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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
89/133

2-13 騎士の誓い



 呆然、そして言葉で言い表し切れない衝撃と過去に感じたような感情が流れ込む。

 思い出した記憶、忘れてしまった記録。それら全てが脳内を押し潰すように迫る中、かつての自分の身勝手さを感じるまでに時間はそうかからなかっただろう。

 広げた手にはなにも残っていない。

 ここに在るのは最愛の弟を自らの意思で切り捨てたことを忘れていた愚かな兄の──いや、最早兄としての立場さえも本来なら許されない血だけが通っている赤の他人だけだ。

 劣等感を感じるのは言ってしまえば個人の自由。我慢しろとは誰も言わないし、昔のリオンだって両腕で努力を重ねる兄に多少のそれを感じていたんだから。

 ただこちらに問題があったとすれば、彼が思うままに放ってしまったあまりに残酷な別離の言葉そのものだ。

 そもそもあの『夢』は誰がはじめに夢見ただろう。思い出した今なら考えるまでもなくそれはレオンであり、弟の彼はそんな兄の果てしない夢の成就のために多くを学び、最後の時には一緒に行こうと兄を促した。

 しかし肝心の彼は渦巻く負の心に飲み込まれ、夢などとうの昔にかき消え霧散する。

 己が抱いた願いを否定し、受け継いだ望みを切り捨てた。後に残された感情はまさに裏切りという名の絶望であり、同時に兄への失望でもあったであろう。

 あの三年間で彼が抱え続けたものはなんだったのか、完全に無意味な傲慢じゃないか。想いを一方的に否定して得た一時の満足感はいずれ反発するように消えてしまうのを大人になっても分からないほど馬鹿ではないはずなのに。

 兄について、善性という名の悪性──とリオンは言うが、この過去には善意なんてものはない。ただの悪意……以下のしょうもない自分本意だ。

 頭を抱え呆然自失のまま動かない。

 酷く磨耗した心は、ひたすら前進を続けていた足すらも止めてしまったようだ。


「レオンくん」

「……時間はどれくらい経っているんだ?」

「丸一日よ、はいどうぞ」


 なにをしたわけでもないのに汗で濡れた身体は重すぎた。

 たった一日しか経っていない。だが、彼に流れ込んできたのは15年もの年月が見つめてきた二人分の記憶であり、脳が疲労するのは当然といえば当然だ。廃人にならなかったとはよほど図太い精神力だと言っていい。

 タオルを手渡して椅子に腰かけたタレイアには時間の流れが異様に長く感じた。これ以上の言葉を発することが何故かできず、随分と大人しくなったあのレオンを見ているしかできないから余計にだ。


「──ずっと、思っていた」


 そう言うと彼は今までなにを考えて、失踪した弟を追ってきたのかを語り出す。


「リオンは役割を押し付けて逃げ出した。大切な弟に全ての責任を任せて、自分勝手に逃げた裏切り者だと。……それは違った」

「……」

「裏切ったのは俺だ。アイツの意思を汲むこともせず、約束を放棄して自分の立場を正当化した俺こそが──裏切り者だった」


 今までリオンが再三語ってきた言葉が胸に突き刺さり、その全てを認めざるを得なかった。

 ファレルの一族としては確かに彼は裏切り者だ。当主の立場を筋も通さず放棄し、追っ手を殺してでも逃げ続けたのだからこの点に文句は言えない。

 だが兄弟としてはどうか。

 あの日、あの雨の夜にレオンがその手を取っていたら少なくとも悲しみの涙はなかった。共に逃げ出したならその心が凍りつくこともなく、劣等感に任せて夢を否定しなければ関係が壊れることはなかった。

 隣で微笑み続ければ、孤独になることもなかった。


「リオンは俺を信じていた。兄ならばあの父親から守ってくれると、俺がリオンより劣っていてもそれだけは信じていたんだ」


 リオンは強い。魔術師として、神に魅入られるほど強くて誰もが羨んだかもしれない。

 それでも彼の中では兄──レオンが一番だった。今も昔も変わりなく「守ってくれる」と「そばにいてくれる」と本気で信じていただろう。

 だからこそ、裏切られて孤独に生きることになった彼は今までの感情が逆転するほどに兄を憎み、絶対に許さないと殺意を剥き出しにしたのだ。

 ──レオンには、最早それを甘んじて受け入れるしかなかった。


「……どうじゃ、理解できたか?」


 ギシリと木の床が鳴る。

 精霊の老女──ディアは神妙な面持ちで語りかけた。


「それが汝の罪じゃ。誰も……そなたの弟ですらも裁けぬ、一生残り続ける心の傷」

「一生……」

「よいか、過去はすでに決められた事象じゃ。どうやっても取り返しがつかぬモノ、これからその過去を変えることなど不可能だ。だから受け入れよ、……そして決めるのじゃ。汝がなにをするべきか」


 決まっている、彼はリオンを助け出さなくてはならない。

 だが無能のそのための力はなく、単身追ったところであのデュランダルの騎士には到底たどり着けず、また弟を失望させるだけだ。

 ────だとしても。


「俺は行く。あの船を追い、リオンを救う」

「……死ぬぞ」

「…………あぁ、解っているとも」


 立ち上がり、魔装束(スペリオルメイル)に身を包み銀色の剣を握り締めた男は、あれほど嫌っていた精霊の女王に跪いてこう言った。


「俺は、────騎士になる」


 今のレオンにはひとつだけ信じたいことがある。

 彼は実の弟を底知れぬ闇が広がる崖の下に突き落とし、絶望させ信じる心をも奪い取った。

 なら次に再会できるならあの日奪った全てを返したい。

 殺されても構わない、信じられないと否定されても構わない。だが──もし弟が信じてくれるなら、必要としてくれるなら何度だって立ち上がりその小さな心を今度こそ守ってみせる。


「ヴェルメリオだけではない。あらゆる害悪を退けてやる。たとえこの身が砕けても、それが俺にできる唯一の償いだ」


 騎士として大切な人を守り抜く。

 その言葉は確かな誓いだった。しかし同時に酷く身勝手な正義感でもある。


「恐らくリオンとやらは汝には心を開かぬぞ。それでも守護の騎士になると言うのか?」

「当然だろう」


 騎士、と言うのは簡単だ。簡単だが道程は険しく、デュランダルの──エタンセルのように真に認められた騎士になれる者など早々いない。

 誓いを護り、その覚悟と信念を貫き通せる真の勇者にならなければいけないのに、大前提であるリオンは心を一切開いてはくれない。その努力は真っ先に彼が否定するだろう。

 ……いいや、否定されてもレオンに反論の権利は元々ない。

 償うというのなら彼が発するであろう罵詈雑言の全てを受け入れ、ぐうの音も出ないほどに認めさせるしかないのだ。

 尤も、もしかしたら──はあり得るだろうが。


「今の実力じゃエタンセル・ローランに勝てない、だから力がほしい。不躾なのは分かっている。……貴方の力を貸してくれ、精霊の女王」


 なによりも想いを伝える前に第一関門はあのエタンセルだ。

 悪と定義された存在を無力化させる光剣・デュランダルはもちろん、当人のパワーも計り知れない。下手をすれば彼こそが帝国が持ちうる最大の戦力の可能性すらある。

 もし空の船がまだ浮かんでいたとしても帝国領に帰ったとしても間違いなく交戦は避けられない。

 この前は軽く捻られあっさりやられてしまったが、奪還戦に退路など存在しない。奪われたものを奪い返さずして、簡単に終われるわけがないだろう。


「…………汝は本当に都合のいい奴じゃな。嫌われるのも納得したわ」

「もしかしてレオンくんに……」

「うむ。なにを選び、決めるかは自分自身じゃ。誰にもその権利は奪えない、無論だが儂すらもな」


 ディアは最初から知っていた。

 どんな理由かは分からないが、レオンがこの先でなにを志しなにを信念として未来を歩むのかをよく理解した上で、彼に選択を問うたのだ。

 だから準備などとっくに終わっている。あとは彼が一歩を踏み出せばいい。


「よいか、レオン・ファレル。儂は魔力を用いてあの船の座標を追う。汝は儂が用意した魔法を使い、その剣技を磨くのじゃ」

「魔法……?」

「汝の記憶にちと()()()()がいたのでな」


 女──まさか自分自身ではないかと頭を悩ませる。

 見た目は全然違うが女装より遥かにレベルの高い変装、かつ魔法なので趣味を疑われるクオリティなのは重々承知のつもりだったが対面するとなると胃がかなり痛い。


「タレイアは儂を手伝え。座標を見つけ次第、汝の予言で先回りするぞ」

「ええ、わかりましたわ」

「協力に感謝する」

「……よいか。汝は自分のやるべきことだけに集中しろ、なにがしたいのかハッキリと見つめ、その日に備えるのじゃ」

「……もちろん」


 ────彼は天井越しに空を見つめる。

 真実を知った今なら、接続の前夜の錯乱も襲撃後の独り言もよく理解できたつもりだ。だが理解しきったとは絶対に思わない。

 彼はあくまでレオン・ファレルで、弟のリオン・ファレルではない。理解したつもりになりきって同情すればそれは彼をまた傷つけることになる。

 もしその真意を真に理解する日が来るとしたら、再び心の底から想いを通わせた時になるだろう。

 過去には戻れない。あの頃のような関係には戻れない。

 ならもう一度、手を握るしかないのだ。





 外には衝撃的な光景が広がっていた。

 「信じられない」とまではさすがに言わないが、とにかく脳天から爪先まで痺れ上がるほどの電撃を見舞われた気分になったのは確かだ。


「久しいですね、レオン」


 青い髪の剣士は()()と変わらず、なにか裏がありそうな笑みを浮かべて巨大な魔剣を地面に突き立てている。

 嫌そうに近付くのを躊躇う彼はとりあえず全身を遠くから見つめ、なにか怪しいものがないかを探るが特に問題になりそうな部分はない。

 ──常に行動を共にしていただけと言うが、彼女は実質的にレオンの師だ。

 独学でしか剣を学んでこなかったせいで剣士に惨敗した彼に一通りの扱い方と戦いやすいスタイルを叩き込んだのは紛れもなく目の前にいるこの女性。

 そう……彼女の名は。


「シャムシエラ……」


 シャムシエラ・フィオレ・エレリシャス、あのオリオン・ヴィンセントの実母にして最強の魔剣士。

 すでに死したはずの彼女が何故ここにいるのか。

 彼は遠巻きながらもその目で見ていた。本来なら必要のなかった親子同士の殺し合い、そして剣士の矜持を以て行われた壮絶な果たし合いの全てを確かに知っている。

 確実な致命傷を受けた彼女は死んでいたはずだ。……そうでなくとも銀弓操作の爆裂に巻き込まれ、炎の中で一人寂しく焼死していただろう。

 どうして、こんな場所にいるのか。


「私は確かに死んだ。忌まわしいことですが、あの夢魔は私より強かったのでしょう」

「そんな話が聞きたいんじゃない。どうして貴方がここにいるんだ」

「……ここにいる今の私は、時操作魔法で貴方の記憶から得た借り物の魂と肉体を得て一時的に生きているだけに過ぎない。そう……再現と言うべきだ」


 今の彼女は近未来的に言うなら限りなく本人に近いコピーロボットとも言える。

 ディアはレオンの記憶を浮上させる際、見つけ出したシャムシエラとの師弟の記憶を利用して時操作魔法と幻想魔法で生前のままの彼女を完全に再現して見せた。

 レオンが彼女の死に際を知っていたため、シャムシエラには自分が死んだ自覚がある。それに関しては別に他意などはない。


「事情は概ね把握している。生前の私はデュランダルの騎士についてもアクスヴェインから情報を得ていたが……お前には一切伝えていませんね」

「あぁ、なにも知らないね」

「はっきり言う。レオン、お前には勝てない」

「いいや、絶対に勝つ」


 断言されたが断言した。

 勝たなくては話にならない。第一条件は勝利、絶対に勝てないと言われようが負けるというのははじめから彼は認めちゃいない。


「……ふふっ」

「なんなんだ貴方は。そんなに笑うな、俺は本気だぞ」

「いや? 鍛えがいがありそうだと思っただけです」


 彼女は彼を気に入っていた。それは生前も今も変わりなく、レオンを困らせる程度には発揮されている。

 だが、一旦咳払いをしたシャムシエラはそれきりモードを切り替えたのか魔剣・アロンダイトを地面から抜き、目の前でいまだに困惑している彼へと切っ先を向けた。


「よいですか。今のお前はどうやってもあの騎士には勝てない。なら、ただ鍛えて力をつけるだけではなく自分だけの戦闘法を身に付け、敵の虚を衝くのはどうか」

「自分だけの……といっても、俺には銀剣しかない。これ以上どうしろと」

「銀剣の特性があるなら問題にはならないでしょう」


 銀剣・クラレントの特性は支配者への特攻と数ある魔法の記録。レオンは特に幻想魔法による剣の掃射を行い、時に変化を使用して盤面に適応するよう戦闘状況を運んでいく。

 これだけでもかなりお腹いっぱいな気がするが、一体シャムシエラはなにをさせるつもりなのか。


「切り札はその幻想剣、そして()()()()()()()


 シャムシエラの言葉を不思議がる間もなく彼は理解した。

 今まで考えたことがなかったそれは──、エタンセルに勝てるかはともかく確かに切り札になり得ると確証が持てる。


 白銀の剣は誓いの下に輝く。

 反逆者でありながら騎士だった男が振るったそれは、今再び騎士を志す者の手に渡ったのだ。


 そして、ここから30日間────彼の戦いは、まだ始まったばかり。



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