間章.5 王と騎士
エタンセル・ローランは孤児である。
両親は皇帝暗殺という反逆を企てた罪で処刑された。しかし暗殺計画自体がそもそも存在していたかはあまりにも不明瞭で、エタンセルも両親がどんな人でどんな顔をしていたのかを知らない。
一応ではあるが、彼の同胞たるリナルドを始めとする数名の親や保護者がこの暗殺計画に関わったとされている。
では仮にも反逆者の子であると位置付けられる当時の子供たちは何故生き長らえ、今や皇帝に仕える赤き騎士団の中心メンバーとなったのだろうか。
答えはそう難しいものではない。
彼らはただ幼かった。両親の影響や教育を受けたとしてもほんの一年か二年くらい、ならその後の数十年を費やして小さな点を塗り潰すことは容易だ。
皇帝はエタンセルたちを我が子のように可愛がり、我が子のように手ずから教育した。
この世で誰よりも尊ばれるべきは我であり、世界はいずれ赤き帝国が力を以てして全土を支配する。そして支配を成し得るには今は幼きお前達が必要である────と、洗脳するように教え込んだ。
そうして帝国が誇る軍の中に作られたのが赤き騎士団。
無論、ただ名乗っているだけではない。騎士団には本当に騎士がいた。
それが最も強く、最も優秀で、最も皇帝に愛されたエタンセル。騎士の誓約を成し遂げ、"世界"に認められた彼は光剣・デュランダルを賜り"ローラン"の名を得る。
もちろん強いだけではない。皇帝を至上としながらもあらゆる存在を認める高潔なる魂を持った彼は、まさに騎士に相応しい存在へと駆け上がった。
父親代わりの王に仕え、仲間であり兄弟でもあるリナルドたちと日々を送る彼は、ただ代わりにひとつを失った。
それは────好敵手。
エタンセルは強くなりすぎてしまった。競合相手なんて国にはいない。ようやく見つけたアルブスの軍師は知らぬ間に片腕を失い、アーテルの剣士は攻め込む前に死んだ。
過去の人とはいえシャムシエラ・フィオレ・エレリシャスもまだ現役だったが、不可解な形で死亡していると後に分かった。
結局、光剣が真の輝きを放つに能うような勇士はこの世に最早存在しない。
故に氷のように冷徹な男は正義の御旗を掲げる騎士でありつつも、同時に人喰らいの獣のごとく飢えていた。
そう、現在も続いている宝玉奪取計画が始まるまでは────。
「第一部隊並びに第二部隊、此度のアルブスへの遠征ご苦労であった。……して成果は持ち帰ったか?」
ここはヴェルメリオ帝国最大の都市マドルガータ。
更に詳しく述べるなら、良くも悪くも長い歴史を今に残す都でも一際目立つ崖を切り開いて建設された塔のような城の中。
ここにいるのは玉座に腰を落ち着かせ、跪く下々を見下ろす白髪を覗かせる老齢の王──レーヒゥン・ラング・ヴェルメリオ第二十七代皇帝。……と、軍の第一部隊及び作戦統括指揮を任されているベレー・ボセージョ将軍。第二部隊赤き騎士団のエタンセル団長、リナルド副団長。
そして彼らの同志であり、騎士団の紅一点ことグラセだ。
「報告の通り、作戦は失敗。薬品の投与には成功しましたが襲撃を受けた際に捕虜は逃走、宝玉の在処に繋がる情報は得られませんでした」
「搭乗していた第一部隊が襲撃でほぼ壊滅。エタンセルもこのように、手傷を負う結果となり……」
エタンセルがレオンと対峙した日から三日が経過している。
光剣・デュランダルと銀剣・クラレントの限定開花が炸裂したあの時、互いの性質の矛盾が引き起こした魔力暴発は両者を平等に巻き込み、致命傷とまではいかずとも相当なダメージを負った。
実際、撤退原因はアルブス王国側の介入な上、介入さえなければ手傷は負いつつも状況がヴェルメリオ側に有利なように傾いていたのは言うまでもない。
最初の奇襲に失敗したのを反省してエタンセルまで動員したというのに、完璧な作戦行動は余計な剣に割って入られたことで全て水の泡になってしまった。
先程から黙り込んで、ぐぬぬと歯を食いしばって悔しそうにしているベレー将軍の様子はその悲惨な失敗を如実に表している。……いや、この男の場合別の理由も含まれている気がするのだが。
「うむ。エタンセルよ、具合はどうだ」
「この程度は些事、大した創痍ではない。しかし言い訳はしませぬ。騎士を名乗る二流にあのような術でしてやられたのは我が力不足が原因だ。……それでも私に次があるならば、陛下の理想を果たしてみせましょう」
勝利と正義の力を振るう絶対的な守護者として皇帝の野望を叶えるのが"デュランダルの騎士"たる彼の役目。
今までもこれからもエタンセル・ローランは揺るぎない騎士として在るはずであった。
──だが、そこに降って湧いたように出現した不安要素。作戦当初は相手にすらしていなかったレオン・ファレルは、エタンセルの立場を乱し得る相当な危険人物と化したのだ。
陛下の前ゆえに二流などと宣った彼自身もよく分かっている。
次に相対した時、己の勝利が確実だとは言い切れないこと。敗因が自分の力不足ではなく、あちらに追い付かれつつあることが理由であるとも。
新たな強者が目の前に現れた高揚感で笑っていられたのはあの日まで。
作戦に失敗した今、挽回の機会には限りがある。……隣で未だ黙秘を続ける将軍のように、失望される時が来る。いずれはヴェルメリオ皇帝の手で断罪される場合だってあるだろう。
だからこそ、「次」があるならば育ての親であり余すことなく忠義を捧げた我が王に騎士の全てを預けるのだ。
「そうか……ならばお主の覚悟に期待しよう。まずは傷を癒せ、下がってよいぞ」
「失礼致します」
深く頭を下げ、立ち上がりその場を後にしたのと同時にリナルドにも退室するよう命が下り、グラセにはなんらかの話があるらしくその場に残るよう命じられた。
彼はエタンセルを追って皇帝の下を後にし、残された二人の間には妙な緊張が走る。
何故って言うまでもない。
「……将軍よ、何故押し黙る? なにか不都合でもあるか?」
「い、いいいイエ! なにも、……そう! ナニもありませぬ! ナイから黙っているのデスヨ、陛下!」
「ほう……?」
明らかに挙動が慌てているベレー将軍はエタンセルと違って自分の失敗を言及されることに酷く動揺している。
軍のトップに立つ故に作戦失敗の責任の大半は彼の元に押し寄せるのが自明の理。しかも実験段階の薬品を使うと言い、作戦の確実性を述べ、皇帝を説得したのはまた彼なのだから言い逃れなどできるはずもない。
それでも言い訳を繰り返すには訳がある。
オズ部隊長をはじめとする暗殺系統の小隊の全滅、騎士団半壊とエタンセルの負傷、第一部隊壊滅、赤き国が誇る唯一無二の空中艦は外部内部問わず損傷し、更には作戦失敗……細かく指摘すれば指では数えきれないほどの失態を挙げれば彼の立場が危ういのはもう言うまでもないこと。
代々ヴェルメリオ皇帝に仕える将軍一族ボセージョ家として、このような事態は恥晒しにも程がある。ただでさえ現在のレーヒゥンになってから軍部のやり方には見直しが行われ、たとえ仕事ができてもただ居るだけのお荷物将軍はいらない要素だ。
今までは優秀だった彼の父──先代将軍の威光があって皇帝もベレーの有能であり無能である現状には黙認してきたが、そんな先代はこの遠征中に亡くなってしまった。
つまり、もうベレー将軍の地位を守る者はいない。
「ま、待ってくだされ陛下!! そう……ソウだ、薬! ヤツらはあの薬の血清を持っていないのデスヨ!」
「……それで?」
「ファレルの次男のアノ小僧は間違いなく、現在も魔力逆流の影響を受けてイル。デ、あれば! そろそろ肉体に症状が表れるハズ! そしてヤツらの目的地は間違いなくカエルレウムでショウ? ココは取引をすべきかト!」
どうやら例の薬の血清を交換条件に魔光の宝玉の在処を聞き出すつもりらしい。
曰く、魔力の逆流は肉体的な損傷ではないため銀腕・アガートラームでは自動快復できないと言う。むしろ異常であるが故にその性質上もっとタチの悪いことになる──と。
ならばリオンとエルシオンの分として血清をふたつ用意し、命が惜しくば宝玉を差し出せと脅せば少なくとも善人面が脳にまで染み付いた長男はNOと返事を返すことはないとベレーは踏んだのだ。
虫を見るような視線に貫かれる将軍はまさしく妙案だといった雰囲気でひきつった笑みを浮かべている。
「──グラセ、ちょうどよい。その交渉にはお前が往け」
「わたくしがですか?」
「将軍閣下殿はどうやら不調の様子。エタンセルは万全の状態になるまで前線には出せぬ。であれば、聖痕を宿すグラセこそが適任である」
赤髪を靡かせる銀眼の彼女は騎士団の中でも三番手に該当する。
エタンセルやリナルドと同じく皇帝の下で育ち、軍の中でも珍しく騎士団ではたった一人の女ではあるが、その鮮やかな槍さばきと体質で生まれ持った聖痕によってあらゆる男を退けた正真正銘の戦士だ。
「────畏まりました。必ずや、我らが陛下の期待に応えましょう」
力強い返事に微笑みで返したレーヒゥンはグラセに出陣の準備をするよう目で示す。
未だ玉座の間から離れられず汗を流すベレー将軍の横をすり抜け退室した彼女は扉の前でもう一度礼をし、その場を去った。
となると後は今後の処遇のみになるが────。
「陛下、報告であります」
「……聞こう」
◇
玉座を後にしてからエタンセルは真っ先に向かう場所があった。
足早に廊下を抜け迷宮のような城から出ればすぐのそこに、こうして遠征や任務を終えた後の彼は必ずと言っていいほど通い詰めている。
「エタンセル、またここにいたのか」
「……リナルドか」
追ってきたリナルドは彼の手元を見て困ったような、安心したような表情をした。
────ここは墓所だ。
常に死と隣り合わせの任務の中、戦場において誰よりも前に立って駆ける騎士たるエタンセルは次々倒れる仲間たちにその場で祈りを捧げることはできない。
その場では瀕死だったとしても助けられない歯痒さもあれば、死体を国へ持ち帰ることができない時だってある。仕方がないと思う反面、なるべく命は尊ばれるべきものだと考える彼はできる限りだが、落ち着いたら花を手向ける努力をしている。
今日もまた生きて帰ってきた報告と新たに埋められた、そして帰ってこられなかった仲間に苦痛なき安息を願ってこの地を訪れた。
「今回は珍しく負傷したんだ。コイツらに報告したらゆっくり休めよ」
「あぁ、そうしよう。リナルドはこの後どうするつもりだ」
「俺はいつもの店で親父さんと酒でも交わす予定だが……どうした、まさか騎士団長殿は酒に興味がお有りか?」
「いや、時間がないならいい」
禁酒禁煙は彼が自分の中で掲げた騎士としての原則だ。娯楽に入り浸ればそれだけ清らかな魂は堕落していき、最後は病にまで冒されると思っている。
一方で酒が趣味のリナルドから貴重な時間をもらうわけにもいかない。
同志が眠る墓前に花を差し出し、しばし祈りを捧げた後、その場を去ろうと立ち上がった。
「オイオイ、気になるじゃあねえか。俺ァ酒なんかよりよっぽどお前の話に興味が湧いたね」
呼び止められたエタンセルは無言のままだ。
「もしかアレか。レオン・ファレルとかいう、長男坊のことだろ?」
僅かに、彼は反応を示した。どうやら当たりらしい。
リナルドはエタンセルのことをよく分かっていると自称している。なにせ孤児となった時に皇帝のところで保護されるに当たって、初めて出会った同世代が彼だったからだ。
昔から寡黙でおとなしく、大人の話をしっかり聞いて飲み込むタイプの子供だったエタンセルに比べて、やんちゃで勝ち気で女の子に甘いリナルドはつまらない性格をしている幼馴染に度々突っかかり、なにを考えてるか分からない彼から話を引き出してきた。
大人になり赤き騎士団に所属するようになってからもそれは変わらない。
皇帝を信奉しているように見えて実は皇帝にも話せない秘密をいくつか抱えているこの頑固な騎士団長から、酒を入れずに聞き出して互いの悩みを話し合うことができるのはこのリナルドただ一人なのだ。
「俺は陛下の騎士だ」
「応とも、よく分かってるさ」
「しかしレオン・ファレルと対峙した時、俺は思った」
"戦いたい。この男と、命を取り合う戦いをしたい。"
忠誠を尽くすべき皇帝陛下? 全うすべき課せられた任務? 知ったことじゃない。エタンセル・ローランは目の前に現れたレオン・ファレルと殺し合いたいと願った。
自分の前には一生かけても現れないと思っていた強者を前に、使命を捨ててでも剣を振るいたいという昂りが抑えきれない。
だがしかし、あくまでもエタンセルはヴェルメリオの騎士。
自分本意な決闘が許された身ではないのは自分がよく知っているし、いくら副団長が全幅の信頼をおけるリナルドであっても団長と仰がれるからには相応の責任が伴う。
あの日もそうだ。逸る気持ちのまま戦場に臨んだ結果作戦は失敗した。もしも戦わず、リオン・ファレルだけを奪い返して艦に戻れば叱責を受けることもなかっただろう。事実一度目は撤退判断を下したことで任務成功している。
死んでいった仲間たち、信頼してくれる陛下──重圧は限りなく私闘の望みは身勝手だと思わざるを得ない。
この光剣は理想を叶えるために。
それだけは忘れてはいけない。忘れては、いけないのに────。
「この身は再戦を望んでいる。殺すか、殺されるか判らない戦いをしたいと身勝手にも」
「エタンセル、お前は──ちとワガママになった方がいい」
「……なんだと?」
訝しげに首をかしげたエタンセルはあまりよく分かっていない様子だが、リナルドはそんな彼の肩を掴み、強めの口調で言う。
「俺達は陛下の騎士団だ。あの方の理想を叶えるべく、命を捧げ忠誠を誓った。……でもな、エタンセルよ。俺達は、お前に報いるために共に歩むと決めたんだ。そしてそりゃあは身勝手なんかじゃあない、お前さんの意志を誰も止めようとは思っちゃいねえ。騎士団はお前さん一人のモンじゃあない、俺達もいるから赤き騎士団なんだよ」
皇帝がエタンセルの戦いを許さずとも、ここにはたとえ皇帝に処断されようとも彼を支え、その在り方に道を示す仲間たちが揃っている。
赤き騎士団の面々はベレーやオズが率いる道具のような兵士たちじゃない。
時に死してもなお、その生を振り返り死を哀しむ高潔なる男の下に集いし精鋭。そして彼の戦いを、勝利を信じて、ひとつに束ねられた輝ける魂の剣でもある。
だからこそ、エタンセルが戦場で猛者と対峙するのは彼らにとっても喜ばしいことなのだ。
「お前さんは強い。俺たちゃお前さんが次も勝つと信じている、だから気負うな。もしも次の戦場であの長男坊を見つけたら真っ先に往け。そしたら俺達はお前の分も違う戦場で戦い抜いてやっからよ」
芯の通った瞳で見つめたリナルドの言葉は果たして届いただろうか。
しかし彼が口元を僅かに緩ませたことがそれ以上ない事実を分かりやすく、明確に指し示している。
「そうか」
「お前さんのことは頭のてっぺんから足の先まで知り尽くしてるつもりなんでね」
「────もしもがあれば」
「もしもなんざねえよ、我らが団長殿」
食い気味に言葉を押し込んだリナルドの目は鋭く、そして数十年培ってきた厚い信頼を感じさせた。
「…………敵わないな、お前には」