タネ明かし
森の奥深くに入ることは禁じられていた。僕が子供だからではない。村の掟で決められていた。誰がなんのために決めたのかはよくわからない。でも、村長は大事なことと言っていた。
「ガジガダがくるぞー!」
とは、親が子供を脅す時に使う常套手段で、大抵このセリフの前には「良い子にしないと」とか「はやく寝ないと」などがくっついた。
ナンガジガダとは森の奥に住むとされるモンスターで、黒に近い紫色をした長い剛毛で全身が覆われている。丸く太った体に4本の華奢だが強靭な鱗に覆われた脚を持つ。体全体からのっぺりとした太くて長い触手が合計12本生え、その表面全体が顔の役割を果たしている。触手は先端から三つに割れ、現れる大きな口はなんでも食べてしまう……という。
本当のところは誰も知らない。ナンガジガダが実在なのか、いたとして、どんな姿をしているのかも。
村の若者の中には、嘘だ、俺はちょっと奥の方をのぞいてみたが、なにも変わらない。普通の森が続いてるだけだった……と言う者もいた……あとで村長におしおきを受けていた…………だいぶ昔の、僕がもっとちっちゃかったいつかの記憶。
それを今思い出したのは、まさにその森の奥を僕達が歩いているからだ。
今のところ入った時となにも変わらない風景が続いている。
嘘か本当かわからなくても、その謎の存在の可能性は僕達を怖がらせ、脚を鈍らせた。
事情を知らない猿男がたまに声を出す。「はやく歩け」そう言って。
もし、ナンガジガダが出てきた場合、頼れるのが野蛮なこの男たちしかいないと思うと、嫌気がさしてくる。だけど……彼らがこの森を通って来たのだとすれば僕たちはひとまず安全。もしくはガジガダいなんていないのかもしれない……
僕の隣を歩くアリスはそんな程度のことはどうでもいいという風にずっと歩いている。心がどこかに行ってしまっているようだった。スカートから覗くいつだって無邪気で屈託のない行動力と意思に満ち満ちていた綺麗な脚は今、トボトボとひとりでに歩いている。それほど落ち込んでしまっている。
僕はなにか言わないとって思ったけど、なにを言っていいか、どう声をかければいいか、なにもわからない。
結局自分の足の先を見つめるばかりで、森を出てしまった。
……どれだけ歩いたんだろうか?
お腹が鳴る。村を出たのがお昼前だった。夏の比較的長い日が落ちそうになっているから、だいぶ歩いたんじゃないか?
路に出た。
ランタンの灯る4台の馬車とその番をしていた男が2人いた。
侵略者達は10人になった。
馬も、馬車も、僕は初めて見る。
でも聞いたことはあった。村長のしてくれる昔話の中によく出てきていたから。
「乗れ」という猿男の声。
1台に10人ちょっとづつ乗せられる。
僕はアリスの隣、膝を抱えて座る。
正面に……猿男が来た。
鞭を打つ音、走り始める。
乗り心地の悪さに、寝るに寝れない猿男が暇を持て余してか、うなだれるアリスにちょっかいを出そうとして、やめる。
視線を僕に向けだるそうに声をかけてきた。
「おい……ガキ。おめえらがこれからどうなるか。教えてやろうか?」
「おめえらはこれから、ドレイとして売られるんだ。ガキども優先で連れてきたのは、おめえらに特別価値があるからだ」
ドレイ?聞いたことのない単語が出てくる。発音の感じが彼らの使う言葉と少し違う、僕が知ってても良さそうな言葉の響き。だけど、少なくとも村では使わない言葉だった。
「ドレイ?」
「ケンリ……の無い労働者ってことだ」
「ケンリ?」
「……おめえらはボロ雑巾ってことだよ」
それだとなんだかおかしい。
「ボロ雑巾に……何か特別な価値があるんですか?」
「そういう話じゃねえ」
チッと舌を打つ男。
「それに労働者なら僕たちよりも体格の良い大人を連れて来るはずです」
子供でなければならない……何か理由があるんだ。
「……フードの野郎が使ったクソ技があったろ?アレのタネ明かしをしてやるよ」
そうだ、それにアレは一体なんだったんだ?それにいくつかフード男の動きで不可解なこともある。
「アレは魔法ってんだ」
「マホー?」
魔法は知っている。だが、魔法というと、おとぎ話に出てくるような、アレだろうか?
「かぼちゃが馬車になるアレ……ですか?」
「ほう、童話はどこも似たり寄ったりなもんがあるんだな。……正しくは違う。が、似たようなもんだったんであの力のことを俺たちはそう呼んでる。お偉いさんや教会はごちゃごちゃ言ってるがな。実際童話やらとも関係があるって話もあるが……ま、よくわからん。少なくとも俺にはな。フードの奴だって詳しく知らん。だいたい魔法は誰にでも使えるんだ」
「あいつは……僕の村で……なにをやったんですか?」
「精神操作をやったんだよ。あいつは」男は少し複雑な顔をして言う。
「まあ、おめえらに使ったレベルじゃ気張ってもなにかを殺したりするようなことはないから安心しな。数時間の失神と数日間の倦怠感くらいだな。せいぜい」
「あの力をどうして最初から使わなかったんですか?」
「一つは森の中をおめえらに歩いて貰う必要があったからだ。アレはそう便利な力じゃない。目を見たやつ全員に効果がある。おめえらガキを巻き込むと面倒だからな。もう一つは……いや、単純に金がかかるんだ、魔法を使うにはな」
「魔法とお金が何か関係あるんですか?」
「魔法の鍵」
……?魔法の鍵?マギドリィフ?なんの名前だ?
「天然でしか生えないキノコの一種……だと言われている。コイツには不思議な覚醒幻覚作用があってだな」
幻覚?
「そうだ。そいつをキメている間なんとだ!嘘みてえな話だが……」
男の目がカッ見開かれる。
「「天地創造言語」を知ることができるってんだ!つまり、この世界の常識を上書きする……いろいろ弄り回せるんだよ。自由にな……。光あれ!と言えば光が産まれるし、大地あれ!と言えば大地が産まれる。ま、実際そのレベルの魔法が使える人間なんかいやしないがな」
天地創造言語?世界を上書き?
「で、だ。その魔法の鍵なんだが、コイツは地中にしか生えない。見つけるのが困難だ。そこで役立つのが、おめえらエルフのガキってわけだ。おめえらにはマギドリィフを嗅ぎとる能力がある」
エルフ族の、しかも子供だけに?
「つまりだ。おめえらは地面に埋もれたマギドリィフ掘りをやらされるってわけさ。ここ掘れワンワンってな……へっ、気の毒によ」言い捨てるように言った男の目がどこか遠くを見るようになり、フゥと深くため息をついた。
「……なるほど」
「理解が早くて助かるよ」
男はよっぽど疲れていたようで、話終わると目を閉じ、すぐに静かないびきを立て始めた。