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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
94/133

2-18 執行聖女 1



 レオンが目を覚まして更に一日後────。

 港町でシキと別れ、彼らは今アトランティカ大海沿岸を南向している。

 本来であれば港なのだからすぐにでもそこからカエルレウムに向かうべきところなのだが、いくつかの問題が行く手を遮ることとなり、現在はまた別の目的地へと向かっているところだ。

 問題──そう、その問題とは条約のこと。

 シキ・ディートリヒという魔術師に捕捉されている以上、アルブス王国内でヴェルメリオ帝国が手出しすることはもう二度とない。しかし海に出れば話がまた変わり、今度は領海に定められていない域に入った瞬間に襲撃される可能性が出てきてしまう。

 できる限り帝国との接触を避けながらカエルレウムの領海に入るために、まずは行方をなるべく眩ませるのが一番の手だとシキは言った。

 アルブス王国に港町は数あるが、ディートリヒに保護されたならどの港にいるか位置の特定は容易い。

 だからまずは町を離れ、港町ではない沿岸沿いにあるとある施設に行く。そこからディートリヒが交渉しファレル家が秘密裏に手配した船で海を航るのだ。

 目的地はとうに定めている。

 目指すべき場所、そこは──────。





 すぐそばまで迫る異形の汚れた息づかいが脳に走れと命じている。

 駆け抜ける大地の果てしなさに震える身体は乱れる呼吸に体力を奪われ、目前に迫る死の恐怖が精神を磨り減らして絶望を誘っていた。

 おつかいの帰り道に近道を選んで本来通るべき道を外れた彼女が辿り着いたのは異形の住処と成り果てた廃村。

 昼だというのにはじめから人の影などなく、瓦礫と枯れた草木だけが迎え入れるその地で少女はただひたすら命を脅かすモノから逃げ続け、間もなく死身たるタナトスによって死に墜ちるだろう。


「あ、ッ!」


 道ばたに転がる石につまずいた少女は抱えていた荷物を派手にぶちまけ地べたに叩きつけられ、立ち上がるための時間すらも異形の前には残されていないらしい。

 顔を上げて見えてしまうのは唾液を垂らす獣の形に似ている悪魔。

 いたいけな少女の四肢を食いちぎらんと襲いかかり、ダイナミックに飛びかかってくる怪物を視認して彼女は思わず目を閉じた。

 あぁ……女神を信じ、その奇跡を信じ続けた少女だというのに──最期はこんなにも呆気なく────。


『gyuuuuuu……!』


 唐突な静寂に少女は不思議がった。

 獣が悲鳴をあげ、同時に溢れる液体が迸る音に空間は時を止めたのだ。

 ころんだ少女を中心点として1mにも満たない距離で丸くなった一匹の躯は子犬のように弱々しく、子猫のように怯えた震え声でこの場に居合わせた何者かを恐れている。

 天の女神に祈りが届いたか、目を見開き呆然とする少女の前に"彼"は降り立った。

 太陽に照らされ白く輝く()()()()()()()()()。この世に遺された神と人の叡智に誓いと誇りを宿したその騎士はまるで白馬に乗った王子様のような清廉にして潔白な装束を纏い、黒髪を風に泳がせながら真剣そうな表情を浮かべている。

 なんと麗しく美しい殿方の形をなぞっているのだろうか。

 聞けば旧世界の女神アナスタシアには愛するヒトがいて、彼は美しい白を纏いその加護に包まれていたという。

 つまり、修道服に身を包む彼女が思う男はこの世に生きる奇跡の想い人なわけだが、しかし実際はどうかといえば……案外そうでもないに決まっているだろう。


「無事か」

「は、はい……!」

「ならよし!」


 神々しい純白の剣を消失させた彼は幼くも成長過程にある少女を抱き上げ、怯えて死にかけた一匹の方向で全力で駆け出した。

 後ずさりながらも警戒していた周囲の異形どもは常人ならざる素早さで駆け抜けるその予想外の行動に反応しきれず、この絶体絶命の状況を脱した二人を追うには少々時間がかかる。

 後方からようやく囲んでいた連中が追い始め、瓦礫の端から姿を覗かせる大量の異形は唸り声を上げながらやってくる。しかし目もくれず一方最速で突っ走る彼──レオン・ファレルはなにか目的でもあるようで、右へ左へと廃墟に紛れて移動し、ある"一点"を抜けた瞬間、正面に鎮座する巨木の隙間からなにかがキラリと輝いた。

 ────"矢"だ。

 魔力で作り出された無数の矢が同時に放たれ、様々な方向からやって来る異形に対応して曲がりくねりながら空を抉る。

 少女の目にはどれだけ信じがたい光景に見えるだろう。

 教会の外の世界に出ることが少ない彼女は()()()()()()()、"人"には敵わぬ悪魔であるとしか知らない。ただの人が野蛮で獰猛な異形と戦えるはずがないとも。

 だからこそ、やっぱり少女にとっての彼は間違いなく神の使いだと感じるのだ。

 まぁ矢を放ったのは木陰に潜んだリオンであり、遺装(アーティファクト)を携える彼らからすれば別に野良の異形通常体など取るに足らない雑魚なのだが。


『AAaaaaa!!』


 第一射撃から逃れた異形が少女を抱えたレオンに迫る。

 しかし恐るるに足りず。

 銀剣を振りかざし、空に描いた幻影の刃が天を呑み込み獣の肉を食らい尽くしてその追撃を許さない。

 全ての異形が地に伏し、灰に変わるのを見届けた後──ようやっと彼は少女を地上に下ろした。


「あ、ありがとうございます……」

「気にすることはないさ」


 銀剣・クラレントを鞘に納め、瓦礫の村をくまなく見つめるレオンの横顔に少女はなにを思ったか。


「大丈夫? 怪我はなぁい?」

「えっ!?」

「ごめんなさぁい、私気配を消すのが得意なのよぉ。さ、さっき転んだ傷を見せて」

「はい……」


 本当にどこからともなく現れたタレイアに少々困り顔の少女は擦り傷が真新しい両ひざを見せ、そこに真白く艶やかな女性の手がかざされる。

 詠唱はない。瞼を閉じてただ集中するタレイアは手のひらに魔力を束ねる。

 少女の足にぴりっと痒さが走ったかと思えばあっという間に柔らかな緑の光が患部を包み、一分ほど待った後にはもう砂がつき赤く滲んでいた擦り傷は完全に失せていた。


 ほどなくして木から降りてきたリオンが合流し、瓦礫の上に座る等各々が楽な姿勢を取りつつ今はタレイアからもらったリンゴを見つめている修道服の少女が何故こんな土地を彷徨いていたか聞いてみることになった。


「ね、貴方のお名前教えてちょうだい?」

「あ……えっと、フェガリ教会執行聖女(しっこうせいじょ)見習いの、マリアっていいます」

「マリアちゃんね。私はタレイアっていうのよ、よろしくね」


 "マリア"、と少女はそう名乗った。

 一瞬戸惑ったのはきっと近づいてきたタレイアの服の露出度に驚いただけだ。他意は決してない。


「執行聖女……?」

「教会の異端殺しのことか」


 月の女神アナスタシアを主神と掲げるフェガリ教会は争いを好まない。

 しかし問答無用で襲いかかってくる異形種やヴェルメリオ帝国のような戦争国にはある程度の自衛手段が必要となるのが悲しいが現状だ。

 そこで教会の司祭たちはある程度の年齢に達した信仰心の強いシスターを秘められた素質で選び、大司教が造り上げた異端殺しの武装を授けて戦闘訓練を行わせる。そうして訓練を終え、防衛力を身に付けて各地の教会に派遣される彼女らの総称を"執行聖女"という。

 どうやらマリアはその見習い──訓練段階のようだが、それでも武装なし魔法なしで異形の巣に単身飛び込むのは無謀に近い行いだ。


「今朝近くの村に薬を買いに出てきたのですが、近道にこの廃村を通ったら異形に襲われてしまい……恐ろしくて……」

「そうなのね。大丈夫、その感情は当然のものだわぁ」


 執行聖女と言えど神の使いではなく選ばれただけの人の子だ。

 完全に出来上がったわけではない少女が廃村を支配する程度には膨れ上がった異形どもと対峙して、当たり前のように殺しきるには覚悟も年期も足りない。

 だとしても、マリアは近道を使ってまで教会に帰りたかった理由がある。

 聞けば教会に隣接した孤児院に今朝一人の幼い少年がぼろ切れのような状態でやって来たらしい。

 方の抜け穴のどこかから逃げ出した奴隷かあるいは旅先で異形に襲われさ迷っていたのかは定かではないが、弱きを守るフェガリ教会で少年を預からない理由などなく、怪我の治癒をしたところで彼を酷い病原体が蝕んでいるのが分かった。

 今教会で用意された薬ではとても治療できそうにないと知ったシスターたちはマリアに近くの村で薬を、そして彼に食べさせる食料を買ってくるよう命じ、彼女も承諾したのでこうして出てきたのである。


「……あっ!! 薬と食べ物は……」

「恐らくだが異形に食われてしまっただろうな」

「そんな……」


 リオンの言葉にショックを受けるマリアは悲しげにリンゴを見つめ、決意した様子で立ち上がった。


「助けてくださり、ありがとうございました。ここから先は頑張って帰りますので、どうかお気になさらず旅を続けてください」

「えぇっお薬はいいの?」

「シスターには事情を話します。懲罰があるでしょうが、わたしには重荷に過ぎたのです」


 かなり落ち込んだ様子でその場から立ち去ろうとするマリアの背中をやや感心なさげに見守るリオンが口を開く。

 「薬がなくとも治せるかもしれない」──と。

 言葉を聞き、振り返って驚き目を丸めたマリアに対して彼は目も合わさない。

 どうせ彼らもカエルレウムに航るため海辺の教会を目指していたところ。孤児院があると聞いているので、彼女が所属するのも同じ教会であると考えている。

 ならば旅は道連れ、というか案内をしてもらいたいのが現状だ。


「どこぞの兄上が貴重な地図を風で飛ばしてしまったからな」

「あれはリオンが話しかけてきたからつい気が緩んだだけであって俺に非はないぞ!」

「非しかないだろう」


 事件はほんの数時間前に起きた。

 馬車や列車で目立つ動きをしないよう徒歩でここまで来た彼らは、この廃村に近い森の一角で野営し、今朝方地図を眺めていたレオンに──正確には地図に──顔を近づけたリオンが話しかけたところ、突然異様に驚き不意に流れ込んだ風に地図を奪われてしまったのだ。

 もちろん地図を回収しようとはしたが、思わぬ強風で空の遥か彼方に巻き上げられた紙の地図は次の瞬間もうここではないどこかへと消えていった。

 別にリオンがおかしなことをしたわけではない。レオンが勝手に気を緩めて、ついでに掴んでいた紙をも手放してしまっただけのことだ。

 要は兄が悪い。


「こちらとしては教会に行きたい。お前はその子供を助けるために治療法が必要。それなら断る理由はないはずだ」

「…………では、お願いしても」

「あぁ。任せてくれ」

「うんうぅん! ナイスよリオンくん! マリアちゃん、道案内よろしくねぇ」


 まだ信用しきれていないようだが無事に交渉成立。

 心の底からの喜びを包み隠さず見せつけるタレイアはそのままマリアの手を引いてぐいぐいと村の出口に向かっていく。

 堂々となんとかできる宣言したリオンの隣、どうあがいてもまたもや戦犯扱いことレオンは取り残された場で無言の圧力に襲われた。いやだって自分のせいじゃないし精神でなんとか生き抜くしかない。


「兄上、どう思う?」

「は?」

「仮にも執行聖女の候補が異形の対策もなしに外に出るのはおかしいと言っている」


 いかに非常時とはいえ相応の訓練を行っているはず。ついつい忘れてしまうほど間が抜けているにしては性格もしっかりしているように、少なくともリオンはそう感じた。

 もしも彼女自身が忘れていたとしても周りのシスターがそれを見過ごすわけもない。

 作為的な意図か──あるいは、そもそも彼女に武器を持たせていないのか。とにかく妙な違和感があるのは事実だ。


「確かにおかしくはあるけど、シスターだって緊急だったから気を使えなかっただけだろ? 結果的にマリアは助かったんだから気にするほどじゃない」

「……別に大して心配しているわけじゃない、おかしいと思っただけだ」

「なら問題はないな」


 警戒を怠らないリオンに比べればレオンは軽い。特に気にする必要もないと言い、せめて弟を安心させようと近くで優しく声をかける。

 まぁある程度は和解した今でもそこまで信用したり仲が良くなったわけではないので、目下警戒状態ではあるが。

 振り向いた時に二人の姿が見えないことに気付いたタレイアが大きな声で呼んでいる。

 教会に行けば道は拓け、疑問の答えが待っているかもしれない──それだけを信じて彼らは廃村を出ていった。



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