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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
86/133

2-10 アフターグロウ 1



 これは現在から19年前。

 彼がまだ幼い子供の頃、彼がまだお腹の中にいる頃。

 現当主エルシオン・ファレルの妻であるライラ・ファレル夫人は次の夏に第二子の出産を控えていた。

 すでに雪は溶け草木芽吹き花咲く季節が訪れて、カエルレウム連合公国内は新たな命の誕生に向けてお祭りムードと言うに相応しい活気溢れる日々が続いている。

 そして舞台はファレル領で最も大きな屋敷。

 この地を治める夫婦が四年前に産んだ"彼"は、今日もまた屋敷の敷地内に造られた巨大な庭園を駆け抜けて、大好きな母の胸に飛び込むのだ。


「母上!」


 短く切り揃えられた黒い髪が青と溶け合って風に舞う。

 木製の椅子に腰掛ける母の大きなお腹になるべく負担をかけないように柔らかく細い腕にしがみつき、あどけない笑顔を浮かべた幼子はかつてのレオン・ファレルその人だ。

 微笑む母はニコニコ顔の彼の頭を撫でながら、後から早足で近付いてくる使用人を出迎える。


「レオン様! 庭園を走ってはいけませんよ!」

「ええーいいじゃないかエリザ」

「お怪我をしたら奥様が悲しまれますよ」

「おれはじょーぶだから大丈夫!」

「はぁ……」


 お転婆なレオンを叱る彼女は"エリザ"といい、ファレルの家に20年勤めている。

 女性使用人としては唯一子育ての経験があることからレオンの世話役を任されており、良くも悪くものんびりした実母のライラよりよほど母親らしい。

 今日も今日とで蔓が伸びる庭園内を華麗に駆け回り、昨日は昨日で食料保存庫から果物をこっそり持ち出して軒先で野鳥に食べさせていたのだからレオンがやんちゃなのは言うまでもなく、エリザの気苦労も知れるところだ。


「まぁまぁエリザ、それくらいにしてあげて」

「奥様……」

「最近はレオンに構ってあげられなかったから寂しがっているのよ。さ、おいで」


 自らの隣に椅子を引いてきたライラは座面を軽く叩き、レオンに座るよう促した。

 半ば飛び乗る勢いで椅子に座った彼の黒い髪を撫でる優しい手つきは母性と愛情に満ちていて、昼間の暖かな日差しと相まって眠くなっていくのを感じる。

 うとうとして落ちそうなまぶたの奥がふと母のお腹を覗き、彼は唐突にこんなことを言った。


「母上、おなかの中の子はいつ出てくるの?」

「そうね……もう少しかしら。貴方のお誕生日の頃くらいになるとお医者様が言っていたわ」

「ほんと!? ねえ男の子なの? 女の子なの?」

「あの人は男の子を欲しがっていたけど、私は女の子がいいわ。レオンはどっちがいい? 弟か妹か」

「うぅーん……どっちも!」

「これから双子にはならないわね……」


 レオンの誕生日は7月の22日、宵世界でも最も暑い季節の真っ只中だ。その辺りで弟か妹が産まれてくるのだから彼にとっては最高のプレゼントと言えよう。

 ぽこりと不自然に大きくなったお腹の中には白命の神が送り出した新しい命があって、今も母の鼓動と彼らの声を聞いているのかもしれない。

 もうじき産まれてくる大切な子に祝福を願い、間もなく兄になるレオンがお腹を撫でれば──突然母は苦しげに呻いてお腹を庇うように丸まってしまった。

 驚いて椅子から転げ落ちたレオンの代わりにエリザが前に出て、ぜえぜえと息を荒くするライラに鎮静作用のある治癒魔法を詠唱しながら声をかける。


「ライラ様、お身体の調子が悪いのですか?」

「い、いいえ……お腹の子がすごく元気なのかも……」

「それなら良いのですが……」


 彼女の主張は元気な赤ちゃんが暴れているとのことだったが、長男の妊娠時にはなかったような苦しみようだったのでエリザは不安げにしていた。

 実際、筋肉の発達がきっかけで手足が当たるようになりそれが胎動として母体に伝わるという話あるのだが、出産経験があるエリザの目線で見た限りライラのそれはどこか違う気がしたのはまた別の話。


「母上、大丈夫?」

「大丈夫。でもごめんなさい、ちょっと疲れてしまったから今日はここまでね。さぁまっすぐお部屋に戻るのよ」

「うん……」


 母に促されて落ち込んだ様子で庭園を後にするレオンはこのあとなにが起きるのかをまだ知らない。

 7月に4歳の誕生日を迎えた時にはライラのお腹はもっと大きくなっていて、彼を祝うために歌を歌った時も圧迫感があるのかなんだか辛そうに息をし、だんだんと頭を撫でてくれる日も少なくなっていく。

 もうすぐ兄になる現実をエリザや他の使用人から叩き込まれ、父エルシオンの態度もまるで他人と接するかのような冷たいものへと変化していった。

 当然といえば当然だ。

 レオンは体内で魔力を生成できるはずなのに、魔法のまの字も出てこないほど不出来な子供。同い年の子より上手くできることといえば剣を振るくらい。

 エルシオンは教育こそしているものの分かっているから期待なんてしていないし、母とエリザと──"ルミエールのおねえちゃん"以外の周りも大半は次に産まれてくる子供しか見ていなかった。

 だからレオンがすべきことは弟か妹をその剣で外敵から守ること、それしか望まれていないから従うつもりだった。

 ────8月の半ばを迎える。

 最後にレオンが見た母は、楽な姿勢で横になっていたが酷く呼吸を乱していた。

 それからすぐに部屋を追い出され、ファレルの家が雇っている優秀な医者やエレリシャス側の祖父母、様々な使用人や情報屋が慌てふためき屋敷を駆ける姿を彼は自室の扉を薄く開いて眺めるしかできなかった。

 しかしなんとなく理由が分かっていたレオンは母の大変そうな姿に不安がる反面、物凄くドキドキしていたのだ。

 ──あぁ、もうすぐだ。

 自分が兄になる。弟か妹が産まれてくる。

 母や父、エリザのように上手く魔法は使えないけれど兄として必ず頼れる人になろう。──彼は幼いながらにそう決めた。

 外が真っ暗になり、わくわくとした気持ちをなんとか抑え込んでベッドに潜り込む。


 そして8月の17日にライラは第二子──男の子を出産した。

 だが、本来なら喜びに包まれるはずだった彼女らが直面した現実はあまりにも衝撃的なものであった。


「エリザ、どうしたの」


 目が覚めてすぐにライラがいる部屋に向かったレオンを部屋の前で待ち、声をかけたのは使用人で世話役のエリザだ。

 普段は厳しくも優しい彼女はいつになく神妙な面持ちで彼と目線を同じくし、こう言う。


「ライラ様は男の子を出産されました」

「じゃあ、弟?」

「ええそう、今は母子共に健康状態は良好です」


 レオンとは同性にあたる男の子、つまりは弟ができた。

 妹でも構わないと言ってはいたがやっぱり同じ性別だとなにかと性格も合いそうで、るんるんと楽しげに跳び跳ねていた。……が。


「レオン様、どうか驚かずに聞いてください」

「え? ……うん」

「実は────」


 彼女はそれ以降を伝えようにも気まずそうな表情で言葉を濁す。

 なにかあったのだろうか……と、不安になるレオンには嫌な予感があった。あんなにも苦しんでいたせいで母が死んでしまったとか、そんな風に。

 そうして、エリザは告げた。


「貴方の弟君は……左腕がないのです」


 腕。そう、手足で言えば手だ。左は所謂お茶碗を持つ手と子供に教える方。

 幼いレオンには言っている意味がよく分からなかった。腕は分かる、しかし自分や両親だけでなく人間なら当たり前にある"腕"が産まれてきた弟にはないなんて、考えられない。

 なぜ? どうして? あるのが当たり前すぎた彼には疑問が多すぎた。


「レオン様は、それでも弟君を愛せますか」

「……」


 エリザの伝えたいことがよく分からない。

 この時の彼は理解しているようでいなかったが、きっと周囲が望んだ通りに弟にしてファレルの当主になるであろう子を、彼が命令されてではなく自主的に守れるか否かを問うたつもりだったのだろう。

 腕がないことが「おかしい」と判断せずに"多種多様"または"個性"として受け入れられるかは純粋でありながら同時に残酷さを併せ持つ子供にとって難しい課題だ。

 この新たな命が産まれる前に喜んでいたように、産まれた後も彼は喜んでいられるかが問題だが──さて、幼い少年には難しすぎたか。

 形が少し足りずに産まれた弟とどう接すればいいかなんて、決まっている。言われた通りにするしかない。

 それがエリザの言う"愛"なのかはともかく。


 この日からファレルの家には二人の兄弟がいた。

 活発でお転婆、魔法の才能はないが剣術の才能には長けていた長男と、虚弱でおとなしく、才能は一級品だが左腕を無くして産まれた次男。

 暑くて気だるくなりそうな日に誕生した彼はリオン・ファレルという名前を得て、五歳になる頃には兄にそっくりな容姿と父親譲りの黒い髪が特徴のどこにでもいそうでいない魔術師見習いへと成長する。





 カエルレウム連合公国は島国である。

 気候でいうなら、冬はとても寒く夏はすごく暑い土地。

 高地でもないのにここまで寒暖差が出るのは、不可視の神々が生きた時代、秋冬は白命霊が司る絶凍の死の世界に春夏は魔術師が微笑む暖かな花の楽園に繋がっていたからだという。

 こんな気候のせいで荒れ放題だった大地を開拓したのは、現在の御三家にあたる分裂前の一族──ルフェイ家。人間の住みやすい土地にし発展させたことで現在のカエルレウム連合公国の原型が誕生した。

 現在ではルフェイ家が三つに分裂し、土地や神器も綺麗に三つに分けたため地域で多少異なる部分はあるものの、ファレル家が治める土地はよりにもよってカエルレウムの特色とも言える寒暖差が一番激しい土地である。

 そんな寒い冬を抜け、ファレル領にもようやく春が来た。

 少し暑いくらいの暖かい陽気が雪解け水を川へと流し、野原では小さい花が蕾を開こうとしている。

 そしてここにも……。 


「あーにーうーえー!!」


 とてとて、と効果音が付きそうなくらい不安定に走る少年は右手に大きな手提げのランチボックスを持ち、半泣きになりながら丘の上に登っていく兄を追いかける。

 この日は母とエリザに連れられ、花畑が綺麗だという丘までちょっとしたおでかけだ。

 元気盛りな二人は場所だけは知ってるそこへ世話係の使用人の心配する声をガン無視してさっさと向かい、現状に至る。


「遅いぞー、なにしてるんだリオン」


 一方の兄は丘の下から上がってくる弟を、石段の上で意地悪そうに眺めていた。


「うぅ……さき行っちゃだめ! まって、まって!」

「じゃあ早く上がってこないとなぁ。ほら、先行くぞ?」

「やーだー!」


 四歳も下の弟になにを大人げないことをしているんだかと呆れられるだろうこの絵面、実に子供っぽさに満ちている。

 それぞれが五歳と九歳で、次の季節を迎えると更に一つずつ大人に近付いていくのだが、リオンはともかくレオンに果たして自覚があるのかどうか。

 兄にベタベタに甘やかされた結果、見事なまでにお兄ちゃん大好き系の泣き虫になってしまった彼は、今日もこんな形で意地悪されてもうそろそろ決壊する程度には涙腺が危ない。 


「おそーい! おいてくぞー!」

「だからまってって言ってるのにぃ……」


 うるうると目に涙を溜めてついに草原の上で座り込んだリオンを見かね、ため息混じりにレオンが上から降りてきた。


「ほら、意地悪してごめん。一緒に行こ」

「うぅぅ……いじわるするあにうえ、きらいだ。いっしょに行かない」

「なぁ──ッ!?」


 少し意地悪こそしてしまったが、愛する弟にそっぽを向かれ軽くショックを受けるレオンもがくりとその場に項垂れる。

 そこにやってきたのは後から追いかけてきたエリザだ。


「お二人とも、なにをしているのですか……」

「エリザぁ……あにうえがいじわるする……」


 彼の指差す方向には完全に意気消沈した戦犯(レオン)

 なにがあったのかをなんとなく察したエリザはそんな問題児に対し目を覚ませと言わんばかりに頭をコツンと小突き、ハッとしたレオンが顔を上げたところでもう一度おでこを小突いた。


「なにするんだよエリザ」

「レオン様、リオン様になにをしたんですか」

「べ、別に……リオンが足遅いんだもん」

「置いていったと?」

「……うん」


 ゴンッと鋭い鉄拳が降り落ちた。

 あまりの激痛に頭を押さえて転がった幼いレオンは涙目で世話役を睨み、あんまり自分のイタズラの深刻さは理解していなさそうだ。

 むしろ直接的に兄を嫌いだと言った弟の発言を「よくない!」と言う始末。自分を棚に上げるとはまさにことことである。

 その時、困ったように頭を抱えたエリザの奥から女性の姿が見えてきた。

 女性はまさに彼らの母親──ライラだ。

 のんびりと坂道を登ってきた彼女は中々に混沌とした現状にポカンと口を開き、エリザからなにが起きたのかを断片的に聞き出すと……。


「二人とも、ごめんなさいしましょうね」

「えぇ!?」

「なんで?」


 二人が驚くのも無理はない。

 というかよく考えれば分かることだが、「嫌い」と言わせる原因を作ったのはレオンでありリオンはなにも悪くないどころか10割被害者なのだ。

 それでも両者に謝らせようとするのにはライラの母親としての教育方針に引っ掛かっていたからであった。


「レオンはお兄様でしょう、意地悪をしてはいけません。もうすぐ10歳になるのだから少しは大人にならないとエルシオン様に叱られてしまうわ」

「む……むぅ」

「リオン、"嫌い"という言葉を人に向かって言うのはダメなことなのよ。乱暴な言葉遣いは品格を問われる……のもあるけれど、それは言われた人の心を傷つけてしまう。貴方もレオンにそう言われたら悲しいでしょう?」

「……うん」

「だからその言葉はもう言わないようにね。それと……貴方が本当は兄上が大好きなのをみんな知っているから、ごめんなさいできるね?」

「……わかった」


 嫌い、馬鹿、キモい、なんていう乱暴で浅はかかつ低俗な言葉は、ライラだけでなく貴族ならまず好まないどころか、聞いただけでその人物を軽蔑し下の存在と見なすだろう。

 まだ幼いリオンはこんな難しいことを理解する必要はないが、母親側は先程言っていたように別の意図を持って注意を投げ掛けた。

 それは本当に単純なことで、自分が言われたらイヤなことや悲しいことを他人に言ってはならない──という子供に説くには実に当たり前の教えだ。

 しかも彼は兄のことが大好きなのだから"嫌い"は余計におかしい、と伝えたいらしい。

 そうこうする内に先に頭を下げたのは目尻に溜めた涙をぬぐったリオンの方。

 母親からのいつもより少し厳しめなお説教で、言ってはいけない言葉についてをより理解した様子だった。

 となればあとはレオンだ。……一応さっき謝っていたが。


「う、うぅ……ごめんよリオン、もう置いてったりしないから一緒にお花畑まで行こう。ほら」


 同じ目線になるよう座り込み、左手を差し出した彼は申し訳なさそうな表情で目の前の金の瞳を見つめる。

 エリザとライラがこっそりとリオンが持っていて今は地面に置かれているランチボックスを自分達側に回収し、兄の手を握るための右手を開けておいた。

 すると、最初は目を逸らそうとしていたが、リオンがおずおずと右手をゆっくり伸ばしレオンの手を握った。


「……おいてかないでね」

「よし!」


 しっかり立ち上がり、互いの手を握り締めた二人が今度は同じ速さで走って丘の上へと登っていく。

 エリザの注意の声はあまりよく聞こえていないようだが、仲直りの直後なので大した問題にはならないだろう。よっぽど崖から落ちたとか事故がない限りは。


 ここまでで五歳と九歳。

 "彼"はこの過去を確かに覚えていて、もっと深く自分視点で思い出すことだってできる。

 あの頃は可愛かった……という生易しい言葉では言い表しきれないリオンの幼さと、汚い大人がなにを考えているかなにも知らない純粋無垢な心は鮮やかすぎて見ているだけの"彼"には眩しすぎた。

 今はこうして草原を駆けて笑ういずれ彼らは知るのだろう。

 欲深い大人たちの真っ黒な感情と、────ここではない全く違う()()()()()の存在を。


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