千秋とひと葉と蓮華草
千秋とひと葉の触れ合い。
青々と生い茂る芝生が陽の光に照らされ眩しい。
その一角にわずかに咲く蓮華の花をしゃがみ込んで見つめる千秋。
「千秋…蓮華の花は摘んじゃダメなんだよ…」
背後から不意に声をかけられびくっと肩を揺らす千秋。
「佐藤先輩…?」
振り返った千秋の目に千秋と同じくらい小柄で可愛らしい女の子が立っている。
黒髪にショートボブ。
眉毛の上で切りそろえられた前髪がミステリアスな雰囲気を醸し出している。
「千秋…ひと葉…で良いよ?」
「あ、はい…ひと葉先輩…蓮華の花…可愛いです」
ひと葉が千秋のそばにしゃがみ込む。
「ほんとだ…可愛いね…」
「ひと葉先輩? 蓮華の花は摘んじゃいけないって…?」
「一つには…江戸時代の俳句…。『手に取るな やはり野に置け 蓮華草』蓮華は野に咲いている(自分のものではない)から美しいので、自分のものにしてはその美しさは失われてしまう…って」
「ひと葉先輩…野に咲いているから美しいんですね…」
「そう…もう一つはギリシア神話なの」
「ギリシア神話…?」
千秋がひと葉に聞き返す。
「そうだよ…祭壇に捧げる花を摘みに行った姉妹が水辺に咲く蓮華草を見つけた…。姉が蓮華草を摘むとその茎から血が流れ出て来た…。姉が手折った蓮華草は嫌な男から逃れるために蓮華草に姿を変えた精霊だったんだ…。見る見るうちに姉の足が草に変わり根が張ってしまった。精霊のかわりに蓮華草に変わってしまった姉は完全に蓮華草に変わる前に言ったの『花はみな女神が姿を変えたもの。もう花は摘まないで』って…」
「そんな神話があったのですね…。ひと葉先輩、千秋は蓮華草を手折りません…」
「野に咲く花は野に咲いているからこそ美しい…。千秋もひと葉も自分の咲くべき場所を探さなくちゃね…」
「はい…ひと葉先輩」
千秋とひと葉はとてもリズムが似ている。
おっとりとした雰囲気とどこか人とは違う場所を見て生きているかのようなほのかなズレ。
そのズレがふたりに独特な雰囲気を与えていた。
一学年上のひと葉であったが同じ匂いを持つ千秋とひきあうように出会い時々一緒に出掛けるまでになっていた。
千秋はひと葉の中に自分を見、ひと葉のもつ様々な知識に耳を傾け魅かれて行った。
「蓮華草の花言葉はね…『your presence softens my pains あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ、心がやわらぐ』なの」
「千秋はひと葉先輩と一緒だと心がやわらぐ…」
「ひと葉も千秋と一緒だととても気持ちが落ち着くよ…」
「千秋…?」
「なんですか…?ひと葉先輩?」
「蓮華草がたくさん咲いているとこに一緒に行こうよ…」
「ひと葉先輩…蓮華草畑?」
「うん…いすみ鉄道に乗って大多喜駅っていうところに蓮華がたくさん咲いているんだって。 大多喜城ってお城もあるんだよ」
「お城…ひと葉先輩…千秋行ってみたいな」
「蓮華草の蜂蜜って美味しいんだって…はちみつソフトクリームとか…おいしいスイーツもあったらいいな…」
「はちみつソフトクリーム…あったら食べたいな千秋」
「ちょっと待って…ほんとに食べたくなってきちゃった…調べてみるね千秋…。あった…れんげの里のアイスクリーム、しぼりたての牛乳だけで水を一切使わずに作った砂糖控えめのアイスだって。ソフトクリームもある…甘さ控えめでおいしいって」
「食べた~い…」
ひと葉と千秋が同時に言う。
「蓮華草のお話からふたりが大好きなスイーツの話しにつながりましたね…」
「そうね…なんか不思議。でも、ふふっなんだかひと葉と千秋らしくない?」
ふたりの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「千秋? どう? 何か困ったことはない?」
「ひと葉先輩…心配してくれてありがとう。 う~ん色々あるけど…なんとか大丈夫です」
「千秋? 何かあったら無理しないで必ず相談してね」
「ひと葉先輩…」
「千秋次の時間講義入ってる?」
「次の講義が休講になってその次の時間が講義あるからどうしようかなって思ってたところで可愛い蓮華草見つけて眺めてたらひと葉先輩が声かけてくれました…」
「ふふっそうだったの…じゃあ学食でお茶でも飲もう。ひと葉も次の講義空いちゃったの」
「うれしい! 行きます~。そうだひと葉先輩? 今度地元の同期の冬威君って男の子紹介しますね。きっとひと葉先輩と話が合うと思うんです。冬威君もひと葉先輩見たく色んな事知ってるの」
「冬威君ね、楽しみにしてるね千秋」
「はい…ひと葉先輩」
ふたりは学食に向かってまるで同級生みたいに仲良く並んで歩いて行く。
キャンパスに咲く蓮華草が優しく揺れる。
心をやわらげたり苦痛をやわらがせるのは結局は人と人とのつながりなんだよと。
そう伝えるように優しく揺れる。