2-17 そして、これから
レオン・ファレルが目を覚ますと、そこにあったのは天井だった。
眠る前の記憶があまりにもぼやけているせいか状況の把握に努めようとしても、全身が悲鳴と軋みに叫び、立ち上がるどころか起き上がるのも億劫だ。
はてさて、直前までなにをしていたんだか──覚えている時系列を勘頼りで順に並べ、せめて回顧には努力を惜しまない。
かつての師の幻影と行った修行、その果てに突入した空飛ぶキカイの船、リオンの救出と地上におけるエタンセル・ローランとの激闘……辺りはちゃんと覚えている。
問題は勝敗とその後について。
負けたのか勝ったのか、リオンはどうなったのか、なにもハッキリしないのにおちおち寝てなどいられるか。
とりあえず死ぬ気で身体を動かしベッドから脱出後に弟の捜索、見つけたら全力でこの建物から抜け出す。
「って考えてるんでしょ? はい、じっとしてるんだぞー」
「…………は!??」
いかにも軽率そうで気ままそうな少女とも少年とも解釈できる声が思考の邪魔をした。
どこかで聞いたことがあるような気がするそれの発生源が自分のすぐ近くであることに気付いたレオンは大慌てでその方向に視線を移す。
──そこにいたのは純白の法衣に身を包み紫恩の髪を揺らめかせ、柔らかな日差しを受ける麗しき聖女────のような悪魔だ。
「シキ・ディートリヒ!? どうしてこんな……いや、まさかここは…………牢屋か!?」
「いくら君が犯罪者でもそんなわけないだろ。というか王都ですらないし」
「なら処刑寸前か!?」
「君、案外罪の意識があるんだな……」
緩やかなおさげ髪と中性的な口調や姿がアンバランスな少女、シキ・ディートリヒが目の前にいる。
何故かほとんど動けないのに一度殺し損なった国家の重役が隣人になっているとか、下手をしなくてもエタンセルと一対一なんかよりよっぽどマズい状況だ。本当にこれから首をはねられるのかもしれない。
……まるでネズミが猫と鉢合わせたかのようにビクビク怯えてツッコミどころも多い恐慌状態にあるレオンとは反して、実際のシキは物凄く普段通りの表情をしている。
確かに一年前にシキとキャロルはレオン──の女性体──に死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされるほどの酷い目に遭わせられたが、恨んでいるかと聞かれればその実「どうでもいい」のだ。
「僕らは彼のおかげで事の真相を把握している。君の動機も、顛末も、知った途端にどうでもよくなったのさ。回りくどいったらありゃしないね、元お義兄様」
「う……そうなりそうだったのは分かるが、だからと言って声に出さないでほしい」
リオンとシキが"一応"婚約者同士だったのは兄である以上よく知っている。嫁入りなのでまさにお義兄様なのも否定しない。
しかしそれは彼が失踪した段階で実質上破棄された。
今では、というよりそれからもずっとファレルとディートリヒは赤の他人であることを忘れないでほしい。
まぁとにかくこうしておちょくれる程度にはレオンをなんとも思っておらず、犯罪者ではあっても別に致命的な実害がアルブス国内で出たわけじゃないので、彼は特に指名手配でもなかった。
「アーテルの方も、彼が上手くやってくれた。暴走した融合体の討伐に見事貢献したファレルの剣使いってね」
「……オリオン・ヴィンセントが」
「顔をしかめるなよ。彼の弁護があったからアーテルに追われずに済んだんだ」
そう言われてしまうと憎き夢魔が相手だとしても押し黙らざるを得ない。
借りを作った──といっても彼はもう死んでいるので返す方法が死ぬまでなくなった。この点に関してはやはりモヤモヤしたものが胸に渦巻いている。
「で……本題を進めていいかな」
「あ、あぁ」
「じゃあまず、ヴェルメリオ帝国の動向から」
空を回遊していた帝国戦艦についてはアルブス王国もかなり前から把握していた。……が、領土や領海は定められていても領空権なるものが存在しない宵世界では咎める方法がない。
しかし逆に言えば、地上にさえ降りてきてくれればアルブス側が条約に基づき法で裁くことができるのだ。
レオンとエタンセルは例の戦いで馬鹿にならない量の魔力を放出し、もう居場所を特定してくださいと言わんばかりの状況を不可侵条約により禁じられた領土内での戦闘・挑発行為と定めた国王の判断によってシキが動いた。
こうして少なくとも増援とエタンセルの追撃が未然に防がれ、彼らは無事にアルブスで保護されたのである。
「空中艦は交戦終了後に北上、山脈を越えたから帝国領に戻ったはずだ」
「待ってくれ。エタンセルは生きているってことでいいのか?」
「その辺覚えてないのかい?」
「…………」
脳内をひっくり返して記憶に探りを入れる。
あの日あの場所でぶつかり合った二つの遺装に、はたして決着はついたのか。
遡ること一日前────。
激しく強烈な極光を放ちながら見える世界を焼き焦がした白銀と黄金の交差点は瞬きの間に収束し、草花生い茂る野原はさっきまでと何ら変わらぬ自然体へと戻っていく。
晴れやかな青空に照らされ、眩さが地上に降り注ぐ中、リオンとタレイアがその姿を確認できたのは交戦地点から数十メートル離れた場所だった。
「兄上!」
その場から声をかける。返事はない。
倒れながらも起き上がろうと動いてはいるので死んでいるわけではないらしいが、斬撃による切り傷というよりも焼け爛れや擦り傷の方がよく目立つ身体はすでに戦えそうもない。
それは赤き帝国が誇る無双の騎士も同じこと。
反対方向には同じく絶大なダメージを受けたらしく、剣を杖にして奮起しているエタンセルの姿。
双方がほぼ同じ傷を負い、戦闘続行がほぼ不可能な状態へと追い込まれていた。
────戦いの最中、ぶつかり合った二つの限定開花はそれぞれが全く真逆の性質を有している。
デュランダルには言わずもがな悪を滅する正義の光。
ではクラレントに宿った性質はなにか。王、支配者への反逆という悪? いいや、彼の剣の逸話はただ反旗を翻しただけではない。
騎士モードレッドは確かに殺したのだ。
円卓の王たるアーサーに回復不能な致命傷を負わせ、自身は聖槍の一撃により貫かれ絶命している。順序で言えば聖槍を食らった後に斬り付けた。
即ち、クラレントの限定開花はそこに秘密が隠されている。
光剣が悪を滅する不滅の輝きになったのなら、銀剣は優位性の高い存在に対する攻撃反射へと逸話が昇華された。
しかしそれだけではレオンが倒れた理由にはならない。反射ならエタンセルだけが負傷しているだろうし、逆に失敗したなら彼は無傷で済むだろう。
要は"矛盾"だ。
悪を滅ぼすデュランダルの限定開花、優位を弾き返すクラレントの限定開花はそれぞれがその性質を主張し合い、どちらも競り負けなかった。
結果として矛盾の一撃は魔力が溶け合い暴発。洗剤を混ぜると化学反応で危険な毒になるのと同じように、両者は放出されずに溜め込まれた限定開花級の魔力の爆裂に巻き込まれ、現在に至る。
「それが、貴様の剣か」
「…………どうやらそうらしい」
息も絶え絶えになりながら返答したレオンはかなり遠くにいる騎士の姿を捉えきれなかったが、エタンセルは彼の姿をきっちりとその目に焼き付けて再び立ち上がった。
どちらも限界ギリギリの様子だが、誤差の範囲でエタンセルの方が動けそうだ。
「騎士の誓いなどと宣った貴様がどこまでのものかと思ったが、まさか我が全力を以てして相討ちに持ち込まれるとはな……」
デュランダルの刃先が牙を剥く。
帯状の魔力を吸収し純度を高めていくその輝きは、今度こそ目の前の男を殺しきるために光を束ねて今にも放たれそうなほど目映く照っている。
一方のレオンは、客観的な見た目では到底信じられないが動けなくはない。戦えと言われれば問題なく剣を振るえるし、弟を守れと言われれば今すぐにでも盾になろう。
だがお互いに長期戦はままならない。体力が尽きるか命が尽きるか、それとももう一度魔力の奔流をぶつけ合うか──試してみる価値はある。
死なば諸共。白銀の柄を握り、次なるトドメに備えて魔力を汲み上げた。
まだ真の能力を理解していない彼ですら自分の傷を見れば限定開花の衝突が次になにを引き起こすか解っているはずだ。
故に、その命に換えたとしても──エタンセル・ローランを────……。
「────双方、剣を納めよ!!」
高らかに響き渡る中性的で清らかな声が騎士の死闘に終止符を打った。
それが大急ぎで城から南西の草原に駆けつけたシキ・ディートリヒで、口出しする間もなく兵士に取り囲まれたエタンセルはなにも言わずに剣を納めた。
しかし、見ているだけでなにが起きているのかさっぱり分からないレオンや突然現れたアルブス王国軍と顧問錬金術師に驚く二人からは、赤と白が結んだ条約のことなどすっかり頭から抜けている。
純然たる決闘を邪魔されたと思い込んだ彼は血相を変えたが、足元から崩れて完全にダウンした。
「双璧、シキ・ディートリヒか」
「そういう君はデュランダルの騎士──エタンセル・ローランだな。今すぐに退け、この地は貴君らの帝国領ではなく我らがアルブスの大地。立ち去らぬというのなら今この場でその命を頂こう」
いつになく真面目な表情で隣国の騎士を牽制するシキ。
実はデュランダルを持つ彼にとって、彼女はあまり相性が良くない相手だ。ワケなんて言うまでもなく、彼女が悪ではなくれっきとした正義側だからである。
善悪の基準は持ち主に依存しているのが唯一の難点とも言える光剣の現在の使い手エタンセルはヴェルメリオ帝国皇帝を崇拝しているが、同時に高潔な騎士の側面を併せ持つためか、帝国に仇なす敵だけを悪と定義しているわけじゃない。
たとえ帝国の高官だとしても罪を犯せば悪人と思い、それが黙認されても罪人だと認識する。
だからこそシキは善人であり、たとえ彼女が喚ぶのが悪魔でありそこの相性が良いとしても喧嘩は売らない。
剣を早々に納めた騎士はシキが次の言葉を発する前に前回と同じ謎の浮遊能力で空高く舞い上がっていく。
その時、なにも語らなかった彼の眼が再戦を望んでいることをレオンは理解していた。
かくして戦いは終わり、彼は緊張の糸が切れたように力尽きて倒れた。
エタンセル・ローランを倒すまでには至らなかったが、リオンを奪還するという最大の目的を果たせた時点でこちらの完全勝利だと言えるだろう。
……それでも結局敵の動向は知れないままだが。
「そうだ、リオンはどうした」
「問題なし。本人が毒薬を食らったって言うから確認したけど、もう大半はアガートラームで治癒されてるみたいだから、精神面のケアだけ」
「なら安心だ──っ」
「ちょっ……満身創痍がどこ行くつもりかな?」
「リオンと話すことが山ほどあるのさ」
少しは体力が戻ったようで、難なくベッドから降りることに成功したレオンはシキの制止を聞かずに部屋を出た。
「………………はぁ……"ルフェイ"の血筋って、みんな似た者同士なんだな」
シキの独り言ははたして聞こえていただろうか。そもそも誰が誰と似ているのかが知れない以上、戻ってまで問い質す必要はない。
──近くで掃除に勤しんでいたメイドに聞けば、ここはアトランティカ大海に面した港町にあるディートリヒ家の別荘だと言う。
漁業が盛んな港ではあるが、貴族からすれば所謂リゾート地ともいうらしい。
日々の職務に疲れた彼らを大海の豊かで壮大な光景が迎え入れ、なによりも王に命じられこの漁港を治めるディートリヒ家は決まってここで婚礼の儀を執り行うのだ。
島国カエルレウムの出身なのでレオンは海を見慣れているし目新しくもないが、広大なヴァルプキス大陸側の住民からすると意外と海は憧れの世界と言えるかもしれない。
そうこうしている内に二階の廊下から中庭を見つけた。どうやら出入り用の扉らしいものはなく、解放感のある吹き抜けになっているようだ。
そしてこの吹き抜けから見える一階側の廊下には、見慣れた弟の後ろ姿が覗いている。
どうにか声をかけたいのだが、さすがに負傷が尾を引いているので今日は飛び降りてまでショートカットできそうもない。
屋敷の構造も把握しきれていないせいで行き先の方向も不明なので、いっそこの場で名前を呼び掛けてみることにした。
「リオン!!」
声を大きく上げればリオンは振り向き、見下ろしている兄を一瞥しひとつため息をつく。
心配なんぞ一切していなかった顔をしていることに関するツッコミはともかく、その場に留まるよう身振り手振りで表現しつつ見つけた階段を駆け下り、中庭に繋がる廊下へと踏み入った。
「相変わらずしぶとい男だ、兄上」
「ははっそれしか取り柄がないからな」
「全く……」
以前殺し損なった時にも口にしていたが、レオンの丈夫さは折り紙付きだ。何回か死んでも生きていられるのではないかと思わず疑ってしまうほどに。
というか普通上空から無防備な状態で地上に落ちたら当たりどころが良いとか悪いとかじゃすまないはず、治癒以前の問題だ。
だからそんな兄に敬意と皮肉を込めて「しぶとい」と彼は贈る。
さて、余談はここまで。
リオンは兄が二刀流に手を出した詳しい経緯を一切知らず、どういった理由があってヴェルメリオの騎士と因縁ができたのかも分かっていない。
すべてを聞かせてもらわねば、あんな無茶苦茶な状態で放置されたことへの納得もできないのだ。
「すまなかった。あの時、また約束を守れなくて……辛い目に遭わせてしまった」
「はぁ……何度言わせるつもりだ。最初から兄上に期待なんてしていない、勝手にすべて背負ったつもりで来られると困る」
「面目ない」
「……」
僅かに普段と異なる兄の態度に疑問を覚えた。
いつもならこう、当たりを強めにすると「酷い」と泣き言を返されたりそのまましょぼくれて落ち込むはず。それが平謝りだなんて……頭を打ったのかもしれない。
「シキに診てもらった方がいいんじゃないか」
「え、なにかおかしな発言が?」
「……いや、なんでもない」
そういえば──レオンはあの空飛ぶ船の中で言っていた。
なにを言われてもいい、と。
どれだけの罵詈雑言で罵られようとも、今目の前にある血の繋がった弟を守り抜くとそう誓いを立てた。
頭が堅いというか、こんなくだらないところにまで気を使うところが実にレオンというか──。
慎重になった結果、逆に取り扱いづらくなった気がする。
「それで、あの騎士は何者だ。俺がいない間になにが起きた?」
「話せば長くなる、いいか?」
「一々聞くな」
手厚く塩対応を食らったのでいい加減にレオンはここまでの出来事を大まかに話した。
騎士の名はエタンセル・ローラン。自らの名と同じ騎士が携えた伝説に名高き聖剣、光剣・デュランダルを所持するヴェルメリオ帝国の切り札。
初戦、彼と対峙したレオンは圧倒的な実力差と遺装の相性の悪さが祟って敗北し、帝国にリオンを奪われてしまった。
今回とは比にならない重傷から目覚めた彼は精霊ディアの提案で、過去の記憶を取り戻すために魔法で思い出の中にダイブし、そこでようやく自身の所業を知り得たのだ。
自分の都合だけで壊してしまった大切なモノを再び形にするために、そしてエタンセルに勝つために彼はディアや師の協力を得て二刀流の修行を始めた。
クラレントの記録魔法を用いて幻想剣を形成し、瞬間的に射出するのではなく世界に定着させることで本物の剣のように扱う。ただし壊れやすく、対悪性能では右に出るものがないデュランダル相手には一撃受け止めるのもままならない。
だとしても、実際に対戦した結果はまぁまぁ拮抗かつ相討ちだ。悪くないだろう。
一ヶ月の後にディアとタレイアが捕捉した戦艦の位置へ向かい、転移の魔法で船より上から落ちてきた────だからこそ帝国は不測の事態に侵入者の発見が遅れ、こうして無事にリオンを取り戻せたわけである。
「一ヶ月……」
「長かったけど、これでようやく次の段階に進める。もう帝国に後れは取らないさ」
「それは同意見だ」
リオンはリオンでとてもじゃないが人には言えない因縁がある。
あのド変態将軍は食用ミンチレベルに引き潰しても足りない程度には恨みが強く、とにかく脳髄に一撃食らわせなければ気がすまない。
……が、まずは当初の目的から。カエルレウム連合公国ファレル領に帰り、ジュノンの安否と父の容態を知るところからが本当のスタートラインだ。
「だがその前に……兄上」
「どうした、急に手なんか差し出して」
「剣を寄越せ。クラレントではなく、あの石のようなやつを」
「いい、けど……」
帯刀したクラレントに触れ、手のひらに乗せた魔力の塊を練り上げて形を成す。
美しいサファイアの色をした原石の剣を得たレオンはそのままそれを幻としてではなく現実として固着させ、リオンの左手に手渡した。
「…………神域の加護、変成開始──」
「え、え、リオン? なにしてるのかさっぱり」
「黙っていろ。集中できない」
「あ、ハイ……」
アガートラームに握り締められた歪な剣は、銀腕の常時発動型限定開花"神域の加護"の輝きに包まれて、一瞬にして姿を呑み込まれた。
鮮やかな白銀色はまるでレオンのクラレントにも似ていて、眩しさに思わず目を閉じてしまいそうなのにこの暖かく鋭い光につい見入ってしまう。
「至高なる神器──神剣・クラウソラス、此処に」
神剣、それはヌアザの剣と定義される神話に伝わりし四つの神器の一種。
ただの強化魔法なら神造遺装の姿を纏うことさえまず不可能なこと。しかしヌアザが生前自身の右腕としていた銀腕・アガートラームの限定開花を用いれば多少強度や精度は落ちるだろうが同じ価値に位を高め、同ランクの遺装と定義できるだろう。
なにしろ彼のこの剣は"無銘の剣"なのだから。
「デュランダルが悪を殺すとしても、この神剣は善なる王の力だ。だから次は兄上が勝て、負けたらそれこそ許さない」
「……ありがとう、リオン」
美しい純白が飾る神話の威光が手元でその無限の灯火を放っている。
騎士の誓いに相応しいその剣が、いつかエタンセル・ローランを──ヴェルメリオ帝国の野望を砕く日が来ると信じて、彼らは海の向こうの故郷を目指す。
そしてこれから、二人の物語は真の始まりを迎えるのだ。