とした日々を過ごしていたある日、それは降り注いだのです。
隕石はしばらくは私達になんの害も与えませんでした。
しかし、間も無くして隕石は私達にキバを剥き出したのです。
謎の体調不良を起こすものが増え、少しずつ人類の肉体を蝕んでいき、ついには死者が現れました。
原因は隕石から出されていた謎の粒子(ウィルスの方が正しいのでしょうか)のせいであったと、連日報道されていました。
その話は私達にも無関係ではなく、優しくも病弱であった父は、そのウィルスに罹り、あっけなく命を落としました。
不幸中の幸いだったのは、私を含め母と妹はこの時その症状が見られなかったことです。
ですが、本当の不幸じごくはここからでした。
それから間も無くして、政府が隕石に向けて攻撃を始めたという報道を見ました。
恐らく、ウイルスを蔓延させている原因そのものを絶とうとしたのでしょう。
日本中の誰もがその映像に注目する眺める中、ソレは姿を現しました。
人間の形をしたナニか、後に『メナス』と名をつけられた化け物が、私達の町を襲い始めたのです。
それからの数日は、ハッキリとした記憶はありません。
『メナス』の襲撃の余波は私達の地にも及び、避難と逃亡の日々となったからです。
当時の防衛隊の方々が抵抗をされていたそうですが、あの化け物には効果など微塵もなく、人類はただ蹂躙され、その数を減らしていくだけでした。
程なくして、政府は秘密裏に建造していた地下施設があることを発表しました。
避難したのは、『メナス』が現れてから十日程経過してからであったと思います。
収容可能人口は3000万人程と言われ、超巨大規模の地下収容所でした。
しかし、人口が一億を優に超える日本では、その収容者は選抜されるのでは無いかと思われていました。
ですが、結果的に言えばその必要はなく、選定がされることもありませんでした。
何故なら、地下収容施設誘導の段階で、既に日本の人口はそれ以下まで減っていたからです。
正直に申し上げて、驚きはありませんでした。
『メナス』の破壊行動は、本当に災害そのもの。
地割れや津波が意識を持って移動しているようなものでした。
その災害が、半月近くも続いていたのに、4分の1程の人が生きていたと言うことの方が驚きでした。
私は別に冷静でいるわけではありません。
父を失い、逃げ続け、地下に収容され…頭の理解が追いつかなかったのです。
ですが、母は違いました。
指揮を取る筈の立場である政府関係者がおたついている中、母は率先して地下で暮らす方々に指示を出していました。
それだけでなく、怪我人や意気消沈とした人々を励まし、鼓舞し続けていたのです。
その想いは少しずつ伝染し、地下にいた人達は少しずつ活気を取り戻していきました。
この時、私は初めて母の偉大さに気付き、そして母が私に教えようとしたことを知ることが出来たのです。
情けない話、この時になって初めて母を尊敬しました。同時に、母が力強く、そして優しい笑みを浮かべる姿を見て、私は嫉妬心を抱きました。
何故、娘である私にその想いを向けてくれなかったのか、と。
その答えは分からないままでした。
地下に移住してからひと月後、母は亡くなったからです。
母も、例の隕石から発せられたウィルスに犯されていたのです。
そこからの周りの手のひら返しは、本当に見事なものでした。
人から人へ感染することがないことは既に究明されていたにも関わらず、人々はまるで母の肉体を汚物を消毒するように即座に火葬したのです。
最後の邂逅も叶わぬまま、母の遺体をその後、姿を見ることはありませんでした。
地下施設に火葬場があることには思わず失笑が溢れましたが、私の妹はただただ絶望に明け暮れていました。
毎日涙を流し、日に日に暗くなっていく妹を支えることが、私の唯一の生き甲斐となっていました。
幸いなことに、母は地下に入ってから私達に深く関わっていなかった為に、日の目が私達に当たることはありませんでした。
もしかしたら、母は自身がウィルスに感染していたことに気付いており、敢えて私達との接触を避けていたのかもしれません。
今となっては真実は分かりませんし、どうでも良いことですが。
●●●
地下での生活が1ヶ月程続いた時のことです。
地上の様子は設置されたカメラにより、映像がモニターに映し出され、定期的に確認することが出来ていました。
中には当時のトラウマが蘇り、見ることを拒むものもいましたが、大多数の人は懐かしむようにその映像を見ていることが多かったように思います。
私達姉妹もその大多数の側でした。
映像は、確か小型の無人遠隔操作航空機などによって撮影されたものであったと思います。
その時、本当に偶然、私達の家が映し出されたのです。
家は奇跡的に、と言うべきでしょうか、ほぼ無傷の状態でした。
だからこそ、でしょうか。妹はあるものに気付いたのです。
「あれ…お母様が私達に買ってくれたお人形…」
妹はそう小さく呟きました。
その言葉に釣られて映像を注視して見ると、確かに縁側にクマの人形らしきものが横たわっていたのです。
それは、確かに母が妹の誕生日にプレゼントしたものでした。
母は、妹には甘かったのです。
といってもベタベタに甘かったわけではありません。ただ私のように英才教育を施さなかっただけの話です。
ですから妹も、私が抱いていた様な母への複雑な感情は一切なく、純粋に母を好いていました。
私は妹を妬んだことは一度もありません。ですが、何故私だけ、と悩まない日はありませんでした。
そんな母でしたが、一度だけ私達の我儘を聞いてくれたことがありました。
それは2年ほど前。当時、私が10歳で妹が5歳の誕生日の時です。
道端の途中であの人形を見つけ、妹が母にねだったのです。
母は当然ダメだと突き放しました。しかし、まだ5歳児であった妹は納得できず、駄々をこねました。
妹の願いを叶えたいと言うよりも、母を怒らせる方が怖かった私は、最初は妹を宥めようと試みましたが、火に油を注ぐだけであると言うことには気付いていました。
ですから私は妹に与しました。その分、私が頑張りますから、と添えて。
この時、母が予想外にも折れたのには、父が関係していたのでしょう。
未だに信じられない話ですが、二人の馴れ初めは母の一目惚れから始まったそうなのです。
結婚後は母に頭の上がらない父でしたが、決して尻に敷かれていたわけではなく、言うべきことはハッキリと言う、芯の通った方だったのです。
その時も父はハッキリと母に告げました。
「どれだけしっかり育てようと、咲夜も白夜もまだ子どもだ。ボク達が愛のもとに二人に成長を求めるのなら、この子たちからの愛情の要求にも応えてあげるべきだよ」
何年経とうとも、母の父への愛は枯れておらず、そして本当に必要な時に言い切る父の性分を理解もしていたため、その時母から初めてプレゼントを貰ったのです。
その時の喜びの感情は、今でもハッキリと思い出すことが出来ます。
何故なら母は、妹の白夜だけでなく、私にも人形を買ってくださったからです。
あぁそう…同じようにその時が初めてだったかもしれません。
プレゼントされて驚いている私に、母は頭に手を乗せ、優しく微笑みながらこう言葉をかけてくれました。
「咲夜、貴方は良く頑張っていますよ」
耳を疑うような発言でした。まさか、母から褒めて貰えるなんて、思いもよらなかったからです。
私にとっては人形よりも、その言葉の方が強く思い出として残っていました。
嬉しかった。今まで取り組んできた努力の全てが報われたと思いました。
…話を戻しましょう。そういった経緯もあり、妹はその時の人形をずっと大事にしてきました。
ですが、あの騒動の中では流石に持ってくることは叶わなかったようで、最初の頃はずっとそれで嘆いていました。
暫くしてからは諦めがついていたようでしたが、今の映像を見てしまい、再びその想いが再燃してしまったのでしょう。
無理もありません。母が亡くなったいま、妹にとってあの人形は母の形見といっても良いモノです。
映像はすぐに別の場所に変わってしまいましたが、妹はその後も暫くモニターを眺め続けていました。
この時の白夜の顔は、とても切なく儚いもので、姉としてどうしてもこのままにしておくことは出来ませんでした。
「白夜、お姉ちゃんと約束出来ますか?」
思えば、この時のこの言葉、行動が私の未来を大きく左右していたのでしょう。
後書きです
すいません!やはりこちらに修正しました!




