冬威 ~由起との遭遇~
冬威の母と由起の奏でる狂想曲に冬威はたじたじ。
キッチンでお茶の準備をする冬威の母と由起。
まるで親子のように良く似ているふたりが並んで楽しげに話をしている。
「お母さん、カップはこれでいいですか?」
「そうそう、それでいいわ」
由起はカップを三つ用意する。
「冬威の分も用意してくれてるのね」
「冬威君、電車の中でも接続待ちの駅でもなにも飲まないで本に夢中だったから…」
「由起ちゃん優しいのね。冬威のことしっかり見てくれてる…。ん? 由起ちゃん? もしかして冬威の後をつけてうちまでたどり着いたの?」
冬威の母が人差し指を顎に持ってきて首を傾げて言う。
「…ごめんなさい女の子なのに変ですよね…」
しょんぼりと言う由起。
「そんなことないわよ? 由起ちゃん」
由起の姿を見て冬威の母が言う。
「冬威君、由起がおうちに行くって言ったら、きっと反対するから…」
「そうなのよね! あの子バカまじめな父親に似てそう言うところあるから! 可哀そうに独りでこんなところまで不安だったでしょ?」
「ううん…こっそり冬威君を見ることが出来たから、普段のありのままの彼を知ることが出来てうれしかったし…なんだか安心しました」
「安心? って」
「だってお母さん? 冬威君隣にどんな可愛い子が座っても脇目もふらず本に夢中だったんですよ。由起なんだか安心しちゃいました」
「ぷっそうなの? あいつは本当によくわからない奴だ…」
冬威の母がおかしそうに笑い由起も笑った。
「由起ちゃんコーヒーにする? 紅茶が良い?」
「私はコーヒーでお願いします」
「じゃあ私もコーヒーにするかな…」
「この間、稲毛海岸駅にあるカフェに連れて行ってもらったんです。そこのコーヒーがとてもおいしくて。それからなんだかコーヒーが好きになっちゃいました」
「稲毛海岸のカフェって…もしかしてカフェリンダのこと?」
冬威の母が懐かしい人の名前を聞く様に言う。
「そうです! カフェリンダ!」
「そうなんだ…由起ちゃん? やっぱり冬威はあなたのこと気に入ってるのよ」
「え? どうしてですか?」
「あのカフェは私たちも千葉方面に行くとよく寄るの。冬威も小さな頃から一緒に行ってるわ。でも…今まであの子が女の子はもとより他の誰かをあそこに連れて行ったことなんてないわ。冬威にとって結構お気に入りの特別な場所みたい。だからやたらな人には知られたくない、みたいなね」
「そうなんですか…なんだかうれしいです」
由起の顔がみるみる明るくなる。
由起が、お手製のクッキーとコーヒーカップをダイニングテーブルに運ぶ。
「さてと、そろそろ朴念仁冬威を呼ぶかな…」
冬威の母がそう呟くと、母が声をかける前に階段をリズミカルに降りてくる足音がした。
冬威が階下に降りてきたのである。
由起が気まずそうな顔をするのを見逃さない母。
そこにリビングのドアを開けて、冬威が本に目を落としながら部屋に入ってくる。
長い髪の毛は後ろで束ねられている。
「冬威! 本読みながら歩いたら危ないでしょ!」
そんな冬威を母が咎める。
「いや~感動した! 生きててよかった! 俺はこの本を読むために生まれて来たんだよきっと」
冬威は本に目を落としながらソファーに座り大げさに言う。
「何言ってるのこの子は?」
「最近スティーブン・キングにはまっててさ、キングはホラー小説の巨匠で母さんたちの世代だったら…シャイニングだとかキャリーだとかペットセメタリーとかだと思うんだけどさ…」
「シャイニングって映画は知ってるけど見たことないわ。そんなに年寄りじゃないし! ホラーって言うよりスタンドバイミーとかの方が印象的よ!」
「そうそうまさにそれが言いたかったんだよ!スタンド・バイ・ミーはキングの中編小説集、恐怖の四季の秋編に属するんだけどさ! キングはホラーだけじゃなくてこう言う感動的な話も良いんだよ~。ってあんまりハッピーエンドの作品ってないんだけどさ。このゴールデンボーイってのに収録されてる刑務所のリタ・ヘイワース! これが…最高! 要は優秀な銀行マンが妻とその不倫相手殺害の罪で終身刑になるんだけどさ、これが冤罪なの! そこから主人公はいろんな苦難を乗り越えてさ、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくんだよ! そんで最後は…くーっそう来るかよ! って感じ!」
冬威が興奮して一気に捲し立てる。
「昨日から電車の中で夢中で読んでさ、今部屋で読み終わったんだけど…本当だったら徹夜で読んで読み終わるのが夜明け前パターン。が良かったな~良い小説を徹夜で読んで、夜明けを迎えるとさ『生きててよかった~! この小説を読むために俺は生まれて来たんだ!』ってまるで生まれ変わったみたいな感じになって感動が倍増するんだよね!」
愛おしそうに本を眺めながら熱弁する冬威。
「ね? 母さん?」
母に同意を求める冬威。
「なに熱弁してんのあんたは? すっかりあきれちゃったわよ…」
本から全く目をそらさずに熱弁する冬威に母親があきれる。
「その作品って映画化されてない?」
「そう! そうなんだよ! 公開当時にはあまり反響がなかったんだけどビデオ化されてから評価が上がったんだって! 『ショーシャンクの空に』て題名! 良く知ってたね由起! 今度レンタルで借りて観ようねっ! って…ん? 由起? あれ? ここウチだよね…」
冬威がようやく本から目を話し声の主の方に視線をやる…
「あれ? 由起…? なんで?」
ダイニングテーブルに母と共に座っている由起の姿が冬威の目に飛び込んで来る。
あまりに唐突な展開についていけない冬威が呆然とする。
「びっくりした? 母さんが呼んじゃった」
「お母さん…」
小さく呟く由起に冬威の母は『私の話しに合わせて』っと視線で合図する。
由起は母の合図をしっかりと理解し小さくうなづいた。
既にふたりの間には強い連帯感が生まれていた。
「母さんが何で由起を呼ぶんだよ?」
「あんた毎日由起ちゃんにお弁当作ってもらってるんでしょ? だからそのお礼を言いたくてね」
冬威に黙って家を訪ねたことに負い目を持っている由起をかばう為に方便を言う母。
「ってどうやって由起と連絡取ったんだって?」
「そんなことはあんたは知らなくていいのよ、母親として由起ちゃんにお礼しないわけにいかないでしょ?」
「ってそう言われればその通りだし、そうだけど…母さん俺の携帯見たの? でもロックかかってるしな…一体どうやって…」
「そんな事どうでも良いの! いい、由起ちゃんに変な詮索したら許さないからね!」
「わかったよ…」
母の剣幕にいつもと違う様子を感じ取った冬威がおとなしく従う。
「冬威君ごめんね、黙ってて…」
「私が黙ってるように由起ちゃんに言ったのよ、冬威を驚かせるためにってね、由起ちゃんを責めたりしたらほんとに許さないからね?」
「わかってるよ、由起を責めたりするわけないだろ?」
「ならばよし! じゃあそこに座って一緒に由起ちゃんのお手製のクッキーを食べましょ」
冬威がソファーから腰を上げてダイニングテーブルに移動する。
「早くそこに座って」
「冬威君、ほんとにごめんね…怒ってない?」
由起がおずおずと言う。
「怒ってなんかいないから大丈夫だよ? ちょっと、だいぶってか、すげービックリしたけど」
そう言って笑う冬威。
「良かった…」
由起がホッとした顔をする。
「それよっか由起? 冬威君…って…なん」
「んんん~っ、あ、ごめんなさいちょっと喉が…」
冬威が言い終わる前に由起がこれ見よがしに咳払いをする。
「大丈夫由起ちゃん? 冬威! あんた由起なんて呼びつけにして生意気よ!」
母が冬威をたしなめる。
「お母さん違うんです由起が冬威君に『由起』って呼びつけで呼んでもらうようにお願いしたんです。冬威君って他の女の子のことみんな『ちゃん』付けで呼ぶから…」
由起がしおらしい顔でそう言う。
「あら、そうなの? ならいいけど…由起ちゃん? もしかしてかなりやきもち妬きさん?」
冬威の母が由起の顔をうかがいながら言う。
「は…い」
由起が顔を赤らめて返事をする。
「可愛い~冬威にやきもち妬いてくれるんだ~。由起ちゃんの気持よくわかる~私もかなりやきもち妬きだからね!」
そう言いながら隣に座る由起を抱きしめる。
「オイオイなんだよこの連帯感みたいなの? いつの間にそんなに仲良くなってんの?」
冬威は焦り顔だ。
「秘密よね~由起ちゃんっ私たち仲良しだもんね」
「うれしいですお母さんっ」
親密さをアピールするふたり。
「まっ…別にいいけどさ」
そんな会話をしながら由起の焼いてきたクッキーを食べる三人。
「由起ちゃんこのクッキー美味しいっ! それに見栄えも良いしこの箱や包装紙なんかも可愛い~。ほんと女の子って感じ。由起ちゃんセンス良いわ」
「ありがとうございます~由起うれしいです。でも、ほんとに美味しいですか?」
「美味しいわ! 私もよくクッキーとか焼くけど由起ちゃんのクッキーは本当に美味しい、ねっ? 美味しいでしょ冬威?」
なぜか冬威に当たりが強い母。
「本当に美味しいよ。由起は料理上手だもんね」
「なんだか今日はうれしいわ。可愛い娘が出来たみたいで」
「そんな娘だなんて由起うれしいです~お母さん」
あざとく返事をしながらチラッと冬威の方に視線をやる由起。
その目は満足げな光に満ちていた。
「もう由起ちゃん可愛い~すっかり気に入っちゃったわ私! 由起ちゃん学生マンションで独り暮らしなんでしょ?マンションはらってうちおいで~。お家賃いくらくらいなの?」
冬威の母が唐突な提案をし冬威が慌てる。
「何言ってんだよ!」
「何? 冬威? あんたは黙ってて! ね~由起ちゃん~。お家賃いくらなの?」
冬威はきつく制止し、由起には猫撫で声で言う。
「お家賃は5万5千円です」
「そしたらうちはただで良いからね~。食費も光熱水費もいらない~。そしたら学校までの定期代だけでいいからね。うちにおいでよ~」
「ほんとに良いんですかお母さんっ由起うれしいです~」
由起が母の提案に食いつく。
「って由起? いいわけないだろ?」
冬威が慌てて間に入る。
「なんで?」
冬威の母と由起が同時に冬威に返す。
その視線は強く冬威を射抜いている。
「何か不都合なことでもある訳? 冬威?」
「冬威君由起が一緒じゃ嫌なんですかね…お母さ~ん」
由起が母に助けを求めるように泣きつく。
「オイオイ…そんなの父さんが許すわけないだろ?」
「マサは私が説得するし!」
「マサ?」
「ああ、由起ちゃんマサって私の旦那、つまり冬威の父親ね」
「父さん普通に怒るだろ? 『親御さんの気持も考えろ!』ってさ」
「大丈夫よ。マサは私が説得すればわかってくれるから」
「さすがお母さん~」
由起が冬威の母にすり寄る。
「私は由起ちゃんが気に入ったの! 今までいろんな女の子をお泊りさせて来たけど由起ちゃんは最高よ! 気に入ったの。あんたみたいな男には由起ちゃんみたいな気の利いた子が必要なのよ! それに見て! 大きくて切れ長の目は色っぽくて良いし、鼻筋も通ってて美しい。この唇見て! なんてきれいなんでしょう」
冬威の母が由起を絶賛する。
「お母さん恥ずかしいです…」
あからさまに褒められ由起が照れる。
「それから…由起ちゃんのこの足、きれいよね~。スラッと長いし。そして…しっかりした骨盤! それからこのお尻! もう完璧! 由起ちゃんは絶対良い子を産んでくれる女の子よ! 冬威? あんたみたいなガキにはまだわからないだろうけど、この子は完璧よ! 性格も良いし料理上手! 文句の付けどころ無いでしょ?」
「…」
あまりの露骨さに由起も冬威も絶句する。
しかし照れながらも由起はまんざらでもない顔をしてはにかんでいる。
「あのね、母さんそれって由起に失礼だよ?」
「別に失礼じゃないですお母さん、由起のことをそんな風に思ってくれて由起はうれしいです~」
「オイオイ? 由起? まるで特産の牛みたいなこと言われてんだよ?」
「そんなことないよ! お母さんは由起のことすっごく褒めてくれてうれしい」
由起が猛烈に母を支持する。
「ね~由起ちゃん!」
「ね~お母さん!」
いつの間にか出来上がっていたふたりの強い連帯感に手も足も出ない冬威だった。
「オイオイ…一体何が起きてるんだって…」
庭に咲く白いバラが、冬威の母と由起の間にできた新しい絆を眩しそうに見つめている。
白い花びらを少し赤らめながら、5月の風に揺られていた。