2-5 愛と過去と優しさと 2
「レオンくん、どうしてあんなことを言ったの?」
「言わなきゃダメか」
「貴方は子供じゃあないでしょう」
「…………」
あれから部屋に取り残されたレオンとタレイアはしばらくの沈黙を過ごしていたが、耐えきれなくなった彼女から切り出された話題にしぶしぶ答え始めたことで空間にはまた違った空気が流れ始めた。
「リオンが明世界に行ったのを知ったのが家から失踪して半年後くらいで、あっちに行く方法が七の意思かあの剣士だけだって分かった時に、一度だけ剣士に会いに行ったんだ」
「当時の剣士……オリオン・ヴィンセントね?」
「そう」
レオンの視点から始まり終わったリオンの失踪とそれにまつわる騒動は彼の胸の内を大いに掻き乱した。
最後に言葉を交わしたのが失踪前日の夜、疲れた様子だったが"当時の"普段と変わらない様子でもあったことを記憶している。内容も「最近ちょっと辛い」といった愚痴っぽいもので激励の言葉をかけたのも覚えている。
次の日の夜にリオンが港町を見に行ってから屋敷に戻ってこない話を使用人の一人から聞き、更に次の日、次の日……と時間を重ねるごとに屋敷どころか御三家全体に嫌な空気が漂っていった。
その後、最後に彼が目撃されたのはアーテル王国領内。それ以降は宵世界のどこを探しても痕跡は発見できず、明世界にまで捜索の手が伸びたが──帰ってこなかったため、ついにエルシオン・ファレルはリオンを諦めた。
だが息子を息子とも思わない無情な父と違い、その程度で諦められるほどレオンは情がないわけじゃない。間もなく家を出てアーテル王国へと向かい、オリオンと出会ったのだ。
「アイツはすぐに認めた。俺が連れていったって、そのあとのことは知らないからどこに行ったかも分からないとも」
アクスヴェイン・フォーリスが起こした反逆の際、布越しだが再会したオリオンが一瞬だけ反応しすぐ知らないフリをしたのはこれが理由だったらしい。
結局その時はまだ限定開花による老化に苛まれる前で本調子に一番近かったオリオンに惨敗し、出直して来いだの三下だのと嘲笑われた。尤も相手が悪かっただけでそこいらの兵士に比べれば十分強かったと思われるが。
当時のレオンは才能こそあれどまだ剣術も魔法も自己流で荒削りだったのが大きく勝敗を左右し、後にアクスヴェイン一派に仲間入りする形でシャムシエラの下に入り修行を積んだのは間違った選択ではなかったと思う。
……という余談は置いておいて、その一件があってからレオンは彼を恨むようになった。
その頃はかなり真っ当に逆恨みしていたが──大事な弟を唆した悪魔、まぁ事実として夢魔なのだから間違ってはいなかったがそんな風に彼は思い、またオリオンは突然やって来て剣を向けたレオンを「半端者」またはかつて友から聞いた通りに「嫌われ者」と軽蔑したのだ。
つまり現在、レオンにとってはまさに念願叶ってあの恨めしい剣士が死んだ──なら喜ぶのも普通だし、この段階ではリオンのことは全く考えていない。
弟にとってオリオン・ヴィンセントという人物がどんなに聖人であり友であっても、たとえ一度でも共闘しようが彼にとっては忌むべき敵だ。
「そのオリオンくんがどんな子だったかはお姉さんよく知らないけれど……弟を想うなら、あの発言は軽率だったと思うわぁ」
「……しかしだな」
「だがもしかしもないわよぉ」
融合体との戦いで共闘した時、確かにオリオンの力の一端となにかを愛する"心"に触れた気がした。しかし理解するまでは及ばず、あくまでレオンにできたのは弟のために戦うことだけ。
だからこそ今も────そうではないだろうか。
「分かった、分かったよ。戻ったら謝るから、それでいいんだろ?」
「ちゃあんと謝るのよぉ?」
「わかったってば……」
「それならよし!」
子供に言い聞かせるようなタレイアの口調に若干イライラするが彼女からすれば今年で23歳になるレオンだってまだ子供ということだ。
今グダグダと先伸ばしにしようとすると女性というものはうるさくなるので、ここは納得しておいて状況を上手く纏めるのが正しい判断だと思われる。
とりあえずまずはリオンが戻った時のことを考慮し、この部屋を出て隣に戻り待機する。
恐らく、いいや確実にまともには顔を合わせてくれないだろうが扉越しならワンチャン聞いてくれなくもない。
そうして隣の部屋の鍵を回し扉を開いた彼らは、そこでありえない──そうだ、あるわけがないものを見ることになる。
「……リオン?」
「あら、鍵はかかっていたと思うんだけれど……」
備えられたベッドの隅にいたのは背を向けているものの間違えようもない特注品の魔装束から分かる、あれはリオンの姿だ。
声をかけたのに俯いて無言なのはやはり友をあれやこれやと罵倒されたからか、心の中では所謂"本心"と呼べる感情を持っていても口や態度には出さない男にしては珍しい光景──否、かつて家を飛び出す前のような状態によくはないだろうがレオンは少しだけ嬉しく感じる。
ただ、どうやって鍵のかかった部屋に入ったのかが疑問だった。
今のリオンは単純な魔法ならいざ知らず、魔力の精密動作が必要となる開錠と防壁無効化の魔法を同時に発動するのは難しいはず。
なんだかおかしい、普段なら気にも留めないような事柄なのに今日は妙な違和感が頭に残る。
まずは近付いて声をかけよう。警戒されようが構うものか、もしかしたら一人きりになって何者かの襲撃を受けたのかもしれない。
恐る恐る正面側に回り込み、目の前でなるべく警戒させないよう中腰になってまるで迷子の幼子に話しかけるくらいの丁寧さで言葉を紡ぐ。
「リオン、どうし────」
すべてが言い終わる前に彼は驚きとちょっとした衝撃で後退したが、それもがっちりと両腕に掴まれ阻止された。
ガバッ、と音がしそうな勢いで鳩尾辺りに飛び込んできたのはすぐそこにいるリオンだ。ただし腹部に突撃してきた頭部は下を向いているため、詳しく表情は見ることができない。
そしてレオンはこの至近距離でようやく"あること"に気付いたが──その話を切り出す前に、そこの"彼"は話を始めた。
「……すまない、兄上」
「急だな。また奇襲でもするつもりか?」
「案外信用がないんだな」
「さすがにこれは自業自得だろ……」
兄としての良心を利用して接近し腹を殴るなんて芸当は後にも先にも彼にしかできまい。
今は協力関係であると言っても似たような雰囲気になると条件反射で思考は固まり体が強張ってしまう。
「少し考えていた。せっかくこう、再会したのにこのままでいいのか……兄上に勝手な憎しみをぶつけるのは正しいことか、と」
「それで……?」
「ようやくこちら側に戻ってきたんだ。昔のように、ただ隣に入るだけで笑えるような関係に戻れないかって、俺から言い出すのはおかしなことだろうが」
彼から出るのはレオンにとって夢みたいな言葉ばかりだった。
夢でしか見れなかった憧憬、幻でしか聞けなかった言葉の両方に様々な想いが駆け巡る。
兄として、レオン・ファレル個人として、産まれてきてから……産まれる前からずっと見守ってきたリオンという大切な大切な弟は、本当にかけがえがなく殺したいほど憎かったあの時でさえ背を向けて暗闇に消えるその姿に情を捨て切ることはままならなかった。
和解したい。もう一度、今は繋がっている両手を握り締めて互いに夢見た明日へ往きたい。
あの頃、たった二人だけで見上げた星空がある最果てへきっと大人になった今なら行けるに違いない。
愛する弟から言われたんだったら、殺し合った時に修復できないと思っていた心の溝が今なら確かに埋められる──いつものレオンになら、そう思えただろう。
だがしかし、今日だけはその言葉を聞いたからこそ近くて遠い背中を真っ直ぐに見つめ、自らの腰に据えた白銀に手をかけた。
「…………」
「兄、────え……?」
ほんの僅かに距離を置いたレオンに違和感を覚えたリオンはやっと顔を上げ、同時に発した声を皮切りに少しだけ表情を歪ませる。
一言で言うなら、すごく痛そうだ。
……そりゃあそうだろう。だって、今"彼"の背中には────。
「──幻想、剣……?」
背から腹を刺し貫いたのは銀剣・クラレントに宿りし幻想魔法が得手、複数の幻想剣だ。
レオンといえばこの実体のありながらない剣で対集団戦を得意とし、殲滅力の高さはリオン本人も一目置いている。
しかし、一体なんのつもりだろう。
彼は実の弟を刺した。しかも背後に術式を忍ばせ不意を打ったのだ。
さっき自分でリオンのかつての所業をなんだかんだと言っていたにも拘わらずこれはどういうことか。
「ちょっとレオンくんッ!?」
「言われたいな、そんな言葉。リオンから、いや本人から直接聞きたいよ」
本人から、直接────これが表す意味はそう、ひとつしかない。
「……お前、いつから……っ!?」
「最初から、って言ったら嘘つきか?」
レオンが感じていた"違和感"は確かに最初からだったが、それがハッキリとしたのはこうして近付いた時だった。
先ほども言ったが、そもそも今のリオンには魔力をキーピックのように操り精密に動かす作業はほぼ行えない。何故なら銀腕・アガートラームの固定に魔力の大半をつぎ込み、繋がるよう集中力もそちらに向けているから。
故にレオンは近付いた時に腕を見た。黒いインナーとアームカバーでちょうど隠れるので普段は気にならないが、ちらりと覗いた腕の肌色はリオン本来の薄い色。どうやっても銀には見えなかった。
ついでに彼は義手を固定しているだけなのでまともに動かすことができない。こんな両腕でレオンをホールドすることも難しいか、基本ぶらつかせているし不可能だろう。
トドメはこのリオンとは思えぬ数々の発言。
友を散々罵倒した後の彼にこんなにも平和的で穏やかな和解を求めるのは──ありえない。
「生憎だが俺はこの国の双璧を化かした男だぞ。そんな陳腐な変化で欺けると思うな、百年早いわ」
なんともテンプレめいた決め台詞だが実際に軍師二人を化かして重傷を負わせた本物の国家犯罪者が言うとかっこよく見えてくる。やってることは全然かっこよくないけれど。
「ハ……そうだった。忘れていたがお前はそういう男だった。俺の負けだ」
「ならその魔法を解け、斬り捨てられたくなければな」
何者かも分からない下劣な存在が弟の姿を型どっているだけでも許せない。
まだ半分も鞘から姿を現していない白銀の剣をここで抜き、ベッドで踞ったソイツの額に刃を向けて次の行動を待つ。
「いや斬られる前に消えるとも、痛いのは俺だって嫌だ。代わりと言ってはなんだがアドバイスをくれてやる」
「なにを……!!」
「急いだ方がいい、なにせ相棒は手が早い。大事な大事な弟が赤いクソッタレどもに奪われてからじゃ遅いだろう?」
「貴様ッ──ぁあ!?」
剣が目標に触れる前に目標自体が跡形もなく消え去った。
しかも勢いで躓いたレオンはベッドに無事ゴールイン、素材が柔らかいので痛くはないがタレイアの目がかなり恥ずかしい。
だが人目を気にする暇などない、敵に塩を送られているのだから余計にだ。
「これが前に言っていたヴェルメリオ帝国の?」
「あぁ……やっぱり一人にするべきじゃなかった。早く探すぞ!」
「待って。この都市を二人で駆け回るなんて無茶、大体街には大勢の人がいるのよ?」
今はまだ陽も落ちきっていない時間帯。
観光客と住民はまだまだ活気に満ちている以上、千単位の人波をかき分けてたった一人を探すのは魔法もロクに使えず魔力探知能力に乏しいレオンには難易度が高すぎる。
タレイアも同様に本職魔術師ではないので、大勢から個人の"色"を正確に特定するのは難しいとのことだ。
「じゃあどうしろと……」
「もっと確実な手があるじゃない!」
街をすぐにでも一望し、個人レベルで特定できる手段。
タレイアがいなければ成し得ないし考えもつかなかったが、そういえばあるじゃないか。なんなら今現在進行形で街中を監視中だ。
「行きましょう、曾おばあ様のところに」
◇
呼び止める店番の声がする。街を行く知らない他人の声がする。
彼はそれらに耳を貸さず、ただ街の出口だけを目指してひたすら足早に歩みを進める。今は目的以外に興味はなく、なにも見ないし聞いてすらいない。
早く、早く離れよう。大丈夫、あんなロクデナシの力を借りなくとも今からなら一人で辿り着ける。
なにも知らない分際でよくも負け犬があそこまで吠えられたものだ。無知ほど恐ろしいものはないとこの歳で再び痛感することになるとは思いもよらなかった。
あの大馬鹿のことなので余計な発言くらいはあるだろうと思っていたが、その悪意が自分以外に向けられた時にこんなに胸が苦しくなるなんて想定していた以上の苦痛だ。
大体、世界を救うために死んだ者と反逆者の生き残りなんて比べるまでもない。
よくもあそこまで堂々と罵倒できるものだと憤慨し、全く成長しないことに関して頭が痛くなる。
「……歩きすぎた」
人目が気になって路地裏に隠れた時、疲れを感じて歩みを止めてしまった。
周りを見渡してから気付いたことだが、どうやらこんな街中で不覚にも迷子になっていたらしい。
深く考えずに無心で行動するとすぐこうなる。周りに迷惑──とかは気にかけてすらいないが、自分に災難が降りかかるのはよくない。
最悪の場合は人に道を尋ねることにしよう。今はとにかく離れたくて必死なのだ。
街を出たら人がいなさそうな道なき道を進もう。
魔力の感知精度を上げて今度こそヴェルメリオの下らない策謀には遅れを取らない。
休憩してたら野生の勘とかなんとかですぐ追い付くであろうレオンの影に警戒しつつ、路地裏から出ようと壁に手を当てたその時だった。
「なぁお兄さん、僕の話を聞いてくれないかね?」
「…………」
「う……無言の圧力は止してくれ。おじさんは金がなくてねぇ……女の子は金がなけりゃ話も聞いちゃくれないんだ」
「俺は先を急いでいる。悪いが他を──」
「最近聞いたんだよ、風の噂で。北の帝国が血眼になって"男"を探してるって話……知ってる?」
「……知らん」
どこからか寒気となにか嫌な予感がした。
唐突に路地の奥から現れた浮浪者のような男は意図の読めない不気味な笑みを湛え、初対面のリオンにヴェルメリオ帝国に関する"噂"を話す。まるで、探されている本人に言うみたいに。
二人きりの状況になるのはマズい──、と本能的に感じ取った彼は徐々に距離を置きゆっくり大通りに向け後退する。
「帝国も突然おかしなことを始めたモンだ。そうは思わないかな、お兄さん」
「そうだな。……だがここはアルブスの領地だ、俺たちには関係はない」
「あぁ。だから帝国の連中は騒ぎを起こせない、僕たちみたいなのを使わないとね」
最後のワードが耳に入り始めた瞬間、リオンはただ焦ることなく冷静に振り返り今出せる全力の速度で道を駆け抜けた。
風に身を任せ、左腕を庇いながらでもたかが5mもない距離くらいどうってことはない。
「簡単には逃がさないよ、なぁ──迷宮結界ッ!」
街を照らす夕日飛び込もうとしたリオンの体はいとも簡単に見えない壁に弾き返され、思わず瞑った目が再び開いた時に見たのは────。
「空間魔法か……!」
ひたすら続く道、突然の分かれ道、壁に覆われた行き止まり。
すべての要素が不安を煽り正気を奪う脱出不可能とまで言われていた設計が織り成すこれこそが、あの気色悪い謎の男が発動した空間魔法──迷宮結界。
かつて神話の時代にミノタウロスが閉じ込められたという逸話を残す驚異的な魔法はとてもじゃないが人間にできる芸当ではない。
つまり、謎の男は昨日この街に入り込んできて姿を眩ませていた異形らしきもの。タレイアの曾祖母が今見つめていたはずの凶悪な怪物に違いない。
──彼は無限迷宮の中に落とされた。
術者が支配する空間に逃げ場はない、神話のように糸を持たない彼には脱出の術もない。
ならばなにができるのか。
決まっている。あの男を見つけ出し、倒すのだ。
『さぁ探してごらん、この僕を。辿り着けたらお兄さんにも生き残るチャンスはきっとあるさ』
天上から降り注ぐ愉快そうな嗤い声は自らが殺されることを一切想定していない。
……それじゃあやってやろう。
男の居場所を突き止め、必ず一撃を叩き込んでくれる。
無力でも、一人でも、それくらいはできると胸に強さを抱いて、彼は先の見えない迷宮の果てを目指し始めた。