由起は冬威を二度愛し、冬威はもう一度由起と向き合っていた
冬威の由起への特別な想い。
由起は冬威を二度愛し、冬威はもう一度由起と向き合う。
冬威の腕時計は時を刻み由起との時間を取り戻す…
『地獄覗きアタック』を無事クリアした冬威と由起。
一旦ふもと付近まで戻り大仏や日本寺を見て回った。
鋸南町からのルートにも少し足を運ぶ。
武漢エリアと呼ばれる場所にはたくさんの観音像があり順路にはお地蔵さんもたくさん安置されている。
頭がないお地蔵様を頻繁に目にする一向。
戦時中、出兵する前に兵隊さん達がお地蔵さんの頭をお守り代わりに持って行ったのだと言う。
そして、無事帰って来た時にお地蔵様に借りて行った頭を返したのだと。
しかし冬威たちが目にする多くのお地蔵さんには頭がなかった。
鋸山は戦争の悲哀を感じさせる場所でもあった。
戦場へ旅立つ者の生への渇望や残された家族への想い、愛がしっかりと残る場所なのだ。
日本寺でおみくじを引く女の子たち。
冬威は少し離れてベンチに座りその様子を見ている。
『もうそろそろいったん戻ろう…こっちはしばらく大丈夫そうだ…。201x年5月6日10時50分…』
冬威はアラームをセットするとまるで瞑想状態に入ったようにうっすらと目をつぶる。
「あれ? 見て見てお兄ちゃん寝ちゃってる?」
美優が冬威の姿を見て言う。
「冬威疲れたんじゃない? 地獄覗きもビビりまくってたし~」
「大丈夫かな? 冬威…」
由起が心配気に言う。
「大丈夫だって~。ああ見えて結構タフだから~」
双子が声を合わせて言う。
しかし美優は、そう言いながらも心の中で想いを巡らせていた。
『お兄ちゃん…なんかまた雰囲気が違う気が…。あれ? 腕時計がない。確か腕時計つけていた気がするけど…』
美優が冬威の姿をしげしげと見つめている。
美優の様子を見た美夏がその様子を由起に悟られないように話題を変える。
「それよりおみくじどうだった由起ちゃん?」
「美夏ちゃんはどうだった~」
「美夏は凶だった…」
「美優は中吉~待ち人現るだって~。誰だそりゃ?」
「由起は大吉だった~。願い事叶うだって~」
「良いな~由起ちゃん!」
3人の女の子が嬌声を上げてはしゃぐ。
美夏の乗りに美優もすっと入り込み話題は冬威から遠ざけられた。
『ピピピピッピピピピッ』
腕時計のアラーム音が鳴り響き冬威がハッと目を覚ます。
いつもの体育館脇のベンチだ。
目を覚ますなり腕時計を確認する冬威。
『201x年5月6日10時50分…無事着いた…。っとまだ多少体痛いけど…。なんかだいぶ痛みは取れて…でもこれはどういう効果なんだろう? まぁいいや痛みが取れればこの際今は何でもいい』
そう心の中で呟くと冬威は講堂に向かって走りだす。
まもなく講堂に着くと、幸いまだ教授は来ていない。
そしてギリギリに入室はしたものの冬威が座るのは決まって一番前の席。
当然誰も座っていないはずだがそこには由起が待ち構えるように座っていた。
しかしそのたたずまいはどこか所在なさ気であった。
「由起っここに居たんだ! 間に合ってよかった~」
まずは何事もなかったように隣に座る冬威。
「冬威…」
何か言いたげな顔で冬威を見る由起。
「ん? どうした由起?」
敢えて一回は流す。
「さっきの杖の女の人って誰?」
色々考えたがやはり聞かずにはいられなかった由起。
そして今の由起には聞く権利があるという確固たる自信もあった。
「卯月先輩のことだね。前に校門のすぐそばの校舎で転びそうになった卯月先輩に出くわしてさ、それから顔見知りなんだ」
冬威は包み隠さず伝える。
「なんか冬威…あの先輩がああなる事わかってたみたいな行動だった…」
由起は冬威の事を追いかけ様子を一部始終見ていたことをそれとなく伝える。
そしてそれは、ついさっき目の前で繰り広げられた光景を色々な側面から考察した由起なりの見解でもあった。
校門そばの校舎から必死に誰かを探していた冬威。冬威は研究棟の階段にいる卯月を見つけるや否や一気に走り寄りまさに転落しようとする卯月に迷いなく飛び込んだ。
その様子は、卯月が転落することをあらかじめ知っていたからこそ取れた行動だと考えるのが由起にとって一番しっくりくる結論であった。
「…そうだよ由起。俺は知っていたんだ。卯月先輩は階段で転んでしまった。その前に転びそうになった時は俺が偶然居合わせてキャッチできた。だけど次に転んだ時、俺は先輩のそばにはいなかった…。先輩がまた転ぶことを予見できたはずだったのに、俺は何の行動もとらなかったんだ…。結果先輩は亡くなってしまった…」
冬威は周囲の学生に聴き取られないよう由起にだけに向けて小声で話す。
「は? 何言ってるの冬威? あの先輩、さっきちゃんと生きていたじゃない? それに階段で転んで死んじゃった人がいるなんて話、由起は入学してから一度も聞いたことない」
由起の表情が厳しくなる。
「そうだよ、それがさっきだったんだからね…」
冬威がよどみなく言う。
「冬威は一体何を言ってるの? 由起に何か隠したいことがあるからそんな訳のわからないことを言ってるんじゃないの?」
由起は胸に抑え込んでいた想いを口に出した。
二本の杖を突き懸命に前に進む卯月の姿は、自分にない儚くも強い美しさを持つ女性として映っていた。
そして冬威がその美しさに魅かれているのだと。
「俺は嘘なんか言わないよ…。特に由起には嘘も見栄も意地も張らない…。遠慮もしないって決めたんだ。俺は由起が必要とすることを、望むことを、由起が本当に言いたいことをいつだって全部聴く。俺はその為に由起のそばに来たんだから」
冬威の目は由起をしっかりと見つめる。
冬威は由起の思惑を否定することなく全部を包み込んだ。
その目に、言葉に、一欠けらの嘘も見出すことはできない。
冬威の言葉は由起への慈愛に満ち溢れている。
由起は言葉には出来ないレベルではあったが、それでもしっかりと感じ取っていた。
かつて自分が冬威に言った『由起の好きと冬威の好きは違う』
この言葉を言った時に自分が感じ取っていた本当の意味を。
由起は冬威を二度愛し、冬威はもう一度由起と向き合っていた。
しかしまだ由起にはその真意はわかるはずもなかった。
講義が始まる前の講堂は学生たちの呟きでざわめいていた。
ざわめきは冬威と由起には届かない。
ふたりはふたりだけの空間を創り出していた。