2-19 執行聖女 2
フェガリ教を国教に定めるアルブス王国には数々の教会が配置されている。
その中でもアトランティカ大海沿岸にある孤児院と併設されたそこは教会本拠地が置かれる神秘在りし島に最も近く、派遣されている執行聖女も「ちょっと変わってて面白い子」とマリアは言う。
まぁ偏見的な目で見れば熱心な宗教家が変わり者呼ばわりされることは不思議じゃない。
カエルレウム連合公国もフェガリ教と繋がりはあるし、神が人を導くという善性を信じてすらいないリオンや無宗教徒のタレイアはともかくレオンも昔は女神に祈りを捧げていたので人をとやかく言える立場ではない。
ともあれ到着した海辺の教会はマリアが言うような突然の客人に対する騒がしさはなく、どちらかと言われればとても静かなものであった。
異形の侵入を阻む結界が敷かれた敷地内には真正面に女神を模した像が出迎える教会と礼拝堂、小脇に小規模だが実り豊かな庭園。更に奥には二軒の建物が見える。
「こちらになります、どうぞ」
草木のアーチを抜け、司祭館の扉を開いたマリアの案内で神父とシスターが集う部屋へと向かう。
……その最中だ。
「マリア!」
右の通路から現れた老齢のシスターはどこか焦った様子で近付いてくる。
焦った?──いいや少し表現を変えよう。困ったような、嘆いているような、安心しているような複雑な感情が瞳の奥から覗いているのだ。
しかしマリア本人がそれに気付く様子はない。
柔らかな笑みでシスターに近寄り、一礼して言葉を繋ぐ。
「シスターアザリカ、たった今戻りました。少年の部屋はどちらでしょうか」
「え……あ、あぁそのことならフィーネ様が……」
「シスターフレデリカがどうしたのですか」
「あ、あの方の浄化が病に効いたのです。薬はもう必要ありません」
フィーネ、"シスター"フレデリカ。
どうやら同一人物を指すらしいがそこから人物像を窺い知ることはできない。ただし例の病の少年を治す力を持っていることは分かる。
ここでリオンはつい先程と近い違和感を抱いた。
治す方法があるのに薬が足りないと言ってわざわざたった一人に薬を買いに行かせ、何故か武装もさせていなかった。
これだけなら突発的な騒動だったために情報の共有が上手くされていなかっただけで済むかもしれない。心優しく純粋なシスターたちなら不測の事態に追われて致し方なしで充分にあり得る話だ。
だが、シスターアザリカと呼ばれたこの女性の反応はなんだ? あまりにも誤魔化しが下手すぎる。
言い方は悪いがマリアを処分する必要があったということは明白。少なくともリオンにとっては信用に足る場所ではない。
「シスターマリア、そちらの方はまさか……」
「はい。異形に襲われた私を助けてくださった方々です、少年のためにとここまで付いてきてくださいました」
「──ファレルのレオン様、リオン様。ルミエールのタレイア様ですね?」
「よくご存じで、やっぱりシスターアザリカは博識であります」
いやいや、この辺りの各国ではカエルレウム連合公国を統治する御三家の子供たちを知らない方が珍しい。
数年前にはどこぞの剣士も知らなかったご様子だったがあれは花の楽園というとんでも僻地の出身であったというまぁまぁ納得いく理由がある。……が、知っている人間がちゃんといる環境でこれはだいぶ腑に落ちない。
名前を聞いても特に驚かなかった時点で彼らはこういうプチ案件に気が付くべきだった。
「……俺達、もしかして邪魔だろうか」
「さぁな」
「二人ともっまずはご挨拶よん」
タレイアの常識的すぎる意見は尤もだ。
シスターはいまだに困り顔のままだが、まずはカマをかける意味も込めて一声かけてみるべきか。
「なにをしているのですか、こんな場所に集まって」
声を発する前に発された心地のよい少女の声は三人の後ろから紡がれた。
白銀の長髪をベールに包み、修道服を着込んだ小柄なその子はマリアよりも幼く感じるが、同時に整った顔立ちがシスターアザリカよりも大人の女性らしさを印象深くさせている。あべこべなように見えるこの身体的特徴は奇跡的なバランスで噛み合っており、可愛らしさより美しさが際立っていた。
────と、その当たり前とも言える像だけを抜き出せば美少女にしか思えないだろうが、少女にはひとつだけ釣り合わない要素もある。
可愛いものに目がない同性のタレイアや今でも思春期の少年らしさが抜けないレオンでも次に全身を見た時にはその存在に気付くことができただろう。
そう、彼女の腰に揺れる水晶のような柄が。
「フィーネ様」
「わぁ! シスターフレデリカ!」
「あら、マリア。どうしたのその格好、泥遊びでもしたの?」
「実は異形に襲われて……」
「異形? 結界が破られたのかしら」
表情こそ変わらないもののマリアと和気藹々といったご様子の少女は呼ばれた名前通り、フレデリカという。
フルネームはフレデリカ・フィーネ・オフィーリア。
神秘在りし島"イ・ラプセル"にあるフェガリ教会本部から派遣されてきた"遺物殺し"の執行聖女だ。
「事情は知らないけど、色々あったのね。今日は祈りを捧げたらゆっくりお休みなさい」
「はい! ありがとう、シスターフレデリカ!」
「ま、貴方に聞いても無駄だろうからそちらとアザリカからゆっくり聞かせてもらいます」
威圧的にも思える声に一瞬びくりと肩を震わせたアザリカは適当な言葉を並べて足早にその場を去り、部屋に向かうマリアを見送ったフレデリカははぁ……と深いため息を吐いた後、待ちぼうけ状態の三人に向き直り、そして────。
「………………」
「…………ッ」
鋭く鳴り響いた白銀の共振がレオンの銀剣とフレデリカが腰に据えていたレイピアのぶつかり合った音であるとこの場にいる誰もが認識するまでに時間はそうかからなかった。
刀身と切っ先がせめぎ合い、ギチギチと不快な音を立てている。申し訳程度にフレデリカの方が競り負けているのはどうしようもなく体格差のせいか。
レオンが守りに入っているという時点で先に仕掛けたのはフレデリカだと分かる。
ほんの一瞬だけ湧き出た少女の迷いなき攻撃の意思を感じ取ってなんとか構えた防御の姿勢は少しだけぎこちなさがあった。
「レオン・ファレル、銀剣の使い手はさすがに速い。対応力は貴方の勝ちでしょうが、切り札を先に抜くのは二流の戦い方ですね」
「生憎といまだ騎士の誓約に至らぬ身なもので」
「そうですか。では有り難い説教だと思いなさい」
ビリッと走る白い稲妻がレイピアの柄に輝くダイヤモンドから抜き身を駆け抜けた。
明らかに力の入り方も大きさも差がある銀の剣に触れ、全てを貫いた雷光がレオンにも当然のように──伝わらず、代わりに銀剣・クラレントが見たこともないような閃光を放ち……。
「なっ! たぁッ!?」
跳ね返されるようにして弾け飛んだ。
廊下の固い床に後頭部から叩きつけられ転がったレオンはクラレントを離すまでには至らなかったが思わぬ事象に目を回している。
これが"デュランダルの騎士"エタンセル・ローランと張り合って相打ちにまで持ち込んだ"二天の騎士"だと言うのだから弟のリオンは目も当てられない。
それでも敵意があるなら考察を始めなくては、と彼は思考を巡らせる。
魔力の流れ云々というより見た目の話になるが、フレデリカがなにかしたというよりフレデリカのレイピアがなにかしたように見えた。彼女は言葉を合図にしただけであって、発動した魔法ではなく剣に宿った能力が自動発動した──のか。
「遺装は大きな分類に纏めてしまえば聖遺物に該当する。私のレイピア、聖なる十字架は魔力でそれらを選別し、数秒の接触を通じてその魔力を内側から暴発させる"拒絶"の能力を持ち合わせています」
つまりさっきの銀剣の爆発はレイピア──聖なる十字架の秘めたる遺物殺しの力が聖遺物=遺装と触れ合い、自律発動したということだ。
わざわざ彼女が警告までした意図に気付かずすっ飛ばされたレオンの惨敗だった。
言われてみれば相手はエタンセルだとかオリオンだとか彼が対峙してきた化け物連中に比べて大した人物ではないのだから、クラレントを抜くまでもなく幻想剣だけでよかったのだ。
そちらなら分類は幻想魔法なので聖遺物ではない。男女の筋力さがあり、強度も申し分なく、第二の手を打たれる前に押し込むこともできる。
銀剣・クラレントへの絶対的信頼と、最近の戦闘の流れでどうしても距離を取るより詰めて斬りつけるようになってしまったのも敗因のひとつと言えようか。
「兄上……」
「──ハッ!?」
無慈悲に落とされる下等生物を見るようなリオンの目と心配そうに慌てるタレイアの目に晒されたレオンはぴょんと飛び起き、ここで大人げなくもう片方の偽神剣を手に取ろうとしたが、それすら弟に阻まれた。
彼はどうしてこう話を聞いていないからといって悪循環に乗ろうとするのか分からない。
頭を抱えるリオンは隙あらば鞘走ろうとする兄を絶凍の気流を腕に纏わせ全力で制止しつつ、フレデリカに近づき頭を下げた。
「すまない。こんな兄では練習相手にもならんだろう」
「うっ……」
「はい、大司教様が用意する泥人形の方が規則性がない分歯応えがあります」
「ぐさーっ!」
容赦ない毒舌が心の臓をぶち抜き、レオンが足元から崩れる。
攻撃のルーチン、パターンが完成しているという彼の一番の欠点をまさか弟でも因縁の敵でもないただのシスターに突かれるとは一体どこの誰が予想したか。多分レオンですら意表を突かれたことだろう。
「まぁその方がどうあれ、先に刃を向けたのは私です。残り香だけのようですしお詫びしましょう」
「残り香?」
「気付いていないのですか。貴女方から異形の匂いが漂っていることに」
「…………」
異形の残り香とは言うが、恐らく物理的に匂っているわけじゃない。どちらかと言えば"感知した"が適切な表現だ。
執行聖女という女神に仕え悪意を排斥する純なる者であるが故に、少しでも異形の気配が残っていると感じ取りやすいのだろう。別に悪いことではないが。
事実彼らは精霊種の異形変異体であるディアと会い、出発から数日が経過しているとはいえかなり長い期間一緒にいた。リオンに至ってはスタートラインが花の楽園であり、今は亡き友も異形であったことから残り香がまとわりついていると言われても仕方がない。
「マリアが異形に襲われたと言ったので自演自作かと思いましたが、それがあるということは疑惑だけのようでしたから」
そう言ったフレデリカはリオンの左腕を見つめ、その本質を知っているような素振りを見せた。
「アガートラームか」
「神造遺装は神聖なる遺物、不浄たる異形には偽りの像すら描くことはできません」
「よく見ている奴だな」
「すごいわねぇまだ子供なのに博識ぃ」
遺物殺しを得物にするだけあって不可視化した遺装を見抜くことは容易のようだ。
とまぁ、余談はさておき彼女の言い分は大いに分かった。
マリアを襲った異形と彼らが結託し、もっと広範囲の餌場を得るため助けたフリをして教会にやってきた……なんて実際本当にあり得そうな怖い話だ。
これはあくまで推測だが、彼らの正体を彼女の中で裏付けたのは銀腕・アガートラームだけでなくレオンの対応力もあったはず。
なにせ彼らが目指していた次なる目的地は紛れもなくこの教会。
つまるところ、教会内でもトップの役割を振られた執行聖女であればファレルとルミエールの三人が来ることは知っていてもおかしくないし、アルブスでは良くも悪くも有名なレオンの太刀筋が伝わっているくらい不思議なことじゃない。
「さて、客人に大変な無礼を働いてしまったので真面目に働くとしましょう。ご案内します」
「感謝する」
「お願いしまーすっ」
無礼を働かなければ真面目に働かないのかと聞いてしまいかけたがうまく言葉を飲み込んだ。……誰がとは言わないが。
一方がっくり膝をついて取り残されたレオンはといえば────。
「い、一体なんなんだ! ちょっと許してくれたんじゃなかったのか!?」
どの程度リオンが諸々を許しているのか他人に計り知ることはできないが、レオンが思っている以上に溝は塞がっていないと思われる。
すでに三人は廊下の先に行ってしまって返事など返ってくることはないので、肩を落としたまま彼も後に続くのであった。
教会の敷地は思っていたよりも広い。
通された部屋で紅茶を啜り、フレデリカの帰りを待つ。
「お待たせしました。……責任者、と言うのが適切でしょうか。神父様をお呼びしましたので今後の話はそちらにどうぞ」
どうにも発言にやる気がない幼げなシスターフレデリカの紹介で扉を潜ったのは小豆色の髪を束ね、赤と黒の外套を纏った青年だった。
穏やかな笑みを浮かべパステルカラーの瞳を細める姿から見た目からの印象ではあるが年下のようには見えない。実年齢より若く見えるレオンより若いのは明らかなのに、何故か年上に見えるのだ。
「はじめまして」
やはり、声の若々しさも10代後半のそれであり同世代より低めのリオンと比べても張りがあり変声を終えたばかりな印象を覚える。
「こちらの教会で神父見習いを任されてる──カンナ、と申します。短い間ですが、どうかよろしくお願いしますね皆さん」