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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
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2-11 アフターグロウ 2



 エルシオン・ファレルが厳格で冷酷な人物なのは今も昔も変わらない。

 彼らの幼少期にはそんな男による虐待としか思えない数々の"教育"が行われ、その中でもリオンが命の危機を感じたのは海上での魔法戦に関する"教育"だった。これが原因かかつての隻腕が故か、今でも彼は泳ぐことができず冷たい水には触ることさえ難しいのである。

 期待されていないレオンは勉学と剣術以外じゃ論外なので、代わりに無視されることはあれど暴力に訴える形で厳しく叱責されるようなことはなかった。

 しかしリオンの方はと言えば前述の通り、それはそれは酷い有り様だったらしい。

 見える位置の生傷は絶えず、命じられているのか知らないが「かわいそう」と言いながら治癒魔法なんて誰も詠唱しない。自分で治すか治るのを待てと言っているようにしかレオンには思えず、最初の頃は理解できずに泣いていたリオンも今やなにも言わなくなった。

 当主としての手腕は一級品のエルシオンの方針に賛同する者は多く、彼らに母とエリザ以外の味方はいない。

 だから大人たちは口を揃えて言うのだ。


「"彼"は良い当主になる。なにせエルシオンが直接教育を施しているからだ」

「エルシオン様の後を継ぐのだから多少の暴力は問題ない。物覚えがよくなるならもっとするべきじゃないか」

「腕さえあれば御三家でも最優の立場になれただろう、もったいないが無い物ねだりしても仕方がない」


 と、まるで意思を無視するように笑いながら語り合う。

 温室育ちの無責任な連中め、と感じたレオンが御三家の大人たちに不信感を抱き始めたのはこの頃からだった。

 これに関しては二人のどちらも同様だが、絶対的な主導権を握っている父にわざわざ口答えしようものなら、その先も生きていられる保証はない。

 つまり結局は彼もあの汚い大人たちと同じで、弟を眼前の地獄に突き落とす共犯にしかなれないのを必死で隠すために不信感という口実を作り上げていた可能性は否定できない。否、幼かった彼にはどれだけ逃げたくても見て見ぬフリをすることしかできなかったのだ。

 逃げ出す形で父に反抗したい────それが行動となって外側に表れ出したのは、レオンが12歳になった後のこと。

 当時の二人が休息の時間にいる場所は大抵図書館だと決まっていた。

 本が好きだからではない、父の目が届かず静かだったから必然的にリオンが気に入ったところにレオンが付いてきているだけ。

 片手では分厚い本を持つのも難しく、ページをめくるにも時間がかかる弟はいつも椅子には座らずに図書館の片隅で膝を曲げて台座代わりにすることで器用に読んでいる。

 兄ができるのは簡単な荷物持ちと、眠ってしまわないか隣で見守るくらい。

 永く暑かった夏が終わり、そろそろ肌寒さを感じ始める時期になってきた今日はレオンが一人で図書館にやってきた。

 何故一人なのか理由はひとつ。リオン本人が後に語っていたように、魔装束(スペリオルメイル)生成の魔法を習得するためほぼ缶詰めの状態でエルシオンに教えを乞うており、父の居室から出てこられないからだ。

 食事の時くらいしかまともに部屋から出られないのはレオンもよく分かっている。魔法が使えない彼も一応魔装束生成は何度か挑戦していた。

 なので、弟と会わない日々が続いて現在は10日目。

 別に彼本人は本が好きなわけじゃないのだから図書館に来る意味はない。それでも毎日居座り続けるのは、なんらかの拍子に愛する弟が現れないかと期待しているからだ。


「う、お、うわっ!!」


 ゴンッドサッバサッと図書館には見合わない激しい音を響かせたレオンは本の山に埋もれていた。

 上にある本を取ろうと梯子を上って掴んだまでは良かったが、かなり上の段にしまわれていて誰も読まなかったせいかそれとも経年劣化のせいなのか、表紙同士が貼り付いてしまった本は元々の重さもあって、中々剥がすことができない。ならばと勢いよく引っ張った結果全部がいっぺんに本棚から落ち、ついでにレオンも派手に落ちたのが事の真相だ。

 確かに体格面は()()()()()()リオンと負けず劣らずドングリの背比べ程度でしかないが、まさかこんなにひ弱だとは自分でも思わなかった。

 慣れないことはするものじゃない……それを幼くして彼は学んだ。


「参った。放置してもバレ……るよな、はぁ」


 目当ての本だけを引き抜いて後は使用人を呼んで解決しようと思ったが、エリザが来た場合は間違いなくお説教コースなので自分で片付けることにした。

 幸い、落下の衝撃で貼り付いた部分がすべて剥がれたので問題なく元に戻せそうだ。

 ため息を混ぜつつ、重量感のある蔵書を二冊ずつ持って梯子を往復し、夏でもないのに暑さで汗を滲ませる姿は頑張り屋さんのそれにも見えなくはない……が、自業自得なので庇いきれないのが現在まで続く"残念さ"を物語っている気がする。

 一通り片付けを終えて目的の本だけを脇に挟み、吹き抜けになった図書館の狭い三階の隅へ。いつも二人で座る定位置にやってきた。

 父親が権力的な地位も体格も魔術師の才能も自分より遥かに上だと理解しているレオンは物理的な反抗は考えない。剣だけでは父の魔法を前に傷一つつけられないだろうと判断した上でだ。

 ならどうやって反抗すればいい? 無視されているからこちらも無視する? いいや、それじゃあリオンが救われない。

 二人で、だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そのためには大前提として父の手の届かない場所に逃げる必要があった。

 アルブス王国やアーテル王国があるヴァルプキス大陸本土とかではなく、この広くて狭い宵世界の裏側──でもない。

 ここではない遠く離れたもうひとつの世界。七色の神が許さぬ限り常人には踏み入る手段すらないとされる明けた世界に逃げれば、あるいは生き残れる可能性はある。

 レオンは自身が学んだ明世界に関する僅かな知識を補い、かつ七の意思が関与せずともあちら側へ行ける方法を探し続けていた。

 実際に御三家──ルフェイ家の祖はこの世界の出身ではなく、明世界から来たという文献が多く残されている。手段がないわけではないのだろう。

 勝手に出ていって世界を去ることは、産んでくれた母や世話をしてくれたエリザに悪いと思っている。だが、彼女らも見守るだけで二人が求めるような救いの手は伸ばしてくれない。結局は自分達でしか支え合うことなど叶わないのだ。


「……魔術師の予言、か」


 彼が手に取ったその本に書かれていたのは、当時から千年後の明世界がどうなるのかを描く予言の全て。

 現在から約千年前に花の楽園の魔術師がルフェイの祖に残したこの未来への道筋は、神々の恩寵や魔術は衰退するが機械文明が発展し結果的には人類が繁栄の道を進んでいることが明確に記されている。

 魔法のみで発展し進化を止めてしまったこの世界と違ってあちらは随分と人間の進歩を感じられるが、明世界の実態を知らぬ彼には半信半疑といったところか。

 どこまでが真実でどこまでが空想なのかを確かめるにはそれこそ明世界に踏み入る必要がある。

 信じられるのは見聞きした自分の知識。とにかく今は学ぶ必要があるだろう。


 ふと顔を上げた瞬間、静かに扉を開く音がした。

 使用人の誰かが書物を取ってこいと言われたのかと思い、姿だけ確認しようと柵から顔を出すと──重い扉を肩で押して入ってきたのはリオンだ。

 目をキョロキョロさせて兄を探している様子で、三階にいることには気付いておらず静寂で満たされた図書館は無人だと思っているらしく、怖がって若干腰が引けている。

 なにか長くて大きい黒い布のような物体を抱えているが、そんなことより気になったのは頬を覆う分厚いガーゼの存在。

 リオンはバランス感覚がやけに怪しいがどうせ転んだとかではなく父親の仕業だ。大方怪我も無視してレオンを探すものだから通りがかった使用人が処置したんだろう。


「リオン、こっちだぞ」


 弟が見つけるより先に見つけたのに放置するのはかわいそうだと思い、木製の柵に登り体重を乗せて声を上げた。

 空間が広いおかげで、普通に呼んだでもかなり響く声はしっかり伝わったようだ。 

 兄の姿を見つけて目を輝かせるリオンは相変わらずふらふらとバランスの悪い走り方で階段を駆け上がり、そのまま滑り落ちないかとレオンをハラハラさせながらも三階にやって来た。


「兄上!」

「なんだ? 随分嬉しそうだな、良いことでもあったか」

「えっと……これ!」


 リオンは持っていた黒い布を見せつけるようにバッと広げる。

 二人の黒髪と似た色合いの布は横に長く、服でもなければ装飾品とも言い難い。見た目は完全にただの布なのだが、ちゃんと触ってみると繊維が魔力でできているのが分かった。

 要は魔装束と同じ要領で編まれた布だ。

 どうしてこんな長ったらしいだけのものを持っていたのだろう。


「これ、兄上にプレゼント!」

「プレ……プレゼント?」


 曰く、「マントを作った」らしい。

 残念ながらお世辞にもマントには見えないのだが、兄上ならかっこいいから絶対似合うという謎の自信の下、厳しい父の目を盗んで秘密裏に作っていたとかなんとか。


「マントかぁ……」


 マントと言うには横幅は広いのに縦幅が狭すぎて巻き付けたら異様に短くなってしまうのは目に見えている。

 ……というかこれでは薄地のマフラーやスカーフのようにしか見えない。

 ニコニコ顔の弟の表情が痛い。期待と信頼に刺されている。ここまで期待されてはさすがに拒絶できそうになかった。

 せめて使い方を工夫しようと頭を悩ませるレオンはウンウンと唸りながら首をかしげる。

 一方で、リオンは兄の足元に置かれた大きな本をじっと見つめていた。


「なにを読んでたんだ?」

「えっ? あぁ、これは明世界の予言書なんだって」

「あけせかい?」

「ここと違う別の世界のことだよ」


 レオンは明世界がどんな場所なのかを自分の知っている範囲で一から説明した。

 魔法はない、異形もいない。遺装(アーティファクト)の類は遥か昔に忘れ去られた機械仕掛けの歴史が刻まれたここと同じ星であり、すべてが根底から進歩した全く違う世界。

 貴族制度もとっくの昔に失われた国が多く王や上流階級に主導権を委ねるのではなく、ただの"人"が自分達の意思で国を繁栄に導いていく。そこに差別や争いは──まだあるかもしれないが、この世界に蔓延るものよりもまだ可愛いげがあるかもしれないと彼は思う。


「カエルレウムと全然違う……」

「だろ? 俺の夢なんだ、いつかここから出ていって明世界に行くのが」

「じゃあ兄上はいなくなってしまう?」

「いいや……その時はリオンも一緒だ。一緒にここを出て、旅立つんだよ」


 彼はまだ夢を見ているだけの小さな少年だが、いつかは父親を恐れず弟の手だけを握り締めてこの小世界から見たことのない場所へ飛び立つ────、それこそが()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてリオンも彼が夢見る未来像に確かな希望を抱き、嘲笑だけが在る狭い島しか見たことがなかった彼はかつてないほどに瞳をキラキラ輝かせて知らない世界に思いを馳せる。

 ここを出ればもう痛い思いはしなくていい、もう父の怒号を恐れる必要もない。

 知らない場所での生活は苦労するだろうが二人でならきっと上手くやっていける。だから彼は色んなことを知りたかった、もっともっと誰も知らない叡智に辿り着きたかった。


「兄上となら行けるよ、絶対に!」


 リオンは笑っていた。鮮やかな花が開いたように、無垢な笑顔で兄の夢に応える姿勢を見せてくれた。


「あぁ、必ず行こう。──ここじゃない、遠い世界に」


 ────いつか大人になった時、こことは違う遠い世界へ二人で行こう。


 未来への契りが交わされる。

 遠い、遠い世界へ向かっていくための最初の誓いが言葉として表れた。

 この時彼らは確かに信じていたのだ。

 いつか本当に夢が叶い、見たことない遠くて広い新世界に互いに手を繋いで足を踏み入れることができると。


 ────この日から二人の日々は劇的に変化した。いや、失われていた活力を取り戻したと言った方が適切か。

 リオンは明世界について知るためにいっそう図書館に篭るようになった。

 兄と違い、魔法の才能はあっても日常生活面では腕の有無で決定的な差が生じている。ならせめて知識を身に付けることでレオンを支えたかったのだ。

 頭の良さ故か、寝る間も惜しんで書き込んだ本の写しのおかげか、言語の意味や雑学までもどんどん飲み込んでいく彼は一年も経たずにエレリシャスの祖父母に天才児だなんだと持て囃されるようになる。

 それでも関係なくとにかく本を積み上げ、まだ知らない明世界について知ろうとしてルミエールの書庫にまで行ったりもした。

 そんなリオンの行動の意図を解っていたレオンはと言えば、隙間時間で本を読んではいたが本格的な知識面は弟に任せて自分にしかできないことをもっと磨きあげることにして、本格的に剣の修行を始めた。

 ……といっても優秀じゃないレオンはエレリシャスに相手にしてもらえない。むしろ魔術師のクセに剣を与えられた不出来な子供だと思われているから独学だ。

 もしもの話、カエルレウムから出ても追っ手が現れないなんて保証はない。きっと殺してでも撃退しなければいけない日は訪れるだろう。

 いつか来る日のために強くなってリオンを守る。なにがあってもたとえ父が立ちふさがったとしても守り通し、"こわいもの"がなにもない世界に降り立つのだ。

 だから強く、強くなろう。どんなものより強くなろう。今はまだ大きすぎる銀色の剣で守るために強くなろう。

 最愛の弟を取られたくない。小さくて幼い弟を誰にも奪わせない。


 少年は草原で剣を振るう。まだ姿も見たことがない架空の敵に向かって、黒いスカーフを靡かせて、本を抱く弟が見守る前で、切っ先を目映く煌めかせる。


 さぁ強くなれ。

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと──────。







 それからまた月日が過ぎた。

 カエルレウムのファレル領にはリオンが生まれてから10度目の雪が降る。

 寒くて、寒くて、暖かくて、ぬくもりがあるようで薄っぺらな真冬の空気は彼らの間を人知れずすり抜けていく。

 母に呼び出された二人は気温を操作された庭園の中で、その言葉を聞いたのだ。


「もうすぐ、三人目が産まれるわ」


 終わりは唐突に、始まりを迎えた。


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