1-2 月下に踊る 2
「ついそう……何?」
オリオンは花蜜のハーブティーと甘い生クリームがふんだんに使われたケーキを口にしながら、しかめっ面で聞き返す。
正面に座った白いローブを纏った若い魔術師は胡散臭い笑いを浮かべて彼の口元を綺麗な布で優しく拭う。子供扱いを受け、むすっとした顔が余計にひきつる。
「ンだよやめろ!」
「あっはっはっごめんごめん、今度テーブルマナーを教えてあげるからね」
「バッカにしやがってこの……」
温くなったハーブティーを一気飲みして追想なんたらの話を聞き出そうとする。
どうせこの魔術師が気まぐれで始めたポッと出話なんだろうが、何故か不思議といつもより興味が沸いてしまった。
「追想武装───、陽魔力を持つ人間が宵世界の魔力を受け入れ形とする一種の魔法だ」
ようまりょく?オリオンの疑問に魔術師は続けて答える。
「前に二つの世界の話はしたね?」
「んー…、覚えてる」
「よしよし、陽魔力は僕ら寄りじゃない方の世界の人間が持つ魔力だ」
追想武装は二つの魔力が合わさった結果、上手く成功できたら手にすることができる特殊な力だと言う。
最後まで根掘り葉掘り聞いたが、概要はごちゃごちゃとしていてまとまっておらずやはり胡散臭い。興味も次第に薄れて途中からは相槌もだいぶ適当だった。
そもそも前提として、別の世界が二つも存在するという話からオリオンは信じていない。
この楽園と目の前の魔術師だけが彼にとって全てであり、箱庭じみた小さな世界こそが生きていくにちょうどいいと13年間生きて実感していた。
だから今の魔法とやらもこの魔術師が昔考えた架空の存在なのだろう、と彼は解釈している。
「それで、なんで突然こんなん話したんだよ」
「ええー?知りたいー?」
「さっさと教えろこの色ボケジジイ」
見た目こそ20代の若者と大差ないが、魔術師の実年齢は彼も知らない。所謂若い頃はブイブイ言わせてました系ジジイだ、特に魔術師の場合は厄介な部類に相当する。女の子を取っ替え引っ替えした結果愛人にブチギレられ、気付いたらこの楽園に罪人みたく放り込まれていたとかいなかったとか。
そんな性格が垣間見える言動に多少どころかかなり苛つき、頬をつきながら話の続きを催促する。
「視たんだよ、君の未来」
「またそれかよ…」
軽薄な地雷男、その本分はかつて伝説として語られた偉大な国の宮廷魔術師兼予言者。あらゆるモノの未来を見通す千里眼を持ち、当然のように明日の出来事も知っている。
そんな魔術師が視たのはオリオンの未来。少年が知り得ないこの先の出来事を、男は先に知ってしまったらしい。しかしオリオン関連の未来視自体は別段珍しいことでもない。夢で彼の未来を視る度に、同じ決まり文句から始めて彼に全て伝えるのだ。
追想武装に関する話から始まったことから、今回は現代の話なのだろう。
「君が成人してから二度目の暑い季節に、追想武装を纏う子と出逢うことになる」
ちょっと待て、それはおかしいのではないか?オリオンの中で急速に疑問が生まれる。
まず陽魔力を持つ人物と出会う必要がある。これは即ち、自身が二つの世界両方に渡ることを示唆している。それはいい、大したコトじゃない。
問題なのは以前魔術師から聞いた"梓塚"という町が夜に人が出歩かない町である点、どうやってそんな人物に会うというのか。
「たしかにね、確率はかなり低いと思う。簡単に出歩く変わり者はいないし、そもそもの陽魔力が優れてる人間が更に少ないわけだから」
「だろ? そんなんどうせただの夢だよ、未来視じゃないって」
男の未来視は9割ほど当たるほぼ完璧な予知なのだが、時たまただの夢だったオチを披露することもある。今回もその1割に引っ掛かっただけだろう。
「でもさ…これが当たっているとしたら、君は本当に運が良いのかもね」
頬杖しながら彼は屈託のない笑みを浮かべる。そこに悪意や皮肉の類は感じられない。
いやしかし、そんな役満が成立するとしたら彼はどちらかと言うと…。
「どう考えてもそりゃ、運が悪いの間違いだろ」
◇
「なによこれ…!?」
風に揺れる長い髪は自分のものではない気分がする。まるで他人から体をごっそり借り受けたみたいに感覚がぎこちない。
これは一体なんなんだ。
あの超巨大な異形に立ち向かい負傷したオリオンを助けるため駆け寄り、迫り来る化け物から彼を守ろうとしたが何故か止められ、彼の唐突な行動に面食らったのも束の間、気付いたら姿がファンタジーゲームに出てくる女戦士のようになっていた。
ここまでちゃんと振り返られるのだから少なくとも一颯の脳は正常だ。
「上手くいったな」
脇腹辺りを真っ赤に染めたオリオンが一颯の姿を見て満足そうに声をかけた。彼女はパニックでそれどころではないが、彼にとってはこの追想武装の発現が不幸中の幸いというやつらしい。
オリオンの腹部の負傷は明らかに致命的なものだが子供のように喜ぶ表情からは怪我人とは思えない。
「な、なーにが"上手くいったな"よ! これっ…これで戦えるの?」
「おう、それなら確実にアイツは殺れる」
「嘘ッ!?」
持っているものと言えばオリオンが持っていたのと同じ紅い剣、そう武器はある。ただしあれほど強かった彼をいとも簡単に投げ飛ばす異形に対し、素人の剣技と運動能力がどれほど効果があるかと聞かれたら正直ほとんどないだろう。しかも彼みたいに魔法が使えるわけでもない。
自分から戦うとは言ったが、一颯は一般人故に非力だ。こうして力だけを得ただけでは戦えたとしても勝利できるかは運次第。
それでも彼女が追想武装を纏った瞬間からオリオンには分かっていた。彼女の内側に秘めている素質が、目の前の変異体の戦闘力を遥かに凌駕していることを。
この戦いは自分が今動ける範囲で如何に彼女の力を発揮させられるかが鍵になる。
譲渡したせいで申し訳程度の残り滓になった魔力を全て治癒魔法に充て、先程の光にまだ悶え苦しんでいる異形の方を向いた。
「アイツ、お前の魔力に当てられてダウン中みたいだな。今のうちにやっちまえ」
「やっちまえって…、剣なんてどう使えばいいのか」
「ンなモン、イメージすりゃいいんだよ。想像力働かせてみろ」
「イメージ……」
一颯は瞳を閉じ、自分が戦う姿を思い描く。
星のように速く鋭く正確に、敵の懐へ潜り込み確実に仕留める。彼の戦い方から急所は人間と同じことは心得ているが、自分が狙いやすい部位は──喉元か脳天、はたまた心臓だろうか?あれだけ身体が大きいなら三つどれを狙っても一つには当たる気がする。
異形を倒すあらゆる方法を想像しているだけで勝利の道筋が見えてくる。
これならきっと勝てる。その一筋の線が見えた時、一颯は目を開き両手で剣を構えた。さっきより少し軽い気がする。
「行こう!」
高らかに宣言し、足場の崩れた工事現場を駆ける。
一颯の声で漸く立ち直ったらしい変異体は未だなにかに怯えた様子のまま、彼女の疾走を止めるべく大地を揺らすほどの咆哮を発する。だが少女は怯まないし止まらない。イメージ通りに地面を蹴り、怪物に狙いを定めて空へ跳ぶ。
「はぁッ────!!」
か弱い人間を握り潰そうと伸ばした手に力強く振った剣が触れ、一颯は地面に退避する。時間差で裂けていく掌の痛みに苦しみ、変異体が後方へ逃げた。
まだだ、この程度ではほんの少し傷をつけた程度にしかなっていない。
応急処置が終わったオリオンも「よし」と呟き、彼女に続く。自らのマフラーに手をかけ、なにやら難しい言語で詠唱し、ぼんやり光を放つそれを変異体に向かって投げる。
「拘束!!」
投げつけたマフラーは自立して行動し逃げ惑う巨体に巻き付き電流を流し込む。両腕ごと拘束され、痺れた変異体は酷くうるさい叫びを上げて膝をつく。
残りの魔力では長く持たないが、これで身動きは一時的に封じられた。とりあえず一颯が攻撃を叩き込むには十分なほどだ。
「イブキ!!」
「任せて!」
彼の魔法を見て一颯は思った。
───魔法もイメージすれば使える…?
ものは試しだ。頭に炎を纏う剣をイメージする。どんなものより熱く燃える必勝の炎を、彼の剣撃と同じ熱量を。
今ならやれると信じてより強く剣を握り締め、そして…、
「燃えろッ!!」
叫んだ声に呼応して、身体から熱が湧き出す感覚がした。その熱はやがて赤い炎となり、なにもなかった剣に渦を巻いてまとわりつく。
魔法が上手くいったのが分かり、勝利への確信はより強いものとなった。
彼を追い抜きアスファルトを駆け抜けて、炎熱に恐怖し身動ぎする標的の脳天へなんの迷いもなく突っ込み、再び高くジャンプする──!
『Aa……!!』
悲鳴を上げる瞬間、炎で強化された剣が頭上から降り寸分の狂いもなく直撃した。
脳を焼かれる痛みに身体を支配され苦しみもがく変異体からすぐさま離れ、オリオンも拘束に使用したマフラーを回収する。
まもなく巨大な怪物はドスンと音を立てて倒れ、深夜の住宅街に何事もなかったかのような静けさが戻ってきた。
「やった……?」
頭から煙を吹き出し地面に突っ伏して動かないそれに一歩ずつ近寄る。害虫を追い払うような仕草で何度か頭をペチペチと叩いたが反応はない、本当に倒したようだ。
終わった。その安心感で身体の力が抜けていき、さっきまで軽かったはずの剣が急に重く感じて地べたに座り込む。
はーはーと荒い呼吸を繰り返した後、もう一度変異体の様子を見たが動き出す様子はなかった。
「やったなイブキ!」
後ろから一颯に抱きついたオリオンは無邪気に喜び笑顔を見せた。
傷だらけで無茶したことについて一言言いたかったが、ウサギのように跳ねて歓喜する彼を見たらその気はすっかり失せていく。
一応怪我は大丈夫なのかと彼に訊ねたが、「ガワは大丈夫だから動ける」とのことだ。見た目は血が止まっているくらいでほとんど変わりなく、一颯にはなにがどう大丈夫なのかはよく分からなかった。
とにかく、戦いが終わったならまずは家に帰ろう。家になら包帯やガーゼもある、彼の見えている部分の傷に処置はできるはずだ。
一颯は早々に立ち上がり、剣を大事そうに持って彼に近づいた───。
「……?」
オリオンの視線の先、一颯の真後ろ。動いている──獣が。
"倒した"という事実に喜んでいたが、そうじゃない。何故気付かなかったのだろう。今まで変異体が消滅しないことをどうして疑問に思わなかったのだろう。
倒れてはいる、しかし微かに背中が不自然な動き方をしている。それが心臓の鼓動だと分かるまでそう時間はかからなかった。
一颯は気付いていない。早く彼女に伝えなくては、すぐに剣を握ったままの手を掴んだ。
「イブキ、後ろ!」
「えっ」
振り返ってからではもう遅い。すでに変異体は身を起こし鋭い爪を振り下ろしていた。
その姿を捉えたオリオンは奥歯を噛み締め覚悟を決めた。未だ呆けている一颯を強引に引き寄せて位置関係を入れ換えて背中を向ける。
ぐしゃり
柔らかいものが潰れた時のような、嫌な音がした。
引き裂かれた身体から血が飛散する。道路に撒かれた赤い液体は夥しい量だった。
まずい。口の中に鉄の味が一気に広がり、胃からせり上がるモノが更に気持ち悪い。始めは痛いというよりはむず痒い程度だった感覚が数秒の時間をかけて激痛へと変貌していく。
脱力して立つこともままならず、恐らく正面にいるだろう一颯の顔もまともに見れないが、彼女がどんな顔をしているかなんて想像は難しくない。きっと今なにが起きたか理解しきれていないんじゃないか、まだポカンとしたままなんじゃないか。
「───」
それでも倒れる直前に一度だけ彼女の表情が見れた。だから声をかけたが、どうやら出てきたのは血だけだったらしい。
「オリオンくん……?」
一方の一颯はといえば、彼から溢れる血溜まりを見てようやく頭が現実に引き戻された。
辺り一面に付いた血痕に今まで考えたくなかった最悪の事態が分かりやすく浮かび上がってきた。
恐怖に憑かれ取り乱し、うつ伏せの彼を起こそうとする。死んでいたらどうしようという焦燥は彼女の鼓動を速める。
「ねえ返事して…! お願いだから、死なないで…!」
一颯の悲鳴にも似た叫びにも彼は反応しなかった。しかし口は精いっぱい呼吸しようと薄く開き、瞼は閉じていない。
生きている。そのことに安堵して涙が自然と溢れ出てくる。
だが一颯は忘れていた。顔を上げればまだ、変異体がいることを。
絶望と死を運んでくる異界の怪物は二人を纏めて殺してしまおうと、血と肉が付着した爪を再び振り上げた。
一颯が変異体にしたのと同じように頭を貫かれ死ぬイメージが拭いきれず、彼女は震えて逃げることもままならない。
死にたくない、死なせたくない。その両方がこびりつき、脳内処理が追い付かない。
『UuuAAAaaaaa━━!!』
そして、死の爪はギロチンのごとく無慈悲に落とされる。
動けなくなった二人に向かって。
───助けて……!!
勇敢に立ち向かうことを決めた数分前とは一転、一颯は助けを乞い体を丸めて現実から逃避した。
誰がそんな言葉を聞いているわけでもないのに、"助けて"は声になって漏れ出していく。
助けて、助けて、助けて!!! 誰か!! 誰でもいい!! 私たちを助けてください!!
悲痛な思いが空に向かって木霊する。
かくして、その祈りは天に届けられた。
『GiiiiiiaaaaaAAAAAA!??』
爪を落とす直前、空の遥か向こうから嵐と同じ勢いで変異体を貫くナニカが戦場で乱射されるマシンガンのような凄まじい音を響かせながら降ってくる。
無数の蒼い光は肉の塊に突き刺さり、巨体を削ぎ落とす。よく見ると光は矢に似ている形状をしていた。
「あれは……!?」
一颯の疑問に応えて、オリオンが少しだけ、か細く声を発した。
「────なんだよアイツ……、イイとこ…ッ持っていきやがって……」
そこまで言って、彼は意識を手放した。まるで誰が光を放ったのかを知ってる口ぶりだった。
止まることなく連射される光を食らいもがく変異体は時間をかけて肉を抉られ、あれほど巨大だった拳も気付けば人間と同じくらいにまで削り取られ、最後には断末魔の叫びを上げながら消え失せる。
数十秒の長くて短い時間が過ぎ、光が収まった後の工事現場前の路地に取り残された一颯は膝枕の体勢のまま、最後の灰が風に飛ばされなくなったのを見てからまた放心した。
自分から助けを乞うたが、まさかここまでの攻撃が来るとは思ってもみなかった。
一体誰が撃ち放ったのだろう。一颯は光が飛んできた方向を見つめる。そういえばこの方向には華恋が住むマンションがあったな、とふいに思い出した。
しかし今はそんな悠長なことを考えている場合ではない。
オリオンは今にも死にそうに……、
「あれ……?」
なっていない。それどころか背中の大きなひっかき傷はすでに塞がれていた。呼吸は規則正しく、膝から感じる胸の鼓動も正常なリズムを刻んでいる。
思わず頬を痛くないレベルで軽く叩いてみたが反応はない。意識がないのは事実らしい。
「……連れて帰ろう」
予想以上に体重の軽い彼を上手く背負い、しっかりと立ち上がって夜の町中を歩く。
灯りが輝く道に夜の闇はかき消され、行くべき道を行き、途中通ることになった雪子のアパートを見て見ぬふりして足早に立ち去る。
そして夜は時間をかけて明けていく。
あの怪物たちの痕跡と多くの亡骸を残して。